3:不可視≪インヴィジブル≫ ①
イタリアの壮大な景色の中に紛れるようにして建つこの高校は、8組のカップルが殺害された“フィレンツェの怪物事件”と呼ばれる連続殺人が行われていた1983年に創設された。
比較的新しいわりに、そんな事件があったためか当時の評判はあまり良くなかったが、1990年に入ってからは不思議と生徒も増加していった。
今となっては例えその事件が未解決であっても、誰もが気にせずに平穏に暮らしている。“自分が被害者になるかも”とは思っても“どうすることもできないからしょうがない”という思考に収束し、奇妙な諦観と平穏の中日々を過ごしているのだ。
しかしこの街では未だ不安の種はそこら中にばらまかれていて、いつそれが芽吹くのか分からないのだ。それは、この高校も例外ではない――。
――放課後。ロッカールームにて、サルバトーレ・アニマは、同級生のリーンピダ・プーロに問い詰められていた。
「ちゃんと説明してもらおう!サルバトーレ・アニマ!」
プーロはアニマのロッカーを手で押さえて、アニマが物を持って帰れないようにしている。
「…………………」
今日の昼、食堂で起こった事件はただごとでは無かった。目の錯覚でもない。その証拠に、あの男だって動揺していた。超能力か念力か、正体は分からないがただのトリックではない。
僕に近づいたのだってなんらかの企みがあってじゃないのか。プーロはそう思っていた。
アニマは口を開けてポカンとした顔でプーロを見ている。
アニマの視線がロッカーに移る。
「あの、その手、どけてくれない?」
アニマはプーロの手を指さして言う。
「いいや、ちゃんと話すまでどけないよ」
「何を?」
プーロは詰め寄るようにして言う。
「今日の昼のことだよッ!いったいどういうことなの?どうやったらあの男の手をあんな風にできるんだッ!?」
アニマは困ったような顔になる。
「う~ん………」
「それにだッ!君は僕を騙そうとしていたんだ。僕に嘘を突き通そうとしていたんだッ」
「騙すだなんて、そんなつもりは」
「だったら説明してもらおうかな!」
「困ったなぁ………」
アニマは手で髪をぐしゃぐしゃと掻き上げた。
「俺が話さないと君がその手をどけないっていうんなら、どうしても話さないことはないけど――君に話しても分からないし関係のないことだからなぁ………」
プーロはなんだか気恥ずかしくなってきた。だが、もう後に引こうにも引けないような気がしてきた。
しかしそこでアニマが何かを思い出したように「あっ」と言って、プーロに背を向けてどこかへ行ってしまった。
「??」
一人取り残されたプーロは何をしていいのか分からず、ただ立ち尽くしていた。
アニマは何をしにどこへ行ったのか全く分からないプーロはどうするべきか迷ったが、かといってずっとここにいるのも来た人にどう思われるかも分からないので仕方なく帰ることにした。
「……?」
しかし、アニマというあの青年、何から何まで分からないことだらけだ。唯一分かることと言えば、トランプのシャッフルが得意なことだけか…。
アニマは教室に戻っていた。
そして、自分が使っていた机を見る。
「あったぞ………」
そこには、ボールペンが置いてあった。
「“インクが切れた”ってんで、友人に貸していたからな…。後で返す時に机に置いておくって言ってたのを忘れていた……」
しかしあのプーロという青年…。面白い人間だが、少々厄介なことになったな、とアニマは思った。
明日もあの調子で一日中責め立てられるのかと思うと、疲れを感じずにはいられなかった。まぁ、数少ない友人のつもりなので、大事にはしたい。それに、あの青年は何か心の奥底に“光るもの”がある。
アニマは教室を出て廊下に出ると、ふいに足を止めた。
「………………」
異様な静寂が訪れる。
「なぜさっきから俺を尾けているんだ?」
アニマがそう言うと、さっきアニマが出てきた教室の隣の教室から、男が出てきた。
身長は170cmくらいで、長い髪が肩のあたりまで垂れていた。
「なかなか勘が鋭いじゃないか…サルバトーレ・アニマ………」
アニマは顎の角度を少し上げて言う。
「俺は君のことを知らないが…なぜ俺のことを知っているのか、そしてなぜ尾行していたのか教えてくれないかな?」
男はフッと鼻で笑って答える。
「俺の名前はファンゴ・コンティ。個人的な理由でお前さんが気に食わなくてね」
アニマはぴくっと片眉を上げる。
「ファンゴ?聞いたことあるな、確か学力が学年で2位だった奴か」
ファンゴは笑みを浮かべる。
「そうそう。そいつが俺だ。前までは1位だったがこの前その座を奪われてな。ムカつくからぶっ殺してやろうと思っていたところだ」
アニマは目を閉じて溜め息を吐き出しながら言う。
「おいおい、物騒なこと考えるじゃあないか。それに、俺とその学年1位に何の関係があるんだ?俺は頭いいわけでもないし、君の気に障るようなこともしてないはずだ」
そして目を開けた瞬間――ファンゴはいなかった。
「?」
たった数秒のうちにいなくなってしまった。アニマは周囲を見渡す。背後に立っているわけでもなく、やはりどこにもいない。
――いきなり、顔に激痛が走った。思い切り走って壁に激突したかのような衝撃だ。そのままアニマは廊下の突き当りの教室の中まで吹き飛ばされた。
「…………!?」
どうやら資料室のようだが、今は使われておらず物は教卓一つしかない。
ドアはさっきのアニマが突っ込んできた衝撃で外れてしまっていて、やはり周囲には誰もいなかった。
いったい、何をされたんだ。アニマは鼻血をティッシュで拭き取りながら考える。
「ああ、まだこれくらいじゃスカッとしねえなぁ」
どこからかさっきのファンゴの声が聞こえる。
「どこにいる……?」
アニマは必死にファンゴを探す。
「どこにいるかだって?俺はさっきからいるぜ、お前の目の前によぉ―――」
「!?」
突然、何もない空間が歪んだように見え、うっすらと何かの輪郭が現れた。
それはだんだんとハッキリ見えるようになり、男の姿になる。
「お前は…ッ!?」
透明になっていた。どんなトリックを使ったのかは分からないが、ファンゴ・コンティは、透明になっていたのだ。
「と、透明だと………!?」
アニマの頬を汗が伝う。異様な光景に、理解はついていかないがある可能性がアニマの頭には浮かんでいた。
「コイツ……まさかッ!!まさか俺と同じような『能力』を………!?」