51 会議2
窓のない茶室に八人の天上人が集まっていた。
当初はお面をつけての集まりだったが、今では顔を隠す義務はない。
八人を集めたのは人間のお面を被っていた天上人だ。
彼は自分以外の七人に、とある提案をした。
以来、八人は数度の顔合わせを行ってきた。
大抵は人間のお面をつけていた天上人の指示を聞くか、その通りに実行したか報告する場だった。
人面だった天上人以外の七人は、策の全貌を知らない。
今日はその策が実行に移される日だった。
「そろそろお話いただいてもよろしいですかな?」
猿の天上人が口を開いた。
彼はベルリカ領の物流を取り仕切るトゥーソン・ルーマン。
直轄地の内侍長の遠縁だ。
他の七人も同意見なのか、視線を一箇所に集めた。
そこには白孔雀の天上人、……ソテイラがいた。
彼の手元にはかつてかぶっていた、人間のお面がある。
「確かに皆様にも知っていただく頃合いでしょう」
ソテイラは薄く微笑み、無線機の電源を切った。
無線機はソテイラの奴隷が作り出した技術だ。
もう片方は領主直轄地に置かれ、ソテイラはこれを通じて領主の動向を把握していた。
「是非ともお教えいただきたいですわ。私のところなどは使用人を大勢失ってしまったのですよ?」
ナバーバが言った。
獅子の天上人は彼女以外にも三人いる。
領主の妹シース、弟カパティード、更には実母イーナだ。
「必要なことだったのですよ、ナバーバ・ベルリカ。呪的な効果により、アレを呼び出したかったのです」
「アレとは穢魔のことですか?」
「穢魔とは異なるものですが、……似たようなものです。あのような穢れを顕現させるには、呪術と生贄が必要なのです。それと、禁呪が」
「禁呪……。ソテイラ様、あなたは禁呪に手を出す者だったのですね」
禁呪に手を出す者という単語をソテイラは否定しない。
ただ、微笑みを返すだけだ。
「私自身が受け継ぐわけではありません。太古の資料を読み解き、再現したに過ぎません」
「どのような術を再現したのですかな?」
トゥーソンが聞いた。
「身呼びですよ」
身呼び。
それは生贄の器を利用し、外界にありしモノを呼び寄せる術だ。
贄の他に必要な要素は二つあり、魂の軛と身呼び陣だ。
生贄を器とするなら、魂の軛は縁だ。
今回の術では、土と金の属性に加え、生贄の感情を利用した。
そして、身呼び陣は結界の一種だ。
内側で行われる術式を決める役割を持つ。
身呼びと決めたなら、陣の内側では身呼びしか使えなくなる。
その代わり術に多大なる安定性をもたらすのだ。
「気づかずによく陣など作れましたな?」
「直轄地の周囲に張り巡らせたのですよ。手間はかかりますが、気づかれることはありません」
「それはまた広大な……。術の暴発はないのですかな?」
「あったとしても直轄地。問題はないでしょう」
それもそうだ、と全員が肯く。
この場にいるのは、領主直轄地がどうなろうと構わない者ばかりだ。
ソテイラは時間をかけて身呼びの準備を整えた。
そして、数度にわけて術を実行した。
生贄には天上人を用いた。
人間に比べ、体が強く、器として優れるためだ。
最初は検知役人を九人。
まるで足りぬためにナバーバに追加を要請した。
総計三十名の生贄を用い、ついに精霊界より眷属の召喚に成功した。
「私としても興味深い試みでした。禁呪をなしたという報告を受けたときは、感動してしまったものです」
「ほっほっほっ、司教の言葉とは思えませんな」
トゥーソンが笑う。
ナバーバは語気を強めて、
「私が問うているのは、なぜ呼ぶ必要があったのか、ということです。ソテイラ様。私の従者は必要な犠牲だったのですか?」
「無論です。アレには人身を惑わす呪いが宿っている。その呪いを人間に振りまけば、直轄地にいる人間は漏れなく乱心するでしょう。それを領主がどう対処するか? 見ものではありませんか」
ソテイラの発言に七人は息を呑んだ。
あまりにも悪魔的な発想だったからだ。
領主に、乱心した人間を押し付ける。
放置すれば呪いは領地全土に広がる。
止めるには自ら手を下すしかない。
領地を救うか。
自身の手で人間を殺すか。
人間好きの領主に、ソテイラはその二択を突きつけたのだ。
「素晴らしいやり口ですな……! 図らずも、このワシ、童のように心を踊らせてしまいましたぞ!」
まず、トゥーソンが褒め称えた。
他の七人もそれに続いて褒め言葉を述べる。
「ナグババにはよい治療となるでしょう。これで心を入れ替えてくれればよいのだけれど」
ナバーバが言うと、カパティードが不安を口にした。
