序章3
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今日もいつも通りのバスに乗り、登校する。久々の午後からの授業で危うく寝坊するところだった。昨日の内に宿題も予習も必要な道具も揃えていたから、あとは制服に着替えてご飯を食べて家を出るだけだ。鏡を見ながら少し茶色が混ざる長い黒髪を2つに結んで前髪を整え、制服が汚れていないか、シワになっていないかチェックする。…これでよし。少女は安堵のため息をつき「いってきます」と一声言ってカバンを持ち、玄関の扉を開けた。
少女の名前はプリローダ。両親と姉2人の5人家族である。母親は司法書士、父親は大学講師というエリートな家庭に生まれたからなのか、姉妹3人そろって昔から勉強に困ったことはなかった。一見とても厳しそうな家庭だが、実際のところはそこまでではない。どちらかといえば放任主義だ。母親は母親で、父親は父親で自分のことでいっぱいいっぱいなのだった。家にいる時間もそこまで長くはない。そのため中学の時から家事全般は姉妹で協力してやっていた。成績に関しても「この調子で頑張りなさい。あなたはできる子なんだから言われなくてもできるでしょう?」、進路に関しても「お前の好きなところにしなさい。自分の道は自分で切り開くものだ」と言われるだけだった。叱られるときはマナーなど基本的な事に関してだけだ…そのため小学校高学年から怒られた記憶が彼女たちにはなかった。
プリローダもまたルーチェ聖学院に通っている2年生だ。2年生の中でいつも学年トップを争うレベルの人物。しかし彼女は運動が苦手で長距離走るのはもちろん、腹筋や腕立て伏せも少ししかできない。運動よりも家にこもって読書をしたり勉強したりするほうが彼女は好きだった。
バス停にたどり着き、時計を確認する。バスが来る3分前…ちょうどいい。彼女は家の位置的に都心の駅前から出るスクールバスを使うより普通のバスで通ったほうが近かった。普通のバスを使うこの学校の生徒はそこまでいないため彼女はこのバスを利用する学生の顔をほとんど把握している。…今日もいつものメンバーだ。エンブレムの色からして1年生が1人と同じ学年が2人、3年生が2人といったところだ。今日はそこまでバスが混んでいなかったのでいつもならあまり座れないのだが一人がけの座席に座ることが出来た。彼女はカバンから単語帳を取り出し黙読し始めた。
自分の乗るバス停から4つ先が一番学校に近いバス停になる。いつも降車ボタンは誰かしら押してくれるので彼女は単語帳を見るのに集中している。しかしテストが近くなると学校の玄関が開く時間に合わせてバスに乗るので学校前のバス停で降りるのは彼女一人だけ…その時だけ単語帳から目を外し降車ボタンを押す。
殆ど信号がないためスムーズにバスは進み、約7分で目的のバス停に到着する。今日も他の人にボタンを押すのを任せ、バスが停車するのを確認するとサッと単語帳をカバンにしまい運賃を払ってバスを降りる。同じ学年の人はあいにく挨拶をかわす関係ですらない。プリローダは友達が少なく、親友と呼べる人物が同じクラスに1人、違うクラスに2人いるくらいだった。部活にも所属しておらず、ひたすら読書と勉強に徹していた。その親友といざ一緒に帰るとなってもバスの関係で校門前でお別れ。周りの人から見たら遠ざけられる存在だった。
「おはよう、ローダちゃん」
席についた途端彼女は声をかけられた。そう、声をかけたのは数少ない友達…セルバ。プリローダの最後の”ローダ”の部分をとってローダちゃんと呼ばれている。セルバはとても可愛らしい子でまるで童話の世界から抜け出してきたような…お人形のような女の子。気弱な性格で、声も少し小さい。彼女もまた友達が少なかった。
「おはよ、セルバ」
そう返すと早速プリローダは午後1つ目の授業準備を始めた。プリローダとセルバの席はそこまで近くはないので、いつもセルバが彼女のもとにきて話をしに来る。
「ねぇローダちゃん聞いてよ、ここだけの話!」
「…ここだけの話?」
「うん…実はね…」
セルバは一昨日、不審な人物をに声かけられた。なにやら紙を持った男3人が校門前付近で学院生に声をかけていたらしく、それを見た彼女は人目に紛れて避けようとしたのだが避けきれず自分も声をかけられた。「アンケートに協力してもらえませんか?」とのことだったが怪しくて、怖くて、走って逃げその場を後にした。追いかけてくることがなかったのでその時は一安心した。
