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57 一本の道5 



 領主なら”そこ”にいるだろうと思った。

 開けっ放しの門扉をくぐると、敷石に座る領主を見つけた。


 膝の上にはスグリの亡骸が。

 まるで子供を寝かしつけるような体勢だった。


「来たか、人間王」

「あぁ」


 ……領主と戦う理由は何だったか。

 さっきまで、完璧に理解したつもりだった。

 城下町にいる誰かが筋書きを作り、領主が嵌められた。


 そういう話だったと思う。

 だが、領主を前にすると、どれもこれもつまらない話に思えた。


「カルから話は聞いているな? なぜ呼ばれたのかも……」

「あぁ」


 領主は生気の受け落ちた顔をしていた。

 死人のようだ。

 ……あるいは、死のうとしているのか。

 だから、ジンは宣言した。


「先に言っておくぞ。俺はお前と戦いたくねぇ」

「ふ……、率直な男だ」


 領主はジンに背を向ける。

 スグリの亡骸を抱え、縁側へと運んだ。

 そっと横たえる。

 まるで起こさないよう気を遣っているかのようだった……。


「すまんが、俺には人間王を殺さねばならぬ理由ができた」

「あぁ、なんか聞いたぞ」

「人間王が我が婚約者精霊の巫女(アニー・サセルドーテ)を殺害した。……それは事実か?」

「俺がスグリを殺すわけがねぇ」

「……そんなところだろうとは、思っていた」


 来たれ(ハリカ)黄金ノ眷属ギント・カマグ・アナクよ。

 領主が霊術を使った。

 ハービーの誇らしげな解説が昨日のことのように思い出せる。


『あれは武具の召喚という稀有な霊術なのです。領主は、ことさらに精霊に愛されたからこそ、黄金郷の精霊より、武具の貸与を許されたのです』


 黄金郷ノ鎧(ギント・アニ・アルマ)

 黄金郷ノ剣(ギント・アニ・タバク)


 あらゆる事象を弾き返す鎧に、あらゆる物質を切断する剣。

 あちらの攻撃は常時必殺。

 だが、ジンの炎は必殺になりえない。


「人間王がスグリを殺したなど、下手な嘘にもほどがあった。これがまかり通るのが天上人の世界と思うと、寂しいものだ」

「だったら、なんで戦うんだ!?」

「臆したか人間王?」

「そうじゃねぇ!」


 戦うと心に決めた。

 避けられないのだから戦うべきだと。


 ……しかし、忘れられなかった!

