10 バンガ第三人間収容所4
修正の都合で長くなりました 2019/01/05
ある朝、看守は巨大な袋を持ち出してきた。
中身は大量の銀粒だった。
まず、小隊長に配られ、それから個人に一人あたり銀四粒が配られる。
その日は、給金の配布日だ。
皆、嬉しそうにしていた。
だが、ジンは首を傾げて、
「そもそもカネってなんだ?」
「「「え――――!?」」」
銀が配られたあと、カルが説明してくれた。
曰く、金とは”価値”だ。
たとえば、鹿一頭は大きな価値がある。
大根だと二十本くらいないと交換してもらえない。
化粧箱だと鹿一頭と等価だ。
「そんな風に物と物を交換してもいいんだけど、それだと面倒でしょ?」
自分が欲しいものと相手が出せるもの。
両者が一致しなければ、価値が同じでも交換は行われない。
化粧箱が欲しい鹿を持っている人と、鹿が欲しい大根を持っている人は交換が成立しない。
その問題を解決したのが金だ。
金に価値を持たせることで、物々交換の必要がなくなる。
とりあえず、物を金に替えれば、あとは好きに使えるからだ。
「ふーん、金って便利だな」
「でしょ? 町でも農村でもバサ皇国だとどこでも金が使えるよ。貨幣が中心なんだ」
「でも、金なんかもらって何に使うんだ?」
二人の話だと金は物を買うのに使うらしい。
物は商店で売っている。
しかし、収容所に店などない。
「それは僕も気になってた。使えないお金には価値がないよね」
「ふっふっふっ。もちろん、使えるでやんすよ。けれど、そいつは、明るいうちから話すことはできないでやんすねぇ」
アガが意味深な笑い方をする。
明るいときは使えない。
布団でも買えるんだろうか、とジンは思う。
†
「ジン、起きて…………、ジン……」
夜。
横になって幾ばくもしない頃、ジンは揺り起こされるのを感じた。
「んん……? もう朝か……」
「違うみたい。移動するんだって」
「移動?」
……眠い頭で周りを見る。
男たちがぞろぞろと外に出ていくのが見えた。
「あいつら何しに行くんだ……?」
「さぁ……。でも、金を使う機会らしいよ」
朝に話していたことを思い出す。
アガは夜になったら使えると言っていた。
「折角だから行ってみようよ。気になるし」
「そうだな」
カルに起こされ、外に出ることにした。
「うぉぉ、寒い」
秋も深まった頃だ。
夜になると、さすがに寒い。
それでも、外には三十人近くの男がいた。
「お、二人とも来たでやんすな」
宿舎の前にはアガがいた。
一人だけのようだ。
「クムはどうした?」
「あいつは貯金してるでやんす。お目当てがあるでやんす」
「ふぅん」
心なしかアガの顔が明るい。
出っ歯が松明の明かりを反射して輝いていた。
「これってどこに行くの?」
「カルには、ちょっと早いでやんすかねぇ? ま、ここまで来たら、死ぬ前には行った方がいいでやんすよ」
「なんのこと???」
カルが目で聞いてくるが、ジンにもわからない。
どっちにしても金がそこでしか使えないなら、行くしかない。
「今夜はこれだけかい?」
提灯を持った女がやって来た。
まず、その時点で驚いた。
収容所に来てから、女は一度も見たことがなかった。
てっきりいないものだと思っていた。
男たちは女に連れられ、移動を始める。
ジンとカルはその最後尾についた。
「どこ行くんだろうね……」
「……穴から出るのか?」
梯子とは違う方向へ向かっている。
間もなく壁際に到着した。
そこには金属製の扉があった。
扉自体は前から知っていたが、倉庫だろうと思っていた。
女が押し開けると、横穴になっていた。
