第三話
ふと窓の外を見ると、どこまでも青い空が広がっている。
見慣れた領地の長閑な景色ではなく、見下ろした眼下には華やかな王都の街並み。
舞踏会の夜から一週間が経った。
アーシェラは叔母であるスザンナ・ハーウェイ子爵のタウンハウスに滞在していた。
屋敷の一室のソファに座り、白いハンカチに刺繍で様々な模様を描いていく。
色とりどりの花や蝶々。犬や猫や鳥。様々なモチーフが少女の細い手から次々に生み出されていく。
貴族は普通、慈善活動をしている家が多い。
ロッテンブルク家も同じく、領地内で小さいながらも孤児院を経営しており、アーシェラは孤児院の子供たちに本を読んだり刺繍を教えたりしている。
このハンカチは子供たちにあげるものであり、一つとして同じデザインのものは無い。
子供たちの喜ぶ顔を思い浮かべ、アーシェラは領地を想った。
本来王都に来た目的は舞踏会で、それも終わった今すぐに帰るるもりだった。
しかし、子爵夫人に「せっかく王都に来たのだから暫く滞在して年頃の若い娘らしい生活を送りなさい!」と言われ、引きとめられてしまった。
夜会だけは断固拒否したが、毎日町へ連れ出され、新しいドレスや小物を買い、それを身に着けて叔母の友人の屋敷のお茶会に赴く。
唯一観劇だけは好きだったが、それでも人の多い場所は苦手である。
叔母は美人で、昔から恋多き女性であった。
今でも時折ハーウェイ子爵とは別の男性と出かけているらしい。正直眉を顰める所だが、ハーウェイ子爵自身も別の女性と懇意にしているらしく、お互いにそれは暗黙の了解で、不思議と夫婦仲は決して悪くない。
結婚とは、お互い好きな者同士がするもので、愛人を囲うなどアーシェラには想像がつかないものであった。
スザンナはアーシェラの母の姉で、二人はあまり似ていない。
スザンナは華やかな美人で、ロッテンブルク夫人は控えめな女性であった。
姉妹の仲は良いが、妹が田舎の領地でどうして満足できるのかだけは理解できないらしい。
それゆえに、姪であるアーシェラには女性に生まれたからこその楽しみを知ってもらいたいと、積極的に人前に出したがるのだった。
(私は今のままの生活で十分なのだけどね・・・)
いつか、両親のようにささやかだが愛のある幸せな結婚をしたい。
それがアーシェラの望みだった。
今日はめずらしく、ハーウェイ夫人はアーシェラを連れずに出かけている。
アーシェラは久しぶりに屋敷でゆっくりとしていた。
舞踏会の後、様子のおかしいアーシェラに叔母は何があったか聞きたがったが、アーシェラは「何も」と言葉を濁した。
実際何もなかったが、アーシェラは見知らぬ男性とあれほど近づくことに慣れておらず、百合の花を見るだけで黒髪の男性のことを思い出してしまう。
ただ、髪に飾っていた百合を拾ってくれただけなのにとは思うが、アーシェラにとっては十分顔が赤くなる出来事であった。
幸い叔母は深くは追及してこなかったことに少し安心した。
外へ連れ出されることには少々辟易していたのだが。
あれから第二王子が伴侶となるべき女性を見つけたという噂が王都を流れていた。
お茶会では専らそれが話題の中心であり、どこの令嬢なのかと様々な憶測が飛び交っているが、未だその名前は出てこない。
あの時の女性かしら、とアーシェラは帰り際に出会った灰色の髪の女性を思い浮かべた。
白に近いアーシェラの髪より濃い色で、艶のある少し青みがかったライトグレーの髪の美しい少女。
王子はきっと彼女を探し、婚約発表の準備をしているのだろうか。
ぼんやり考えながら針を動かしていると、コンコン、と部屋をノックされる音が耳に飛び込んできた。
「失礼いたします、アーシェラ様。奥様から伝言が届いております。それと、今から湯浴みをお願い致します」
「湯浴み?まだ陽は高いのにどういうこと・・・?」
突然のことに驚きながら、年嵩のメイド長から伝言の書かれた手紙を受け取り、その内容に目を見張った。
手紙には今夜開かれるオレガノ公爵家の夜会に参加することの旨が記されていた。
公爵家には一人息子がおり、隣国に留学していたが、数日前に帰国したという。
今夜はその帰国祝いとして、夜会を開くらしい。
「さあお嬢様、準備をお願い致します」
「え、待って・・・ええ?」
有無を言わさず追い立てられ、アーシェラはメイド長と部屋の外に待機していた若いメイドに浴室へと連れていかれた。