そして昨日の下校時、また校門前であの男3人組を見た。また声をかけられるのではないか…と思ったのだが男3人はそれぞれ違う学院生に声をかけていたために自分に声がかかることはなかった。しかしちょうどよく1人の男が用が済んだのか自分の近くにやってきていた。やばい、これはまた声をかけられる。しかしその男は声をかけてはこなかった。その代わりため息とある言葉が吐き出された。
『…くそっ!”選ばれし者”はどこだ……』
セルバは何を言ってるのかさっぱり分からなかった。とりあえずまた昨日みたいに気づかれて声をかけられるかもしれないと思い早歩きでその場を離れた。
「…変な人だったよ、本当…。なんなんだろうね」
「うーん…確かにそれは…不審者だね。先生か誰かに言ったほうがいいかもね」
「うん、だから私今日の放課後にでも先生に言ってみようかなって」
「それが一番かも。もしかしたら誘拐…なんてこともあるだろうし」
「そうだよね…。それにしても、なんていう意味だったんだろう…アポストロス?って…」
その時授業の始まるチャイムが鳴った。セルバはそれを聞くと「じゃあまたあとで!」と言って慌てて席についた。
――――アポストロス。
プロリーダにはその意味が分かる。その意味とは『使徒』、いわば神の使いというわけだ。
これは決して勉強ができるから分かるという事ではなく、あることがきっかけでその単語の意味を知ったのだ。そのきっかけとは小学校6年生のときまで遡る。
プリローダはある日高熱にうなされ学校を休んだ。ちょうど父親が大学自体が休みだったので家にいたため看病してもらっていた時。夢か現か、声が聞こえた。『あなたにしかできないことがある…』女性の声だ。優しく、どこか威厳のある声が、小さく聞こえた。
「お父さん……いま、誰か女の人喋った…?」
「何を言ってるんだプリローダ。いまはお前と私しかいない。テレビもラジオも何もかけていないぞ」
「そっか…。きっと風邪で頭がおかしくなっちゃったのかな…」
「ゆっくり休みなさい、そしたらそんなも聞こえなくなる」
「そうだね、お父さん……おやすみなさい」
父親の言う通り、寝ればこんなものは聞こえなくなる。彼女は目を閉じ、眠りについた。
…どれくらい時間が経ったのか。目の前が白い世界に包まれた。遠くに草原がある。彼女はその草原を目指して走った。草原に近づくと可愛らしい小さな妖精が彼女のもとにやってきた。挨拶するかのように頬にキスをして。…とても気分がいい。楽しくなってきた。彼女は草原に足を踏み入れた。すると自分の立っている周りに色とりどりの花が咲いた。凄い…!自分が歩く場所に綺麗な花が咲く!プリローダはその草原を駆け回った。自分も妖精になった気分だ。
駆け回るのに疲れて彼女は草原に寝転がった。同じように妖精も彼女の隣に寝転がった…と思いきやどこかへ飛び去ってしまった。不思議に思ったプリローダは起きあがり左を見た。そこには見知らぬ女性が立っている。先程いた妖精もそこにいる。
プリローダは口を開けたまま女性を見つめた。美しい髪の長い女性。白い布の服をきている。手には魔法使いが持っていそうな素敵な杖を持っている。
『ようこそ、お嬢さん』
「……お姉さん、だぁれ…?」
『私の名前はフレイヤ。あなたの名前は…プリローダちゃんよね』
「…なんで私の名前を知っているの?」
『ふふふ…、私はね、なんでもお見通しなのよ』
女性は優しく微笑み、プリローダに近づいた。そしてしゃがみこんで手を握った。とても温かな手だ。
『まだあなたは小さくて分からないかもしれないけれど…物分かりがいいあなたならきっとすぐに理解してくれると思うわ』
「……?」
『私は、あなたに眠っている才能の持ち主なの』
「わたしに、ねむってる……才能?」
プリローダは瞬きを繰り返した。突然現れて一体何を言い出すのか。そんな彼女の様子を見てクスクスと笑いだすフレイヤという女性。
『そうね、ちょっと順番が入れ違いになっちゃったかしら。大丈夫よ。いずれ何もかもわかるわ』
「…フレイヤさん、何が言いたいのか私…」
その時、その楽園のような世界は崩れた。
ハッと目を覚ますと既に夜で、姉たちがご飯を作っている音が聞こえた。
…あの夢は一体なんだったのだろうか。まるでその夢に続きがあるような物言いだと思った。プロリーダはご飯を食べ、もう1度眠りについたのだが夢の続きを見ることはなかった。その後、夢を見たとしても全くそれとは関係のない夢だった。