「こ、心を入れ替えても、領主の座は、お、降りてもらわないと……」
「それはそうね」
イーナも賛同する。
「あの子、シヌガーリンの土地を人間に渡すなんて言っていたんでしょう? ダメよ、あの土地は私が庭園にするのだから。そうでしょう、カパティード? あなたが領主になったら、母のためにそうしてくれるでしょう?」
「も、もちろんです、母上」
カパティードは肯く。
彼らの中では、すでにナグババが領主を降りることは決まっていた。
当然だ。
この八人はそのために集まったのだから。
会を結成したのは霊公会の司教ソテイラ。
ベルリカの情勢を熟知した彼は、的確な八人を呼び集め、囁いた。
領主を堕とす策謀があるのだ、と。
八人のうち、シヌガーリンだけが話を蹴った。
彼には名家の矜持があった。
彼なりの思いと誇りを胸に領主を倒そうとした。
シヌガーリンが勝手に領主を殺すのなら、それでもよいと会は静観を選んだ。
しかし、彼が返り討ちにあったため、残った七人とソテイラで手を打ったのだ。
「人間と共に暮らすなど……、我が弟ながらあまりに愚かでした。……血縁者にそんな者がいると思うと、虫唾が走ります」
ナバーバは心底嫌そうな顔をする。
彼女は分家に嫁いだ身分であるため、本家に逆らえなかった。
なればこそ、常に顔に笑顔を貼り付けていたが、……あの弟は生理的に受け付けなかった。
無論、表面上は領主に賛同を示していた。
領主の願いに楯突くなど、分家という立場でできるはずもないからだ。
いかに血を分けた姉弟であっても、本家と分家にはそれだけの隔たりがある。
仮に、領主がそれを意識せずに問うてきたのだったら、それは傲慢だ。
虐げられることを知らぬが故に、領主は知らないのだ。
自身の姉弟がどれほど鬱屈した感情を抱いているかを。
「穢と共にあることを選ぶなんて……。兄様は呪われたの違いないです」
黙っていたシースも言う。
彼女も分家に嫁いだため、兄に逆らうことができなかった。
しかし、内心ではナバーバ以上に同じことを思っていた。
「シース、呪いなどではありません。ナグババのあり方の問題です」
「ごめんなさい、姉様……。私ったら血族を貶めるようなことを」
「よいじゃない? もうすぐ終わることなのだから。それより、庭園の完成が楽しみだわ」
イーナはナグババの話に関心を示さなかった。
先代領主の妻として基盤を築いた政治力は、誰しもが目を見張る。
そうした手腕を下支えするのは、彼女の資質だ。
他者のすべてを道具と見る、絶対的な為政者の心構え。
イーナにとって、息子も娘も都合のよい手先だ。
領主が使えぬのなら交換するしかない。
目下、彼女の望むのはシヌガーリンの土地をいっぱいに使った庭園だけ。
それ以外のことに興味はなかった。
……そうした思惑は、分家に追いやられたカパティードと利害の面で一致した。
内向的なカパティードは幼少の頃から兄のナグババと比較された。
明るく社交的で勉強家の兄は高い評価を受けていた。
一方のカパティードは、愚鈍なる弟という立ち位置だった。
領主の引き立て役で一生を終える。
……そんな諦めもあったが、…………幼い頃からの鬱屈は、簡単に消えるものではなかった。
彼は彼なりに、兄を堕とす理由を持っていた。
無論、領主の座を狙うわけではない。
ただ、兄が堕ちていく過程を見たいだけだ。
そんなことを思っていはいけないと良心が咎める。
けれど、兄の泣きじゃくる姿を想像するだけで、……カパティードは晴れ晴れしい笑みを浮かべてしまうのだった……。
そうした血縁者四名以外にもこの場には諸侯が三名いる。
誰もが似たような私怨で領主を恨んでいた。
為政者なら恨まれるのは当然。
むしろ、領内の有力者に七名なら少ない方かもしれない。
…………ナグババの人柄なればこそだが、……彼はやはり致命的に間違っていた。
その間違いさえなければ、少なくとも身内の四人は堕とそうなどとは思わなかったのだから。
「そう言えば、ソテイラ様はどのような理由で領主を狙っているのですかな?」
トゥーソンが聞いた。
会の結成を持ち出したのはソテイラだ。
最も強い恨みがあるとすれば、ソテイラに違いない。
七人はそう思うが、彼の返答は淡白だった。
「人間王ですよ。炎を横取りされたものでね」
ソテイラは人間王を帝都へ連れ出す予定だったことを語る。
その予定は領主の介入によって台無しにされ、また、人間王の興味深い性質も失われたという。
「実に明快ですな。しかし、直轄地に呪いを撒いたとなると人間王とやらも死ぬのでは?」
