ハロウィン巡りは鬼と魔女と人間で!
十月三十一日。何の日か。
今ではもう一般的にハロウィーンの日だと、日本に住む大体の人が知っている。
欧米からやってきた文化の一つで、日本には元々ない文化だ。ちょっと歳を重ねた人ならこの文化がまだ日本にとって新しいモノだということを知っているだろう。
実際に数十年前にはところどころでしか見かけなかったし、数百年前ともなるとその存在は外の国のモノだった。
クリスマスよりもだいぶ遅く日本に馴染んだそれだが、実はただ子どもが仮装をしてお菓子を貰うイベントではない。
これは日本のお盆に近い風習だ。あの世とこの世を結ぶ見えない門が、この日になると開き、行き来ができるようになるという。死んだ人も、生きてる人も、人であらざる物も……。
十月三十一日。まぁ、それが欧米文化の風習で、日本でも徐々に祝われるようになったことは、俺もよく知っていた。街を歩けば一ヶ月前から飾りが売られ、お菓子も、食べ物もそのイベントに合わせた物へと変化していたし、テレビなんかでも仮装やらの報道がされてた。
けど、それはあくまで楽しむためのもの。特に企画もなく、日本でどこの誰が玄関先に立ってお菓子をねだるというのだろうか。
「とりっくおあとりーと!」
けれど、玄関を開けた先には白いシーツを全体に被った小さな何かが立って、しきりに手を出してくる。
どこの子どもなんだ。まったく教育がなっていない。
一人暮らしを初めて間もなくこんなことになるとは思わなかった。
「とりっくおあとりーと!」
「お菓子なんてないから、帰ってくれないか?」
ため息交じりに、でも子どもに本気になるなんてできないからなるべく優しく言った。つもりだ。
目の前の子どもは手を出したまま動かない。くれるものだとばっかり思っていたのだろう。だが、世の中そんなに甘くはない。
「とりっく?」
「あぁ、はいはい。イタズラは外でやってくれ。」
シーツの上からでもわかるくらい首を傾げる。けれど頭に乗せている何か、まぁ耳でもつけているんだろうけど、それがシーツを食い止めて落ちない。
帰る気がなさそうな子どもの体を回り右、させて背中を押す。外に出すつもりだ。
「とりっく!とりっく!」
子どもはばたばたと暴れながら抵抗する。その力は思ったより強くて、思わず本気で押した。
あっと思う間もなく子どもは前へと倒れこむ。
その時、シーツ俺の指に引っかかって倒れこむ子どもの中身がせり出る。
「え……?」
思わず間抜けな声が出た。出てきた子どもの頭に小さな尖ったものがついていたからなのと、子どもが転んで出た扉の先が黒い渦を巻く底なしに見えたから。
さっきまではアパートの廊下だったはずだ。目を瞬いて見ても真っ黒な闇はずっと目の前に存在している。
落ちていく子どもが闇の中で振り返って、にんまりと笑った。
ぞっとした。
人のものじゃなかった。赤く光る目が俺を捕らえて、背筋に鳥肌が立って汗が滲む。
「とりっく!」
彼が大きな声で叫ぶと、いつの間にか手に絡まったシーツが物凄い力で俺を、その闇に引きずり込んだ。
「うわぁああああ!!」
その何かと一緒に落ちた。落ちたこと以外わからない。
暗闇の中へ……落ちた。
瞼が重い。けれど、手に感じるこれは葉?匂いも、草原のような匂いがする。ここはどこだ?
ゆっくりと目を開ける。
「うわっ!」
驚いて身を起こし後ろへとなんとか後ずさる。
目の前には光る赤い目と、口から覗く牙、そして何より額から突き出る鋭い二本の角が人であらざるモノだと訴えてくる。
俺は記憶を掘り起こした。掘り起こして背筋にひやっとしたものが走った。俺はこいつに、"連れていかれた。"んだ。
「起きたー!」
けど、その子どもはずいぶんと明るい声で歓喜した。嬉しそうに表情を綻ばせているのを見ると、今まで怪しく光っていた目がくりっとした大きな目に見えてくる。
まじまじとよく見ると、牙も角も実際にはそんなに大きくなかったようで、そこまで危険な感じはもうしなかった。
「……お前、誰だよ。」
「鬼。」
「へぇー、ふーん、ほぉ?……ここどこだ?」
「地獄。」
「え……死んだ?」
「ううん。」
返答が端的過ぎて正直よくわからない。何個か質問してみても、それ以上の情報をくれなくて、少し混乱する。
俺は頭を抱えて考え込んだ。少し整理をしてみよう。相手は鬼だと主張する。まぁ、さっきのこともあるし、目の前のその角が何よりそれっぽい。
「…………。」
「いたいいたいいたいっ!」
徐に手を伸ばして角を引っ張ると、本当に痛そうに目の前の子どもを頭を振って抵抗する。更に目元に涙を浮かべていた。
どうやら角は本当に本当に本当にほんとーに本物らしい。
鬼が居て、ここは地獄だという。俺は辺りを見回してみた。地獄という割りには草が生えただっぴろい草原が続いている。特にこれと言って悲惨な場所は見当たらない。
「……地獄なのか?ここは本当に。」
「うん。僕等が住んでる世界だから。君達はそう呼んでる。」
鬼はなぜか嬉しそうににっこりと笑った。子鬼なのだろう、牙も角も小さいせいか、普通の子どもと何ら変わらないように見えた。
「こらーーーっ!」
また考えようとした時、いきなり頭の上から声が飛んできた。驚いて上を見上げる。見上げて更に驚いた。
「え……魔女?」
箒に乗った黒い装束に、てっぺんが曲がっている特有の帽子を身に着けた少女が、俺たちの前へと降り立った。そのいでたちはどう見ても西洋の魔女。
彼女は眉根を寄せて頬を膨らませ、どう見ても怒ってる状態で鬼へと近づいた。