「……通路がある!」
「みたいだな」
穴自体は大きい。
横に人が十人は並べる。
両端には硝子で作られた人間の像が飾られていた。
どれも苦しげな表情をしていて、とにかく不気味だ。
穴を抜けると、そこは別の縦穴だった。
宿舎のある縦穴に比べると幾分小さい。
滝と水路があるのは同じ。
ただ、篝火がないため全体的に暗い。
そして、こちらの宿舎は二階建てだった。
「おいおい、収容所ってのは二つあったのかよ……!?」
とんでもない発見だった。
収容所が実は二つあった。
そして、人数も二倍だったに違いないのだ。
「わかったかも……」
カルがつぶやく。
「ここは女の咎人を収容するところなんだ」
「なに?」
「変だと思ったんだ。咎人に性別は関係ないのに男しかいないから」
「やっと気づいたでやんすか」
アガが得意げに言った。
「あれは女の収容所。またの名を女郎宿でやんす」
カルの言う通り、この縦穴は女の咎人が住む場所だった。
女郎宿と呼ばれるのは、そこで女が春を売るからだ。
女郎は全員が女の咎人。
つまり、春を売ることが罰というわけだ。
「ジン、列を抜けよう。今なら気づかれない」
「ビビったでやんすか? ここでしか金は使えないでやんすよ?」
「いいから行こう!」
「お、おい」
強引に引っ張られ、ジンは列を抜けた。
看守に見られていたら、と思うが、この暗がりでは見えないだろう。
二人は闇に紛れて壁際まで移動した。
「金を使うのはあそこしかないのに抜けてどうするんだ?」
「だ、ダメだよ! お金を払って、そ、そういうことするなんて……!」
カルは顔を赤くして力説した。
愛なきソレはダメなのだ、と。
わからんが、わかった気がする。
「カルは子供なんだな」
「……なんで、頭を撫でられるんだろ!」
カルは顔をふくらませる。
嫌だったらしい。
「とにかく、女郎宿はダメ。いいね?」
「わかったわかった、行かなきゃいいんだろ?」
元より行くつもりもない。
ジンにはヒヌカがいるからだ。
「でも、列に並んだお陰でいい収穫があったよ」
「収穫?」
「一つは夜に自由になれる時間ができたこと」
収容所では、時折、看守が見回りに来る。
縦穴の上から宿舎を覗くのだそうだ。
穴の底は明るいため上は見えない。
逆に上からは底が一望できる。
ところが、もう一つの縦穴は篝火がなく、真っ暗だった。
梯子がついていないため、脱走できないからだろう。
「もう一つは銀が外でも通用する貨幣だってこと」
カル曰く、銀はバサ皇国の通貨だ。
収容所で配られたこれは、外でも使える。
「外で使うには出ないと行けないだろ」
「そうだよ。ジンにだから話すけど、僕は外に出ようと思ってる」
外に出る。
それは、つまり……。
「脱走ってことか?」
カルは肯く。
真剣な表情だった。
「ジンも一緒に来て欲しいんだ」
「俺も……?」
「うん、ジンのある持ち物がね、僕の探してたものなんだ」
それでピンと来た。
「首飾りか」
収容所に来る途中のことだ。
カルは首飾りに興味を示した。
「うん。僕は一つだけ嘘をついていた。隠れ村を探す旅だって言ったけど、本当はそれを探してたんだ」
「なんで……? うちの母ちゃんの奴だぞ?」
翡翠の鏃に非模を通しただけのもの。
高級でも何でもない。
いや、そもそもなぜ知っているのか。
バランガは二百年も孤立していた。
首飾りの存在など、外に漏れるはずがない。
「二百年以上前から探してるからだよ。見て、これが僕の首飾り」
カルは懐から首飾りを取り出した。
形も大きさも、ジンの首飾りと全く同じだ。
違う点は、色と内部に空洞があるかないかだ。
