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59 それから1



 多くのことが一度に起こった。

 時間は瞬く間に過ぎた。


「ジン、無事だったんだね……!」

「カルもよく生きてた!」


 戦いのあと、全員が屋敷に集合した。

 互いが生きていたことを喜び合った。


 領主の治療も行った。

 ハービーが泣きながら領主を治した。


 治療が一段落したら、町の人間の呪いを解いて回った。

 盃に注いだ聖水や神酒を呑ませるか振りかければ呪いは解ける。

 聖水であれば、屋敷の裏手にある。

 問題は盃が小さい点だ。


 地道な作業を続けていった。

 感染していない人間が住む場所と、それ以外を隔離した。


 十二天将トゥービも協力してくれた。

 彼は他領にいる獅子族だという。

 ジンを見るなり、王の器だ、と笑った。

 変な奴だが、エリカの命令には素直に従っていた。



 人間たちの呪いを解き終えた頃、ガレンから鷹便がやって来た。

 分厚い書状には、一連の事件の犯人が明らかとなった、と記されていた。


 それによれば、犯人は分家一派だという。

 主犯は領主の弟カパティード。

 彼の号令で母イーナ、姉ナバーバ、妹シースをはじめ、総勢七名の天上人が集結した。

 そして、領主暗殺を企てた。


 策の全貌を記す書類はカパティードの屋敷から発見された。

 それによれば、彼らはシヌガーリンを焚きつけて領主を殺させる算段だったという。

 シヌガーリンが失敗したため、自分たちで動いたようだ。

 領主と人間王が殺し合うように仕向けたこと。

 禁呪を利用したこと。


 すべてが完璧に記されていた。

 肝心のカパティードだが、……死亡が確認されたという。

 共謀者六人を惨殺し、自らも刀で喉を突いて死亡した。


 屋敷には遺書も残されていた。

 動機が領主の座を奪うためだったこと。

 人間と共生を謳う領主に誰もが愛想を尽かしていたこと。

 それらが語られていた。


 話を聞いた領主はひどく落ち込んでいた。

 理解が得られたと信じていたのだ。

 家族に裏切られていた傷は深いに違いない。



 時を同じくして、スグリの葬儀が行われた。

 直轄地の者は人間も含め、皆が集まった。

 屋敷の一室を使ったが、入りきれない人間は庭でスグリの冥福を祈った。


「……すまない、スグリ。本当にすまない」


 式の間、領主は謝罪の言葉を幾度となく口にした。

 婚約者の命を奪ったのは、領主の肉親だった。

 得体のしれない悪者だったなら、まだ恨むこともできただろう。


「説得できたなどと、……俺が信じたばっかりに」


 領主にとって肉親は心を許せる相手だったのだろう。

 だからこそ、人間と共生するという夢を話した。

 その夢は皆の笑顔で受け入れられて、……だから、スグリとの結婚も認められるはずだった。


 だが、彼の家族は嘘をついていた。

 肉親の情よりも政治的な立ち回りを優先した。


 分家という立場をジンは知らない。

 しかし、それが非常に苦しく、兄のご機嫌取りをしなければならないような立ち位置なのは察せられた。

 それに気づかず無邪気に家族を信じた領主は、……最悪の形で裏切られた。

 悪いのは誰だったのだろうか。

 領主か。

 それとも分家か。

 どちらでもないはずだった。


 そこには、ただ、政治という壁で隔たれた家族があっただけだ。

 小さな思い違いが大きな悲劇を生んだ。

 責められるべき者などいない。


 ……だが、それでも領主は自分を許さない。


 将来を誓った婚約者を肉親が殺し、その肉親も自ら命を絶った。

 根にあったのは領主の夢。

 人間と共に生きるなどと言い出さなければ、家族も婚約者も死ぬことはなかった。


 夢に罪はない。

 悲劇との因果もない。

 偶然の産物に過ぎない。


 ……そうとわかっていても、受け入れられないことはある。

 領主には自分を恨まないで欲しい。

 夢を呪わないで欲しい。


 言葉にはできないが、ジンはそう願うのだった。



 葬儀は滞りなく終わり、遺体は屋敷の庭に移された。

 庭には矢倉が組まれていた。

 棺をその中心に据え、火をつける。

 火葬は天上人の文化だ。


 天上人としてスグリは弔われる。

 そのことにジンは異論を挟むつもりはない。

 肉体が人間だろうと、スグリの心は領主の近くにあった。

 スグリは、……天上人だった。


「精霊の導きを賜った者が亡くなることは、同じ道を歩むものとして非常に残念に思います。……どうか安らかに眠り給え」


 矢倉の前で司祭が祈りを捧げた。

 領主は葬儀に伴い、霊公会に司祭の派遣を依頼していた。

 略式とは言え、しっかりとしたものにしたかったのだろう。

