時間に関する考察
『時間に関する考察』
Q1.
時間の流れを遅くするにはどうすれば良いだろうか?
A1.
時間というのは何者にも平等に流れるものではない。「子供の頃は日が暮れるまであんなに長かったのに」「年をとるほど一年があっという間」というのは、紛れもなく事実なのだ。
それは、人間が時間を「相対的」に感じる生物だからだ。何故子供の頃は時間の流れがあんなに遅いのか、君は考えた事があるだろうか?
考えてみよう。一歳の子供は、生まれてからこの瞬間までに一年が経過している。日数にして三百六十五日、時間にして八千七百六十時間、分にして五十二万五千六百分。つまり、一歳の子供にとっての一分とは、彼の今まで生きてきた人生の五十二万五千六百分の一なのだ。
一方、八十歳の老人は、生まれてからこの瞬間までに八十年が経過している。日数にして二万九千二百日、時間にして七十万八百時間、分にして四千二百四万八千分。つまり、八十歳の老人にとっての一分とは、彼の今まで生きてきた人生の四千二百四万八千分の一なのだ。
その差は甚大。年をとればとるほど、「今」と「過去」との相対比率は大きくなり、時間の流れる速度は上昇してゆく。一歳の子供にとっての一分と、八十歳の老人にとっての一分は、まったく別のものなのだ。
ここで発想を逆転してみよう。年をとればとるほど時間の流れる速度が上昇するのなら、若ければ若いほど時間の流れる速度は下降するという事になる。そう、生まれた瞬間の赤ん坊にとっての一分は、今まで彼が生きてきた人生よりも長い、永遠にも近い時間なのだ。
長く生きれば生きるほど、流れる時間の速度は上昇し、飛ぶように駆け抜けてゆく。ひとは時間の有限性を嘆き長寿を求めるが、仮に長寿を得たところで時間は凄まじい速度で駆け抜けてゆくだけ、ひとびとの望みは永遠に叶う事は無い……。
ああ、質問の答えがまだだったかな。「時間の流れを遅くするにはどうすれば良いか」だったね。答えは実に明白だ。長く生きなければ良い。蓄積し「今」と比較される「過去」を出来うる限り少なくすれば良い。つまり、君がなるべく早く……例えば今ここで死ねば良いのだよ。
どうしたんだい、真っ青な顔をして。私は君の望む方法を提示したのだよ。感謝こそされても、怯えられる筋合いも「狂人」と罵られる筋合いも無いと思うのだが。
……そうだね、私は本来方法を提示するだけなのだが、今回は特別に実行まで面倒を見てあげようか。なるべく苦しくないように逝く方法を幾つか提案しよう。
切られるのが良いかね?
殴られるのが良いかね?
それとも毒をあおるかい?
――さあ、好きな死に方を選びたまえ。大丈夫、君はもうすぐ死ぬのだから、時間は幾らでもあるよ……。
Q2.
時間を止めるにはどうすれば良いだろうか?
A2.
答えはそこの床の上に。
《幕》