「この首飾りは、元々、僕らの先祖が作ったものなんだ」
「ふぅん、……ん? てことは、俺のご先祖はカルと同じなのか!?」
「違うよ。でも、ジンの先祖と僕の先祖は近しい存在だった」
カルは曖昧な言葉を使う。
話の核がまるで見えてこない。
「詳しくは僕からは話せない。それを話してくれる人のところに君を連れていくのが僕の役割だから」
「えーっと」
カルは首飾りの持ち主を探していた。
とある人物に会わせるために。
「だから、俺を連れて逃げるのか?」
「そういうこと。それでね、突然のお願いだけど、どうか僕と一緒に来てくれませんか?」
カルは一歩下がって、膝を折った。
地面に正座し、頭を下げる。
「いいぞ」
「えっ!?」
「一緒に行こう」
「い、いいの!?」
カルはなぜかうろたえていた。
「疑ったりとかしないの……? 自分で言ったら変だけど、僕、すごく怪しいことを言ってるし……!」
「まー、世話になってるしな」
こういうのは助け合いだ。
カルの頼みを聞いてやらない理由がない。
それに、ジンも首飾りのことは聞きたい。
『子をなし次代へ血をつなげることだけを考えなさい。あなたたちの血は希望の光。決して絶やしてはなりません』
あの日、母はそう言った。
母が最後まで拘った血。
翡翠の首飾り。
そして、青い炎。
要素はいくつもある。
つなぐ何かがあるはずなのだ。
ただ、バランガにそれを知る者はなかった。
知る者がいるなら会ってみたい。
それが偽らざる本音だ。
「……ジンは器が大きいね。ありがとう」
「何も考えてないだけだ。よろしく頼むぞ」
「自分で言うんだ……。こちらこそ、よろしく」
カルと握手をした。
その日は、女郎宿から戻ってきた満足げなアガに混じり、宿舎へと帰った。
†
以来、女郎宿へ行く日は欠かさず列に混じるようになった。
「あんなに嫌がってたのに、どはまりでやんすねぇ」
隣に並ぶアガが肩をつついてくる。
「まぁな。銀が全然足りないよな」
「お、おぉ。……ジンは絶倫でやんすか?」
「まぁな」
適当に肯く。
話を合わせておけ、とはカルの指示だ。
「絶倫と言えば、クムが全然、女郎宿に行かないでやんす。何か聞いてるでやんすか?」
「クム? さぁ、あいつ、無口だからなぁ」
「困った奴でやんすなぁ」
話を切り上げ、隊列の後ろへ。
カルと呼吸を合わせて列を抜ける。
二人はまず銀を隠す場所を探した。
使ったはずの銀が見つかるとまずい。
かと言って、その辺に置くこともできない。
「他の人は寝室に置いてるみたいだけどね。やっぱり時々なくなるんだって」
「盗まれるのか」
「うん。誰が盗んだかもわからないみたい」
外で使う予定の銀だ。
盗まれるのはまずい。
「けど、縦穴のどこかにしか置けないよな」
誰にも見られず動けるのは女郎宿に向かう途中だけだ。
女郎宿がある縦穴のどこか。
隠せる場所は限られている。
「少し歩いてみようか」
カルの提案で散策をする。
篝火がないため壁沿いに歩くだけだ。
と言っても、岩ばかりの穴だ。
何があるわけでもない。
可能性があるとすれば、水路と滝だ。
滝の裏側は空間があるはずだ。
「そういうみんなが最初に思いつく場所は避けた方がいいよ」
カルにダメ出しをされた。
では、水路はどうか。
こちらもダメだ。
底が見えるほど浅いため、物を隠せるような場所がない。
「ここかな……」
最終的に水路の排水口に行き着いた。
縦穴に流れ込む滝は水路となり排水口から外へ出る。
排水口は横穴に似ているが、水路と通路にわかれている。
明かりがないので、中は完全なる闇だ。