しかし中学2年生の時、ある夢を見た。
その夢は景色も何もない、ただ声だけが聞こえる夢だった。遠くのほうから女の人の声がした。『あなたにしかできえないことなのです……』という言葉が繰り返し聞こえる。それもだんだん声が近くなってくる。
『あなたはフレイヤという人物を知っていますか。…絶対に知っている事でしょう、今はもう忘れたことかもしれませんが。あなたは随分大きく成長しました。今ならきっと理解してくれることでしょう。…フレイヤは少しせっかちなところがありまして、私があなたに先に伝えなきゃいけない事があったのに、彼女がそれ飛ばして一人で話してしまうものですから…混乱したことでしょう。ただこれで全てが分かることでしょう。
あなたは神を信じますか?信じる、信じない、どちらを答えても私は怒ることはないです。しかし信じてみてほしいのです。信じた上でこのお願いを聞いてほしいのです。
始まりがあるものはいつか終焉を迎えます。しかし終わりは新たな時代の幕開けを意味します。…この世界もいつかは終わります。これは変えられぬ運命なのです。我々でも、どう頑張ってもこの運命は避けられないでしょう。世界は終わり、新たな世界が始まります。しかし…それを阻もうと企むものがいるのです。その”新たな世界”をも潰し、混沌とさせようとする者が私には見えるのです。運命をあらぬ方向へ導こうとしている者が見えるのです。
…そこでぜひあなたにはこの”災い”をとめていただきたいのです。我々に力を貸してほしいのです。これはあなたにしかできえないことなのです。きっとあなたならすぐに気が付いてくれるでしょう。内なる力を、フレイヤが与えた力を、あなたならすぐに覚醒できると信じています。
そしてその”災い”をとめるヒントが、ルーチェ聖学院という学校にあります。そこに入学しヒントを集めてほしいのです。
これは、あなたにしかできえないことなのです。…どうか…我々を助けてください…』
だんだん声がフェードアウトし、気づいたらその夢は終わっていて目が覚めた。
…またおかしな夢を見たもんだ。いや。夢の続きを見たんだ。プリローダは覚えている限りで夢の内容を思い出した。
夢の中の女性はフレイヤを知っていた。そしてそのフレイヤが私と話したことも知っていた。あれから2年たったことも知っていた。…そして”力”について語っていた。フレイヤという女性も確かそれに似たようなことを話していた。
内なる力。フレイヤという人物が私に与えた力。しかしそれが何なのかは分からない。才能?勉強が他の人よりかはできるところ?人よりも本を読んで理解するスピードが早いところ?才能が一体何を指示しているか分からない。理解できるだろうと期待されても困ると彼女は思った。それと同時に「なんでこんな夢ごときに考え込んでいる自分がいるのか」とも思った。
とりあえず学校に行く支度をせねば、と彼女は気持ちを切り替えてベッドから起きあがり服を着替えた。プリローダは中学の時私服が許される学校に通っていたので、大事な式が無い時は基本的に私服で通っていた。朝ごはんを食べ、顔を洗い、歯を磨く。髪を結び、前髪を直し、鏡で全体をチェックする。忘れ物がないか最後確認してカバンを持って玄関へ。靴を履いてさぁ扉を開けよう。
…その時、彼女は目を見開いた。
靴を履いて扉を開けようとドアノブに手をかけようとしたとき、ゆっくりとドアノブがガチャリとまわり扉が勝手に開いたのだ。誰かタイミングよく入ってきたのかな、と思ったのだがよく考えてみれば鍵がかかっているため身内じゃないと開けられない。それに外を見てみると誰もいない。…何が起こった。私は夢をまだ見ているのか。プリローダは自分の頬をつねってみたが、どうやら夢ではないらしい。
「…プリローダ?どうしたの、そんなところに突っ立って」
一番の上の姉に声をかけられてハッとした。「なんでもないよ、いってきます!」と言うと慌ててドアを閉め、学校に向かった。
…プリローダちゃん。
ようやく気付き始めたんだね。
これがあなたの力の1つよ。そりゃすぐには理解しがたいとは思うけれど。
でもこんなものはちょっとしたマジックに過ぎないわ。
あなたにはもっともっとすごい力があるわ。何たってこの私、フレイヤの力ですもの。
あなたならうまく使いこなせるわ。いつか、必ず。
本当の力を使えるようになるわ。
~To Be Continued…~