 スグリが描いた未来が、領主の語った理想が。

 今だって戦う理由はどこにもない。


「土地なんていらねぇ! 人間国は今のままでいい! お前が生きて、たくさんの人間を救った方が、みんな幸せになる!」


 どうして戦わねばならないのか。

 ずっとずっと、そのことを考えていた。


「お前は本当に宣戦布告したのかッ!? どうなんだッ!?」


 今なら伝令の間違いで済まされる。

 領主の本心を聞きたい。


「それは迷いだぞ、人間王」


 領主は首を振る。

 そして、高らかに宣言した。


「――――俺は確かに人間国に宣戦布告をした。これは事実だ」

「な、なんでだよ……!? どうしてそんな話になるんだよ!?」

「理由を聞かねば戦えぬのか? ならば、理由を作ってやろう。人間王の妻を殺せば戦うか?」

「お前ッ……!」


 その言葉に覚悟を見た。

 領主は自身の意志を曲げるつもりがない。

 ならば、もう、語る言葉などありはしない。

 道は一本に絞られた。


 どちらかが倒れる。

 それ以外に未来はない。

 誇りと大勢の命を肩に背負い、戦うだけだ。

 真実を置き去りにして……。


「行くぞ、人間王ッ!」


 領主が剣を抜く。

 ただの一振りで、前庭が両断された。

 光を帯びた刀身は、長さが数十倍にも膨らんでいた。

 ジンは炎をまとい、これを受ける。

 始皇帝マナロの炎は、光の部分だけを的確に焼く。


「手加減なんかしてやらないからなッ!」

「望むところだッ!」


 両者に間合いという概念はない。

 変幻自在な光と炎がぶつかり合う。


    †ヒヌカ†


 その頃、ヒヌカは縁側に腰掛けていた。

 ヒヌカはエリカたちと共には逃げず、ジンと一緒にいることを選んだ。

 個人的なワガママではあった。

 けれど、カルもエリカもヒヌカを送り出してくれた。

 道中危険だろうから、と数人の警兵が護衛についてくれた。


 ジンと領主なら、戦いの舞台にここを選ぶだろうとは思った。

 なぜならスグリがいるからだ。

 安らかに眠る彼女に、ヒヌカは白い布をかけてやった。

 胸元が血塗れでは、あんまりだからだ。


「……おや、ワシ以外に同じことを考える者がいるとは驚いた」


 部屋の奥から内侍長が現れる。

 彼も手に布を持っていた。


「おじいちゃんは、知ってたんですか?」

「何をかな?」

「スグリちゃんの正体を」


 スグリの耳と尻尾は偽物だ。

 領主が運んだ際に猫耳の片方が外れていた。

 その片方は、今、内侍長が腰にぶら下げている。

 当然、気づいているはずだった。


「……知らなかったと言えば、嘘になるかのぅ」


 内侍長はぼんやりと言う。

 仕えていた巫女が人間だった。

 その事実に反して、言い方は穏やかだ。


「短い間でしたが、仕えさせてもらいましたからな。人間か天上人かは些細な違いじゃろうて」

「驚きました……。領主様以外に、そんな考え方ができる天上人がいるなんて」

「探せばおる。あんたらの思っている以上に人間を憐れむ天上人は多い」


 布を畳み、内侍長はヒヌカの隣に腰掛けた。


「で。あんたは、逃げんのか?」

「はい。わたしには戦う力がありません。だからこそ、ここにいたいんです」


「ふぅむ、わからんな」

「戦わない道があることを、忘れて欲しくないからです。わたしは戦えない。だから、わたしを見て思い出して欲しい。戦うことがすべてではないんだって」

「ほぅほぅほぅ、若いのに考えが深いの。はて、その理屈じゃと、ワシも残らんといかんな」

「危ないですよ?」