「何やってんのよ、もうーっ!生きてる人間なんか連れてきて!」
「わー、ごめんなさいっ!ミーちゃん!」
魔女に怒られて半泣きで頭抱えながら謝ってる鬼って、どうなんだろう。
思わず目の前の光景に口を開いてみてしまった。すると、魔女が気づいてキっと睨みつけてくる。金髪に碧眼の少女だ。
「あんたもなんなの!人間なら人間らしく怖がったらどうなの!もー!こんなんだから私たちの仕事ができないのよっ!」
もーもーよく鳴きながら魔女が地団太を踏む。そんなことを言われてもこんな異様な光景に驚くより怖がれって言う方がどうかしている。それに、二人ともちっちゃい子どもなせいかやっぱりそんなに怖くない。
少女はすぐに鬼へと視線を戻すと、怒りをぶつけ始めた。完全に俺は蚊帳の外だ。
「あ、あの……」
もーもー言ってる魔女と、泣きながら謝ってる鬼の攻防は収まることを知らなかったから、仕方なく二人に声を掛ける。すると、二人が同時にこちらを見た。
「何?」
「えーっと、質問がいくつかるんだけど、いいかな?」
イラつく魔女が腕組をして指で腕を叩きながら睨みつけてくる。相当気が立っているようだ。
なるべく刺激しないように作り笑いを浮かべて聞いてみる。なんでこんなことをしなきゃいけないのか、ちょっと情けなくもなるけど。
魔女がはぁっとため息を吐いてからどうぞ。と頷いた。
「まず……地獄なのになんで魔女がいるんだ?」
「もー!何言ってんのよ、西洋に鬼の地獄があるとでも言うの!?ばっかねぇ、こっちは悪魔なの、あ・く・ま!!」
「いや、だから、なんでそれが鬼と一緒の地獄に……?」
「今時、グローバル化でしょ。」
はんっと鼻を鳴らして冷たい視線を向けられる。地獄もグローバル化の世界なんですねー、知りませんでした。っていうか知るわけないだろっ!
突っ込みはなんとか飲み込んで、それよりも重要な質問のため口を開いた。
「あ、うん。で、俺は帰りたいんだけど、どうすればいい?」
「知らないわ。」
そうだ、帰れば問題はない。と、思ったのに、魔女にあっさりと処断される。どういうことなのか、次の言葉を待つように彼女を見た。
「トラが連れて来たんですもの。私は知らないわ。それに、並大抵のことじゃここら生身の人間が出るなんで無理だし、そのうち他の奴等に頭からボリボリ食われるといいわ!」
最後辺りが彼女の願望が混じっているような気がする。楽しそうに俺似人差し指を突きつけてくる辺りかなり。
トラ。と呼ばれたのは多分鬼のことで、俺は鬼の方に視線を向ける。どうやらまだめそめそしていたようで彼は慌てて目元自分の袖で拭った。
「……とりっくだよ。とりーとを選ばなかったにーちゃんが悪いんだ!」
ぷいぷい。っとそっぽを向く鬼。どうやら俺が悪いらしい。ハロウィンのトリックオアトリートと言えば、お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ。って意味だ。これは悪戯にしてはしすぎな気がするわけで。
こめかみがぴくぴくとなるのが自分でもわかる。
「帰ったら菓子やるから、帰せよこのガキ!」
「ひぃっ!!」
「もー、今更無理よ。そんなこと!」
掴みかかった瞬間、魔女が呆れたように呟く声が聞こえた。無理ってどういうことだ?と視線を魔女へと向ける。
「む・り・よ。聞いたとこによると、ハロウィーンで連れてこられたみたいじゃない。貴方。それじゃあ帰るのは無理よ。」
「なんでだよ?たかが菓子やらないくらいで、こんなとこにずっといろってことか?」
「あら、貴方。ハロウィーンの本当の意味、知らないのね。」
鬼のほっぺをぐいぐいと摘みながら、魔女を睨みつける。それを小ばかにするように魔女は笑って目を細める。
いちいち勘に触る女だ。
「ハロウィーンは、一年に一度。この世とあの世を結ぶ門の一つが開く日。私たち魔物や、幽霊なんかが現世に行ける日。仮装はね、そんな私たちから子どもが連れ去られないようにやっているの。でも、そんな頻繁に引き込まないわ。代わりにお菓子をくれておもてなしをしてくれるなら喜んで帰る。でも、おもてなししてくれないと、私たち怒っちゃうんだから。」
「怒ったら連れてかれるってわけか?」
「そうよ、グループの中に一人は紛れ込んでるわ、貴方達が気づかないだけ。」
「……でも、そりゃあ西洋や欧米の話だろ?なんで鬼が。」
「グローバル化よ。」
「またそれかよっ!」
怪しく笑いながら紡ぐ言葉にひんやりと背中に汗を掻いたが、最後の言葉で台無しである。今度は我慢できずに突っ込んでしまった。
「人間がそうやって文化を取り入れていってるからそうなるのよ。日本に住む鬼なんて、妖怪なんて、信じられずに消えていったのを私、知ってるわ。私たちは役目を失っていくのよ、どんどんどんどん。だから、代わりを見つけて生きていかなきゃいけないの。」
けれど、魔女は冷たい視線を外さない。わからないでしょ?と言いたげだ。
正直、感情でモノを言われても、俺にはよくわからなかった。なんとなく、彼女の目が悲しみの色を持っていることだけはわかったけれど。
「……よくわからないが、いきなり来て連れてこられてはいそうですか。って納得はできない。本当に帰る道はないのか?」
俺も目を眇めて彼女を睨みつける。ちなみに鬼のほっぺはつねりっぱなっしで、さっきから、あっとかうっっとか泣き声が聞こえてくるが無視だ。
「地獄に出口なんか……あると思う?」
「…………。」
「なんて、いいわ。トラのほっぺ離してくれるなら、私が知ってることだけ話すわ。」
