55 一本の道3
†ナグババ†
じりじりと時間が過ぎた。
太陽が傾き始める。
窓から見下ろすと、町人たちは未だに周囲を徘徊している。
じっと観察すると、見張りが交代制なのだとわかる。
持久戦に持ち込むつもりだ。
疲弊を待つつもりに違いない。
呪いにかかったにしては、頭が回る。
連携や意思の疎通にも問題は生じていない。
単なる暴徒なら対処もできるが、組織だった行動を取られると、打てる手も狭まる。
厄介な呪いだ。
「……傷、平気ですか?」
カルが包帯と水差しを持ってくる。
「布などどこから持ち出したのだ?」
「町人たちが綺麗な布はぜひ領主様にって」
「……俺のことなど構うな。女子供に使わせればいい」
「ううん、僕も領主が使うべきだと思います。戦える人がいなくなったら、ここにいる皆が危ないから」
強い口調で説得された。
外見こそ愛らしいが芯のしっかりした男だ。
人間王の周りには、そういう者が多い。
「カルは外見が男らしければ、立派な勇姿になれただろうな」
「……あはは、そうかもしれないですね。でも、僕、女ですから」
「なに!? 女なのに男の格好をしているのか!?」
人間王め……。
……なかなかお洒落な趣味をしているではないか。
眠気覚ましのために、カルと話をした。
主だった話題は人間王だ。
武勇伝を聞くだに恐ろしい男だと思う。
恐れを知らない勇猛さ。
そこに憧れのようなものを感じる。
話のついでに包帯を替えてもらう。
万能薬も飲んだ。
痛みが嘘のように消えていく。
頭も回るようになったところで飯にした。
炊き出しも町人が行っていた。
警兵や内侍も一緒に鍋を囲んでいた。
共通の問題に手を取り合って立ち向かう。
望ましい形ではないが、これも一つの共生のあり方だとナグババは思った。
更に時間が過ぎる。
夕方に入ろうかという頃、思わぬ助けが入った。
ヒヌカがやって来たのだ。
「ひ、ヒヌカ!? なぜ……!?」
「大丈夫です。わたしの呪いは解けてますから」
「呪いを解くとは、どうやって……」
「この人のお陰です」
ヒヌカは虎の天上人を紹介する。
忘れもしない風貌だった。
あの日、ナグババの人生を変えた日に、皇帝マナロの背後にいた男。
「……大海賊ティグレ・マタリーニ」
つぶやくとカルがはっと目を見開いた。
「知り合いなんですか?」
「……いや、知り合いと言うほどではない。だが、有名な御仁だ」
バサ皇国の北東に拠点を置き、八つある海のうち四つまで手中に収めた男だ。
その武勇は若くして全土に轟き、陸の者にすら恐れられた。
噂では、始皇帝マナロの御用帆船に手を出し敗北。
マナロの目に留まり、側近として召し上げられたと聞く。
「久しぶりだねぇ。坊やが随分とでかくなったもんだ」
「……お久しぶりです」
「立派な領主とやらにはなれたのかな?」
「お恥ずかしながら……。あなたこそ、罰せられたと聞いていましたが」
ティグレ・マタリーニは、政変に伴い処断されたはずだ。
罪状は第二皇女の誘拐。
皇女は今も見つかっておらず、ティグレに殺害されたと噂される。
「なーに、ちょいと助けがあったもんでね」
さすがは大海賊。
ナグババが納得すると、ティグレはヒヌカの頭に手を置いた。
「これが俺を助けた偉い人間。あんたも媚を売っとくといいよ」
「な、なにっ!? ヒヌカが助けたのか!?」
「えぇ、一応……」
「一体、どんな因果があったのだ……」
ティグレは国に追われる大犯罪者だ。
人間と縁があるとは思えない。
「あー、説明は面倒だから省くよ。俺も用事があって来てるわけだし」
「用事とはどのような?」
「取引さ」
ティグレは言う。
彼が周りにいる人間の呪いを解く。
その代わり、領主はティグレを見逃す。
条件としては破格だった。
現状を打破する手段がない今、見逃すだけでは足りない申し出だ。
ヒヌカもエリカもティグレを信用できると言う。
面識があるようだが、問うている時間もない。
拒む理由がなかった。
「わかりました。人間たちの呪いを解いてください」
「お安い御用さ」
そう言って、ティグレは人間たちの呪いを解いて回った。
時間にして一刻(約三十分)ほどだ。
戦軍を含めると百人以上がいたはずだが、誰一人殺すことなかった。
呪いを解くには盃に注いだ酒を使うようだった。
あれを振りかけると呪いを打ち消すことができるようだ。
旅館周辺が安全地帯となる。
