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1 始まりの村バランガ1


 一面が火の海だった。

 城は焼け落ち、町も火に飲まれ、民の悲鳴が絶え間なく響いていた。

 炎は王都を囲む山々にも燃え移り、空を赤く染めている。

 立ち昇る煙が普段は見える星空を隠していた。


 滅びの夜だ。


 眼下の光景を見て、婦人は思った。

 着物の袖で鼻を覆い、煙越しに都を見る。

 そこにかつての面影はなく、王都の亡骸があるばかりだった。


 王城に思いを馳せていると、従者に下がるよう諭される。

 彼女がいるのは、王城の裏山。

 ひっそりと佇む離宮だった。


 王都を襲撃した敵は、まだ、離宮には気づいていない。

 だが、いつまでも安全とは限らない。

 敵の索敵能力は非常に高く、夜であっても容易に獲物を見つけるだろう。


 留まれば留まるほどに我が身の危険は増えていく。

 それでも婦人が残るのは、相応の理由があるからだった。


 ――――精霊よ。どうか、あの子をお救いください。


 婦人は祈る。

 そうして、永遠にも思える時間を待つ。

 時折、気流に乗った障子の燃えカスが飛んでくる。

 やがて従者がしびれを切らし、もう待てない、と言い出しても彼女は待った。

 そして、そのときがやってきた。


「き、来ました……!」


 従者が示す方向に、ちらちらと松明の火が見えた。

 間もなく子供を背負った男が姿を見せる。

 激しい戦闘をくぐり抜けたのか着物は血で濡れていた。

 本人も額に傷を負っている。

 それでも、男は毅然とした態度で婦人の前で膝をつく。


 従者たちが慌てた様子で男に群がる。


「よくぞ救い出してくださいました……」


 男が連れてきたのは五歳くらいの男の子だ。

 彼女の妹の長子であり、彼らの命運を左右する子供であった。


「……ここも限界です。早くお逃げください」


 男は言った。

 煙の臭いが近づいていた。

 炎と共に山小屋の周りにも殺気が漂い始めている。


 互いに健勝と多幸を祈り合う。

 別れの挨拶が済むと婦人は男の子の手を取った。

 ところが、男の子はその手を振り払い、自分を助けてくれた男の下へ走った。


「たすけてくれて、ありがとう。おじさん」


 そして、唐突に言った。

 想像を超える出来事に、男は目頭を押さえて空を見上げた。


「まさか直接お声掛けいただけるなど――――」


 男は首飾りをはずし、男の子に渡した。

 翡翠で作られた鏃に紐を通しただけの、簡単なものだ。

 陰の者が成人する際に賜る御守だった。

 男の子はそれをしっかりと胸に抱く。


「敵が迫っています! お早く!」


 従者が手を振っていた。

 婦人は男の子を抱え、小走りにその場を後にする。

 その背中には見事な龍の紋章が描かれていた。


    †    †    †


 ジンは真っ暗な洞窟を歩いていた。

 右の手には松明を握り、左の手では幼馴染のヒヌカの手を引いている。

 二人とも装いは着物で、足回りは草履だ。


 洞窟は奥深く、松明の明かりも届かなかった。

 反対側の壁が見えないので、広い空洞なのだろう。

 壁沿いに歩かなければ一発で迷子だ。


 空気は苔の臭いで満ちている。

 濡れた足元を松明で照らすと、光を嫌って緑色の苔がもそもそと動いた。

 澄んだ水でしか育たない歩く苔(イリパト)だった。

 歩く苔(イリパト)は精霊の力を持つと言われる。

 そうした植物は動いたり、歌ったり、不思議な性質を持つのだった。


「ま、まだつかないのかな……?」


 ヒヌカは不安げに言った。

 肩にかかるくらいの茶色がかった髪に大きな目。

 愛らしい顔立ちで、男連中に人気がある。


「もうすぐだろ。かなり歩いたしな」

「そうだといいな……」


 ヒヌカとは幼い頃から一緒だった。