挑発に思わず怒りがこみ上げて抓っていた力に手が入ったのだろう、トラが泣き出した。見かねた魔女が肩を竦めて条件を出してくる。慌てて俺は彼のほっぺたから手を離した。
鬼はすぐさま魔女の後ろへと隠れた。
「正直、あるかないか。は私は知らないわ。でも、ハロウィンに連れてこられたなら、ハロウィンに関係のある相手に聞けばわかるかもしれない。ってこと。」
「ハロウィンに関係のある。相手?」
「そう、居場所は知ってるから、連れて行ってあげる。まずはウィルオウィスプ。またの名をジャックランタンのところに行きましょう。」
魔女は面白そうに笑って背を向ける。鬼も彼女についていこうとする。果たして、これを信じていいものか。
けど、他に方法があるわけじゃあない。
仕方なく俺は、魔女と鬼という奇妙な組み合わせの背中を追ったのだった。
歩く途中。俺たちは自己紹介をした。今更遅いと思ったけど、呼ぶ名前がないのは不便だ。
俺は隆一だから、リュウって呼ぶらしい。鬼は寅弧だから、トラ。魔女はミーハイルークという少し長い名前で、ミーと呼べと言われた。
小さい二人組みが前をちまちまと歩いて、その後をのんびりとついていく。
ほどなくして、一つの大きな門へとたどり着いた。ミーが見上げながら何かよくわからない言葉で呪文を唱えている。こういうところを見てると魔女だな。と思う。
俺は暇そうなトラへと話しかけた。
「なぁ、ここってどこなんだ?」
「ここへの入り口だよ。ジャックはこの外にいるんだ。」
「入り口?ってことは出ることも――」
「無理よ。」
こそこそと話していたが、いつの間にか扉を開き終えたミーが仁王立ちをして会話に割って入ってきた。見ると、顎で開いた扉の方を差している。
開いた扉の奥は、来た時に見た闇そのもので、中には何も見えない。
「入り口は入るだけ。出ることはできないの。さあ、ジャックを呼びましょう。」
「どうやって?」
「ハロウィンに唱えられる魔法よ。彼はそれに反応して来るわ。」
ハロウィンに唱える魔法の言葉。聞こえはいいが、要するに子どもが言う言葉を俺似言え。と言ってるのだ。
いささか気は進まないが、ミーは早くしなさいよ。というように目を細めて見てくる。
「ふーん…それを俺に言えっていうのか?」
「帰りたくないなら言わなければいいじゃない。」
「くそっ!」
毒づきながら他に方法がないの俺は諦めた。
俺は近づいて扉の前に仁王立ちし、そして息を吸い込み
「トリック・オア・トリート!」
叫んだ。一瞬にして目の前の扉から風が吹き抜ける。あまりの勢いに一瞬目を閉じた。
風が止んで、うっすらと目を開くと、真っ暗闇に浮かぶカボチャのランタンが姿を現した。他は、何もない。ゆらゆらとランタンだけが揺れている。
「呼んだかい?」
ゆらゆらと風もないのにカボチャが揺れる。まるでそれが話しかけてくるようだ。
「お前が……ジャック?」
「イヒヒ、どう思うかな?カボチャを刳り貫いたランタンはジャック・オ・ランタン。ランタンが俺ならそりゃあジャックだ。ジャック、ジャック。イヒヒ。」
狂ったようにカボチャがくるくると回りながら言う。まどろっこしいことこの上ない。ここにはこういう連中しかいないのか。とため息が出てきた。
「ジャックは嘘つきだから気をつけた方がいいわよ。あれはあくまでランタン。本体はもう見えない魂だけの姿。生前の行いが悪かったせいで、彼は地獄も天国も逝けないで彷徨ってるの。」
「イヒヒ、魔女はべらべらおしゃべりだね。だからバレて火炙りになんかされるんだ。」
「お黙り!」
笑ってるカボチャを苦々しげに睨みつけながら、ミーは歯軋りをする。あんまり相性はよくないようだ。
嘘つきのところに初めに連れてきたのはいったいどこの誰だと言うのか。
疑いの眼差しをミーに向けていると、ランタンが今度は俺の方を見て話しかけてきた。ぞっとするようなしゃがれた声に、思わず身震いする。
「ヒヒ、怖いねぇ。それで?お前は何しに来たんだい、人間。俺にその体をくれるのかい?欲しい、欲しいなぁ。」
「やらねぇよ。俺はそこの鬼にハロウィンのトリックで引きずり込まれただけだ。帰り方知ってんなら教えろ!」
「珍しや珍しや。久々の客じゃないか。ゆっくりして行けばいいだろうに。ヒヒ。」
「その言い方、知ってるんだな!?」
何度も揺れるカボチャが、ぴたりと動きを止めた。何かを考えているのか、問い詰めるように視線を強くする。
「ヒヒヒ、知ってるよ。知ってる。」
「じゃあ教えろよ!」
「ヒヒヒヒ、失礼な奴だ。ヒヒヒ。だが、それだけは俺の役目、教えてやるよ。ただし教える代わりに、指を一本おくれ?」
「指……を?」
胡散臭い返答に、俺の額に皺が寄った。思わず左の掌を見る。それを了承と取ったのか、いきなりランタンの口から黒い煙が噴出した。
真っ黒い影は左の人差し指へと絡みつく。痛みはないが、恐怖で表情が引きつる。
「イヒヒヒ。貰った。貰った。真実は目の前にあるものさ。その籠をトリートでいっぱいにしな。いっぱいにしたら、バンシーの元に行くと良い。ヒヒヒヒヒヒヒヒヒ。」
ジャックの言葉が耳につき黒い影が引くと、俺の左手からは薬指が一本消えていた。
言い返そうと顔を上げるも、ランタンを持つように見慣れた指がひっついているのを見てぎょっとした。驚いている間にランタンは笑いながらゆらゆらと揺れて、暗闇へと紛れ込んでしまう。
呼び止めることもできなかった。ただ、目の前の出来事に唖然とするしかない。
ただ、痛みもなく持ち去られてしまった左手の小指は、今も存在していない。