「それでも構いません。領主に賛同するような人間なら不要ですから」
「なるほど。都合のよい駒を奪われたというわけですな」
トゥーソンがまとめる。
概ねその通り、とソテイラは応じる。
表情一つ変えない返答に、疑問を覚える者はなかった。
「そ、それより、このあとは? に、兄さんが人間を、こ、殺したら?」
「カパティードの言う通りね。あの子が人間に牙を向いたら改心したことになってしまう。それでは領主の座から堕ろせないのではなくて?」
「ご安心を。策には続きがあるのですよ。領主の婚約者である、精霊の巫女を殺害します」
「……あの子、母にも内緒で婚約なんてしていたのね?」
「母様、今はそれを怒るときではありませんよ」
ナバーバが諌める。
「で、婚約者を殺すとどうなるわけ?」
「併せて、人間王が巫女を殺したという嘘を流します。そうすれば、領主は人間王を殺さねばならないでしょう」
妻を人間に殺された天上人など歴史を振り返っても存在しない。
存在したとしても、恥じ入るあまり自決したはずだ。
天上人にとって、身内を穢されることは、それだけの意味を持っていた。
「それで人間を殺させる。一緒に暮らす話は終わり。そううまくいくのかしら?」
「問題はありませんよ。同様の内容を皇帝陛下にお伝えしておきましたから」
「こ、皇帝陛下……!?」
出された名前に七人は驚く。
地方領主の血脈だが、分家である彼らは皇帝に謁見する権利を持たない。
故に皇帝は帝都にまします雲上の存在という認識だった。
ナバーバたちが恐縮する一方、事情を察したイーナは声を低くする。
「何故、皇帝陛下に? ベルリカを改易にでもするつもり?」
「領主が婚約者の仇討ちに失敗したならば、そうなるでしょう」
「……なっ」
「ですが、ご安心を。領主とて愚かではありません。人間王を殺さねば、領が消し飛ぶことを理解しています。必ず人間王を殺すでしょう」
「甘いわ。人間王を殺しても、皇帝陛下がお許しになるとは限らないわ」
「いいえ、許されます。分家が繰り上がりで次期領主となるでしょう」
「その保証は? ベルリカの扱いは皇帝陛下のお気持ち次第。推し量る術はないのではなくて?」
「私が直々に約定を交わして参りました、と言えば十分ですか?」
「……まさか、本当に?」
イーナが目を見開く。
他の六名も同様だ……。
確かに眼前の男は霊公会第二位の序列を持つ。
諸侯とは分野が違うも、権威に違いなかった。
しかし、地方の枠に囚われた彼らは知らなかった。
司教は皇帝陛下に意見できるほどの立場だったのだ。
「ご不安でしたら、手紙をお見せしましょう。領主を交代する手はずも、こちらに記されています。どうぞご覧になってください」
ソテイラは懐から書簡を取り出した。
皇帝陛下の紋章が押されている。
本物だった。
内容はソテイラの語った通り。
人間が領主の婚約者を殺したのなら、領主は仇討ちをしなければならない。
失敗したのならベルリカ本家は改易。
成功したなら、次代の領主は弟にすること。
そう書かれていた。
「……手回しのよいこと」
「お褒めに預かり光栄です」
「けれど、あの子、どうするのかしら」
「領主が人間王を殺せば共生も諦めるでしょう。それはそれで、あなた方にとって利となるはず。失敗したならば、あなた方が総出で人間王を殺し、弟君が領主となればいい。どちらにしても、あなた方の不利益はないのです」
「……そうね。ソテイラ様の言う通りだわ」
七人の諸侯は安堵の息を漏らした。
ソテイラの策に穴がないとわかったからだ。
皇帝陛下の言葉は絶対。
人間王を殺さねば改易と言われたなら、さしもの領主も従うだろう。
改易。
つまり、領の解体だ。
そこに住む、すべての天上人の財産が召し上げられ、野に放たれることとなる。
人間王一人の命と、領内すべての天上人。
両者を天秤にかけて前者に傾く領主などいない。
そんな奴は領主を名乗る資格がない。
だが、世界には万が一という言葉がある。
仮にナグババがまたも判断を間違ったとする。
そうしたら、この場にいる七名が鉄槌を下すだろう。
領主も人間王も万能ではない。
七名が霊術を放てば、ひとたまりもない。
残念だが死んでもらうより仕方がない。
領主に待つのは逃れ得ない終末。
彼らの仕事は一報を待つだけだ。
「う、うーん、どちらがいいのかな」
そんな中、カパティードだけは悩んでいた。
彼だけが決めかねていた。
兄が泣きながら人間王を殺すのか。
それとも、絶望と共に殺されるのか。
どちらが興が乗るか、わからないのだ。