 家族ぐるみの付き合いで、共同の畑も持っている。

 昔は二人で世話をしていたが、今年になってからジンが狩りへ行くようになったため、ヒヌカに任せきりだった。


 狩りへの動向は大人になる歳から許される。

 しかし、誰もが無条件で大人になれるわけではなかった。


 村では十五歳になると、成人の儀式( マタンダ・セレモ)を行う。

 成人の儀式( マタンダ・セレモ)は、精霊の加護を受け、大人になるためのものだ。


 誰もが通る道だが、決して簡単ではない。

 まず、十五歳になると、精霊の洞窟( アニー・クウェヴァ)から流れ出る水で育った木を削り、盃を作る。

 晩夏の夜に、盃を持って精霊の洞窟( アニー・クウェヴァ)へ向かう。

 明かり一つない洞窟を松明を頼りに進む。


 そして、精霊の祠の前に跪き、盃に自身の血を溜める。

 ここが難しいところだ。

 盃とは言え、指を切った程度の血では足りない。

 切るのは腕とされていた。

 時には泣き出す者もいるという。


 盃に必要量の血が溜まったら、祝詞を捧げ、血を飲み干す。

 以上で成人の儀式( マタンダ・セレモ)は終了だ。

 例年、四人から八人の規模で行われるが、今年の新成人はジンとヒヌカの二人だけだった。


「到着だ」


 先を行く村長が足を止めた。

 篝火に松明の炎を移すと、祠が見えてくる。


 祠の後ろには小さな滝があり、水は祠の下を流れ、洞窟の外にまで続く川を作っていた。

 ここが精霊の洞窟( アニー・クウェヴァ)の最奥であり、儀式を行う場所だ。


「これより成人の儀式( マタンダ・セレモ)を執り行う」


 村長の合図でジンとヒヌカは祠の前にひざまずく。

 腕を切り、用意した盃に血を溜める。

 ヒヌカは怖がるかと思ったが、手際よく切っていた。


「静かなる(あなぐら)の最奥に(ましま)す精霊に、此度成人を迎える二名に寿ぎを賜りたく候」


 村長が祠の前で精霊に語りかける。

 精霊への感謝と、新たに大人になる自分たちへの加護を願う祝詞だ。


「賜りし御血に感謝を」


 祝詞のあとは、ジンとヒヌカが口上を述べる。

 盃を精霊に献上し、祈りを捧げた。

 そうすることで盃の血は聖別を受けた、尊き血( マハラガ・デューゴ)となる。

 その後、尊き血( マハラガ・デューゴ)を飲み干せば儀式は終わりだ。


 ジンは恐る恐る盃を手に取る。

 盃に口をつけると、鉄臭さが鼻をつく。

 目をつぶり最後の一滴まで喉に流し込む。


 これで二人は大人になり、何事もなく儀式は終わる。

 ……はずだった。



 ――――異変は前触れなくやって来た。



「うぁっちっち……!」


 左手が焼けるよう痛んだ。

 最初は松明に触れたのかと思ったが、違った。

 もっと恐ろしいことが起こっていた。


「なんだ、これ……!?」


 左手が青い炎に包まれていた。

 見たこともない色の炎が、生物のように腕を這い上がってきている。

 熱のせいで視界がおかしくなる。

 目に映るすべてが青い。


 息をすると同時に炎が鼻に滑り込んでくる。

 肉を内側から焼く臭いがする。


「熱い、熱い、熱い……! どうなってんだ!?」


 意識が遠のいていく。

 その途中でジンは左手の甲を見た。

 そこには見たこともない模様が刻まれていた……。


    †


 ウラップ山脈の山間にバランガという村がある。

 二百年ほど前に旅の者が作った村だ。


 村の中央をマガスパ川が東西に流れ、両側に棚田が広がる。

 外との行き来はなく閉じた村だが、人口は五百人を超える。

 川の水を引き、棚田と畑を作って暮らしていた。


 斜面が多い村なので、足の弱い者は生きていけない。

 冬には大雪が降り、家から出るのも厳しくなる。

 秋頃の大風も村人を困らせる要因だった。


 厳しい自然と共にある村。

 それがバランガだった。



 ジンの家はバランガの南にあった。

