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TIPS ガンザロの辻斬り

オマケです


 ガンザロの辻斬り事件という伝説がある。


    †


 今を遡ること一年と二月前。

 バンガ地方南端に位置する交易地ガンザロには大商人の家があった。

 西よりもたらされる毛皮や干し肉を東へ流通するのが商人の仕事だ。

 その家は代々、山羊の天上人が当主を務めていたが、慣例として人間の奴隷を側近にする決まりがあった。


 人間は運搬から勘定まで幅広い仕事をこなす。

 それらを統率するのも人間であり、商家の実務はすべて人間が行っていた。

 商売では少しでも利を出したいのが商人の本音だ。

 そのためには、人間を側に置き、密な連携をした方が効率がよかった。


 無論、側近とは言え人間の地位は天上人より下である。

 だが、実務に関する権限を持つため、形ばかりの番頭以上に実権を持つというややこしいことになっていた。


 番頭は天上人の職だが、代々お飾り職であり、仕事をさせぬ方が商家としては益が出る。

 せいぜいが町役人の娘などをあてがって、為政者と血縁を持つ程度だ。

 今までは問題がなかった。

 しかし、当代の番頭は実に嫉妬深く、人間が実権を握ることをよしとしなかった。


 番頭は金に物を言わせて他所の地方から、とっておきの人間を取寄せた。

 暗殺者である。

 暇にあかせた好事家が生まれたての人間を買い取り、様々な技を仕込んだという一品だ。

 こうした強い人間は剣闘士や狩猟の的として人気だった。

 それを五人。

 惜しげもなく買い込んだ。

 目的は唯一つ、商家の側近とその娘の暗殺である。


    †


 その日、商家の側近タンドルは娘のミズルと共に商談に出かけていた。

 隣町の人間と話をつけ、揚々と帰宅するところだった。

 人間でありながらも馬車に乗り、分不相応な衣類を身に着けていた。


 タンドルは今年で四十になる。

 並の人間なら衰弱して死ぬ歳だが、彼の肌はつやつやとして衰えを知らない。

 娘のミズルはまるまると太った十二歳。

 ワガママが多いもすくすくと健康に育っていた。


 欲しいものは何でも買い与えた。

 足るを知らぬ娘にしては、恥ずかしくて貰い手がないからだ。

 その点、ミズルは足りすぎた娘であり、タンドルの自慢であった。

 だから、本音を言えば、家の外には出したくなかった。


 外は危険だ。

 傷がついたら目も当てられない。

 しかし、駄々をこねられ、今回の度に同行を許したのだった。


 馬車が街道を抜け、ガンザロが見えてくる。

 道沿いに歩いていた人間が不意に馬車を見上げた。

 年の頃はミズルと同じくらいだが、体重は半分もなさそうだった。

 薄汚れた外套を羽織っただけの少年だ。


 どうせ家も親もない物乞いだ。

 見るだけで吐き気がする。


 ……この先、ガンザロに近づくほどその手の人間が増えてくる。

 ミズルを家においておきたい理由はまさにそこだった。


 門を抜けて街へ入る。

 人間の馬車と知れると、すぐさま物乞いが群がってくる。

 薄汚れた布を身にまとい、何日も風呂に入らぬ体は、目に染みるほど臭かった。

 ガンザロは大都市だが、物乞いも多い。

 商家の仕事は流動的で、取り扱う商品を減らせば、その分、働き手が不要となる。

 失職したなら別の町へ行けばいいものを、奴らは物乞いとなって街に残るのだ。


 タンドルは貧しい者が嫌いだった。

 不潔で醜く能なしだからだ。

 知能がある分、動物より質が悪い。

 馬車に取り付いて荷物を奪おうとしたり、道に寝転んで足止めをしたりする。

 その度に、用心棒を使って物乞いを片付けさせる。


 いっそ殺せれば楽なのだが、人間による人間殺しは大罪である。

 物乞いもそれを知っているため、どこまでもつけ上がる。


「旦那、今日は裏道を通りましょうぜ。いつにも増して物乞いが多いんで」

「おぉ、気が利くな。そうしておくれ」


 手綱を握る男は先日雇い入れた新顔だ。

 前任者が病死したために火急で雇ったが、中々気が利く奴らしい。

 タンドルは気をよくして、座席に戻る。

 物乞いの臭いと声にすっかり怖気づいたミズルの頭を撫でる。


「これに懲りたら家を出たいなどと言うんじゃないよ」


 ここぞとばかりに説教を垂れると、ミズルはぶんぶんと肯いた。


    †


 間もなく馬車は何もない路地で止まった。

 簾を持ち上げてみると袋小路だ。


「どうした、道を間違えたのか?」


 タンドルが鷹揚に聞くと、御者は同じくらい間延びした口調で答えた。


「すまんね、旦那。こういう仕事なんで」

「……何のことだ?」


 御者は答えるでもなく、さっさと馬車を降りてしまった。

 一人で路地を抜けていく。


「お、おい!? どこへ行く!?」

「……父上、何があったんです?」

