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【短編集】気ままに新たな自分を探して

責の剣、讐の弓

作者: 春風 優華

 とある栄えた都市の、商業街の一角。昼間だというのに薄暗く不気味な雰囲気の漂う路地裏に、その青年は居た。

 青年は道端に腰を下ろし、懸命に愛剣の刃を研いでいた。鋭く鋭く、狩るべきものを確実に仕留められるよう丁寧に。青年の手つきに迷いはない。瞳も、好機に満ち溢れているかのようだ。

 ふと、青年の視界を影が過ぎる。青年はゆっくりとした動作で顔を上げ、影の行方を探った。すると、少し先を悠然と歩く、美しい後ろ姿が映る。それはこの路地裏には似つかわしくない女性の姿だった。長い髪を煌びやかな簪でまとめ、いかにもお嬢さんという雰囲気だ。

 青年は急に腰をあげると、先程までの手つきからは想像もつかないほど雑に剣を収め、女性の背を追った。

「あの、そこの人!」

 青年が呼びかけると、女性は一瞬左右を見回し、周りに誰もいないことを確認して振り返った。

「私ですか」

「そうそう、君だよ」

「何か御用でしょうか」

 女性は青年を訝しむような目つきで足元から順に見ていく。腰に装備された剣に気づき、視線の動きがそこで一時停止するが、特に何か反応を示すわけでもなく、そのまま青年の顔へと持っていく。

「いや、こんなところに女性がいるなんて意外だなって。ここ、商業街でも治安の悪い場所だから」

 青年は少しばかり気まずそうだ。本当は、反射的に声をかけただけで、何も考えいなかったのだろう。

「ご安心を、自分の身は自分で守れます。それに私も、表立って動けるような人間ではありませんから」

 女性は自らの手に持つものを軽く揺らして微笑んだ。それは丁寧に使い込まれた弓であり、また女性が背負っているのは矢が入っている筒だと気づく。

 青年はしまったという表情で固まり、気まずそうに頬を掻く。

「ごめん、空気感がそういう職の人っぽくなかったから」

「よく言われます。おかげで中々信用してもらえません。けど、腕は確かですよ」

 微笑んで軽く弓を構えてみせる女性からは、恐ろしいほど血の匂いを感じなかった。青年は少し改まった面持ちで問いかける。

「もしこのあと予定がなければ、一緒に食事でもどう?君のこと、もっと知りたくなった。もちろん、お互い訳ありだろうから仕事に抵触しない程度でさ」

「喜んで。私もまだ無名ですから、売れるところで売りたいですし」

「仕事熱心なんだね」

 青年は少し残念そうに、しかし気を取り直して女性を店に案内した。



 青年が女性を連れてきたのは、表立って動けないものたちが集まる小さな酒場だった。

「ごめんなこんなところで」

「いえ、私もこの町に来たばかりですから、こういったところを知ることができ良かったです」

 奥に空いていた二人席に着席し、適当に注文してから青年は女性を見る。

「自己紹介がまだだったよな。俺は雇われ用心棒のヴィアス。今は仕事がないんでこの辺りをうろうろしながら次の依頼を待ってる」

「私は情報屋のツィーゼ。大陸を渡ってつい最近西の国に入り、今は町を転々としています。こちらの情報はまだ集めてる最中ですが南と東のことなら自信ありますよ。以後お見知り置きを」

 優雅な仕草で頭を下げる女性ツィーゼに、青年ヴィアスはつい見惚れてしまい、慌てて次の話題を持ち出した。そんなヴィアスを、ツィーゼは楽しそうに眺めていた。

「そうだ、ツィーゼは酒飲まないの?さっき頼まなかったけど」

「実は未成年なんです。と言っても祖国の決まりで、ですけど。こちらの決まりならもう成人してますね」

「真面目だね、決まりを気にするなんて」

 ツィーゼそれに苦笑で答え、小さく性分なんですと付け加えた。

 それから出てきた料理を適当につまみつつ、二人はしばらく談笑した。好きな食べ物、趣味、最近の出来事、仕事での経験……互いの出生や職務に関わる重要なことは伏せた上で、面白かったことやどうでもいいような話を楽しげに語り合う。その中でヴィアスは、西の裏社会最強と言われるほど腕の立つ剣士だと判明し、ツィーゼは思い切って話を持ちかけた。