 見晴らしのよい高所であり、水はけがよい。

 その分、川から水を引くのが難しく、稲作よりも果樹や畑に向いた土地だ。


 ジンは地主の家の長男だった。

 姉と妹が一人ずつと両親で暮らす。

 つい先日、成人を迎え、以来、狩猟に精を出している。


「お待たせ。お昼の支度してたら遅くなっちゃった」


 その日は、家にヒヌカがやって来ていた。


「悪いな。手伝ってもらって」

「いいよ、今日は雨だもの」


 雨の日は室内での仕事になる。

 服を縫ったり、家を修繕したり、農具の手入れをしたり。

 やることは多い。

 もちろん、休日にすることも可能だ。

 その辺りの選択は家ごとで選んでよい決まりだ。


 季節は収穫を終えた晩秋。

 急ぎの仕事はないので、雨が降れば基本的に休みだ。


「この蔵に入るのも久しぶりだね」

「普段、全然開けないからな」


 ジンは休みにして、調べ物をする予定だ。

 家の蔵には、ご先祖が書き溜めた木簡がしまわれている。

 そこには、あの炎の手がかりがあるかもしれなかった。



 ジンが炎に呑まれ一月(ひとつき)が経っていた。

 あの日、何があったかは結局謎だ。


 わかっているのは、

 ジンが炎に焼かれたこと。

 左手に不思議な痣ができたこと。

 この二つだ。


 目を覚ましたのは自宅の布団だった。

 家族には心配された。

 村長やヒヌカも見舞いに来た。


 洞窟から運び出したのは村の男衆だ。

 村長が冷静にも助けを呼びに行ってくれたお陰だ。

 ジンはすぐさま手当てをされたが、不思議なことに火傷はなかった。


 代わりに左手の甲に痣ができていた。

 蛇がのたうったような奇妙な形だ。

 長老が集まって議論したが、結局、正体は不明。

 その日は解散となった。


 次の異変は成人の儀式(マタンダ・セレモ)の翌日に起こった。

 ジンは青い炎を操れるようになっていたのだ。


 きっかけは妹が火付けに苦戦していたことだ。

 かまどの前で火打ち石を使っていた。

 幼い妹はうまく火をつけられない。


 見かねたジンは火打ち石を取り上げ、左手から炎を出した。

 自分でも何をしたのかわからなかった。


 恐ろしいのは、自分が炎を出せると理解していたことだ。

 出せるようになった覚えもない。

 出したこともない。


 なのに、ごく自然に火を着けようと思って、左手をかざした。

 それは一度だけの偶然ではなかった。


 念じれば何度でも炎を出せた。

 思い描いた大きさの炎が手のひらに生まれる。

 しかも、その色は洞窟で見た深い青だった。


 ジンの炎は、あっという間に村で有名になった。


 毎日のように、見物人が家に来た。

 精霊に授かった炎という噂も流れた。


 村では精霊を大切にする。

 人々の生活を見守り、苦難から守ってくれる。

 そう信じられているからだ。

 信心深い老人などは、神妙な顔で拝んでいた。


 煮炊きに青い炎を使うと、火をもらっていく者もいた。

 しかし、不思議なもので青い炎はどんなに薪をくべても、しばらくすると消えてしまった。

 炎に寿命があるようなのだ。


 そんなわけで、青い炎の希少価値は高まった。

 ジンだけが自由に使える炎だ。

 ジンは、選ばれし者だとか、精霊に愛された者だとか、そんな風に呼ばれた。

 実に気分がいい。


 一方で、


「あんないたずら坊主が精霊に愛されるなどなにかの間違いだ」

「今に精霊様の罰を受けるぞ」


 などという者もいた。

 実に大きなお世話だ。


「ジンは昔からいたずらばっかりしてたものね」

「それは昔の話だろ! 大人になってからはしてないぞ!」


 ヒヌカに言われ、そう反論した覚えがある。

 昔の話は仕方がない。

 そりゃ、子供だったのだから、多少のいたずらはするだろう。

 今はしてないのだから帳消しだ、とジンは思う。


 いずれにせよ、村では炎が話題となった。