「わからん。……御者がどこかへ行ってしまった」

「別の御者は?」

「……馬を操れるか知らぬが、やらせてみるしかないだろう。おい、誰かここへ!」


 馬車の周りには用心棒や使用人がいるはずだった。

 ところが、誰一人呼びかけに応じない。

 まさか聞こえないわけでもあるまい。

 数度の呼びかけにも応じないとなると、持ち場を離れたとしか思えない。


「……全く、こんなことは初めてだ」


 文句を言いながら、席に戻る。

 あとで全員に罰を与えねばなるまい。

 いや、いっそ首にするか。


「――――いつまで、そこにいるんです? さっさと出てきてくださいよ」


 聞いたこともない声がした。

 十中八九物乞いだが、この際、使えるのなら何でもいい。


 そう思い馬車の荷台から顔を出すと、


「――――」


 そこには血の海が広がっていた。

 切り捨てられた用心棒がそこかしこに倒れている。

 腕のない遺体もあれば、首のない遺体もある。

 言えるのは、皆等しく絶命していることだけ……。


「ひ、ひぇえぇええええ……!? こ、これはなんだ!?」

「お父様!? どうなさったのですか!?」


 娘がのこのこと顔を出す。

 そして、眼前に広がる血の海を見て、耳をふさぎたくなるほどの悲鳴を上げた。

 タンドルはとっさに娘をかばった。


「む、娘の命だけは……! 金ならいくらでも出す……!」

「……あのなぁ、…………金の問題じゃねぇんだよ」

「ならなんだ!? 仕事が欲しいのか!?」

「仕事ぉ? はっはっはっ、おめでたい人だなぁ。俺はね、あんたみたいに、人間のくせに贅沢している奴が嫌いなんだよ。あんたを斬れるなら、正直、金だっていらないくらいさ」

「な、何を……」


「あんた、俺みたいなのがどういう生活をしてきたのか知らねぇだろ? ……食うものもねぇ、寝るところもねぇ、家族もねぇ。…………だからさ、あんたみたいなのが嫌いなんだよ」


 男の目には暗い色が宿っていた。

 背後からぞろぞろと似たような目つきの男女が現れる。

 全員が刀を持ち、油断ない足運びをしていた。


 そして、路地の入口には物乞いが詰めかけていた。

 彼らは何を言うでもなく、じっとタンドルを眺めていた。

 まるで殺されるのを待ち望んでいるかのようだった。

 ゴミと同程度だと蔑んでいた物乞いが、今は自分を蔑んでいる。


 物乞いの悪意など、生まれ初めて意識した。

 今日まで確かにあったはずなのに、一度も気にかけたことなどなかった。

 それは自分が権力に守られていたからであり、金があったからであり、天上人にしか興味がなかったからだ。

 すべてを剥がされ着の身着のままとなった今、暴力を前にしてタンドルは無力だった。


「どれだけ偉くても斬れば死ぬ。世界が公平でよかったと、俺は思うんだよなぁ」


 先頭の男が抜き身の刀を商人に突きつける。

 残る四人は腕を組んで、その様子を見守っていた。


 タンドルが知る由も無いが、彼らは数番衆と呼ばれる集団だった。

 幼い頃から天上人の下で剣を習い、暗殺術を身に着けていた。

 動物を殺し、穢魔を殺し、時に仲間同士で殺し合った。


 殺すために生まれたのだと幾度となく囁かれた。

 親はおらず、ただ、飼い主がいるだけだった。

 自分たちには名前すらない。

 生まれた順にイン()からオン()の数字が呼称だ。


 殺すことがすべてだった。

 それ以外のことに意味はなかった。

 インは仕事の折に飯盛女を買ったこともあるが、なんの喜びも見いだせなかった。

 ただ、底抜けの虚しさがあるばかりだった。


 唯一の救いは、名声と、名声によって得られる仕事だ。

 思うに、恵まれた者を殺すことに意味があるのだ。


 生まれながらに人は平等ではない。

 能なしで美しくもない娘が毎日、美味いものを食い、才気に溢れた女がひもじさのあまり物乞いになる。

 世の中はそういうふうにできている。


 だから、その不平等をわずかでも是正することが自分たちが生きる意味なのだ。

 人は斬れば死ぬ。等しく死ぬ。

 これこそが至高の平等なのだった。


 インは刀を無造作に振り下ろす。

 まずは左腕を。次に右腕を切り落とすつもりでいた。

 死は平等だが、安らかな死であってはならない。


 この太った人間には、数多の物乞いが味わったであろう苦痛を経験する義務がある。

 苦しみ、苦しみぬいた上で死ぬ。

 それが正義だ。


 きん、と涼し気な音がした。

 同時に刀が弾かれる。

 インはとっさに飛び退いた。


 商人の前には物乞いが立っていた。

 子供だ。

 年齢は十五にも満たない。

 男か女かもわからない顔立ちで、両手を外套の内にしまっていた。


 刀を弾いた以上、得物を持っているはずだが、外套の膨らみでそれも見えない。

 だが、それはどうでもよいことだった。


 ……いつから、そこにいた?