ティグレも残るというし、旅館の防御は万全だ。
ナグババがいる必要性も薄まった。
「気になるんでしょ。迎えに行ってやりなさい」
エリカが言った。
ちょうどスグリを助けに行きたいと思ったところだ。
「すまん。恩に着る」
「念のため、カルを連れていきなさい。役に立つわ」
エリカはカルを補佐につけてくれた。
いらんと言ったが、スグリは女だ。
女には女でなければ受けられない補助がある。
そういうことを言われた。
こうしてナグババはカルを連れ屋敷へ戻った。
庭には人の気配がなかった。
感染した町人も屋敷には入っていない。
なぜか開けっ放しの門が気になった。
門をくぐる前から、周囲には血臭が漂っていた。
どう仕様もない胸騒ぎを覚える。
「スグリ、人間王! 無事か!? 俺だ! 迎えに来たぞ!」
ナグババはまず本殿を探した。
食料が置いてあるのも、暖房が調っているのもそこだからだ。
だが、予想に反して誰かがいた気配はない。
血臭こそするものの、出どころは判然としない。
……焦りが募っていく。
次々と部屋を開け、自身の執務室を見て、祈殿を探した。
冷え切った空気が生き物の不在を告げていた。
「領主ッ!! こっちに来て!!」
庭でカルが呼んでいた。
声から滲む悲壮感が嫌な予感を掻き立てた。
精霊が知らせているとでも言うべきか。
これから起こるであろう不幸を、この時点で悟ってしまった。
それでも、祈らずにはいられない。
二人にはどうか無事でいて欲しかった。
本殿から前庭に降りる。
そして、ナグババはカルに抱かれたスグリを見た。
祈りは虚しくも裏切られた。
「……スグリ」
妻となる予定の人だった。
ふらつく足取りで近づき、その手を握った。
外気温と大して変わりもしない、ひんやりとした手だった。
「……なぜ」
視界がぼやける。
自分は涙を流していた。
気づくのに時間がかかった。
そのくせ、スグリの死因は明らかだった。
胸元に突き立てられた短剣だ。
心臓を一突きにした剣は、大量の血を浴びていた。
染み出した血は赤黒く変色している。
青白い顔とは対象的な色合いだった。
頬に触れる。
「スグリよ……、こんなところで寝ていたら風邪をひいてしまうぞ。ほら、もう、こんなに顔が冷たくなって…………」
声をかける。
認めなければ目を覚ますと信じて。
「冗談なのだろう……? 目を開けてくれ、……声を聞かせてくれ……。…………、頼む」
願った。
一生のうちでこれほど願う日はないだろうというくらいに。
……スグリの手を温めようとした。
温めれば目を覚ましてくれる。
そう信じなければならなかった。
……だというのに、涙が溢れる…………。
「領主……」
カルは首を横に振っていた。
慰めのようにも思えたし、現実を見ろと諭しているようにも思えた。
「く、……」
幸せな未来があるはずだった。
スグリは結婚の申込みを受けれてくれた。
あの日のことが昨日のことのように思い出される。
幸せにしてやりたかった。
笑わせてあげたかった。
天上人である自分が、人間であるスグリにどこまでしてやれるかわからないから、頑張ろうと誓ったのだ……。
……なのに、どうして。
村を焼かれ、母を失い、一度は生きることを諦めた彼女が。
少しくらいよい夢を見ても許されるはずの彼女が。
なぜ幸せを掴む前に死んでしまうのか。
精霊はなぜ、こんな残酷な仕打ちをするのか。
人間は幸せを掴んではならぬという決まりでもあるのか。
「お願いだ……、目を開けてくれ……」
何度でも祈った。
祈ることしかできなかった。
だが、その祈りが届くことはなかった。
ナグババがスグリの亡骸にすがりつき、半刻が経った。
カルはそばに居てくれた。
何も言わずじっとしていた。
誰がスグリを殺したか。
何のために死ななければならなかったのか。
ナグババはずっと考えていた。
答えは空から降りてきた。
「領主、鳥が……」
カルの声で空を見上げる。
鷹が屋敷の上を旋回していた。
「鷹便だ。すまんが代わりに読んでくれ」
鷹を腕に止まらせ、カルに差し出す。
彼女は無言で肯いた。
「こ、これは……」
カルは中身を確認し、その場に座り込んだ。
無言で手紙を突き出される。
受け取って、目を通す。
こう書かれていた。
『領主の妻となる者が人間王を名乗る賊に殺害された旨、皇帝陛下もひどく憤っておられる様子。
誠なれば、仇を討て。
さもなくばベルリカ改易の沙汰を下す。