「まぁ、しょうがないわね。それが取引ってものよ。はい、これ。」
呆然と左手を見つめていた俺の手に、小さなカボチャを刳り貫いた入れ物が手渡された。
ミーはこれ以上何も言えない。という風に肩を竦めてみせる。どうやら、これがジャックの言っていた籠。なのだろう。
仕方なく籠を受け取り、申し訳ない程度についている取ってを人差し指のない手で持つ。
「なぁ、トリートってことは……。」
「いろんな人のところ回らないと行けないんだと思うわ。指定するなら連れて行ってあげる。多分、ハロウィンに関連するような相手じゃないと貰えないとは思うけど。」
ミーはなんだかんだで世話焼きなのか、次の方向性を示してくれた。なんとなく次が見えてきてほっとする。
指のことは今は見ない振りを決め込もうと硬く決意した。
「じゃあ、どこ行くかなぁ。……トラ?」
悩んで意見を求めようと、そういえばいるはずのトラを探す。先ほどからチョウチョを追いかけていたようで、トラは少し遠くの方に居た。
ふと、俺の頭に疑問が浮かんでくる。トラが呼んだくせに、なぜ彼はまったく興味なさ気に遊んでいるのか。おもてなしをしなかったから引き摺り込まれたというが、彼はハロウィンとはまったく関係のない鬼だ。その鬼がなぜハロウィンに参加したのか。
よく考えれば、トラの動きはオカシイ。
「ミー、トラは何のためにハロウィンに参加したんだ?」
「知らないわ。それより、私も忙しいの。早く決めてくれない?」
イラっとしたようにミーは視線を投げかけてくる。やけに冷たくあしらわれて、違和感を覚えた。
けど、彼女の表情は怒っているようで、モーモー言い出す一歩手前だ。仕方なく俺は頬を掻いて応えた。
「できれば暴力的じゃない相手が……いいんだけど。食べられたら元も子もないわけだし。」
「そうねー。じゃあゾンビかしら……臭いがきついからあんまり会いたくないんだけど。」
「それは……俺もちょっと。」
「じゃあ、狼男なんてどうかしら。」
話を反らすと、ミーは落ち着いたように考えて返答してくる。
それが余計に違和感を感じさせるも、トラはまだチョウチョを追いかけているから仕方なく話を合わせる。
「狼男?凶暴じゃないか。」
「満月が出てなければ、凶暴じゃないはずよ。」
確か。とにんまりとミーは笑う。彼女の表情は非常に楽しそうで、逆に不安を煽ってくる。
けど、特にそういうのに大して詳しい知識を俺は持っていない。だから、他の者を提案しようにもできなかった。仕方なく彼女の言葉を信じて俺は頷いた。
「じゃあ、行くわよ。トラ!」
「なになにー?もういいの?」
「えぇ。めんどくさいから、私の魔法でちゃちゃっと移動するわよ。」
ミーの声にぱっと明るい笑顔を浮かべてトラが駆け寄ってくる。無邪気な子どもっぽい。
トラが近くまで来ると、ミーは小瓶を取り出して中の粉を三人に振り掛ける。
「目を閉じて。良いって言うまで開けちゃダメ、だからね!」
彼女が俺とトラの手を掴みながら、交互に見遣って念を押す。何をするのかわからないが、とりあえず俺は彼女に従った。
目を閉じると暗闇で、足を掬われそうな感覚に陥って、瞼は重く開かなかった。
ただ、二度目の落ちる感覚に少なからず怖かった。
「目を開けていいわよ。」
しばらく浮遊感を漂った後に、地面に足が付いた。と、思ったらミーの声が聞こえた。
少し安堵して、抵抗もなく瞼が開く。
「うわあああああ!!?」
「リュウ、うるさーい。」
思わず大声を出して俺は後ろに仰け反った。トラが耳を押さえながらぶーぶーと文句を垂れるのが視界に入ったけど、そんなこと気にしてる場合でもなかった。
いきなり目の前に現れたのは赤い洞窟と、入り口を覆うように揃った白い鍾乳洞。だと思いたかった。けど、一歩後ろに下がれば、その洞窟の上にぎょろりとした金色の大きな目が二つ、更に上に茶色い耳がピンっと上に立っていて、どうみてもそれが大きく開けた口であることを示している。
危うく食べられるとこだった。ミーがその狼のような者に抱きついて、口がぴたりと閉じた。それを確認して、強張った肩がほっと落ちる。
「なんだミー。食べ物じゃないのか、これ。」
「うん、違うわよ。トラがハロウィンで連れてきたの、ダーリン!」
ミーは嬉しそうに、自分よりもだいぶ大きなそれに抱きついて叫んでいる。俺はただただ呆然とするばかり。
けれど、トラに視界の前で手を振られてはっとし、状況を落ち着いて見ることにした。
いきなりの出来事に頭が混乱してわからなかったが、木の壁やテーブル、椅子。整備された古風なキッチンがある辺り、どこかの家なのだろう。階段があるから、二階建てかもしれない。
更にミーが抱きついている相手はほぼ狼に近い。ただ狼よりもガタイは良くて大きく、二本足で立っているのが特徴的だ。
「うるさいなぁ、また来たの、あんたぁ。」
狼がミーを引き剥がそうと苦戦している時、あまりに喧しいのか奥からもう一人マントに身を包んだ青白い男が現れた。
眠そうに細められた目と嫌そうに眉根を寄せた仕草でミーを見る彼。けれど、その目はすぐに俺に向かって止められた。
「ゲロゲロ~、男なんて連れてこないでよぉ。どうせ男じゃあ血なんて飲めないんだからぁ。」
はぁっとため息を吐いて間延びした声を出しつつ、出てきた男はミーと狼男へ近づき、ベリっと小さな体を引き剥がした。
「何すんのよー!あたしとダーリンの間邪魔しないで!」
「そんなことよりぃ、困ってるからぁ、説明しないさよぉ。」