 成人の儀式( マタンダ・セレモ)から一ヶ月経っても、その熱は冷めない。


 炎の正体が何なのか。

 なぜジンに授けられたのか。


 皆も気にしていたし、ジンも気になっていた。

 というわけで、調べようと思ったのだ。



 蔵の一階は農機具類。

 二階が木簡の保存庫だ。

 暗闇を手探りで進み、天窓を少し開ける。


「わあ、たくさんあるね……」


 木簡は棚に無造作に積まれていた。

 ぱっと見ただけでも数百はあった。


「親父もどこに何があるかわからんって言ってた。一つずつ読むしかないな」


 ジンもヒヌカも小さい頃に読み書きは習った。

 村は読めない者もいるが、地主の家系は読み書きが必須だ。

 地域に一人、教育担当の大人がいて、希望する子はそこで習うのだ。


「よいしょ」

「なんだよ……」


 ヒヌカはわざわざジンの背中に寄りかかってくる。


「いいでしょ? ジンの背中、大っきいし」

「いいけどよ」


 二人で木簡を読み進める。

 内容は比較的新しかった。

 古くても二百年前のものだからだ。


 バランガは曾曾曾曾曾曾曾曾祖父さんが子供の頃に移住してできた村だ。

 今でこそ大きな村だが、当時は百人もいなかった。

 田畑も開かれておらず、開墾に苦労したそうだ。

 木簡には、そうした苦労話が日記のように書かれていた。


 いくつかは村の”外”の話だった。

 村人は”外”を知らない。

 バランガを囲む森は深く、”外”へ通じる道がないためだ。


 木簡には貨幣で成り立つ町や国の記述があった。

 読んでも内容はさっぱりだ。


「これで全部か」


 半日かけて木簡を読み切った。

 結局、日記が大半で、精霊の手がかりはない。

 あっても「空の輝きがいつもと違う、精霊様がお怒りなのだろう」程度だ。


 仕方ないことではある。

 精霊はいると信じられているが、実物を見た者はいないのだ。


「こっちに紙の書があるよ?」


 木簡を動かしていたヒヌカが手を振った。

 木箱の奥底に確かに紙の本が積まれていた。


 持ち出してみると、相当に古い。

 年代は……、想像もつかない。


 バランガでは紙を作れないし、作り方を知る者もいない。

 ご先祖が移住してくる前から持っていたものだ。

 虫食いが激しいも中身は判読可能だ。


 少しだけワクワクしながら目を通す。

 曰く、


 魔の一族の用いる珍妙なる呪術の数々に人間たちが次々と倒された。

 空より龍が舞い降りて口から吐く炎で村を焼いてしまった。

 人間は空戦の技術を失っており苦戦していた。


 意味不明だ。

 少なくとも精霊に関する記述ではない。


「龍ってあれか? 御伽草子の……」

「わたしも物語でしか聞いたことないや。でも、よく読めたね、”龍”なんて文字」

「ん。なんだっけ、親父が好きなんだよな」

「へぇ、そうだったんだ?」


 バランガの御伽草子は全部口伝だ。

 内容は戦記が多い。


 勇者が精霊の加護を受けて戦っただとか。

 精霊の怒りで飢饉が起こったので勇者が精霊と戦うだとか。


 精霊が敵になったり、味方になったり、なんでもありだ。

 共通するのは精霊が登場すること。

 当然と言えば当然で、精霊が登場しなければ、物語として面白くない。


 これも同じ類だろうとジンは思う。


「……なんで、こんなのをわざわざ持ってきたんだか」

「物語には夢があるからだよ」

「夢かぁ」

「ジンの炎も何かの物語になるかもしれないよ?」


 言われてみると、そんな気もする。


「何か大きいことをしろっていう意味が込められてるんだな、たぶん」

「あはは、そうだったらいいね?」


 調子のよい話をしながら、書を読み進める。

 全部読む頃には夜だった。

 様々な物語はあったが、炎の記述はなかった。




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