「ねぇヴィアス。私があなたに依頼をするのはありですか」

 少し身を乗り出し、ツィーゼは声色を落とす。

「もちろん。俺は用心棒の依頼なら基本的にどんなものでも受けるぜ」

 ヴィアスもそれに習い小声で答えた。

「基本的、というのは?」

「厄介な肩書きのせいで勘違いするやつがたまにいるんだが、用心棒にかこつけてたまに殺しをやらせようと企む奴がいるんだ。けど俺は殺し屋ではない。そういった裏のある依頼は受けないことにしているんだ」

「裏のある依頼ですか。裏の人間なのに、おかしな表現ですね。でもよく分かりました」

 ツィーゼは姿勢を正し、まっすぐにヴィアスをの瞳を見つめる。その視線を、掴んで離さない。そんな強制力がツィーゼの眼差しには込められていた。

「その上で依頼させてください。この町から二つ山を越えた先にある鉱山の村に行きたいのですが、その道中で商業馬車が山賊に襲われたと聞きました。もちろん自分の身は自分で守れるつもりではいますが、相手が多数だと労力も危険も大きい。なのでヴィアス、あなたの腕を買って、その村まで私の用心棒をしてくれませんか」

 ヴィアスは迷わず首肯した。

「お受けしましょう」

「では値段を」

「楽しい食事の場で、金の話なんか野暮だね。いつもは半分前払いだけど、付き合ってくれたお礼に無事依頼を完了してから貰うことにするよ」

 ツィーゼはその言葉に甘えて良いものかと頬に手を当て悩み、せめて食事代はと申し出るが、ヴィアスはそれも断った。

「鉱山の村に行きたいってことは、良質な武器を探してるんだろ。だったら無駄に金を使う必要ない。俺は金払いのいい貴族や商家からそこそこ貰ってるからさ、こういう時に使わないと」

