第二話
話は少し前に遡る。
この国は、ここ数百年は戦争も無く、隣国とも良好な関係が続いているので、王族の結婚はわりと自由である。
この国には王子が二人いる。
どちらも王を助け、統治者として素晴らしい能力を持ち、臣下からの信頼も篤かった。
第一王子にはすでに妻がおり、仲睦まじい様子は国中に広まっている。また、先日王子妃懐妊と発表され、国民はそれを盛大に祝った。
しかし、今年二十三になる第二王子は、一向に伴侶を持つ様子が無かった。
平民にとっても当然のことだが、結婚は王族、貴族にとって当然の義務である。
特定の相手を決める様子の無い王子に、王は望むならば誰でも参加できる舞踏会を開いた。
そこで王子が伴侶を見つけることができれば、と思ったからだ。
貴族平民関係なく、多くの娘たちがめいいっぱい着飾って煌びやかなホールに集まっていた。
シャンデリアは淡い光を照らし、色とりどりの花が優しい香りを辺りに充満させている。
ほとんどの女性は王子目当てに会場に来ていた。
だが、中には単純に城の舞踏会を体験しに来た者。いつもは遠くからしかお目にかかれない王族を近くで一目見ようと来た者。王子と同じく伴侶となる女性を探しに来た者など、様々な人間と思惑が集まっている。
誰でも参加できるとは言ったが、当然不審な人間が入り込まないように厳重な入場チェックがあり、会場の至る所に護衛騎士達がひっそりと配置されていた。
結婚適齢期の少女たちは、第二王子を探しつつ、舞踏会の雰囲気に酔っていた。
真夜中に近くなってくるころには、皆が輪になって踊り、その盛り上がりは最高潮となっていた。
だが、主役である第二王子の姿はなぜか無く、王の命令で従者たちは密かに王子を探しまわって奔走していた。
そんな会場から離れたカーテンの影にある一人掛けのソファに、一人の少女がひっそりと座っていた。
薄い灰色の髪はゆるりとまとめられ、白い百合の花が飾られている。
ぱっちりとした二重に縁どられた瞳は菫色。
白い肌に映えるように、ドレスは華美ではないが少女の楚々とした雰囲気に合う淡い水色。
少女の名前はアーシェラ・ロッテンブルク。
貴族の名前にかろうじて引っかかっているくらいの辺境のロッテンブルク男爵の一人娘である。
「はぁ・・・・」
少女の愛らしい唇から、溜息が漏れた。
アーシェラは夜会が苦手だった。
元々男爵家は国の外れにあり、目立った観光地も特産品も無いが、のんびりとした風土の土地である。
両親共にのんびりした性格で、アーシェラもダンスを踊るより、お気に入りのソファで読書をしたり刺繍をしたりといったことを好んでいた。
第二王子の伴侶選びの為に開かれた舞踏会。
ロッテンブルク家にも当然招待状は届いたが、舞踏会に興味も無く、第二王子とも縁など皆無なのでアーシェラは参加しないつもりだった。
両親もアーシェラの意見を尊重し、結婚適齢期の娘だが「お前のペースでゆっくりと相手を見つけたらいい」と言ってくれた。
貴族と言えば政略結婚も多いが、アーシェラの両親は恋愛結婚で、いまでも仲睦まじく、アーシェラも両親のように好きな相手と幸せな結婚生活を送りたいと望んでいた。
けれど、世話焼きのアーシェラの叔母が、それではいけないと言って舞踏会に参加の返事を無理やり出してしまった。
「アーシェラ!!あなたももう十七歳。結婚してもおかしくない年なのですよ。第二王子殿下と必ず結婚しなさいと言っているわけではないわ。ただ、夜会に全く参加しないままではいけないでしょう?お城の舞踏会に行って、色んな殿方と出会ってきなさい!!」
王子の伴侶探しといっても、他の男性がいないわけではない。
女性と違い、男性は貴族や裕福な商家の人間ばかりが参加しているが、中には王子と同じく伴侶を探している者や、自分の息子の結婚相手を吟味しに来ている貴族もいる。
王子の伴侶を見つけることがメインだが、要するに王家主催の若い男女の出会いの場のようなものであった。
「はぁ・・・」
何度目かわからないくらいの数の溜息。
会場の熱気と、人の多さでアーシェラは少々人酔いしていた。
会場に着いて早々、アーシェラは目立たない様壁の花となるべく身を潜めた。
舞踏会が終わる前に帰ることもできたが、アーシェラの叔母は真夜中まで迎えを寄越さないと言って帰ってしまった。
舞踏会の為に王都に出てきていたアーシェラは、王都にいる間は叔母の屋敷で厄介になっている。
一人で帰ることもできず、目立たないよう時間まで隠れていることにしたのだった。
舞踏会が始まってすぐ、遠くから第二王子を見ることができた。
金髪碧眼の、見目麗しい男性。
会場の娘たちは、ほぅ、と感嘆の溜息をついたが、アーシェラは「やっぱり自分とは無縁のお方だわ」と思っただけだった。
アーシェラは自分の髪の色にコンプレックスを持っていた。
ゆるく癖のある薄い灰色の髪はどんよりとした曇りの空のようで、明るい色のドレスが似合わず、いつも同じように地味な色合いの服しか着ることができなかった。
そんな自分が、陽の光のように美しい金色の髪のそばに立つことなんて絶対できない。
会場には美しい少女たちがたくさんおり、王子はこの中の誰かと結婚するのかしらとぼんやりと思った。