「その言葉、そっくり返させてもらうぞ」


 不思議な空気だった。

 人間の代表と天上人の代表が戦っている。

 なのに、その横では肩を並べて、庭を眺めているのだ。


 ……どちらが勝てば、負けた陣営に不幸が降り注ぐ。


 けれど、自分も内侍長も互いを憎み合うことはないだろう。

 今だってそうだ。

 憎いとは思わない。


 ただ、成り行きを見守るだけ。

 自分の大切な人が生き残ることを祈るだけ。

 人間と天上人は、その時間だって共有できるのだ。


 ひょっとしたら種族の問題なんて、とっくに解決しているのかもしれない。


    †カル†


 戦況は一進一退を繰り返していた。


 前線は旅館の近くに広がる川原だ。

 平坦ではあるが、岩石が点在しており起伏は激しい。


 戦軍が陣取るのは川を挟んで反対側。

 丘陵の一角だ。

 南向きという地の利を活かし、十分な太陽光を確保している。

 電磁砲の出力も初手から出し惜しみなしだ。


 有効射程四千トルメ。

 初速はエリカの銃よりも速く、着弾してから発砲音が届く。

 いかに天上人が優れた身体能力を持っていても、防御の術がなかった。


「さすが宰相の武器だ。こりゃとんでもねぇ……」


 天上人を圧倒し、戦将自身も驚いていた。

 電磁砲は十二分の活躍をしている。


 しかし、ハービーも簡単には引き下がらなかった。

 隊を家屋の物陰に下がらせ、分散攻撃に切り替えてきた。

 班の単位を解体し、個人による包囲戦だ。


 川さえ渡ってしまえば、戦軍との間に障害物はない。

 近距離戦は天上人の独壇場だ。


 当然、戦軍も距離を取りながら砲撃を行う。

 隠れながら近づいてくる天上人を索敵し、電磁砲で牽制する。

 とは言え、砲弾や太陽電池の輸送を考えれば、電磁砲は機動力に乏しい。


 いかに距離を取り続けるかが鍵だった。

 近づかれたら負けの戦軍と、近づいたら勝ちのハービー。

 前線らしい前線はなく、後退しながらの戦いとなる。


 追いつかれそうになれば、カルが出て天上人を牽制する。

 巫霊ノ舞(サヤウ)は天上人を相手にしても、奥義の名に恥じない威力を発揮した。

 一対一であれば、十分に渡り合える。


「こ、こいつ人間のくせに……!」


 カルと切り結んだ天上人がおののく。

 人間相手なら簡単に倒せると踏んだのだろう。

 外見が子供で女なら、なおさらだ。

 だが、カルは天上人の太刀筋を完璧に捕捉する。


 その事実が天上人を焦らせる。

 ついには霊術の行使に踏み切らせた。


「この俺が人間相手に霊術を使うなど……!」


 何の霊術か、カルには判別できない。

 踏み込みの速度が跳ね上がったことを見るに、ハービーと同じ身体強化の霊術だろう。

 並の人間なら対処不能の一撃だ。


 カルは初めて構えを見せた。


 右剣を胸の高さに。

 左剣を腰の高さに。


 五行より抜き出したるは水と地。

 合わせるは沼の構え。


 天上人は何かに躓いたかのように転んだ。

 頭から地面に叩きつけられる。


「いててて、転ぶとは情けない……。霊術を制御しきれなかったか。あ?」


 彼は最後まで気づかない。

 転んだ原因は霊術などではなく、足がなくなっていたからだ。


 まずは一本。

 人間側が先制した。


 直後、戦軍の本陣から怒号が飛び交う。


「て、敵襲ッ!! 敵は地中から攻めてくるぞッ!」


 カルが自陣に戻ると、天上人が戦軍と切り結んでいた。

 敵の一部が地中を移動して、自陣のど真ん中に現れたのだ。

 素手でできるとは思えず、何らかの霊術に違いなかった。