 腰の革袋から適当に金貨を出して机に置き、ヴィアスは出口へ向かう。ツィーゼは困惑しつつも、慌ててその背中を追った。

「で、出立は?」

「明日の夜を予定しています」

「またあえて危険な時間に行くんだね」

 苦笑するヴィアスに対し、ツィーゼは真剣に答える。

「あまり目立ちたくないので。それに山賊は昼夜関係なく襲ってきますから、それならこちらに有利な時間をと思いました」

 その言葉にヴィアスは感嘆の声を上げる。

「へー、夜目が利くんだね」

「多少、人よりは。ヴィアスはそれで構いませんか?」

「あぁ、俺も夜は平気だよ」

 そこで一旦会話が途切れ、しばらく無言で歩く。最初に出会った場所まで戻ってきて、ヴィアスは足を止めた。

「宿は決まってるのかい」

 傍のツィーゼに視線を投げて問いかけると、ツィーゼもそれに気づき微笑んだ。

「はい、ご心配なく」

「じゃあ明日の日が沈む頃、山側の門で落ち合おう」

「ありがとうございます」

 右手を胸に当て頭を垂らし、膝を折って恭しくお辞儀をするツィーゼに、ヴィアスは戸惑いつつも、片手を上げて答えた。

 そうして二人は別れ、互いに今夜休む場所へと歩み出す。時は夕暮れ。裏路地はさらに闇を濃くし、ヴィアスの剣とツィーゼの簪だけがいやに淡く輝いていた。

 二人の足音は闇の中静かに遠ざかる。やがて光も、その黒に溶け込むかのように姿を消した。



 翌、夜の帳が下り始めた頃、二人は町の外で再会する。昨日よりも緊張した空気が二人の間には流れる。仕事用の顔、といったところだろうか。

「嬉しいよ、君みたいに綺麗な人の用心棒ができるなんて。普段は臆病なおっさんばかりだからさ」

「軟派なんですね、冗談がお上手」

「そっちこそ、かわすのがお上手で。けど残念だな、結構本気だったんだけど」

 他愛もない言葉を交わしつつ、二人の手はしっかりと自らの得物に添えられていた。

「簪は、今日はしてないんだね」

「光ものなので、暗がりの中目立ってしまってもいけないと思って外しました」

「そうか。ま、賢明な判断だな。じゃあそろそろ出発しようか」

 歩み出すヴィアスの左斜め後ろをツィーゼは着いていく。二人はあえて灯りを持たずに、山道へと踏み出した。

 山の中は奇妙な静けさと真っ暗な闇に包み込まれていた。聞こえるのは風に揺られこすれ合う僅かな葉音と、二人の押し殺した小さな足音のみ。息遣いすら極限まで抑え、周囲に神経を張り巡らせつつ、まっすぐに伸びた道を進んでいく。もちろん、二人の間に会話はない。

 夜更け頃、やっと山頂に到着し少し休息をとった。しかし、長居するのも危険と判断してか、少し腰を落ち着け水分補給をする程度で、またすぐに山道を歩みだした。

 無事一つ目の山を越えたところで、二人は妙な気配に気づく。互いに視線を合わせて頷きあう。

 恐ろしいほどの生気と殺気。それを二人は感じとり、ヴィアスは剣を、ツィーゼは弓を構え慎重に山を登る。山賊が潜んでいるという確信はあった。しかし、相手がこちらに気づいているかどうかまでは分からない。警戒するに越したことはないということだろう。普通に歩めば大したことのない距離を、かなり時間をかけて一歩ずつ進んでいく。

 間も無く頂上かと思われたその時、先ほどまで耐えずさやかに吹いていた風が凪いだ。

 同時に背後から草木を掻き分け何かが接近してくる音がする。

 ツィーゼが冷静に矢を装填し、音のする方へ狙いを定め弓をしならせた瞬間、大地が割れるような激しい音と共に、接近してきた何人かが大きく飛び退く様子が伺えた。隣を見ると、剣を大地へ突き立てたヴィアスが満足げに頷いていた。

「‘地’の使い手でしたか」

「ま、そういうこと。手練の戦士なら属性を武器に備えてるもんだろ」

「恐れ入ります。けど、次は私の番」

 奇襲は失敗したものの山賊に諦める様子はなく、今度は四方八方から同時に二人を攻撃する作戦へと切り替えていた。その一角に狙いをつけて今度は素早く弓を射る。その軌道上に、稲妻が走る。続けて周囲に四、五発乱射し、雷光が共鳴し繋がりあい、強力な電気網を張ると同時に敵の姿を晒し出す。

「どんなに夜目が利こうとも、急な光に人は弱いものです」

 視界を奪われたことで体勢を崩し、電気網に触れて感電する人。地割れに足をとられ、思うように行動できず慌てる人。混乱し統率を乱した山賊に、二人は容赦がなかった。

 武器と属性を見事に使いこなし、片っ端から山賊どもを行動不能にしていく。物々しい気配が消え、二つの荒い息遣いが聞こえるのみとなり、ようやく二人は視線を合わせて大きく息をついた。

