風の強い日
『風の強い日』
耳元でごうごうと風が鳴っている。
逆立つ髪をいくら撫で付けても意味は無く、終いに私は諦めて、風に髪をなぶらせるままにしておく事にした。
足先を掠める家の屋根。軽く頭を下げると、頭上を電線が掠めた。
私は今、飛んでいる。否、正確には『飛ばされて』いた。
家を出た瞬間強風に煽られて、何がどうなっているのかを理解した時には既に私の身体は宙を飛んでいた。
最初こそ私は混乱し、地面に戻ろうと四苦八苦悪戦苦闘したが、風に抵抗する術など無く、終いには諦める事にした。
空中で身体を安定させる方法さえ覚えれば、飛ばされるのも悪くない。全く止む気配の無い風に身体を預け、下らない事を考える余裕すらある。
そう云えば今朝の天気予報では、この辺りに暴風警報が出ていた。傘や荷物を飛ばされないように注意しようとは思ったが、まさか自分の身体が飛ばされる羽目になるとは夢にも思わなかった。
はは、と笑う。傘も荷物も、とうに落としてしまった。妻にはどう言い訳しよう。
更に、風速が上がった気がした。否、確実に上がっている。
周囲の景色は凄まじい速度で後方へと通り過ぎてゆき、やっとその景色に目が慣れた時には周囲を高層ビルに囲まれていた。
正面には見慣れたガラス張りのビル。『A証券株式会社』と書かれた看板がみるみる内に迫ってくる。
飛ばされて通勤すれば、毎朝毎朝満員電車に揺られる必要も無いな、と素晴らしいアイディアを思い付いたのだが。
――ああ、目の前が、ガラスの壁だ。
《幕》