多分ミー以外は全員困ってる。とその間延びした男に同意せざるを得ない。俺はまったく身も知らない二人とミーの攻防に見守るしかないし、抱きつかれてた狼男もしどろもどろでミーに離せ。とか言ってたし、目の前で注意している男も状況をよくわかっていなくて困っていた。
ミーはむーっと頬袋を大きく膨らませて抗議するも、全員の視線が痛いのか、仕方なく息を吐き出した。それから腕組をして室内の全員に視線を配る。
「もう!もうもうもうもう!いいわよ、説明してあ・げ・る!この子はハロウィンで珍しく来た客人よ。ジャック・オ・ランタンの儀式も終わってるし、後は数の問題。だからあたしはダーリン。についでに会いに来たのー!もう、邪魔しないでっ!」
牛のごとくもうもう鳴いて、ダーリン。をやけに甘ったるく言ったかと思うとミーはまた狼男に抱きついた。毛をもふもふしながら今度は絶対に離れないというように引っ付いている。抱きつかれてる本人は非常に迷惑そうだが。
「あーあぁ、もううるさい子だよねぇ。ヒューイはどうせもう話せないだろうしぃ、わたしが話してあげるぅ。」
男が狼男の方を見てため息一つ。目配せしてから頷いたかと思うと、すぐに額に手を当ててやれやれと頭を横に振った。
そして、俺の方へと近づいてくる。
「あたしぃ、吸血鬼ぃ。」
にっと笑った口元から鋭い牙が二本見えて、それが本当だと教えてくれる。でも、口調を覗けばミーやトラと比べてまともな人のような気がした。
吸血鬼は、俺にテーブルに添えてあった椅子へ座るよう勧めてくれた。やはり常識人のようだ。
椅子に腰をかけると、吸血鬼は俺の目の前へと座った。こちらもまた狼人間と一緒で金色の瞳をしていた。目の前で射るような瞳は重圧感を醸し出している。
「ジャックの儀式受けたんだってぇ?あんたぁ、ちゃんと話聞いたのぉ?」
「え、いや……それがジャックはあんまり説明もしてくれなくて。ミーとトラはあんなだし。」
「そぉ。じゃあぁ、その籠いっぱいにするための変わりに身体の一部をあげないといけないとかぁ、聞いてないのぉ?」
「えっ……。」
「聞いてないんだぁ?」
吸血鬼がによっと人の悪い笑みを浮かべる。目を細めて、薄い唇を舐め挑発するように笑ったんだ。思わず身を引く。
「でもぉ、もう取られちゃってぇ、儀式おわちゃったら後戻りできないっていうかぁ?でもぉ、終わればどうせ新しいの生えてくるしぃ、心配いらないんじゃないぃ?」
「新しいの?」
「そーよぉ。新しくなるんだぁ。全部。だからぁ、心配しなくても大丈夫ぅ。」
ふふっと吸血鬼は笑って、俺の手を取る。薬指がなくなった左手を見ながら、徐に彼は爪が長くて尖った指で中指へと触れた。
触れられた感触はあった。あったけど、彼が触った瞬間、中指は消えてなくなっていた。ジャックの時と同じく、痛みはない。
「はい、これであたしの分は大丈夫ぅ。あたしからのトリートあげるぅ。」
ただ手を見つめている俺に、吸血鬼は自分の長くて尖った爪を一本ベキリと折った。
音に気がついて顔を上げると、その長い爪を手渡される。差し出されて無意識に俺は右手で受け取った。
すると、すっと爪が右手に溶け込んだ。かと思うとみるみるうちの俺の指の爪が伸び、吸血鬼からもらった爪のようになる。
「あぁ、そっかぁ。初めてだもんねぇ。あたし達のトリートはぁ、仮装させることを目的としてるんだぁ。トリートを貰うとお菓子が籠に入るはずだからぁ、確認してみてぇ?」
流石ハロウィン、こんなところでも仮装があるのか。と納得した。
にこにこと笑う吸血鬼に促されながら、俺は籠の中身を見る。するとそこにはこうもり型のクッキーが入っていた。この大きさなら後三、四つで籠がいっぱいになるだろう。
「あぁ、トリックオアトリートって聞き忘れちゃったぁ。」
「え、やっぱり言うの?」
「当たり前ぇ。ハロウィンだからねぇ。ヒューイには言ってねぇ?」
吸血鬼はそう言いながら目で未だにミーに絡まれている狼男を指した。彼にもまた、あげてもらわなければならないようだ。
新しく生えるっていうし、痛みもないからいいかな。
「えっと……じゃあ。とりっくおあとりーと……。」
言ったことがあまりない言葉だけに、やっぱりまだ恥ずかしさが残る。尻すぼみになった言葉を聞いて吸血鬼が横で笑った。
狼男は笑わずに表情が読めない顔でミーを引き摺りながら、やってくる。そして、狼男は俺の薬指に毛むくじゃらの手で触れた。するとやっぱりぱっと俺の指は消える。
狼男はいとも簡単に自分の牙を折ると、それを俺にくれた。吸血鬼の時と同様、俺の八重歯が大きくなって尖った。まるで獣のような歯だ。
「二つ目だな。こいつには貰ったのか?見たところやってないみたいだが。」
獣型のチョコレートを確認していると、狼男が話しかけてきた。こいつ。と未だにひっついて離れないミーを目で指す。
「え、ミーもできるのか?」
「えー、めんどくさーい。魔女だからできるけどー。」
ツーンっと顔をそっぽに向けて拒否をするミー。やな奴。できるなら初めから言ってくれればいいものを。
俺は嫌がらせのつもりでミーにも言ってやった。
「ミー、トリックオアトリート。」
「えー、やだって言ったのに!もう!リュウのバカっ!」
モウモウ怒鳴りながら、言われたらやるしかないのだろう、ちぇっと唇を尖らせてミーは俺の小指に触れた。これで四本目の指が消える。
ミーは何をくれるのだろうか。ちょっと楽しみに彼女を見ていると、徐に手を目へと持っていった。一瞬グロい想像をしたけれど、手を添えただけで、ミーの目がころりと丸いたまみたく掌に落ちた。
言われなければ目だってわからないかもしれない。青い宝石のような目が俺の右手に握らされた。
