ボクらは褒めてもらいたい
鉄道研究部の顧問は3人おり、少し触れておきたいと思う。
図書室の司書は木下典子さんという名前の若い女性だった。
司書を先生と呼んでいいのかどうかは分からないのだけど、他に表現の仕方が思いつかないのでここではとりあえず『先生』と表記することにする。
彼女は20代後半ぐらいで、家庭があり、どうやら小さな子供がいたようだった。
目元は切れ長で黒縁のメガネをしており、肌も白く美人だったのだが、いかんせん気が強く、工業高校のバカな男子生徒のセクハラ発言にいつもものすごく怒っていた。
そしてそんな彼女は鉄道研究部の顧問だった。
木下先生は基本的に短気な人だった。
いつもなにかにイライラしている感じで、笑った顔はあまり見たことがなかった。
いや……これに関してはボクの記憶によるものなので、たまには笑顔を見せることもあったのだろうけど、笑わない印象が強い先生だった。冗談が通じないというイメージはないのだけど、冗談を言っても軽く受け流されるので、積極的に話したいと思う先生ではなかった。
それでも、一応共学ではあるものの、男しかいない工業高校においては、たとえ先生であったもそこそこ若くて、美人とまではいかなくてもそれなりの外見をしている女性がいれば、生徒はいくらでも寄ってくる。ちなみに女子高出身のかみさんに聞いたところ、やはりその逆もあり得るらしい。
そこには恋愛じみたものはないので、実に不思議な現象だと思う。
ボクはそんな不思議な現象にあまり惹かれなかった。
というのも、鉄道研究部の顧問として、ボクは彼女にいろいろ言われることが多かったからだ。
特にスイッチバックの中身が薄く、ページ数が稼げていないことに関しては、いつも嫌味を言われていた。中身の記事についてや、表紙の関係のない魔女っ子の絵に関しては何も触れてこないのはせめてもの救いだったが、それでも図書室に置くスイッチバックを受け取った時に表紙とその薄さを一瞥してからため息をつかれては面白いわけもない。
あまりに悔しいので、一度、後輩たちと話して100ページ近くのスイッチバックを作って持って行った時があるのだが、苦労して記事を書き上げてかなり分厚いものを持って行った割には、彼女の反応はあまり良くなく、ため息はないものの、『あ、今回はちょっと分厚いのね』ぐらいの反応だったので、一気にやる気が失せたのが記憶に鮮明に残っている。
さて……。
木下先生に怒られることが多かったのは、当然、部長である保田くんだ。
まあ、スイッチバックの原稿をいくら書いてこないとはいえ、ボクは当時、保田くんと同級生であり、同じ高校生だったからそんなには怒ることもなかった。
しかしこれは相手が同級生だから笑って済ませることができる事柄であり、顧問の先生にやってはいけないことである。しかも優しい先生なら『早くやれよ』程度の言葉で済むかもしれないが、木下先生のようにいつもイライラしている感じの先生にやるというのはもう『怒ってください』と言っているようなものである。
保田くんだけでなく、ボクも怒られることがあった。
ある日……放送部と合同で電車内での車椅子における移動についての取材をすることになった。
それは、その取材当日の話のことである。




