第六話
「初めまして。フレデリック・ガーランドと申します。突然の来訪をお許しください」
訪ねて来たのは四十代半ばほどの紳士だった。
「いえ、かまいません。初めまして。お初にお目にかかります。アーシェラ・ロッテンブルクです」
「――なるほど、確かに灰色の髪ですね」
初対面の人間にいきなり髪色のことを言われて少々面食らったが、アーシェラは膝を折って挨拶した。
「あの、用件とは何でしょうか・・・・?」
伯爵に席を勧め、訝しみながら、アーシェラはフレデリックを見た。
「では、手短に説明しましょう。王子の花嫁探しの舞踏会が開かれたことは知っていますね。噂は耳に挟んでいるかもしれませんが、グレン王子がとある女性を探しているということは?」
あの時の女性のことだろうか。それと自分が何の関係が?と疑問が浮かぶ。
「はい。存じております。あの、それでなぜ私に?」
フレデリックは説明を始めた。
先日の舞踏会で、グレン王子はある女性と出会った。素性も、名前すら知らない、灰色の髪の、美しい十七、八歳くらいの少女。
真夜中になり慌てた様子で姿を消した少女を、王子はずっと探していたが見つからない。
あの日の舞踏会の出席者名簿と年齢、そして髪の色を調べたところ、やっとそれらしい令嬢に該当する人物を見つけることができた。
「普段は王都にもおらず、夜会にもほとんど出席していなかったようで、かなり時間がかかりましたが・・・・。アーシェラ殿。貴女がその令嬢ではないですか」
「・・・え?」
何を言われたのか解らなかった。
「え・・・あの、すみません。どういうことが解らないんですが・・・」
それだけどうにか絞り出したが、なぜそうなるのか解らず頭は混乱したままだ。
「招待客の名簿からその条件にぴったり当たる人間は貴女しかいなかったのです」
青天の霹靂。
「ちっ違います!私ではありません!」
考えたことも無いことを言われ、慌てて否定する。
いくら似たような人間がいたからといって、それだけで本人と結びつけるとは如何なものか。
「ええと、すみません・・・・私、人違いだと思うんですが・・・・」
「ですが、条件に当てはまる令嬢は貴女だけだったのです。その髪色はこの国ではあまり多くはありませんからね。それに、一つだけ確かな手がかりをその令嬢は残していっているんですよ」
「手がかり?」
「これです」
そう言って、フレデリックは脇に置いてあった小さな箱をテーブルに置いた。
蓋を開けた中身は―――
「まあ・・・ガラスの靴ですね」
箱の中には美しいガラスでできた靴が片方だけ入っていた。
「この靴は、その令嬢が残していった靴だそうです。これがぴったりなら、貴女がその令嬢だ」
「そんな・・・確かに舞踏会には出席しましたけれど、私は王子様を遠くから拝見したことはありますが、直接お話したことはありません」
あくまで違うと否定しているのに、伯爵は納得していないらしい。
「では、この靴を履いてみてください」
「ええ?」
フレデリックはガラスの靴をアーシェラに差し出した。
華奢なそれは女性にしても小さく、小柄な女性が履いているであろうということを思わせる。
違うと言っているのに、相手は何故か納得してくれなかった。どうやらアーシェラが自分ではないと偽っていると思っているようだ。
(どうして話を信じてくれないのかしら・・・!!)