「とりあえず、行くか」
通路を歩いていくと鉄柵に行き当たる。
鍵付き、扉付き。
鍵がなければ先には行けない。
目を凝らすと、すぐ先に排水口の出口がある。
縦穴の外につながるようだ。
「行き止まりだぞ?」
「そうだね。でも、ここがよさそうだ」
そう言って、カルはあちこち調べ始めた。
ジンは松明を持って照らしてやる。
カルは晩秋にも関わらず水路に飛び込んだ。
腰まで水に浸かりながら、鉄柵を調べる。
「おい、寒いだろ? 諦めようぜ」
「ううん、見つけたよ」
「見つけた?」
カルが鉄柵を握って、ひねる。
錆びついていたのだろう、柵の一本がバキッと折れた。
「ここから出られるね」
「……すごいな」
カルが先導して柵の隙間を抜ける。
抜けるには当然、水路に入らねばならない。
寒いんだろうな、とジンも最初は温度を気にした。
「気をつけてね。油断すると流されるよ?」
「うん? うおぉおおお!?」
入った瞬間、鉄柵に叩きつけられる。
水路は腰までしか深さがないも、流れが速い。
踏ん張っていても一箇所に留まるのは厳しい。
流されたら暗闇の水路を延々と流れるわけだ。
その先に滝があったらお仕舞い。
怖すぎだった。
「つかまって。僕の手を離さないように」
「お、おう……」
カルが頼もしい。
ベッタリと張り付く。
松明はその場で捨てた。
闇の中を手探りで進む。
鉄柵をくぐり抜け、反対側の通路によじ登る。
晴れて外へと出られた。
排水口の外は森だった。
水路は川へと流れ込んでいた。
ドドドド……、と凄まじい音だ。
滝ではないにしても、流されたら溺れたかもしれない。
川沿いに歩くと、小さな広場に出た。
下草が柔らかく、雰囲気のよい場所だ。
水辺には花も咲いている。
草を刈って敷物を用意すれば、過ごしやすくなるだろう。
「おぉ、隠れ家みたいだな」
「そうだね。ここがよさそうだ」
そこを二人だけの隠れ家とすることにした。
銀は手近な木の虚に隠した。
くすねた着物なんかもしまう。
「た、焚き火しようぜ……」
水路を通ったせいで手足が凍えていた。
足の指の感覚がない。
「あぁ、ごめんごめん。そうだね」
カルは平気な顔をして、枝を集め始める。
「な、何でカルは平気なんだ……」
「鍛え方が違うから」
鍛えれば寒さに勝てるらしい。
すごすぎる。
適当な木を見つけて物干しを作る。
枝を集めて焚き火をした。
カルは相変わらず着物を着たままだった。
青い炎を贅沢に使い、服を乾かす。
温まると、やっと頭が回り始める。
「すぐに逃げないのか?」
そこはすでに縦穴の外だ。
逃げようと思えば逃げられる気がする。
「さすがに対策されてると思う。昼間だって僕らは自由に外を歩いてる。なのに誰も逃げようとしてないでしょ?」
言われたらそうだ。
逃げられない仕組みがあるのだろう。
「それに現在位置もわからないんだ。森で迷ったら死んじゃうよ」
炎があれば穢魔は倒せる。
しかし、寝ないで何日も戦えるかは別の話だ。
森を抜けるのに時間がかかるのなら、どこかで休憩が必要になる。
寝込みを襲われたら、それまでだ。
他にも問題はある。
町に出たとして、どう生活するのか。
看守に追われたらどうするか。
カルは次々に課題を挙げる。
要するに、ものすごく入念な計画がないとダメということらしい。
「なぁ、アガとクムには声を掛けないのか?」
カルは、ジンにだけ声を掛けた。
用事があるのが首飾りだから、自然ではある。
だが、逃げるなら皆で逃げたい、とジンは思う。
「……うん、厳しいことを言うけど怒らないでね。守りきれないからなんだ」
誰が、誰を?