 ハービーたちは霊術の使用に踏み切っていた。

 思ったより判断が早い。

 天上人なら矜持に邪魔されて、死ぬ寸前まで使わないと思っていた。

 瞬く間に数人がやられた。


 二本目は天上人が。

 一手で形成を逆転させてきた。

 混乱に乗じて他の天上人も距離を詰めてくる。


「陣形を立て直して! 詰められたら負けだよ!」


 檄を飛ばして戦軍の意識を外に向けさせる。

 同時に内側に入り込んだ天上人に斬りかかる。


 いかに天上人が霊術を持っていようとも、使う暇を与えなければ人間でも勝機はある。

 常人の数倍以上の出力で、カルは天上人をねじ伏せる。


「移動するぞ! 止まれば追いつかれる!」


 戦将は後退の指示を出す。

 仲間の遺体を置き去りだが、彼らは互いの死など顧みない。

 練度はハービーの手勢よりはるかに上だ。

 天上人は個々の能力こそ高いが、死というものに慣れていない。

 所詮は鍛錬で培った技術だ。

 そこには血の臭いのする練度がなかった。


 本来であれば天上人が優勢である戦を、武器と練度の両面により、人間が拮抗状態にまで持ち込んでいる。

 無論、カルの存在も大きい。

 単独で天上人を撃破しうる人間は恐怖の象徴となっていた。


 撤退しながら電磁砲の間合いで戦う人間。

 奇策を弄しながら距離を詰めてくる天上人。

 包囲網は時と共に狭まるが、天上人の損耗率も上がっていく。


 詰め切るのが先か。

 それとも逃げ切るのか。


 勝負は持久戦の様相を呈していた。


    †


 領主の目論見は超短期決戦だった。

 光の剣は岩を貫き、地面を割る。

 この世に斬れぬものはなく、刀身は自在に変化した。


 光だけに重量はないのだろう。

 領主はまるで短剣のように剣を振る。

 その軌跡に一度でも触れたら死ぬ。


 大して領主は炎で焼かれても鎧が弾く。

 熱による攻撃は通るが、呪いの主と戦ったときとは違い、領主は炎を避けようとする。

 長時間炎であぶらなければ致命傷とはならないのに、それができない。

 その差は趨勢の差として現れていた。


「逃げるばかりでは決闘にならんぞ」

「そんなのはわかってらぁ……!」


 序盤から領主の一方的な攻撃が続く。

 光の剣に間合いという概念はない。

 事実上、無限に伸びる刀がジンを襲う。


 ジンはこれを炎で防ぐ。

 炎には霊術をかき消す力があり、光の刀身に対しては効果があった。

 しかし、さすがは精霊から賜った剣だけあって、薄い炎では破られる。

 防ぐにしても全力の炎で盾を編まねばならない。


 反撃に転じることができれば、ジンにとっても間合いは問題にならない。

 庭の端から端まで数十トルメは射程の内側だった。

 しかし、領主の剣戟がそれを許さない。


 疲れを見せずに執拗に剣を振るう。

 刀身が数十トルメともなれば、そこに既存の剣術は当てはまらない。

 薙ぐという動作がまず起こりえない。


 領主が手元の剣をわずかに動かせば、ジンのところでは数トルメの軌跡を描く。

 力を込めて相手を切る必要もなく、触れさせれば勝ちだ。

 必然的に突きを変形させた、見たこともない剣術となる。


 せめて距離を詰められれば、対処のしようもあった。

 刀身を自由に変えられると言っても、所詮は剣だ。

 拳の間合いに近づけば、長さが邪魔になる。


 だが、できないのであれば意味のない妄想だ。

 炎以外に使えそうなものを探す。

 決闘の舞台は屋敷の前庭。

 遮蔽物自体はそこそこある。


 ……あれだ!