「そっちこそ、‘雷’の使い手だったとは」

 ヴィアスは剣を鞘におさめると、感嘆の声を上げてツィーゼを見た。ツィーゼもまた、弓の構えを解き、ヴィアスを賞賛する。

「流石、最強と言われるだけありますね。見事に地割れの力を利用していらっしゃる」

「あんな器用に電気を張り巡らせた君には言われたくないな。正直、女性だからと侮っていたけど、大陸を一人で渡ってきただけはあるね。有名じゃないのが不思議なくらい」

「まぁ、本業は情報屋ですから、あくまで護身ですよ」

 互いを称え合いつつしばし笑いあった後、頬に刺す柔らかな光を感じて、二人はそちらを見た。

「もう日の出ですか」

「長いようであっという間の夜だったな」

「ですね。さ、もう山賊が追ってくることはないでしょうし、のんびり下りますか。……なんだか少し、さみしいですけどね」

 ヴィアスは太陽を眺めるツィーゼの横顔を見つめ、どこか悲しげな、しかし達観した顔をして大きく頷く。

「そうだな。残り時間を、大切にするよ」

 二人は鉱山の村に続く道をゆっくりと歩み始める。隣に並び、そのひと時を噛みしめながら、笑顔で言葉を交わして、一歩ずつ、下っていた。



 山間にひっそりと存在する鉱山の村。入り口が小さく見え出した時から、次第に二人の口数は減っていった。間も無く簡素な門にまでたどり着き、軽い入村手続きを済ませる。門の中だろうと外だろうと大して変わらない景色を眺めながら、ツィーゼは振り向き、ヴィアスに対し丁寧に礼を述べた。

「ありがとうございます。こうして、無事とはいきませんでしたが怪我なくここまで来ることができたのは、ヴィアスのおかげです」

「こちらこそ。短い間だったがツィーゼの用心棒として働けて楽しかったよ。また機会があったら雇ってくれ、まけるからさ」

 そう言って歯を見せ笑顔を浮かべるヴィアスを見て、なぜかツィーゼ一瞬、とてつもなく悲しげな顔をする。

「そう、ですね。また次が……あれば」

 消え入りそうなツィーゼの声。ヴィアスは不思議そうにツィーゼの顔を覗き込む。

「元気ないな、まぁ夜中ずっと歩いてたし疲れたんだろ、今日はしっかり休みな。で、これからツィーゼはどうする予定なんだ?」

「どこかで部屋を借ります。そして、目的を果たしたら、さらに山を越える予定です」

「じゃあもうあの町には戻らないんだな。残念」

 盛大に肩を落とすヴィアスに、ツィーゼは小声でごめんなさいと謝った。

「いや、こればっかりは仕方ないよな。今回の依頼費は、これでいいよ」

 ヴィアスは右手の指を三本立てて見せた。

「三百ですね、分かりました」

「違う違う、桁が一個多いよ。三十だ」

「それでは、一日の宿と食事代程度じゃないですか!」

 ヴィアスはツィーゼが申し訳なさそうに渡す硬貨を見て、これでいいんだと頷く。

「今日ここで過ごすためのお金でだけで十分だよ。実はさっき手続きした時にもう次の依頼を貰ったんだ。町まで行く商業馬車の護衛。ま、いつものやつさ。だから明日の昼にはもうここを立つ。お別れだ、ツィーゼ」

 差し出された右手を、ツィーゼは両手で包み込んだ。

「お世話になりました。でも、お金はやはりもう少し」

「じゃあさ、次もし会えたらまた食事しよう。ツィーゼが少ないって思う分は、その予約代ってことで」

「……分かりました。次に、平和に会えましたら、その時はまた一緒に食事をしましょう。今度は、お酒も飲みたいですね」

 そうして二人は背を向け、互いの生きる道へと踏み出した。視線を落とすツィーゼの顔に、先程までの切なさは感じられない。

 あるのは、瞳に宿る黒い黒い思いだけ。

「お別れだよ、ヴィアス」



 翌日昼、ヴィアスは門の中で周りを何度も見回していたが、求めた姿を確認できず小さくため息をついた。もしかしたらツィーゼが見送りに来てくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いていたが、残念ながらツィーゼがそこに現れることはなかった。なぜならツィーゼは、既にその村を出ているのだから。そうとも知らず、限界まで粘ってみるものの、依頼人の一行に呼ばれ、ヴィアスは渋々村を離れることとなった。