カルが、アガとクムをだ。
「前も見たと思うけど、僕は特別な術を使える。霊術とは違うけど、人間以上の力が出せる」
「……強者の土蜘蛛と戦ったときの奴か」
「そう。僕は単独でも穢魔とそれなりに戦える。だから、ジンを守りながら森を抜けられる。でも、あの二人が加わると守りきれない。それが、森を抜けるなら二人でないとダメな理由」
カルが守る側でジンが守られる側。
一方的な言い方にイラッとした。
が、カルが嘘を言う理由もない。
事実を語っているのだ。
とすると、
「……俺は弱いのか」
「うん。今のまま一人で森に入ったら確実に死ぬ」
「炎があるのにか」
「索敵が致命的にできてないよ。気配も消せないし、相手が複数いるときの立ち回りもダメ」
「……」
「ごめんね、悪口を言いたいんじゃないんだ」
「わかってる」
つまり、ジン一人では逃げられない。
カルが言いたいのはそれだ。
その点はもう考えない。
「……今の話だと、カルがずっと戦うのか。寝ないことになるぞ?」
「十日までなら寝ないでも平気だよ。そういう修行を受けてきたから」
修行。
前もその話を聞いた気がする。
人間以上の力が出せるとか、寝ないでも平気だとか。
結構、おかしな点が多い。
「じゃあ、俺が強くなったら他の奴も連れて行っていいんだな?」
聞くと、カルは目を丸くした。
「そのときはね。でも、作戦は秘密だからね?」
「わかってる」
強くなったら、あいつらを驚かしてやろう、とジンは思う。
†
次の日からジンは修行を始めた。
いかに早く穢魔に気づけるか。
索敵の訓練だ。
仲間の位置取りを意識する修行もした。
戦いが始まると、どうしても気持ちが熱くなる。
それを無理にでも冷まし、周りを見る。
仲間と敵の位置。
逐一、把握する癖をつけた。
修行を続けると、戦とは何かがわかってきた。
穢魔の思惑や習性のようなものも見えてきた。
強い武器があるだけでは勝てないこともわかってきた。
人間は本質的に防御が弱い。
不意を突かれたら、その時点で死ぬのだ。
だから、索敵と気配を隠す方法を学ぶ。
師としてのカルは厳しい。
だが、ジンはめげずに訓練に励んだ。
そして、それはそんなある日に起こった。
†看守†
ディーグラ・ムルソーは犬の天上人だ。
バンガ第三人間収容所の看守を務めて十年になる。
仕事は人間の管理と脱走の阻止。
特に脱走は頻繁に起こる。
それを見越して収容所は結界に囲まれている。
結界は人間にのみ反応し、通過すればムルソーの指輪に通知される。
指輪は空中に透明な絵を描き、ムルソーはいつでも位置と人数を知ることができた。
ムルソーは脱走者が何人いようと捕まえられた。
人間にとって天上人は天災と同義だ。
努力や才能で届く範疇になく、連携や戦術で覆る差でもなかった。
武器を持たせた人間が反乱することもあった。
数十人が同時に斬りかかってきた。
片腕でねじ伏せた。
人間は非力だ。
武器を振り下ろせども天上人の皮膚は貫けない。
人間は脆弱だ。
ムルソーが叩くだけで絶命する。
人間は無能だ。
ムルソーのように霊術がない。
人間が何をしようと脱走はあり得ない。
そんな自信もあった。
しかし、最近は仕事に飽きてきていた。
脱走を試みる人間はあとを絶たない。
監視や見回りをしなければならず、これが面倒だった。
予め脱走を企てる咎人を炙り出せないものか。
ムルソーは楽をしようと画策する。
とは言え、彼の仕事は脱走者を捕まえ嬲ることだ。
細々な調査といった面倒なことはしたくなかった。
そういった事情を踏まえ、ムルソーはとある策を実行に移した。
すると、面白いくらいに成果が出た。
手元の紙には、その成果が記されている。
それは、とある人物の脱走計画の全貌だった。
†
ある朝。
朝礼の場で看守はこう言った。
「この中に、脱走を考えた者がいる!」
あまりに直球な物言いにジンは鳥肌が立った。
――――なんで、バレた!? 誰にも言っていないのに!