 そうして派遣されたのは、ソテイラだった。

 バサ皇国に四人しか存在しない司教。

 それが駆け付けたことに、領主は小さな慰めを見出していた。


「領主様も大切な人を亡くされ、さぞ悲しみが深いことでしょう……。どうか、あなたの手で火をかけてあげてください」


 ソテイラは手にした種火を領主に渡す。

 領主は涙を拭い、種火を受け取る。


 自らの婚約者に火をかける……。

 だからかもしれない。

 領主は長らくためらっていた。


 やがて覚悟を決めたように息を吐き、矢倉の根元に種火を添えた。

 種火は徐々に大きくなり、矢倉を、スグリの入った棺を猛々しく包んでいく。


「……スグリ、…………すまなかった……」


 泣き崩れた領主の背中をソテイラがさする。

 無表情で考えが読めない奴だが、司教の名は伊達ではなかった。

 このときばかりは神々しく、慈悲深い存在に思えた。


「領主様。差し出がましいことかとは存じましたが、お渡ししたいものが」


 ソテイラは懐から布を取り出す。

 宝を扱うような所作で包みを広げると、……そこには儀礼用の短剣があった。

 柄にはお守り袋が結ばれている。

 その部分だけが短剣の装飾にそぐわず、あとからつけたものだとわかった。


「こ、これは……、スグリの……」

「えぇ、巫女様の短剣にございます。本来なら共に火葬すべきものではありましたが……、遺品として取っておかれた方がよろしいかと思いまして」


 ソテイラは短剣を領主に渡した。

 発言が事実なら、司教の判断で棺桶から勝手にとったことになる。

 許せるかどうかは微妙だ。

 しかし、領主がお守り袋を開けたことで事情が変わった。

 袋には手紙が残っていたからだ。


「こ、これは……」

「えぇ、巫女様から領主様に宛てられた手紙でございます。お守り袋もご自分でお縫いになられたのでしょう……。こればかりは燃やしてしまうわけにはいかぬと思い、取り出した次第です」

「お、俺は……、スグリの手紙を燃やすところだったのか……。なんとお礼を言えばいいのやら……」

「礼など不要です。どうぞお読みになってください」


 領主が震える手で手紙を開ける。

 お守り袋に入れるために、小さな文字で記されていた。


『ナグババ様


 わたくしが死んでしまったことに、驚いていらっしゃることと思います。

 この手紙を書いているわたくしも、未だ現実を受け入れることができません。

 もう少しで自分が死ぬ。

 その感覚は、悲しいような怖いような……、来るならば早く来て欲しい、そんな気持ちです。


 わたくしの死については、何度も占いをしてきましたが、どうやっても変えられない未来のようでした。

 条件が直轄地にいることなのです。

 わたくしは、ここにいる限り、必ず死ぬ運命にありました。


 かと言って、逃げることもできませんでした。

 ナグババ様が生きる条件は、わたくしが直轄地にいることだったのですから。


 占いはわたくしかナグババ様のどちらかが死ぬ未来を見せていたのです。

 相談することも考えましたが、ナグババ様のことなので、無理にでもわたくしを直轄地の外へ追いやったに違いありません。

 ですから、わたくしは何も言わず、静かに死ぬことを選びました。


 結婚前に先立ってしまう、わたくしの不幸をお許しください。


 本当だったなら、結婚をお受けすべきではなかったのです。

 死ぬことがわかっている婚約者など、ナグババ様にとっても喜ばしいことではないでしょう?


 けれど、わたくしにとっては嬉しい日々でした。

 ほんの少しの間だけれども、あなたと一緒に同じ夢を見ることができて幸せでした。


 このお守りは、最後に妻らしいことをしようと思い、わたくしが縫ったものです。

 不出来かもしれませんが、領主様の幸せを祈り、頑張って作りました。

 大切にしていただければ、わたくしはそれで充分です。


 それから、夢を。

 夢を諦めないでくださいませ。

 あなたの夢は人間の希望なのですから。


 最後に兄さまへ。

 ヒヌカさんと楽しい家庭を築いてください。

 わたくしとナグババ様の分まで、末永く幸せになってください。

 そして、わたくしが見られなかった夢を兄さまが代わりに見てください。

 人間と天上人が共に暮らせる世界を。


 スグリより』


 それがスグリの残した手紙だった。


「なんで、言わなかったんだよ……」


 すぐには受け入れられなかった。

 スグリは自分の死を知っていた。

 なのに、黙っていた。


 難しい顔をしている日が多いとは思っていた。

 だが、ジンは深く尋ねなかった。

 占いの結果は良好と言われていたから……。


 わからなかった。

 スグリがどんな気持ちで、あの日を迎えたか……!