 ジンは庭石の陰に隠れ、領主の視線を切った。


「それで隠れたつもりか!?」


 庭石ごと切断される。

 ここまでは織り込み済みだ。


 その隙に池に飛び込んだ。

 見られてはいないはず。

 領主が気づくまでには時間がかかる。

 その間に水中から距離を詰めようと試みた。


 甘かった。

 池が縦に割れた。

 水が流れ出し、あっという間に頭が水上に出てしまう。


「浅はかだな、人間王」

「……ちくしょう! ……これでもダメか!」

「さぁ、次はどう来る?」


 光の剣が振るわれる。

 また地獄のような連撃が始まるのかと思った。


 ……ところが、今回は数度の攻撃で間が空いた。

 領主は光の剣を鞘に戻し、意識を集中する素振りを見せた。

 理屈は不明だ。

 しかし、それは初めて見せた隙だった。


 これを逃すわけもなく、ジンは炎で反撃を開始する。

 距離を詰めながら、闇雲に打つ。

 二度と剣を抜かせないようにする目論見だった。


 領主はこの炎を鎧で受け、居合の構えを取る。

 瞬間、背筋に寒気が走った。


 とっさに体を捻る。

 地面に伏せたところで、頭上を光の束が通り過ぎていく。


「……っぶねぇ」

「今のを避けたか」


 領主は何でもないことのように言う。

 次の手があると言わんばかりだが、このときジンにも勝機が見えていた。

 領主の体は居合の振り抜きに耐えられていない。


 鎧の隙間からは血が滴っていた。

 呪いの傷だ。

 領主は昨日から今日にかけて無茶をしすぎた。

 ふさがりかけていた傷が開くのも当然と言える。


 非情になりきるのであれば。

 勝ちにこだわるのであれば。


 ジンの取るべき手は防戦だ。

 時間を稼いで領主が弱るのを待てばいい。

 そうすれば勝利は自動的に手に入る。


 だからこそ、ジンは前に出る。

 出られるだけ出る。


 光の剣が顔のすぐ横を通り過ぎる。

 それでも止まらない。


 呪いに頼った決着など面白くないからだ。

 領主が短気決着を望むなら、それに正面から応じる。


 少しずつ防御に回す炎を減らしていく。

 相打ち覚悟で炎を打ち出していく。


「ふはは、ようやく本気になったか!」


 領主が獰猛な笑いを浮かべる。

 剣を振るうたびに鎧の隙間から血が滴る。


「丸焼きにしてやる!」


 ついに光の剣がジンの腕を捕らえる。

 切断には至らないまでも、かなりの深手を追わせる。

 しかし、それすらも気にかけず、炎を前に打ち出していく。


 先にビビった方が負けだ。

 退いてはならず、逃げてもいけない。


 これはそういう戦いだった。


    †エリカ†


 旅館にいた人間の逃亡が始まった。

 目指すはアピョーの産地である山だ。


 馬で一日。

 人の足なら数日の距離だ。

 食糧を考えても、その距離が限界と判断された。


 首長が先導して、人間を連れ出す。

 残念ながら、その隊列に内侍と警兵は加わらなかった。

 彼らは領主に仕える者だ。

 領主が人間国に宣戦布告をしたのなら、人間を守る理由はなかった。


「最後の情けとして、逃げることを見逃そう」


 ただ、見て見ぬ振りはしてくれた。

 今はそのことを嬉しく思いたい。


「あんたは殿をつとめるのか?」


 町人に聞かれる。

 エリカは首を振って答えた。


「あたしは逃げない。まだ、戦っている仲間がいるから」


 窓の外を示す。

 カルと戦軍がハービーを相手に戦っていた。


「そうか……。達者でな」

「えぇ、あなたたちも」


 町人に別れを告げる。

 内侍も警兵も安全な場所へと避難した。

 人がいなくなると、部屋は急速に寂しくなった。


 一人、ティグレだけが残っていた。


「で、どうすんすか?」

「あんたなら、カルを助けて、それからジンと領主の戦いを止められる?」


 エリカは聞いた。

 その目を見て、ティグレは事情を察する。

 ”彼女”は諦めてはいないのだ。


「……あー、それ、何の意味があるんすか?」

「人間と天上人は一緒に暮らせると、領主と巫女は証明してみせた。あたしは、それに懸けてみたい」

「はぁ……。無理ですって。皇帝が言ったんすよ? 人間王を殺さないと、ベルリカ領を潰すって」

「そうなのよね、そこさえなんとかなれば……」


 皇帝の御言葉はバサ皇国における絶対の力を持つ。

 今、領主とジンを救ったところで、未来がない。

 皇帝の言葉に逆らうことは、バサ皇国のすべてを敵に回すことに等しい。

 領主とジンがどれほど頑張っても、その先は地獄となるだろう。


 皇帝を納得させる力がなければ……。


 ――――わかってるんでしょ、戦っても無駄だって。


 頭の中に声が聞こえる。

 かつての弱かった自分の声が。


『お前は子供。力のない子供だ。暗殺者を相手にして勝てるはずがない』

『そんな道理すらわからぬほど馬鹿なのか? 馬鹿でないなら冷静に考えろ』

『ここは大人しく逃げるのが一番だ。それがヨリコの気持ちを汲むことでも、』


 そうして自分はヨリコを見捨てた。

 セイジとミキのときだってそう。


 結局、自分は力には力がなかった。

 だから、諦めてしまった。


 ……でも、本当は違う。

 本当の強者は力があるかどうかを気にしない。

 絶対に諦めない奴が強者なのだ。

 炎があるだけのバカは、そういう大切ところは踏み外さない。


「あんたはまだあたしの従者という理解でいいのよね?」

「えー、まぁ、不本意ながら」

「なら、教えなさい。あんたはどうやって、その姿に戻ったの?」


 その問でティグレの表情が変わった。

 言葉を選ぶように問うてくる。


「前に言ったこと、覚えてます?」

「もちろん。その質問をするのは、”元の場所に戻るつもり”のときだけ。そう言っていましたよね?」


 エリカは口調を変えた。

 ここから先は”エリカ”でいることをやめる。

 ”彼女”の領域だ。


「”元の姿”に戻る、じゃないっすからね? 元の”場所”っすよ?」

「わかっています。だからこそ、頼んでいるのです」


 叩きつけるように言う。

 ティグレは頭をかきむしった。


「あのっすねぇ、人間王と領主を止めるため何でしょうけど、ほいほい使っていいもんじゃないんすよ。お友達のために、何人の天上人を巻き込むつもりなんすか?」

「それも承知の上です。今まで、私は二度も大切な人を諦めました。それは力がなかったからです。けれど、今の私には力を得る手段がある。……それなのに諦めるのですか? その程度の器であるのなら、そもそも”元の場所”になど戻らない方がいい」