 商業馬車は山越えが遅い。大量の荷物を乗せて、数人で足の悪い道を進むのだから当たり前だ。もちろん、一日で着くなどとは考えていない。昼の間歩き続け、日が沈み始めたら急いで天幕を張り野宿の用意をする。ちょうど、一つ山を越えた辺りまではなんとか辿り着いていた。

 断崖絶壁を背に、依頼人御一行は食事をしてすぐ眠りについた。ヴィアスはというと、大事な用心棒の仕事があるので、夜は外で仮眠をとり、異変にはすぐ気づけるようにしていた。

 夜も更け、獣たちの微かなざわめきと風の囁きが響き渡るのみとなった時、不意に風とは違う葉の擦れる音がしてヴィアスは目を覚ました。瞬間、確実にヴィアスを狙った矢が数本飛んでくる。それを横に転がり間一髪で避けはしたものの、余りの正確さにヴィアスは冷や汗を流した。

 これは、商業馬車が目当てではなく、自分を射止めるために放たれたものだと直感する。射手はおそらく、矢の方向からして崖の上。

 高所を取られていては不利だと、ヴィアスは崖を駆け上がり始めた。

 対して射手は、ヴィアスの思いがけない行動に虚を突かれつつも、冷静に茂みへ身を隠し崖を登りきったヴィアスを仕留めようと弦を引き絞った。音の距離からしてあと数秒。そして今だと思った瞬間に矢を放とうとするも、そこにヴィアスは現れなかった。慌てて立ち上がり目標を探そうとするものの、足を土で固められそれすらままならない。完全に身動きを封じられていた。

「くそっ」

「‘地’の力には、こういう使い方もあるんだ。ごめんな、教えてなくて……ツィーゼ」

 剣先が、背後から首筋に当てられる。

「よく、気づきましたね」

 憎々しげに呟いたのは、紛れもなくツィーゼ本人で会った。その頭にはあの日の簪が優然と輝いている。

「矢の弾道に僅かながら静電気が発生していた。それに、この暗闇で確実に対象を狙えるほど腕が良い弓使いなんて、そうそういないからね」

「なるほど。崖の上から狙えば手も足も出せまいと思いましたが、早計でしたね。まさか‘地’の力で崖に段差を作り登ってくるとは」

「武器を媒体にさえすれば、案外なんだってできるもんだよ」

 ツィーゼはゆっくりと頭を動かし、剣を向けるヴィアスを見上げた。かと思いきや、弓に矢を装填し体を捻ってヴィアスに向けようとした。

「無駄だ、やめろ」

 それをヴィアスは剣でこともなげに払い落とす。なす術をなくしたツィーゼは、反撃を諦め憎しみを込めてヴィアスを睨みつけた。

「なぜ殺さない。絶好の機会じゃないですか」

「殺さないよ。殺せない」

「あなた、自分の命が狙われてること、分かってるの?これは依頼とは別問題」

 ヴィアスは唇を噛み締め、苦悶の表情を浮かべる。

「俺は人は殺さないって、決めたんだ。例えそれに、自分の命がかかっていたとしても。ツィーゼがなぜ俺を狙ったのかも聞かなといけないしね」

「あなたが人の死を語るなんて、私にとっては安っぽくて仕方ないわ。良いでしょう、教えてあげます。私があなたを殺したい理由はただ一つ。兄を殺した復讐だ!!」



 五年前、通称東と呼ばれるその国は、一夜にして王の座を奪われ、西の配下となった。東は排他的であったため他のどの国よりも遅れているとともに劣っていたのだ。しかし王が暴虐ということもなく国は平和であったため、民は何かを求めることはなく、ただ与えられた仕事を淡々とこなして生活していた。

 他国が付け入るには、あまりにも容易すぎたと言えるだろう。

 いつ侵略されてもおかしくなかった。最初に動いたのが、西だったというだけの話だ。もともと東なんて小さくて特に利点のない国、どこも興味がなかった。だから維持できていたとさえ言えるだろう。しかしなんの気まぐれか、西の王が東を支配下に入れると決めた。ただ荒事を起こしたい訳ではなかったため、なるべく最小限の被害で終わらせようと考えたのだ。