そのようにおっしゃられたことを報告するものなり』
手紙の差出人は城下町の者ではなかった。
宰相マンダ・ドドン。
皇帝に代わり、政治の中枢に居座る人物だった。
無論、皇帝の御言葉を記した書簡であるならば、当然、皇帝の紋章が添えられていた。
始皇帝マナロが作らせた炎の精霊の紋章を刻んだ指輪だ。
これによる印が押された書簡は、皇帝の御言葉と同様の力を持つ。
それは法を上書きする言葉。
何人たりとも逆らうことが許されぬ言葉だ。
全く解せない。
……なぜ帝都から手紙が届くのか。
そもそもなぜスグリが亡くなったことを知っているのか。
スグリを妻とする予定だという話は、身内にもしていない。
帝都にいる宰相の耳に入るわけがないのだ。
――――なんなのだ、この手紙は……。
存在自体が矛盾した手紙。
そのくせ、書かれている内容には効力がある。
手紙に紋章を押すことが許されるのは、この世界で皇帝以外にあり得ない。
それが今ここに届いたという事実。
そのことが示す真実とは何か……。
思考に耽る。
答えはすでに手の中にある気がした。
今までに起こった事件。
捜査の過程でわかったこと。
そして、最初に自分が疑ったもの。
「……あぁ、そういうことだったのか」
ナグババはすべてを理解した。
それはとても単純な話だった。
存在し得ない手紙が存在するのはなぜか?
簡単だ。
誰かが予め皇帝に伝令を走らせていたからだ。
その誰かは皇帝から手紙が来てから、スグリを殺したのだ。
つまり、誰かは最初からスグリを殺すつもりでいた。
目的は手紙にある通りだ。
人間王を殺さなければ、甚大なる損害が生じると脅すこと。
結局、シヌガーリンのときと同じだ。
ナグババが人間と一緒にいることをよく思わない誰かがいて……、そいつが手を出してきていただけなのだ。
禁呪で化物を召喚したのも、直轄地の人間を惑わすため。
禁呪もスグリの殺害も、共通の目的が存在する。
すなわち、ナグババが人間を殺せるか試すこと。
ここで人間を殺すのならば許してやろう。
天上人として認めてやろう。
そんな思惑が透けて見える。
こんな手の込んだ策謀が一介の諸侯にできるわけがない。
分家が噛んでいたか、あるいは母か。
全員が結託していたという線もある。
彼ら以外に、できる者はいないのだから。
なぜ?
母も姉も弟も妹も。
皆、人間との共生には賛成してくれていた。
共に歩める日を心待ちにしていると言ってくれた。
あの言葉は何だったのか。
自分に向けられた笑みはなんだったのか。
理解を得られると心のどこかで信じていた。
いつかは人間と天上人が暮らせる日が来るのだと。
大手を振ってスグリを紹介できる日が来るのだと。
だが、これが現実だ。
そんな未来は訪れなかった。
天上人は答えを出したのだ。
――――目を覚ませ。歴史を重んじろ。天上人という種族のあり方から外れるな。
何一つ考えたこともない奴らが、すべてを決めるのだ。
そして、その決定こそが天上人にとっての”正しさ”だ。
正義は自分になかった。
他のすべての奴らが正しかったのだ。
「……あぁ、俺が間違っていたのか」
そうだ。
最初から間違っていたのは自分ひとりだった。
誰もが反対していた。
人間と暮らすことなど穢らわしいと。
その通りだったのだ。
……自分がその禁忌を犯したからこそ、こうして罰が下った。
精霊は領主ナグババを許さなかった。
築き上げてきた直轄地の町を滅ぼし、妻となる子を殺した。
何一つ報われなかった。
「何もかも、俺のせいだ。……俺が間違っていたッ!!」
「りょ、領主……?」
カルに声をかけられる。
肩に乗せられた手をナグババは払いのける。
「もはや俺の命運もここまでだ……。人間と共に生きる夢は、ここで潰えた」
「な、なんのことですか……?」
「沙汰が下った。俺はこれより、人間王を殺さねばならぬ」
「領主――――」
「行け、人間王の忠臣。そして、伝えろ」
ベルリカ領主ナグババ・ベルリカは、人間王ジンに宣戦布告を申し入れる旨を。
「――――う、嘘だ! そんなのって!」
「二度目はないぞ。お前を殺し、首を餌におびき寄せてもよいのだ」
「……っ」
カルは息を呑む。
言葉に嘘がないことを悟ったのだろう。
音もなくその場を去った。
敏い従者だ。
ナグババは空を仰ぐ。
ただただ残念でならなかった。
あの男との結末がこのような形になろうとは……。