 そんな体たらくで何が、兄なのか……!


 その気持ちを代弁するように、領主が叫んだ。


「気づけなかったッ……! 俺が気づいていれば、スグリは……!」


 お守りを握り締め、領主は声の限りに叫ぶ。


「死ぬことがわかっていたからなんだ!?

 俺が不幸だったとでも思ったのか!?

 俺はお前と婚約できて、嬉しかった!

 幸せだった!

 結婚を受けなければよかったなどと言うな!


 俺はお前を…………、愛していた!」


 領主は叫ぶ。

 炎の爆ぜる音に負けぬような声で。

 そうしなければスグリに聞こえないと言わんばかりに。


 領主が何を思っていたか、ジンには手に取るようにわかる。

 もし自分が同じことをされたら、叫ぶに違いないからだ。

 自分を救うために黙って死ぬことを選んだスグリ……。

 一方的に守られる悔しさなど想像もつかない。


 ……だが、どれほど悔しくても、泣いていてはいけない。

 スグリは手紙に書いている。

 残った者たちに何をして欲しいかを。


 兄たるジンは名指しで要求をぶつけられた。

 それがスグリの最期の願いだ。

 叶えてやらねばならない。


 それは領主も同じだ。

 ……領主は乗り越えなければならない。


「俺の夢がスグリを殺したッ! 家族にも裏切られた! どうやって夢を見続けろというのだ……!?」


 そんなのは決まっている。


「おい」


 ジンは領主の肩を掴む。

 わざと乱暴に振り向かせる。


「お前、まだわかってないのか?」

「わかってない……、俺がわかっていないだと!? スグリの気持ちなど、婚約者である俺が一番、」

「そうじゃないッ!! ――――お前は俺を頼っていいんだ! スグリがいない分は俺が何とかしてやる!」

「……!」

「お前がやることは弱音を吐くことか!? 違うだろ! 弱音を吐くような奴は、殴ってでも立ち上がらせてやる……! だから、俺を、――――人間を頼れ!」


 エリカがはっとしたように顔を上げる。

 領主もだ。


 それは、人間王が領主を全面的に認める発言だ。


 領主はずっと手を差し伸べてきた。

 天上人の代表として人間に共生を訴えてきた。

 そして、今、人間がその手を握ったのだ。


 領主の夢は、もう一人だけのものではない。

 それがどれほど素晴らしいかは、……領主とスグリが教えてくれた。

 人間を殺さない天上人となら手を組んでもいい?

 そんな他人行儀の気持ちは消えた。


 天上人と人間は共に暮らせる。

 今は、強くそう思う。


 なぜなら、二人がそれを証明したからだ。

 両者は共に歩めると見せてくれたからだ。


 だから、認めなければならない。

 その夢が現実的であることを。

 そして、どれほど素晴らしいものであるかを。


 エリカも、カルも、ヒヌカも。

 その場にいた人間が、全員肯く。

 反対する者はなかった。


「ありがとう……、本当にありがとう……」


 しゃがみ込んだままの領主がジンの腹に抱き着いてくる。

 馬鹿みたいな力で締め上げられる。

 だが、振り払いはしない。


 領主が泣き止むまで、……ずっと肩に手を置いていた。



 ……そして、一歩引いた場所では、ソテイラがその様子をじっと見つめていた。

 その顔には表情らしきものはなく、興味深い虫を観察するような目をしていた。


    †


 葬儀が終わると、列席者に酒と料理が振る舞われた。


 死者は笑って送り出す。

 それが領主の考えだった。


 首長をはじめ、多くの人間が屋敷へやってきた。

 そして、酒を酌み交わした。

 わずかな間だが、……領主は笑顔を取り戻していた。

 ジンはその笑顔の真意を知らない。

 だが、行き先が暗いとわかっていて笑えるのは、強さの証だ。


 このあと、領主は妻を娶らねばならない。

 分家筋が全員亡くなった今、ベルリカの血筋は領主が最後だからだ。

 血を残す責務を思えば、私情を挟む余地はない。


 領主の未来に明るい要素は少ない。

 立場から来る重責は、容赦なく領主を潰そうとするだろう。


 しかし、一人ではないのだ。

 仲間がいる。

 困ったときに頼れる仲間が。


 こうして、直轄地での事件は終わりを迎えた。

 前途は多難だ。


 だが、自分たちはここで折れてはいけない。

 スグリの思いを無駄にしてはいけない。


 そんなことは絶対に許さない。

 同じ思いを託された者として、兄として。



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