 それが、東を治める中心となる人間だけ確実に殺し後は何も変化させないというものだった。

 大きく生活が変わらないのならば、民は気づかない。反乱は起きない。時に人は残酷で、自身が安息でいられるのなら王が誰であろうと関係ないと考えるのだ。そこに忠誠などは存在しなかった。

 王に対し忠義を誓うものは皆無残に殺された。慈悲はない。そこに人の感情は、介入されないのだ。

 ツィーゼの、いや、紡木(つむぎ)の兄もまた武人であったため、王を守るため命を賭した一人だった。それも、王の影として殺されたのだ。

 紡木は(しのび)として幼い頃から修行を積んでいたため、刀を極める兄とはまた違う道を歩んでいたが、強く優しい兄の背を見て育ち、誰よりも兄を慕っていた。また二人には親がなかったため、家族二人、仲良く共に助けあい生きてきた。

 そのため、あの日胸騒ぎがすると言って家を飛び出した兄を心配し、紡木は隠れてついていったのだ。けして家を出てはいけないという兄の忠告を破って。

 そのまま城に潜り込み、かの惨劇を目撃する。兄が見慣れない形をした異様な剣で無残に殺される姿も、目の前で見た。隠れていた紡木は白銀の刃を血で濡らしたその剣士に見つかることはなく難を逃れたが、心に負った傷は深い。

 紡木は忘れられなかった。兄の死にゆく姿と、兄を斬った異国の剣士を。

 これからどうなるのだろうと絶望にくれつつ、夜明け頃なんとか城から逃げ出し家に着くと、そこではいつもと何も変わらない日常が繰り広げられていた。

 あの惨状を見た紡木には何が何だか分からない。人々の安穏な笑顔が分からない。

 現実を理解すると同時に、紡木は言いようのない怒りを覚えた。一部だけが苦しんだことに、周りが安泰であることに、皆何も疑問に思わないことに、兄が死ななければならなかったことに。

 その怒りを、まとめてあの剣士にぶつけると決めた日から、紡木はそれまでにないほど武術の鍛錬に励んだ。全ては、復讐のため。

 紡木がまだ、十四であった頃の話だ。



「いつしか、弓の軌道から雷が迸るようになったわ。東では属性なんてものは知られていなかったから、あるいは隠されていたから、当時はかなり驚いたものよ。でもまぁこっちでは、強い思いがあれば案外簡単に宿るらしいわね。使いこなせるかは別として。国を出ると決めたのも、その頃かしら。私は言葉にしろ風習にしろ、色々と知らなさすぎたのね。南に入り、初めて世界を学んだ。そこでさらに腕を磨き、この間やっと、目的の西に来た。そうしてあなたを見つけた。一目で分かったわ。だって、あの瞬間は一度たりとも忘れたことがなかったんだもの。……すぐにでも殺してやりたかった。でも、私だって馬鹿じゃない。正面切って勝てるような相手ではないことくらい知ってたわ。だからこうして奇襲したんだけど、それも失敗に終わったようね」

 ツィーゼが話を止めると、ヴィアスも剣を下ろした。

「こんなこと、俺が言えた口ではないけど、復讐なんてもうやめよう。聡明なツィーゼならもう分かってるはずだ。こんな行為は何も産みはしないってこと」

「それでも! やらなくちゃいけなかった。どこに向けたらいいのかわからないこの怒りを、どうにかしなくちゃいけなかった! だって私には、もう何も失うものなんてないんだもの」