「……顔に出さないで。まだ、僕らと決まったわけじゃない」
カルが小声で囁いてくる。
その一言で冷静になった。
確かにそうだ。
適当なことを言って反応を見ているのかもしれない。
「さて、誰が脱走を計画しているのだろうか!」
看守は隊列の間を歩きながら一人ひとりの顔を覗く。
特にジンの小隊は念入りに見られる。
死亡率の低さと業績が群を抜くからだ。
看守も何かあると疑っている。
が、それは脱走とは別の話だ。
そう思いたい。
「貴様だな! 貴様が脱走を計画している不届き者だ!」
看守がカルの真横で止まる。
カルの気配が恐怖に変わった。
ジンはすぐにでも動けるように腰を沈める。
……巨大な手が伸びて、カルの隣りにいたアガの肩を叩いた。
「貴様だ」
「…………お、俺はちが、」
「毎晩、森を歩いているそうだな? 俺は知っているぞ?」
看守はアガを掴み、持ち上げた。
引きずるように隊列の前に連れて行く。
「お、俺は何も知らないでやんす!」
「言い訳は見苦しい! 貴様の計画は報告されているのだ!」
看守は背後から女郎を連れてきた。
その顔を見るなり、アガの顔色が青くなった。
……心当たりがあるようだった。
「貴様はこの女郎に話したそうだな。脱走の意志があると」
「そ、それは……」
「女郎。お前は聞いたか?」
「はい、確かに聞きましたとも。この出っ歯、見間違えません」
女郎は鼻にかかるような声で言う。
ようやく話が見えてきた。
アガは脱走する計画を女郎に話したのだろう。
調子に乗りやすい奴だから、ほいほい話したはずだ。
で、女郎はその話を看守に伝えた。
そこが理解できない。
そもそも、なぜあの女郎はあんなにも自慢げなのか。
自分が何をしたかわかってるのだろうか。
人間を裏切って、天上人の味方をしたんだぞ……?
「そういうことだ。お前の罪は明らかになった」
看守は腰の刀を抜いた。
見たこともないくらい長い刀だ。
刃の部分だけでアガの身長と同じくらいある。
アガはそれを見るなり、地面に額を擦り付けた。
「み、見逃して欲しいでやんす!」
「命乞いとは実に醜い!」
「理由があるんでやんす! な、仲間が病気なんでやんす! 治すには薬が必要で……! でも、ここじゃ買えないでやんす!」
仲間が病気……。
その話は初めて聞いた。
カルに目で尋ねると、……カルは別の誰かを見た。
巨体を震わせているのはクムだった。
このところ体調が悪そうだとアガが気にかけていた。
「重い病気かもしれないんでやんす! 薬があればいいんでやんす!」
「ははははは! 貴様は無一文で逃げて薬を買って帰るというのか!?」
「そ、それは……!」
「なぜ金を女郎に使った!? 薬など買うつもりはなかったからではないのか!?」
「そんなことないでやんす! 本当に薬が欲しくて……。でも、俺は弱いから、女郎宿にでも行かないと、やっていけなくて……」
アガは涙ながらに語った。
気持ちは、痛いくらいわかる。
アガはジンのように炎を持たない。
カルのように特別な技能もない。
体も平均以下で歳も三十近くだ。
すがるものが必要だった。
それを笑える奴は一人としていない。
だからこそ、笑っている女郎が許せなかった。
同じ人間が……、泣きながら助けを求めているのに……!