「よーく考えましょうか? あなたの存命が確認されれば、焔龍家(オハート)は間違いなくあなたを利用するっすよ。その意味、わかってます?」


 焔龍家(オハート)は”彼女”の母の生家だ。

 高貴なる三つの家(イサング・パミーリヤ)の一角を占め、マナロの頃は蛇龍(イサン・アハス)飛竜(カランギタン)と拮抗した力を持っていた。

 しかし、現皇帝ドラコーンの母が蛇龍(イサン・アハス)であるため、三家の力関係は崩れていた。


 死んだはずの継承権保持者が戻れば、当然、焔龍家(オハート)は”彼女”を祭り上げるだろう。

 すなわち、


「一度は決着した皇位継承者問題を再燃させることとなるでしょう」

「わかってるんじゃないすか。あなたは政変を起こすつもりだと、そう考えていいんすね?」

「そのつもりがなければ問うなと言ったのは、あなたの方ですよ」


 ”彼女”が”元の場所”へ戻るなら、泥沼の政争が始まるだろう。

 無関係の国民が巻き込まれるだろう。


 死人も出る。

 下手をすれば、内戦に陥る。

 その可能性をすべて理解した上で、彼女は戻ると言っている。


 ティグレは気圧されたように黙る。

 しかし、すぐに真顔に戻って、


「人間王ともここで別れることになるっす」

「彼と領主が生き残れば、私の望んだ未来を切り開いてくれるでしょう。私は、私の舞台で二人を支えればよいのです」


「支えられるんすかねぇ……。あなた、後ろ盾いないんすよ?」

「いなければ、作ればいい。人形役でも何でもやりましょう。生きてさえいればドラコーンに取り入ることもできましょう」

「で、寝首をかいて皇位を乗っ取ると?」

「そうなります」


 呆れた、とばかりにティグレは肩をすくめる。

 そして、問うた。


「最後に聞きたいんすけど、皇位を取って、あなたは何をするんすか?」


 ようやく聞いてくれたか。

 ”彼女”は内心でそう思った。


 目を潰れば思い出が溢れてくる。

 まるで昨日の出来事のようだ。


 今までに出会ってきた人たちの顔が見える。

 泣いている人も、笑っている人もいる。

 それらすべてが理由なのだろう。


 煉獄から救い出してくれたヨリコがいて、

 生きる楽しさを教えてくれたセイジがいて、

 バカみたいな夢を平気で語るジンがいた。


 だから、今の自分がいた。


「私の夢は、あの日、離宮で語ったことから何一つ変わっていません」


 そうだ。

 最初から、ずっとそれを夢に見てきた。

 けれど、あまりにも愚かで、バカらしくて、だから、自分からそれを封じていた。

 誰かに言うのも恥ずかしいと思っていた。


 しかし、夢とは口にしなければ始まらない。

 この世界に生まれ落ちることもできない。


「私は天上人と人間が共に暮らせる国を作ります」


 そう言い切った。

 聞こえなかったのなら、もう一度言おう。

 何度でも言ってやろう。


 恥じることなど何一つない。

 妄言だとか、非現実的だとか。

 他人の夢を嗤う言葉は無数にあるだろう。


 バカにする奴もいるだろうし、反対する奴もいる。

 間違いを正そうと善意(さつい)を向ける奴だっているかもしれない。


 だが、そのことは”夢”を否定し得ない。

 自分が信じる限り、それは決して不可能ではないのだから。


 これは自分にしか示せない道だ。

 筋書きの中で溺れる二人を、……いいや、すべての人間を救うための道なのだ。


「……」


 最初、ティグレは放心したような顔をしていた。

 次にため息をつき、難しい顔で考え出す。

 仕舞いには部屋の中をぐるぐると歩き出した。