一瞬視界が変わったような錯覚を覚えて、思わず肘をテーブルへとついた。少し頭がくらくらする。
「だからやだったのー。」
ぷーっと顔を膨らませる音がして、ミーが怒っているのがわかる。なんとか揺らぐ視界を動かすと、すぐに頭の痛みは引いた。
「びっくりしたぁ。その目って……」
「なぁに?」
目を出したミーが心配になってみると、彼女の目は既に別の目が存在していた。どうやら元には戻るらしい。
「いや、ほら、トラにもやろうかなぁ。って。」
「だ・め。」
「えっ?」
「あ、うん。ダメっていうかトラは鬼だからハロウィンと関係ないし、あたし達みたいな役割は持ってないの!だから、ダメっていうより無理なんだってば!」
誤魔化しついでに、もう一人居たはずのトラを思い出して口走ると、ミーが強い口調で止めてきた。
聞き返すと、しっかりと説明をしてくれるが、どこかムキになっている。
そういえば存在感がやたらないけど、トラはどこに行ったのだろうか。見回しているうちに、トラがキッチンの端で丸まっている。どうやら眠っているようだ。
なんだこののん気な鬼は?お前が連れて来たんじゃないのか?疑問と共に胸の辺りがむかむかとした。
「それよりぃ、もう早く行けばぁ?バンシーの家の前に黒猫いるしぃ、それで十分だろぉ?」
俺がトラに釘付けになってると、吸血鬼が可笑しそうに笑って促す。吸血鬼の方を見ると、また狼男に引っ付こうとしていたミーを視線で指していた。
「最初に出会った奴がぁ、面倒みなきゃいけないんだからぁ、早く行けよぉ。」
「うぅっ。あんたなんて大っ嫌い!」
俺がミーの襟首を掴んで止めると、吸血鬼が更に煽るように言う。ミーはキーっと叫び声をあげてから、吸血鬼にあっかんべーっと舌を出す。それからふんっと鼻を鳴らすと、俺の手からあっさりと逃れてトラの方へと歩き出した。
俺も彼女の後を追う。
「だーりん、また来るからね!」
切なそうにミーは狼男に言う。狼男ははいはいと受け流しながら手を振った。それに手を組んでうっとりとしているミーを掴んで、ついでにトラを掴む。
「早く行くぞ。」
「もう、うるさいわねぇ!皆して恋人同士の逢引を邪魔してぇ!もうっ!ほら、目つむりなさいっ!」
恋人同士……には見えなかったが。と思ったけど、それには突っ込まずに俺は目を閉じた。
徐々に変わっていく体に違和感を覚えて、早く終わらせたかったのもあるかもしれない。
早く早くと心臓が鳴って、俺を急かしていた。
すぐに先ほどと同じ浮遊感と暗闇に落ちていった。
「目を開けていいわ。」
地に足がつくと、またミーの声を合図に瞼を上げた。
目の前の光景は森奥に一軒の小屋。と言った感じで薄暗い。壊れた塀に囲まれた家だ。
その塀の上に、一匹の黒い猫が丸まって寝ていた。
「トリックオアトリート?」
吸血鬼が言っていた猫なのだろうか?近づいてそっと呪文を唱えてみる。
すると、猫は大きく瞳を見開いた。今まであったどの人よりも大きく鋭い金色の瞳で、大きさは小さいのに圧倒された。
「童か。何ゆえその言葉を使うのか……いや、それはただ一つ。主の運命。我輩も協力せねばならぬ。」
目を眇めて見つめられると、その怪しい雰囲気に縛られるように動けない。しゃべる猫は塀から降り立ったかと思うと、飛びつくように残っていた俺の親指に噛み付いた。
痛いっ。と思ったのに痛みは無く、親指は消えていた。指が全て消え去った手は見慣れないせいか滑稽だ。
猫は着地するとすっと自分の背を俺に向けた。そこには漆黒の羽根が生えていた。蝙蝠のような翼だ。
「我輩は自分で取れぬゆえ、触っていただけないだろうか?」
猫がしゃべるのも普段ありえないことなんだろうけど、もう俺の感覚は麻痺していた。それがいっそ当たり前に見えてくる。
彼に言われる通り、俺は見せられた背中の翼へと手を触れる。
触れた瞬間背中に重みを感じた。いきなりで後ろに倒れこみそうになったけど、なんとか踏みとどまった。力を入れたせいで、新たに生えた俺の翼がばさりと音を立てて開く。
「ふむ。材料も十分に揃っておるようだな。よろしい、バンシーに会うと良いだろう。」
籠をじっと見つめていた黒猫がこちらだと言うように背を向ける。確かに籠にははみ出ているくらいのお菓子が存在していた。クッキー、チョコ、キャラメルにキャンディ。そしてケーキ。どれもこれも出会った者たちの形をしていた。
「私とだーりんはくっつけといてよねっ!」
歩き出そうとするとミーが無造作に入っている菓子を指差して喚く。そこはもうはいはい。と流して、先にミーを黒猫の後に従わせた。
二人が、先に小屋へと入る。
残ったのは俺と、寝ているはずのトラ。
「リュウ、何やったんだ?いかないのかー?」
けど、いつの間にかトラは起きて俺の隣に立っていた。そのくりっとした大きな瞳で俺を見上げながら、不思議そうに首を傾げている。
今までミーに幾度となく邪魔されて、胸の奥につっかえているもやもやを、俺はトラへと吐き出した。
「ん、行くけどな。その前にお前に聞いておきたいことがあるんだ。」
「僕に?」
「あぁ、お前は鬼なのになんでハロウィンをしたんだ?何の目的で俺を、ここに連れてきたんだ?」
そしてなぜついてくる?疑問が次から次へと零れそうになって、とりあえず二つだけで口を結んだ。真剣に目の前にある赤い球を見つめる。
「……俺、自分と同じところで産まれた奴と……遊びたかったんだ。」
「同じところで産まれた?」
トラは言い辛そうに視線を泳がして答えてくれた。でも、よくわからなくて聞き返すと、トラは赤い瞳を小さく揺らして、しょんぼりと頭を落とす。ひどく、悲しそうだ。
