5:嵐≪テンペスタ≫①
サルバトーレ・アニマとリーンピダ・プーロが通っているこの学校では、ある“チーム”が存在する。チームという言葉では言い表しづらいが、いわゆる“不良集団”である。
生活していられないほど貧しい環境に育ったわけでもなく、壮絶な過去を持ったわけでもなく、どういった過程で不良が現れたのかは誰も知らない。だが、ここイタリアではシチリアマフィアの影響は周りからの圧が大きい時期の学生に響くには十分だった。
社会のあらゆるルールを無視するその姿は、奇妙なことだが“英雄”と認識されることも学生の間であった。
人間を罪から救うために現れたイエス・キリストのように、流行している感染病のように、学校の中に突如現れた不良青年によって周囲は感化され、あっという間に不良集団ができてしまったのである。
今では集団のリーダーになっているその青年――ネーロ・ドラーゴによって、この学校の生徒は支配されているといっても過言ではない。
彼の傘下の不良たちは、勧誘に勧誘を重ね、どんどん勢力を増していった。断る者には何もしないが、調子に乗っている者からは金を巻き上げ脅しを入れた。向かってくる者には相手をしたが、群がって一人を相手にすることはしなかった。そのため、周囲にプライドの高さを感じさせた。気に入らない者は彼が直々に倒すことになっていた。
集めた金を教師に渡し、授業をサボらせてもらうこともあった。
実質、この学校で最も権力を持つ者は彼になっていた。
ファンゴ・コンティとサルバトーレ・アニマの闘いがあった日の翌日、彼は自分の教室の教卓に堂々と腰かけていた。まだ登校完了時刻の1時間前だった。
周囲には、彼を取り囲むように大勢の仲間たちが立っている。
そして、その中心――彼の目の前に、片膝をついて座り込んでいる男がいた。
先日、食堂での騒動を起こした人物だった。
「何?その、サルバトーレとかいう奴にやられたのか?」
背は高く周りと比べるとかなり筋肉質な身体をしたドラーゴは、足を組みながらそう訊き返す。
「ああ。だが、とにかく何をされたのか分からなかった。殴られたわけでもなく、蹴られたわけでもなく、大きな何かをされたわけじゃねえが、とにかくムカッ腹が立つ奴だったぜ……」
ドラーゴは、ふむ、と顎をさする。
「なるほど、そいつは俺たちに喧嘩を売っているってことか?」
訊かれた男はニヤリと笑い、
「そうだ」
と答えた。
「噂によるとファンゴの奴も今日来てないらしい。アイツにやられたんじゃねえか、って俺は思ってる」
そう言われたドラーゴは考える。
ファンゴは一応仲間だったものの、いまいち何を考えているのか、何がしたいのか分からない男だった。ただ、喧嘩はそこそこ強いから馬鹿にできる奴ではなかったが…。
「分かった。俺たちへの喧嘩なら、俺が受ける」
それを聞いた男は、心の中でほくそ笑んだ。
「すまない、あんたの顔に泥を塗ってしまって……」
「気にするな、俺が直々にぶちのめしてやるよ」
男は深く頭を下げた。笑いを堪えていた。
その日――サルバトーレ・アニマは、いつものように登校していた。
「はっ!」
校門近くに、あの青年が立っていた。リーンピダ・プーロだ。
なんのためにあそこに立っているのか。考えるまでもない。アニマのことを待っていたのだ。
「……………」
幸い今の時間帯は最も登校している人が多い。アニマはプーロから離れ、歩く人の影に隠れながら校門をくぐる。
プーロはキョロキョロと周りを見ながらそわそわしていた。運よく気づかれていないようだった。
「ふぅ~~」
玄関に到達し、安心して息を吐き出したプーロの肩を、後ろから誰かが掴んだ。
「ん?」
振り向くと、プーロだった。気づいてないと思っていたのに。
「うわっ!」
びっくりして声が裏返る。
「もう来てたなんてね……僕に挨拶くらいしてもいいんじゃないかな」
プーロはじとっとした目で見てくる。
「ご、ごめん……こっちも気づかなかったんだ」
アニマは笑って誤魔化すが、プーロの視線は外れない。
数秒気まずい空気が流れたが、プーロはこの場で深く訊いてくるようなことはせずロッカールームに向かっていった。
アニマも手汗をズボンで擦りながら、その後に続いて行った。
先日のファンゴとの争いがあった教室は扉が外れたままになっていて、立ち入り禁止というように黄色いテープで遮られていた。
奴から受けたカッターの傷は割と浅かったため日常生活に支障はほとんど無いようだ。過度な運動は避けなければいけないことに変わりはないが。
アニマが教室に入ると、同級生が一斉にこちらを見た。
そしてコソコソと噂し始める。
「?」
訳が分からなかったがとりあえずいつも通り席に着いた。
特に何も変わったことは無かったが、何の噂か妙に気になった。
まさかファンゴの件では無いだろうか。あの騒動の後、目が覚めたファンゴを自宅まで送り届け、もう襲ってこないことと、『能力』を悪用しないように念を押したのだが、もしや誰かに話したのだろうか。今日学校に来ているかは分からないが、確かめてみる必要はありそうだ。
昼休み、またプーロに会った。偶然出くわしたわけではなく、教室の前で待ち伏せされたような形だった。
アニマは一瞬身体が強張ったが、自然体を心がけて話しかける。
「な、何か用かな?」
「いや、ちょっと一緒にお昼でもどうかなと思ってね」
ここは本来喜ぶべきなのだろうが、この青年と一緒では妙に緊張しそうだ。
「いいよ。じゃあ食堂ね」
アニマとプーロはそれぞれランチを頼み、席に着く。
「ところで…君、みんなから嫌われてるの?」
「え?」
「いや…さっきから僕ら、妙に視線を感じるんだけど……」
それを聞いたアニマは周囲を見渡す。コソコソと何かを話している人がたくさんいた。
「俺、何か嫌われるようなことしたかなぁ……」
「どうだかね……」
アニマには理由は分からないが自分のせいでこのプーロにも不快な思いをさせていると思うと、申し訳なく思った。
「もしかしたら“チーム”に目をつけられてるんじゃないの?」
「“チーム”?」
「最近増えた不良軍団だよ。時々急に学校休みになったりするでしょ?そのチームが校長に頼んでやってるらしいよ。僕は勧誘されないけど、勧誘蹴って調子乗ってる奴は目をつけられるって言うからなぁ…あんまり近づきたくはないね」
「俺、勧誘なんてされてないけどな……」
でもその派手な見た目なら目もつけられるだろうな、とプーロは思った。
その時だった。
食堂の扉が勢いよく開いたかと思うと、強面の男がズカズカと入ってきた。
「サルバトーレ・アニマって奴はここにいるか?」
そしてそう叫んだ。
「呼ばれてるよ。君、いったい何したの?」
プーロが小声で訊いてきた。
「何もしてないはずだけど……訊いてみるか」
アニマはそう答えて立ち上がる。
「俺がアニマだけど」
プーロは慌ててアニマの手を掴んで座らせようとする。明らかに今この状況は喧嘩を買ったようにしか感じられない。
男はアニマの目の前まで歩いてくると、口の端を歪めて言った。
「お前がサルバトーレ・アニマか、なるほどな……俺はネーロ・ドラーゴだ、憶えておけ」
男はただそれだけを言って去っていった。
プーロは少し拍子抜けしたが、肩の力が抜けた。
プーロには何が何だか分からなかったが、それはアニマ自身も同じのようだ。
ただ、めんどくさいことに巻き込まれそうだ。それだけは確かに言える。