 やがて、諦めたように頭をかいて、一言、


「参りましたね……」

「何がどう参ったのですか?」

「あ、いや、昔ね、マナロに言われたことがありましてね。このことを言ってたわけか、と……。なるほどねぇ、そりゃ、俺にも言えなかったわけっすよ」


 ティグレは昔を懐かしむように言う。

 前皇帝を呼び捨てにできるのは、いくらバサ皇国が大きくともこの男くらいのものだろう。


「何をボソボソと独り言を言っているのですか? 教えてくれるのですか、くれないのですか?」

「教えるっすよ。どうぞ、これを」


 ティグレは懐から布に包まれた盃を取り出した。

 真紅に輝くそれは、一目見て異様なものと知れた。


「これは……」

「始皇帝マナロが炎の精霊(イグルクス)より血と共に賜った、真紅の盃(ターサ)。……マナロは言ってたんすよ。あなたが皇位に相応しい者になったとき、これを託せと」

「お父様が……?」

「えぇ。……真紅の盃(ターサ)は青い炎と対をなす奇跡の印。マナロが精霊に選ばれたことを示す秘跡なんすよ」


 盃の存在は歴史書を読んで知っていた。

 だが、実物を見たことはなかった。


 これが本物なら、価値のつけようがない代物だ。

 帝都から持ち出された時点で大騒ぎだろう。


「騒ぎになってないのは現皇帝が隠してるからでしょうね。正当な継承者であるなら、当然、盃を持っていなければならない。なのに、持っていない。となれば、即位にケチがつきますんで」

「……なら、ドラコーンは裏で血眼になって探しているんでしょうね」

「もちろん。だから、俺が頑張って隠してたんすよ」


 それで思い至った。

 彼女が離宮で過ごした最後の七日、なぜかティグレの姿が見えなかった。

 暗殺者の陰謀かと思っていたが、マナロに呼ばれていたためのか。


「お父様は、なぜそれを私に?」

「真意は知りません。でも、素直に考えたら、そういうことなんじゃないすか?」


 すなわち、マナロが正統後継者として、彼女を指名したということ。

 離宮に幽閉されていたというのに……。

 ただの一度も会いに来てくれなかったのに。


「マナロは見てたんすよ、ちゃんとね」

「……私の何がよかったのか、わかりません。ヨリコと一緒に暮らしていただけなのに」

「さぁ? 皇帝の御心なんて、推し量るもんじゃないすよ。ただ、そうあっただけ。そして、現実を見るべきっす」


 ティグレは盃を差し出す。


「これは、たった今、あなたに託された。それが事実っす」

「前皇帝のお心はわかりません。でも、そのお気持ちは受け取ろうと思います」


 彼女は恐る恐る盃に手を伸ばした。

 触れた瞬間、刺すような痛みが指先に走った。

 見ると、そこには一筋の血が……。


 途端、視界がぐらりと揺らいだ。

 立っていられなくなり、畳に手をついた。

 ほんの少しの間、意識を失う。


 次に気づいたとき、視界に映る手は人間のものではなくなっていた。

 失われていた翼が、爪が、尾が、角が。

 あるべき姿へと戻っていた。


 顔を上げると、ティグレが片膝をついていた。

 そして、彼女の名を呼んだ。

 もう二度と使われることはないだろうと思っていた、彼女の名を。


「よくぞ、戻られました。第二皇女ネリエ・ワーラ・アングハリよ」


 ”エリカ”以外の名で呼ばれることに、違和感を覚える。

 けれど、これからはそれが彼女の真名だ。

 もう後戻りはできない。

 道は一本に絞られた。

 あとは、ただ、進むのみだ。


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