5:嵐≪テンペスタ≫②
下校時間を知らせるチャイムが鳴った。
アニマは鞄にものを詰め込み、教室を出る。今日の昼に会った男――ドラーゴのことは気がかりだが特に怯えてはいなかった。ああいう輩こそ小物だったりするのだ。そう思っていた。
もしかしたら気がつかないことかもしれないが、少し奇妙なことがあった。
全校が異様に静かだった。既に皆は校舎を出ていた。職員さえ一人もいなかった。
「?」
アニマはまるで自分だけが異空間にいるように感じた。学校の中で道に迷った感覚だった。
教室を出て廊下を少し進んだところに、ロッカールームがある。
そしてその前に、誰かが座っていた。
普通ならそこにあるはずのないソファが置かれてあって、その上に足を組んで座っていた。その大きな身体は、見間違えるはずもない。
ネーロ・ドラーゴだった。
ドラーゴはアニマの姿に気づくと立ちあがったが、向かってくる様子はない。
アニマは訳が分からなかったが、とりあえず近づいた。
そして目の前に立つ。自分よりはかなり背が高い彼を改めて近くで見ると、奇妙な圧迫感を感じる。今までどれだけ鍛えてきたのかを物語っているような身体だった。
ドラーゴも改めてアニマを見る。何かを見定めているようだった。
アニマは考える。
今、学校にこんなにも人がいないのはコイツのせいだろう。朝から向けられていた視線はコイツの仲間だと考えると、学校中の相当の数の人間がチームの仲間だってことだ。プーロの話では校長までもがコイツの言いなりらしいから、今この校舎は貸し切り状態だってことか。
なぜそんなことをするのか。この状況下では理由は考えなくても分かる。
これから乱闘が始まる。
ドラーゴがふいに口を開く。
「サルバトーレ・アニマ…。お前、先日俺の仲間をやったらしいな?」
「仲間?」
「食堂で騒ぎをおこしたらしいな」
あの時の男か。だがあれは喧嘩でもなんでもなく、ただいじめているのを止めただけなのだが。
「言い逃れはできねえ。ファンゴをやった奴となれば尚更だ」
「!!」
どうやらコイツは、ファンゴとも繋がっていたらしい。もう既に情報は流れていた。
「そういう奴は俺が直々にぶちのめすことになってる…お前はその対象だ」
逆恨みも甚だしいが、この状況ではどうすることもできまい。
アニマは向けられている目をキッと睨み返した。ドラーゴは不気味な笑みを浮かべる。
「行くぞ、サルバトーレ・アニマァ!!」
その叫びを合図に、ドラーゴの拳が飛んでくる。
アニマは一瞬早くそれを躱し、すぐに距離をとる。
「予想よりも速いが、大振りだな……」
食らったら相当のダメージだろうが、避けるのは容易だ。
「なるほど、素早い…ファンゴをやったってのも伊達じゃねぇな……」
あのファンゴが仲間ということは、少なくともコイツはファンゴと同等かそれ以上の実力を持っているということだ。それも生身で。簡単には決着は着かないだろう。
「だがこれは躱せるかな…?」
ドラーゴはこっちに突っ込んできて、蹴りを放った。
アニマは後ろに跳び退いて躱す――はずだった。
ドラーゴの姿が一瞬見えなくなったかと思うと、急に腹を貫かれるかのような衝撃が走る。
「ぐッ!!」
そして吹っ飛ばされ、壁に激突する。その衝撃で壁には亀裂が入っていた。
「そ、そんな馬鹿な……!この力は、いったい………!?」
ドラーゴは拳を握ったり開いたりして力を確かめるようにしながらゆっくりと歩み寄ってくる。
アニマは立ちあがるが、ズキ、と腹が痛む。ファンゴにカッターで刺された傷だった。
「くそッ……」
よろめくと、いつの間にか目の前まで来ていたドラーゴに首を掴まれ持ち上げられる。
片手で。容易く。
「離せ……ッ」
アニマはそのまま思い切り壁に叩きつけられる。今度は亀裂なんてものではなく、壁が崩れて穴が空いた。
信じられないパワーだった。
アニマは首をおさえてゴホゴホと咳き込む。頭から血がダラリと垂れてきた。
痛みに顔を歪めながら前を向くと、ドラーゴがいない。一瞬で消えてしまった。
「ここだぜ」
後ろから声が聞こえた。振り返るより前に、ジェットエンジンのような脚力で蹴り上げられる。
「ぐえッ!」
天井に叩きつけられ、落下するところを掴まれる。そしてまた思い切り投げられる。
抵抗する間もなく地面を転げまわったアニマの目の前に、一瞬でドラーゴが近づいてきていた。
「馬鹿なッ…!?」
ドラーゴは拳を振り下ろす。アニマは全身から力を振り絞ってそれを避ける。
このパワー。スピード。間違いない。
「コイツも、俺やファンゴと同じような『能力』を持っているってことか……」
その言葉に、ドラーゴの動作が止まる。
「やはりな。ファンゴを倒したってことはそれしか考えられねえ。アイツは俺が能力を持っていたことは知らなかったが、お前が俺と同じような能力を持っていなければ勝つのは無理だったはずだ」
「……………」
「俺の能力は〈テンペスタ〉……。自身の身体能力を極限まで上げることができ、肉体の耐久力もそれに耐え得るようになる」
アニマは唾を飲み込む。コイツの異常な身体能力も能力のせいか。
「何故俺がこうやってお前に正直に能力を明かしてるかっていうとだな…お前は絶対に俺の能力には勝てんということだぜ」
過剰な自信かもしれないが、全くそうではないとは言い切れない。
肉体の耐久力が上がっているということは、半端な攻撃ではダメージは与えられないということだ。その前に攻撃を当てることすらできないかもしれない。
アニマはよろめきながら立ちあがる。自分の能力〈オブ ルーラ〉で勝てるかは分からないが、やるだけやってみるしかなさそうだ。
ドラーゴはアニマに反撃の隙を与えず、その腹に蹴りを入れる。
「………ッ!」
アニマは吹き飛び、再び床を転げまわる。
ゲホゲホと咳をすると、口から血が流れ出てきた。
「どうした?お前の能力を見せてみろよ」
ドラーゴはやはり異常な瞬発力でアニマとの間合いを一瞬で詰める。
「………!」
その大きな手で頭をガシリと掴まれ、持ち上げられる。
さっきから食らっている攻撃はどれも急所を外したものばかりだ。それは、この攻撃はすべてアニマを痛めつけるためのものであり殺すためのものではないからだ。
今も卵の殻のように頭を潰せる状態にあるが、それはできないはず。
アニマは自分を持ち上げているドラーゴの手を掴んで身体を引き上げて、その頭に蹴りを放った。
「ぐッ!」
衝撃で頭を掴んでいた手が離れる。
「テメェ……やりやがったなッ!」
ドラーゴは目にも見えない速さでアニマの背後に立ち、蹴りで吹き飛ばした。
そしてアニマが吹き飛ぶよりも早くその落下地点にいて、アニマを掴んでしまった。
「うぅ………」
ドラーゴの拳が固く握られている。本気の一撃が来る。
その時、ドラーゴの背中に花瓶がぶつかって割れた。中に入っていたであろう水が床に零れていた。
「あ?」
ドラーゴは振り向いてアニマから手を離した。
アニマはドサリと床に落とされる。
そこでアニマは見た。
ドラーゴに花瓶を投げつけたのは、プーロだった。