まだ寒い春の日のこと
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突然だが我が藤崎家の車は美しい。
当然これでもかと主観が入っているのだが、これは事実なのである。日課である散歩の途中で他家の車を見る度、やはり我が家の車が一番美しく愛されるべきなのだと確信を得るのだ。
さて、そんな美しい車に乗る我が藤崎家は平凡な一般家庭である。
一家の大黒柱である父、寛。
おっとりとした母、恵。
美しい容姿の長女、桜子。
物静かな気性の長男、桂太郎。
社交的で礼儀正しい次女、菊子。
これに愛犬ポッチを加え、五人と一匹で藤崎家は構成される。
しかしながら平凡な家庭にも平凡ながら家庭内の問題というものが存在する。まあ、それを含めて平凡なのだが。
そんな藤崎家だが私は大好きだ。いや、愛していると言ってもいい。
たまにセレブ気取りな高慢ちきな奴等が籠にのって吠えたてて来るが、そんなもの目に入らぬくらいに幸せだ。
本来ならば主観に偏った優劣をつけ、他者と比較し優越感を懐くとは愚か極まりない行為だ。解っていて改めぬ私は全くなんとも救えぬ畜生にも劣る生き物である。
そんな私に天罰でも下ったか。
あの日あの時に起こった不可思議な事態は、やはりと言うべきか皆で車に乗っている時分に起きた。
そうあの日__。
深夜の道路を走る車が一台。
流行りの小さく可愛らしいデザインではないけれど、ファミリータイプの別に珍しくもない型。色は渋い色なのだ。
古い細かい傷があるものの手入れが行き届いているその車は、つるりとした光沢を保っている。大事に手入れされてきたその車は照らす灯りをその身で受け止め、艶やかな光を宿していた。
とても、静かな夜だ。
深夜なのだからと理由をつけても、どこか不安が残る。そんな夜。
五人も人が乗っているのに誰も何も話さない。社内は静まり返り、カーステレオから流れる初恋の調べが白々しく溶ける。
凍えそうだ。
そうなんとは無しにそう思った。
単純なもので、一度そう感じてしまうとぶるりと体が震えた。
「ああ、冷えてきたね。後ろに毛布があるから掛けてあげてくれるかい?」
「ああ」
どうやら私の身体は本当に冷えていたらしい。先程までは初めての遠出に興奮していたため気が付かなかったようだ。季節は春だが夜はまだ冷える。
ごそごそと荷物を探る音を聞きながら結露した窓に頬を寄せる。冷たい。しかし凍えはしない。なぜだ。
はて?と傾げた頭にばさりと布が被さる。毛布だ。
使い古された鈍い色のそれは幼少より使い続けていた代物だ。
あたたかい。溶けそうになる意識の中で素直にそう思った。
「あと一時間あるから眠かったら寝ててもいいぞ」
頭を撫でる手付きはどこまでも優しい。意識がますます溶けていき、このまま完全に溶けてバターや蜂蜜になるのも悪くはないなどと阿呆な事を真剣に考え始めた。その時だ。事は突然に起こったのだ。
「~~~~っ!!」
この場の誰よりも性能の良い耳が声になら無い悲鳴を拾う。いつも穏やかなその声がひっくり返っている事に驚いた。これは一大事と大慌てで柔らかな赤色の海から顔を出すと、なんとも、なんとも奇妙な光景が広がっているではないか!
最初、私はそれを羽虫の群だと思った。
あれは光る羽虫の群なのだと。
だが違う。
羽虫の群れを葡萄色の車が掻き分けるようにして進む頃になると、羽虫に見えたそれが小さな文字なのだと解った。
「ちょっと!なにあれ!なに!なんなのっ!?」
「車!車止めてっ!」
「止まってる!勝手に進んでるみたいなのっ!」
メーターは零を指していた。
しかし車は進み、青色と緑色の極小の文字の群をぴしりぴしりと嫌な音をたてながら撥ね飛ばす。
私はこの時、この美しい葡萄色を押し潰さんとする青色と緑色の文字を見て強い違和感を覚えた。
可笑しい、何故自分は__。
バキン!
大きな音を聞いた。この状況では間違いなく不吉な音だ。なんということだ!葡萄色が悲鳴をあげている!
「おちつけ……おちつけ……」
気が付けば私は込み上げる感情のままに声をあげていたようだ、隣の席から宥める様にすがる様に背を撫でられ我に返る。これはいけない。獣が故に自我を忘れやすい私だが、獣で有るが故にけして自我を忘れてはいけないのだ。
「おちつけ、大丈夫、おちつけ……」
しかし習性とは不思議な物で、撫でられ囁かれる度に心が落ち着いていった。この時ばかりは単純な自身に感心した。
そして、一瞬。ほんの一瞬気が緩んだ。それがいけなかったのかどうなのか。
その一瞬で窓いっぱいに走る白い線。
壊れる。
その言葉が脳裏に浮かんだのと、大きな身体が私に被さってきたのは同時だった。
私は庇われたのだ。
その大きな身体の下、暗くなった視界の中で抗議の声をあげるも、それよりも大きな悲鳴と衝撃でかけ消された。
こうして、皆の悲鳴と相変わらず暗い視界を最後に、我々はこの世のモノではなくなったのだった。
まだ少し肌寒い、春の日のことだった。