「違うというのならばこれを履いてみてください。それで私は納得しますから」
やや有無を言わせないような様子に、アーシェラはついに観念することにした。納得してもらうには方法が無い気がしたからだ。
「――わかりました。これで、私ではないということを納得していただけるのでしたら」
伯爵は少しホッとした様子で、笑って頷いた。
「ええ。では、お願いします」
小さな靴は本当に華奢で、少しの衝撃ですぐ壊れてしまいそうだ。こんなものを履いて本当にダンスができるのか。痛くて無理なんじゃ・・・と思いながら、アーシェラは椅子に座って履いているヒールを脱いだ。
今日着ている服はドレスではなく、ブラウスにスカートという簡素な装いである。裾を上げて他人の――異性の目の前で靴を脱ぐなどはしたなくてできるものではないが、今日の服なら足元は見えているのでそれほど抵抗は無い。
「失礼します・・・・」
メイドに手伝われながら、アーシェラは靴に足を差し込んだ。
「―――やはり!!」
「え・・・・・」
「まあ、お嬢様!!」
靴は、抵抗なく、まるでアーシェラの足の為に作られたかのようにぴったりだった。
「やはり貴女だったのですね!なぜ自分ではないと言い張ったのですか!」
「えっあのっ本当に違います!偶然です!」
慌てふためくアーシェラの言葉を聞かずに、伯爵は「こうしてはいられない」と言い、子爵家の執事を呼ぶようメイドに命じた。
「あの、伯爵様!確かに私は灰色の髪で舞踏会に参加していて、偶然にもこの靴が合ってしまいました。でも、本当に違うんです!」
「そうかもしれない。けれど、今の私がそれを確認する術はない。私は王子の命で令嬢を探していたのですから。だが、やっと条件に当てはまる女性を見つけたのです。本人かどうか、最終的には殿下に確認してもらわなければ」
王子に直接会うなど、気が遠くなりそうなことだった。普通の令嬢なら喜び頬を染めるかもしれないが、アーシェラは会うなんてとんでもないと思っている。
条件に偶然当てはまってしまったとはいえ、アーシェラは自分ではないということが解っている。
けれど、伯爵は納得しない。
伯爵が執事に告げた言葉に、アーシェラはぎょっとしてしまった。
「これから彼女を城へとお連れさせてもらう。至急準備をするように」
「お、お待ちください!せめて、叔母が戻るのを待ってください!」
「申し訳ないがそれはできません。見つけたらすぐ、と命令されておりますので」
きっぱりと言い渡された言葉に何も言えなくなる。
呼び出された執事も、王宮からの使者の言葉には逆らえない。
困惑しながら、伯爵に頭を下げて、メイドにアーシェラの準備をするよう命じた。
登城の身支度を整えられながら、アーシェラはぐるぐると混乱していた。
「奥様が戻られましたら、話をしておきます。お嬢様、今は申し訳ありませんが・・・」
執事に頭を下げられ、アーシェラも青くなりながら頷くしかない。
身支度が整えられると、アーシェラは伯爵の乗ってきた馬車に乗せられた。
わ、私、人違いなのに・・・・!!
王城が近くなるにつれ、アーシェラは今すぐにでも馬車を飛び下りたい気持ちになっていった。
立派な王城に到着し、馬車から降りるとアーシェラは足がすくんでしまった。
ずらりと並ぶ衛兵。見上げても上が見えないほど高い建物。
遠くから見るのとは違い、昼間の王城には圧倒されるものがある。
「こちらでお待ちください」
「は、はい・・・」
城勤めの侍女に案内されたのは立派な客間だった。
伯爵とは城の入り口で別れた。
震える足を叱咤しながら、アーシェラは小さく縮こまってソファの端に座る。
(ど、どうしましょう…!!人違いなのに、のこのこお城に来て、不敬罪だと言われてしまったら・・・お父様っお母様!!)
無理やり城に連れてこられてしまったが、来たという事実は間違いない。
身分の低い自分がこんな場違いな場所に来てはいけないのに。
震える手を握りしめ、アーシェラは時間が過ぎるのを待った。
ふいに部屋の外に人の気配を感じた。
アーシェラはびくりと身を強張らせ、扉を見た。
ノックされ、扉が音を立てて開かれた。
「っも、申し訳ございませんっ!!私、人違いでなんですっ」
相手が入ってきたのと、声を発したのは同時。
アーシェラは立ち上がって深く頭を下げた。
「・・・君は・・・・」
アーシェラはぎゅっと目を閉じたまま、頭を上げることができなかった。