「日本で生まれた奴。人間は妖怪って呼んだりするけど、俺たちは役目が無くなると消えてくしかないんだ。……人間は驚かなくなった。俺たちが目の前を歩いても、見えないように素通りする。それで、仲間はどんどん消えていった……残ってる奴等はちりぢりで、誰が存在してるのか僕にはもうわからない。」
トラは顔を上げずに淡々と話す。耳を澄まさないと聞き取れないくらいに。
「人間達は、新しい物へ興味を移して、いままで一緒に居た自然も動物も僕たちも、置いて行くんだ。だから、僕達も人間に追いついていかなきゃ。って思って、ハロウィンに参加したんだ。ただ一つの国に拘ってると、生き残れないし、ね。」
言い切ると、トラはぱっと顔を上げて破顔した。今までの暗い雰囲気をぶち破るような笑顔に、俺はたじろいだ。
「今日はリュウと遊べたから、僕。嬉しいんだ!さ、早くバンシーに会いに行こう!」
そして笑顔のまま俺の指のない手をとって、小屋へと引っ張っていく。トラの気持ちは素直に嬉しかった。けど、嬉しいはずなのに、どこか胸に重い物が引っかかって取れない。
トラに連れられて小さな小屋へと足を踏み入れた。
室内は棚でひしめき合っていて、なにやら瓶に液体やらなんやらが詰め込まれている。部屋の中央には大きな鎌が置いてあり、そこから緑色の煙が上がっていた。
そういえば、バンシーって何だ?聞いたことのない名前だ。ただ単に名前なのかもしれないけど。
「リュウ、おっそーい!ほら、バンシーに籠渡して!」
ミーの声が飛んできて、慌ててそちらを振り返る。ミーと黒猫が、狭い室内に無理やり押し込んだっような椅子に座っている老婆の前で、こちらを見ていた。
他に人がいないから、この人がバンシーなのだろう。灰色のマントに全身を包み、ところどころから見える緑色の服と黒くて長い髪、一番印象的だったのは燃えるような赤い瞳だった。
燃えるような瞳に魅入られると、息すら苦しくなってくる。
「…………。」
彼女は皺になった細い手で、無言のままおいでおいでと俺を呼ぶ。足が無意識にふらふらと彼女の元へ歩いた。
まるで、操られているような気分だった。
「…………。」
「童、主が持つその箱をバンシーに手渡せ、さすれば新たなる手と命がソナタに宿る。」
バンシーがしゃべらない代わりに、黒猫がバンシーの肩の上に乗って説明した。にゃおっと猫独特な鳴き声を漏らし、俺を見る。
金色と真っ赤な瞳に魅入られて、俺は言われるままに右手を差し出して籠を目の前の彼女に差し出す。
バンシーが受け取るとき、俺の右手に皺枯れた手が触れる。いやにひんやりと冷たく、思わず手を引っ込めた。
けど、籠は落ちずにしっかりとバンシーの手に渡っていた。
「キェエエエエエエエエ!!」
いきなりバンシーの口元から叫び声が上がる。人が叫んでいるというより獣が叫んでいるような、何かが交じり合った凄まじい叫び声だ。
耳を劈く叫び声に頭が揺さぶられる。俺は慌てて耳を手で閉じようとした。
「あつっ!」
左手が耳に触れた瞬間、熱さを覚えた。右手が熱かった。いや、右手が熱いという感覚は無い。けど、耳に触れた手は確かに熱を発していた。
視線をやるのが怖かった。指がない手を。
けど、見るしかなかった。指がないはずの手に何故か指の感覚が戻って来ていたから。
猫は言った。新たなる手と、命を俺に授けると。
「なっ、なんだよ、これっ!」
勇気を振り絞って自分の左手を見た。人間の左手とは形容し難い形と色をした物がそこに存在していて、俺は叫んだ。
手の皮から突き出すように赤くごつごつとした手が覗いている。爪は鋭く、まるで鬼の手だ。
そこまで考えてはっとした。俺は、隣にいるはずのトラを見る。
「大丈夫、痛くないからさ。」
彼の目は、さっきまでの愛らしいくりっとした物ではなかった。一番初めに見た赤く鋭く射るような光る目。口端が上がって笑う口には無数の鋭い歯。圧倒されるような威圧感に、喉がからりと音を立てた。
「なん……で?」
「バンシーは、命を司る妖精さ。その泣き声を聞いた人間は死ぬという。菓子に篭った妖力でお前を人間じゃなくて妖怪にしてやるのさ。」
トラがしごく愉しそうに言う。俺は目の前の変容に舌が乾いて、何かを言おうにもひゅっと空気だけが喉から外へ出て行くだけ。何も言えない。
目もトラの光る目から離す事ができなかった。背筋が震えて、額から嫌な汗が滲み出る。
「これは、そのための儀式だったのか。と思っておられるな?童。」
「そうよ、ジャックは嘘つき。嘘つきジャックだもの。言ったじゃない、嘘つきだって、信じた貴方がどうかしてるのよ。」
頭の中を読み取るように低く囁く黒猫に、答えたのは俺じゃなくてこれまた愉しそうに笑っているミーだった。
手が、徐々に皮をはいで新しい手となって出て行く。腕も徐々に赤くごついものへと変わって行くのだ。
こんな状況に頭が働くわけもなく、俺は立っているのが精一杯だった。精一杯なのに、本能的には逃げなきゃ。と頭が早鐘を打ち鳴らす。
「これで僕の友達が増えるんだ。同じ国の産まれの僕の友達が!リュウ、僕の目的はね、友達を増やすこと。君は、ハロウィンに人間を引きずり込む鬼となるんだ。僕と一緒に、ね。もっともっと増える。新しいハロウィンの幕開けなんだ!」
トラの顔が近寄ってきて、俺の顔を見つめる。そして、俺の変化している左腕に触れた。あっと言う間に身体半分が麻痺して、人の物ではなくなる。
どうしたらいい?どうすればこれから逃れられる?