なぜあいつは笑っているのか。
看守以上に腹が立つ。
「言い残すことはそれだけか! 俺様から助言だ! 弱い者は死ぬしかない!」
看守は刀を振り上げる。
「……見てられるか!」
「抑えて! ……動いたら、僕らも殺される!」
飛び出そうとすると、カルに押さえられた。
異様な力だ。
どれだけ力を込めても全く振りほどけない。
刀が振り下ろされる。
アガの処刑は滞りなく終わった。
本当に見ていることしかできなかった。
†
アガが死んでも刑期は終わらない。
空気が重くとも討伐に出なければならない。
森に入っても、クムはふさぎ込んだままだった。
兄弟分の死が悲しいからというのも理由だ。
もう一つは病気のせいだろう。
小隊長は直々にクムに確認していた。
病状によっては盾役をはずすためだ。
クムは、やる、と言い張った。
生きることがアガへの恩返しだから。
しかし、クムの病気は悪化し続けていた。
時間と共に目に見えて弱っている。
肌が白くなり、目が黄色くなってきた。
薬も何もない収容所では治る見込みもない。
やがて発熱、腹痛、頭痛が続き、クムは盾役をはずされた。
はずされたクムには居場所がなくなる。
小隊が討伐に出ている間、一人で待っているのだ。
あまりに厳しいやり方にジンは抗議した。
だが、小隊長は連れて行くのも無理だと言った。
荷物が増えるから、と。
他の皆も同じ意見だった。
クムはただいるだけの存在になった。
誰もクムに声をかけることはしなかった。
やがて起きるのも難しくなった。
看守にバレれば、間違いなく死刑だ。
それだけは避けたいとジンは思った。
でも、放っておけば死を待つばかりだ。
この病気は治るものではない。
脱走を早めて薬を持って帰ればいい。
カルに提案してもみた。
カルは、悲しげに首を振るだけだった。
無茶な話をしているのは自分でもわかった。
けれど、なんとかしたかった。
収容所に来て、右も左もわからない自分をアガとクムは面倒を見てくれたのだ。
「……ジン、もういい」
ある夜。
クムは唐突に言った。
木々も枯れ、冷たい北風が吹く頃だった。
寝室で横になったまま、クムはつぶやく。
「アガ。俺のせいで死んだ」
「……お前が悪いわけじゃねぇだろ」
「いや。俺が病気だからアガは無理をした」
かもしれない。
いや、でも、何も一人でやる必要はなかった。
相談してくれればよかったのだ。
一人で逃げずに、みんなで……。
と考えたところで、自分とカルの計画を思い出した。
脱走は、考えていたのだ。
ただ、カルはアガとクムには秘密と言っていたから……。
言ったら何か変わっただろうか。
首を飛ばされる人間が増えたかもしれない。
でも、アガは仲間だし……。
カルはなぜ秘密と言ったのか。
アガを信用してなかったのだろうか。
嫌なことばかり頭に浮かぶ。
「ジン。お前、頭がよくない」
「なんだと!?」
「アガと一緒。だから、アガ、死んだ」
「……俺は死なねぇよ」
「死ぬ。アガと同じ顔してるから」
なるほど、と思った。
アガもどうしたらクムを助けられるかと悩んだのだろう。
それで、考えて考えて、薬を取りに行くという方法を選んだ。
「人は死ぬ。慣れろ」
「無理だろ、それ」
「慣れろ。ジン、それが必要」
言ってることはわかる。
収容所は人間を苦しみの末に殺す場所だ。
人が死ぬのは当たり前。
悲しんでいたらきりがない。
だから、他の小隊は人間同士で距離感を持つ。
そうしないと、誰かが死んだときにつらいから。
「俺は慣れるなんてしない。クム。お前が死んだら俺は泣くぞ」
「ジン……。お前、いい奴」
「わはは、だろ?」
「これ、アガが残した紙。やる」
「へー、なんだろな。どうせ女のことだろうけど」
ちらと見てみる。
『収容所には結界で囲まれる。人間の出入りを看守は見ている』
「ジン?」
「ん、あぁ。どの女がいいかって話だ」
「アガ。最後までそうか」
「そこがいいところだろ」
軽口を叩きあった。
クムとこんなに話したのは初めてだった。
それからしばらくしてクムは死んだ。
ある晩、眠りにつき、翌朝に目覚めなかった。
よくある話だ、と誰かが言った。
ジンはしばらく泣いていた。
小隊長が心配して、顔を覗き込むくらい泣いた。
泣いたら、また前を向く。
そうしないと、次は自分が死ぬからだ。
――――二人の分まで生きてやろう。
ジンはそう心に決めるのだった。