時計を見ると、あと十数分で真夜中の十二時に差し掛かろうという時間だった。
少し睡魔を堪えつつ、熱気でぼんやりしてきた頭をすっきりさせようと、ひっそりと静まったバルコニーに出た。
ひんやりとした風が心地良く、アーシェラの髪がそよ風に流れる。
「あら・・・」
ふと眼下を見下ろすと、見事な庭園が広がっている。
そして、庭園に控えめに灯されている灯りと満月の光の下、人影が見えた。
「!」
今日の主役のはずである第二王子だった。
そして、王子に手を取られ舞う、遠目にもわかる美しい少女。
顔ははっきりとわからなかったが、二人はまるで恋人のように寄り添い、会場から流れる音楽に合わせて踊っていた。
まるで月の光の下で踊る妖精と恋人のよう。
物語のような光景に、先ほどとは違ったため息が出た。
(いけない。こっそり見ているなんて失礼にあたるわ)
気付かれないよう、アーシェラはそっとバルコニーを離れた。
アーシェラが会場の隅に戻ると真夜中の鐘が鳴った。
そろそろ舞踏会も終わりだろう。
叔母の屋敷からの迎えが来ているだろうと思い、会場を抜け出した。
角を曲がりかけた時、急に飛び出してきた人物にぶつかり、「きゃっ」とアーシェラは尻餅をついた。
「ごめんなさいっ大丈夫ですか!?」
顔を上げると、灰色の髪の美しい少女が目の前に立っていた。
アーシェラより暗い灰色の髪と、深い青いドレス。透き通るような白い肌に柔らかそうな頬。薔薇色の唇。青い瞳。
(きっとさっき王子殿下と踊っていた方だわ)
アーシェラは気づいたが、慌てている様子の少女に心配をかけないよう「大丈夫です」と言って立ち上がった。
「急いでいらっしゃるのでしょう?私は大丈夫ですから、行ってください」
「っ・・・すみませんっ」
少女は深く腰を折り、身を翻して去って行った。
急いでいるのには事情があるのだろう。
深く追求することはせず、アーシェラはドレスの裾を叩いて直した。
まだ帰る人間は少ないらしく、アーシェラはもう二度と来ることは無いであろう城の回廊をゆっくりと鑑賞しながら歩いていく。
回廊の至る所には素晴らしい絵画や彫刻があり、アーシェラの目を楽しませていった。
ふと開いている窓から、先ほどの庭園が見えた。
庭園には薔薇が咲き誇っており、まるで秘密の迷路のように入り組んでいるようだった。
「あ」
突然強く吹いた風に、髪に飾っていた百合の花が落ちた。
拾おうと振り返ると、いつの間にか背後に立っていた人間に驚き固まる。
「今晩は、お嬢さん」
低い、耳に心地よい声。
アーシェラより頭一つ半は背が高い。
黒髪はきっちりと撫でつけられ、柔らかな雰囲気の第二王子とは違い、整った精悍な顔立ちに切れ長の深い海の色の瞳。
すらりとした体に似合う、深い藍色の夜会服が良く似合っている青年だった。
実は異性が苦手なアーシェラは、内心びくびくしながらドレスの裾を持ち上げ、淑女としての礼をした。
「こ、今晩は・・・」
「まだ舞踏会は続いているのに、もう帰るのか?」
「は、はい。屋敷の者が迎えに来ておりますので・・・・あの、何か?」
じっと初対面の青年に見つめられ、若干居心地の悪さを感じつつ、失礼のないようにアーシェラは青年を伺い見た。
「ああ、さっきの風でこれが飛んできたんだ。きみのだろう」
見ると、アーシェラが頭に飾っていた百合の花が青年の手に握られていた。
「まあ、そうです。ありがとうございます」
飛ばされたのを拾ってくれたのだろう。アーシェラは百合を受け取ろうとしたが、なぜか青年は手放さない。
「あの・・・?」
訝しげに見上げると、つい、と青年が手を伸ばしてきて、アーシェラの髪に触れた。
青年の大きな手が、アーシェラの髪に百合の花を飾る。思ったより器用に動く手が、風で少し乱れた少女の髪を整えていく。
そのまま一部を垂らしている少女の髪を一房掬い、口付けた。
「っ!?」
突然の行動に、アーシェラは声も出せずに真っ赤になって固まった。
「失礼。良い香りがしたもので」
くすりと笑う青年に何も言えず、アーシェラは羞恥でその場にいることに耐えられなくなり、「し、失礼しますっっ」と礼をして、先ほどぶつかった少女と同じように慌てて身を翻して出口へと向かった。
淑女の身で人前で走るなんて、と思う余裕も無かった。
廊下には、白百合の優しい残り香がふわりと漂う。
アーシェラが走り去った廊下を、黒髪の青年はじっと見つめていた。
「クロード!!」
青年――クロードの名前を呼ぶ声に振り返ると、金髪の青年が走ってきた。
「グレン。どうした、そんなに走って」
この国の第二王子、グレン・フェザードだった。
「クロード!見つけたぞ!彼女こそ、運命の女性だ」
クロードはおや、と眉を上げた。
結婚にあまり積極的でなかったグレンが、運命の相手を見つけたらしい。
めでたいことだ。
「へえ、良かったじゃないか。それはそうとどうしてそんなに急いでるんだ?相手の女性はどうした?」
「詳しくは後で話す。クロード、協力してほしいことがある。僕は一度会場に戻らなければならないが、そのあとで部屋に来てくれ」
「お前からの頼みとは珍しいな。わかった、後で部屋に伺おう」
こうしてこの日、運命の歯車は回り始めたのだった。