焦りと、恐怖が入り混じって、胸をぐっと締め付けた。
「童、混乱しておるな?ジャックは俺の役割と言わなかったか?役割、それはこの世界に一番重要なこと。誰もそれには抗えない。真実は目の前にある。真実とは嘘と紙一重なり。」
「あ、あんた!どっちの味方なのよ!」
「我輩は気まぐれな猫なり。敵、味方などない。気紛れに生きるだけ。さあ童、主は平等な状態を手に入れた。これからどうするのかは、主しだい。」
黒猫がゆっくりと低く唸る。慌てたようにミーが反応したけど、それを気にも止めない様子で黒猫は俺に話しかける。
平等な状態?これは俺を人じゃなくするための儀式じゃないのか?ジャックは、抗えない。嘘をつけない。じゃあ、これは。
「早くなっちゃえばいいんだっ。」
トラの叫び声に全身が麻痺する。駄目だ。後ちょっとなんだ。後ちょっとで何かわかる。
真実は目の前に、ある。真実と嘘は紙一重。
嘘……誰が俺に嘘をついた。ジャックじゃない誰かだ。ジャック、狼男、吸血鬼、ミー、トラ。
「まだ、誰かにしてないことがあるだろう?童、まだわからぬか?今宵はハロウィンなり。していないことを思い出せ。」
「お黙り!」
してないこと。ハロウィンにしていないこと。そしてそれは嘘で塗り固められた真実。
「トラ……っ!トリック、オア……トリートっ!」
一瞬にして世界が止まり、色を失う。麻痺したはずの全身が、一瞬にして蘇ってきた。はっとして手を動かして見ると、全て俺の体だった。人の、形をしている。
世界が止まる中、俺はミーを見た。彼女は言った。トラはハロウィンとは関係ない。と。けど、実際は関わっていた。最初からずっと。彼女は驚いた表情のまま、固まっている。
「童、気づくのが遅くてひやひやしたぞ。」
呼ばれると共に肩に重みを感じた。灰色の誰も動かない世界の中で、全身黒の猫は何も変わらないままに動いている。味方なのか、敵なのかわからない彼を俺はじっと見つめる。
「我輩にはどちらでも良いことだがな。」
「……どうなったんだよ、これ。」
「寅弧からのトリートだ。主は、菓子の籠を持ち、仮装していた。貰うのに事足りることをしていたと思わないか?これもまた、役割なり。あげる側と貰う側の逆転、主の役割が変わったからこそ、主への咎めはなくなった。」
黒猫は面白そうににやりと笑った。猫が笑う表情は、なんとなく不気味で、俺は思わず視線を逸らした。
すると固まっているトラの様子が目に入る。
「時間だ、童。次ぎ会う時はいつのことやら。覚えておいてくれると我輩たちも生き延びられるのだが……な。」
少しトラの表情が悲しそうに揺らいだように見えた。けど、黒猫の言葉が終わるか終わらないうちに辺りが明るくなって真っ白な光に包まれた。
頭がくらくらして、視界がはっきりすると、俺は玄関に立っていた。
何をしていたんだっけか?
「にゃあ。」
何故か開いている玄関から、黒猫がこちらを見て鳴いた。少し悲しそうな表情をして。
けど、すぐに猫は走り去って消えてしまった。なんとなく、何かを思い出さなきゃいけない気がして、けど頭が割れるように痛かった。
「とりっくおあとりーと!」
少し寝ようと踵を返して、聞き覚えがある声が背中に響いて思わず振り返る。けど、そこには誰もいなかった。
おかしいな。と思ったけど、扉が開いているせいだと思い扉を閉めた。けれど落ち着かなくて、誰もいない廊下を歩いてキッチンへ行くと、目に付いたものを引っつかんで玄関へと戻る。
なんとはなしに、玄関に飴玉を一つ置いた。
なんでだかわからないが胸がすっとして、気持ちよかった。
もうすぐ十月三十一日も終わる。
完
あとがき
ハロウィンに書き始めて、ハロウィンに終わらせたかった!という淡い希望も空しく一日過ぎてしまいました。
話の内容はちょっとメルヘンチックに。でもちょっと伏線を張りたくてあんな感じになりました。
久しぶりの短編!久しぶりの一人称!すっごい苦戦しました。どんな風に書けばいいんだぁああああ!!という悩みです。
集中力も途中で切れかけるし、でもなんとか書き上げられて良かったです。
この話を書く際、ちょっとハロウィンを調べてこういう妖精とかいるんだ。ってすごいそっちにばっかり集中してました。伝承とか妖精とか妖怪とか大好き!メルヘン大好き!
まぁ、少しでもハロウィンっぽく、伏線とか楽しんでもらえたらな。って思います。
ハロウィンって子どもの頃は姿形もなかったので、なんだか自分的には新鮮なイベントだと思ってます。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。