「ごめん。全部俺が悪かった、ごめん。だから一生をかけて謝らせてくれ。頼む、許してくれとは言わないから」

 泣き崩れるツィーゼを、ヴィアスは剣を置いて抱き締めた。

「一緒にいる時間が長引けば長引くほど、いつしか本当にあなたを殺せなくなりそうだった」

 ツィーゼはヴィアスの胸に顔を埋め、泣きながら言葉を紡いだ。

「あぁ」

 ヴィアスは一切を受け止めるかのように頷く。

「あなたがあまりに優しくしてくれて、とてもいい人で、人を殺したこと、ずっと後悔してたから」

「当たり前だろ。あんなこと、もう二度としたくない……ツィーゼにも、して欲しくない。まだツィーゼが俺に死んでと願うなら、俺は自害しよう。それが一番だ。君の手は、汚したくない」

 ツィーゼは何も言わない。ただ肩を震わせ泣き続けるのみ。やっと落ちつき呼吸がゆっくりになった所で、ツィーゼは呟く。

 ごめんなさい。

「ぅっ、ぐ……」

 ヴィアスは左脇腹を抑え、ツィーゼに寄りかかった。

「それは、出来ないの。私の手で殺らないと、だめなの。私ばっかり守られてては、いけないの。私も汚くならないと、対等じゃない」

 それはツィーゼが選んだ、残酷で簡明な答えだった。

「あなたが‘地’の力を多様に扱えるのなら、私はもう一つの武器に別の属性が宿っている。お互い、第二の刃は隠していたということね」

 近接で弓は戦えない。しかしツィーゼは、超近接の一手を備えていた。

「私は忍。見えない武器を持つ者。村へ向かう夜に簪をつけていなかったのは、あなたに武器と悟られないためよ。会ってすぐ簪がないことに気づかれた時は焦ったけどね」

 これでお終い。

 そう言わんばかりにツィーゼは背を向け闇夜を歩き出した。ヴィアスはまだ脇腹を抑え苦しんでいる。熱く燃え上がるよう痛いのだろう。実際に、刺された周囲の肉が焼けていた。それがツィーゼの簪に宿る‘火’の力だった。

「ずっと代わりを、求めてたのかもしれない」

 その呟きは、風のざわめきと消えた。





 一年後、東の国。海辺の村にて。

「おーい、紡木ちゃーん。こっちも手伝ってくれー」

「はーい。ちょっと待っててくださいね、すぐ行きまから」

「紡木さん、こっちもお願い」

 偽名として異国に合うようつけた偽名、ツィーゼを捨て、紡木は東に戻り民として平和に暮らしていた。それが償いというわけではないが、自分のために生きるのをやめ、他人のために奉仕して生きようと決めていたのだ。今では村一番の働き者だ。

「紡木ちゃん、異国の方がいらっしゃったよ」

「またー? 全く、どうしてこんな何もない村に来ちゃうのかな」

 紡木は作業の手を止め、汗を拭いながら話しかけてきたおじいさんに駆け寄る。

「よーく分からんが、魚がうまいって有名なんだってなー。異国の言葉が分かるのは、村では紡木ちゃんだけだから、よろしく頼むよ」

 そう、その村はけっして観光地というわけではないが、なぜか魚で名が知れ渡り、異国からわざわざ食べに来る人がいる。それは西であったり、南であったり、はたまた北であったりもする。

「了解しました。任せてください」

 紡木は居住まいを正し、来客を出迎える。異国の言葉が喋れる人は、ここ最近増えてきたもののまだ少なく、都に行けば学び舎などもあるのだが、やはり田舎の村などでは貴重な存在である。排他的であったのだから、仕方のないことだ。この村が有名になったのも、異国語が分かる紡木がいたからというのはもちろんあるだろう。