 インの目には物乞いが地面から湧いたように見えた。

 一切の気配がなかった。

 そして、こんなにも穏やかな顔をインは見たことがなかった。


 本能が警鐘を鳴らしている。

 こいつは危険だと言っている。


 何を馬鹿な……。

 こんなガキ相手に恐れることなどあるものか……。

 自身の感覚を無視して、インは物乞いに近づいた。

 最初にして最後の間違いだった。


「……お前、なぜ邪魔をした?」

「あなたが人として、間違っているから。……あなたの考えには、誇りを感じない」

「なに……?」


 誇り。耳慣れない単語だ。

 第一、間違っても物乞いが使うような単語ではない。

 頭がおかしいのだろう。

 そう決めつけて、インは物乞いの首に刀を滑らせた。


 ぬるりとした感覚が手のひらを伝い、肩口にまで上ってきた。

 物乞いの首を跳ね飛ばすはずの刀がいつの間にか空を切っている。

 がら空きになった右脇腹を物乞いの短剣が舐めていく。


 インはその一部始終を止まった時間の中で眺めていた。

 体が熱を持つ。

 痛みが頭の芯を焼く。

 熟達した暗殺者であるが故に、自身の死をはっきりと悟った。

 体勢を立て直すでもなインはばったりと地面に倒れた。

 それきり動かなくなった。


 ざわめきが広がる。

 残る四人が次々に刀を抜いた。

 物乞い一人に四人がかりで飛びかかる。


 そのとき初めて物乞いは得物を見せた。

 火箸ほどの刃渡りしかない短刀だった。

 両の手に一本ずつ。

 二刀の使い手だ。


 しかし、外見はやはり物乞いであり、リン()からオン()も心のどこかに隙があった。

 彼らは生まれてこの方、敗北を経験してこなかった。

 人間の多くが無学で剣術も習わぬ時代だ。

 教育と暗殺の手ほどきを受けた彼らに負ける道理がなかったのだ。


 だからこそ、リンは呆気なく先手を取られる。

 物乞いの右剣がリンの刀を滑るように受け流し、左剣が右の脇腹を裂いていく。

 全く同じ手の内で二人目が倒れる。


 残る三人はついに油断と奢りを投げ捨てる。

 物乞いを取り囲むように散開し、三方から息の合った一撃を放つ。

 このとき、物乞いが初めて構えた。


 右剣を胸の高さに。

 左剣を腰の高さに。


 五行より抜き出したるは水と地。

 合わせるは沼の構え。

 それは人が人ならざるものと戦っていた時代に編まれた古代の剣技だ。

 起行門と呼ばれる間合いに踏み込めば最後、双剣は等しく死を振りまく。

 しかし、悲しいことに彼らはまだ自分たちが何と戦っているのかに気づかない。


 サン()が頭から転んだ。

 スー()の目にはそう映った。

 水の構えにあった右剣が火剣となり、スーを襲う。

 かろうじて身を捩るも、依然として体は敵の間合いにあった。

 地を這うように忍び寄る左剣を避ける手段がない。


 オンが体ごとねじ込み、左剣を力任せに弾き返す。

 スーを背中で突き飛ばし、転げるように間合いを逃れる。

 物乞いは追撃をしなかった。


 右剣を顔の前に。

 左剣を後ろ手に。


 陰と陽、木と金の構え。

 続く手が読めない。

 それは怒涛の勢いを持って迫ってきた。


 二刀とは言え間合いは所詮短刀だ。

 長刀を操る自分たちが有利であることに変わりはなかった。

 そうだというのに、攻撃がまるで当たらない。

 刀はある種のぬめりを持って受け流され、気づけば体が短刀の間合いにいる。

 なぜそうなるのかがわからない。

 化かされているのではないかとすら思う。


 剣戟が捉えきれない。

 オンが最後に目にしたのは、捨て身の覚悟で突っ込んだスーと、それを苦もなく解体する物乞い。

 そして、宙を舞う自身の刀だ。


    †


 オンの巨体が倒れ伏す。

 それきり通りに音がなくなった。


 五人の刺客はいずれも一流だった。

 タンドルの素人目でも、それは明らかであり、だからこそ、死を覚悟したのだ。

 それを、この物乞いは。

 たった一人で斬り伏せてしまった。


 何者なのか。

 何者であっても尋常な存在ではないに違いなかった。


 これがのちまで語られることになるガンザロの辻斬り事件だ。

 この物乞いは悪鬼だとか剣聖だとか呼ばれるようになる。

 ちなみにこの話のオチは実につまらないことでも有名だった。

 曰く、タンドルは物乞いに報奨を与えるも、結局、その得体の知れなさに恐れをなして、物乞いを天上人に引き渡してしまうというものだ。


    † † †


「うひゃ……、なんで頭を撫でるのさ……?」

「カルの頭が撫でやすい位置にあるからだな」


 その悪鬼だとか剣聖だとか呼ばれた存在の頭をジンはくちゃくちゃに撫で回す。

 カルの髪は柔らかく、撫でるととても心地よいのだった。


「遊んでないでよ! 仕事はまだ残ってるんだから!」

「へいへい、わかってるよ」


続きはまた明日です

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