 紡木は廃れていたその村にとって、救世主のような存在でもあった。

「なあ紡木ちゃん、また異国の人が来たよ」

「えっ、本当? 一日に二組も来るなんて珍しいですね」

「しかもその人は一人で来たと。それから、言葉が通じるんじゃ」

 なんだか変な人が来たと、少し訝しみながら言われた部屋に行くと。

「つ、む、ぎ。こんにちわ」

 ぎこちない挨拶で頭を下げる、忘れたくても忘れられない顔がいた。

「やっと見つけた。探したよツィーゼ」

「あ、もう諦めるんですね」

「うぐ、だって東の言葉は難しいから」

 ばつが悪そうに視線を逸らしたヴィアスに、紡木はなるべく冷たい声を作って言い放つ。

「何しに来たんですか」

 ヴィアスはその声音に負けることなく、寧ろそれを包み込むかのように優しく返した。

「言い忘れたことがあったから伝えに来た」

「何ですか言い忘れたことって」

 めげないヴィアスに対し少し焦り、今度は紡木が視線を外した。でないと、ヴィアスの真剣な眼差しに飲まれそうだった。

「俺実はさ、五年前……と、もう六年前になるか。あの日さ、ツィーゼが襖の奥に隠れてること気づいてたんだ。だけど、ツィーゼのお兄さんが守ったんだ。お兄さんもツィーゼが付いてきてること知ってたんだな。それでさ、妹だけは殺らせないって目で訴えられて、凄く怖かった。けどそれくらいツィーゼは、思われてたんだなって」

「それがどうしたんです。用が終わったなら帰ってください。それとも、私を殺しますか」

 あえてきつい言葉を使う紡木。しかしそれがわざとだということを、ヴィアスは既に気づいている。

「馬鹿なこと言わないでくれ。俺はまだ俺の方が立場は低いと思ってるんだから」

「対等ですよ。やったことは同じですから」

「よく言うぜ。傷口止血するために‘火’の力使って焼いたくせに」

 だんだんと立場が苦しくなり、紡木は意地になる。

「たまたまですよ。私は殺すつもりでした」

「はいはい」

「さぁ早く帰って」

 ヴィアスの腕を引っ張り出口まで連れて行こうとした所で、逆に紡木の体がヴィアスに引き寄せられた。

「あーちょっと待って」

「もう、まだなにかあるんですか」

「一番大事な話が残ってるよ」

 そこでヴィアスは言葉を切り、紡木の前に跪いて手を差し出した。紡木は思わぬ行動に一歩後ずさる。

「ツィーゼ、対等になれたんならさ、これからは一緒に生きないか。ずっとあの日言えなかったこと後悔していた。だから、探し回った。もちろんすでに良い人がいるなら断ってくれて構わない、だから」

 紡木は躊躇いつつも、意を決して差し出されたその手に、自らのそれを重ねた。紡木の美しい顔が、今は真っ赤に染まっている。

「馬鹿な人ですね。殺そうとした人の元に好んで寄って来るなんて」

「理由なんて、惚れてしまったから以外に何か必要かい」

 紡木は、一度呼吸を落ち着けてから、凛として言い放つ。その瞳に迷いはない。これからは、代わりとしてではなく、正し立場で接していける。

「だったら、ツィーゼじゃなくてちゃんと紡木って呼んでください。こちらの言葉だって覚えてもらいますから」

 ヴィアスはこれ以上ないほど微笑んで応えた。

「ありがとう。つむぎ」

 ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。納得のいく短編を書くことができ満足している優華です。

 毎度おなじみ友人とのお題小説。今回のお題は私からで「ずっと代わりを求めていたのかもしれない」です。長いですね。

 そんなわけで、程よくダーク、程よくかわいい作品が書けたのではないかと思っております。相変わらず書きすぎの傾向が見えますが……。「あれは、もしかしてー」的な終わり方をする予定だったのはいつのことやらって感じですね。

 今回はGW最終日(一応今日)までに投稿するというGWお題企画でしたが、無事間に合いまして本当に良かったです。今日四時まで起きた甲斐がありました。

 と、いうわけで、あまりだらだら書いても仕方ないですし(もう十分書きすぎてる)今回はこのあたりで。


 それではまた。


2016年 5月5日(木) 春風 優華

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[良い点] 人として当然持つ憎しみと兄への想い。それを乗り越えるのに、命をかけた強さと切なさ。それを見抜いて、敢えてそれを命がけで受け止めて、尚包み込む大きな心。限りなく強く生きる道を探求してる様に感…
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