第4話 招待状は“護符”じゃない
探索者ギルド第七支部からの呼び出しは、短くて冷たかった。
『空下優奈さん。至急、支部へ。今夜中に』
今夜中に、という指定が一番嫌だ。学校のことも家のことも全部放り出して、優先順位の頂点に置けと言っている。
優奈はスマホを握ったまま、駅前の歩道を早足で進んでいた。普段なら「急いでます!」と口に出してしまいそうなタイプなのに、今は唇が硬い。敬語も、勢いも、どこか置き去りになっている。
「結城くん……」
小声で呼ばれて、俺は短く返事をした。
「大丈夫だ」
「その“大丈夫”は……!」
「根拠付きの方だ。ギルドは“禁止”より“管理”を選ぶ。俺たちが管理に従う姿勢を見せれば、すぐに潰しには来ない」
優奈は頷いた。頷いたけど、肩はまだ上がっている。
――怖いんだ。
ギルドの建物が視界に入ったところで、優奈の歩幅がわずかに乱れた。駅前の人通りは多く、制服の高校生も混じっている。普通の放課後。普通の夜の入り口。
その普通の中で、俺たちだけが浮いている。
「……優奈、スマホの通知は切れ」
「はい!でも、切ったら見逃しませんか!?」
「見逃していい。今はギルドが最優先だ」
「わかりました!」
優奈が慌てて設定をいじろうとした、その時。
「優奈ー」
後ろから、軽い声が飛んできた。
名前で呼ぶ時点で、知り合いだ。
優奈の背中がピクッと跳ねた。反射で振り返りかけて、すぐに我慢する。……でも、我慢しきれなかったらしい。結局、半身だけ振り向いた。
そこにいたのは、同じ制服の女子だった。
髪は明るめで、結び方が“配信者っぽい”。メイクも薄いのに、カメラ映えするように整っている。手にはスマホ。胸元のストラップには、見覚えのあるロゴのキーホルダー。
探索者クラン。企業所属の攻略特化集団。
若手配信者を集めて、スポンサーと装備と拠点を与える代わりに、所属と成果を握る――現代の“冒険者ギルド”みたいな存在。
「久しぶり!入学式の後、連絡くれないからさ」
女子は笑った。笑顔が軽いのに、目だけが鋭い。
優奈が一歩引きながら、笑顔を作る。いつもの敬語の型だ。
「えっと!久しぶりです!ごめんなさい!いま急いでるので――」
「ギルドでしょ」
その一言で、優奈の笑顔が凍った。
俺は、優奈の横から女子を観察した。
距離の詰め方が上手い。声量は小さめ。周囲に聞かれないようにしている。慣れてる。場数が違う。
「……魔法のせいで呼び出されてるんでしょ?」
女子が言う。
優奈は、顔に出した。
「えっ……!?」
声は出さなかったのに、表情が叫んだ。
女子が肩をすくめる。
「やっぱりね」
口調は軽い。だけど、その軽さは“見下し”にも“慣れ”にも見えた。
「自分の魔法バラすから自業自得って言いたいけど……まあ、新人だし。仕方ないか」
優奈が反射で言い返す。
「ば、バラしてないです!えっと、名前だけで……!」
「名前だけでもアウトになる時はアウトだよ。――ギルドの人って、そういうの大好きだから」
女子は笑ったまま、ポケットから封筒みたいなカードケースを取り出した。
金属光沢のある、名刺より少し厚いカード。端にクランのエンブレム。
「はい、これ。うちのクランへの招待状」
優奈の手が止まる。
「えっ……い、いまですか!?」
「今。こういうのはスピード勝負だから」
女子はカードを優奈の手元に押し付けるように差し出した。
「一線超えそうなら、『クラン所属予定がある』って言えばごまかせるでしょ?ギルドも企業が絡むと面倒が増えるから、いきなり潰しにくくなる」
“ごまかせる”。
その言葉が、妙にリアルだった。
裏口の知恵。現実の処世術。配信者の世界の匂い。
優奈がカードを受け取ろうとして――俺が声を出す前に、手が止まった。
優奈の目が俺を見る。助けを求める目だ。
俺は、短く言った。
「受け取るな」
「えっ……」
優奈が戸惑う。
女子が俺を見た。そこで初めて、“隣にいる俺”を認識した顔をする。
「誰?」
「関係ない」
「関係あるでしょ。今の優奈の配信、裏に誰かいるって噂だし」
噂、という言葉の軽さが、逆に怖い。
噂は流れる。噂は形になる。噂は人を呼ぶ。
優奈が慌てて言う。
「ち、違います!裏とかじゃなくて!えっと、えっと……!」
「顔に出てるって」
女子は笑って、優奈の額を指で軽く突いた。
「優奈は昔からそう。嘘つくと、眉が動く」
優奈が「うっ」と小さく息を詰めた。
俺は女子に視線を戻す。
「招待状は護符じゃない。繋がりだ」
「そ。繋がり。だから強い」
女子は悪びれない。むしろ当然みたいに言う。
「今の優奈、ギルドに単独で呼び出されてる。後ろ盾がないと、詰むこともあるよ」
優奈の喉が鳴るのが聞こえた。
“詰む”。その言葉が刺さった。
俺は優奈の肩に手を置いた。
「急ぐ」
「……は、はい!」
優奈は女子に向かって、無理やり笑う。
「ごめんなさい!ほんとに急いでるので!また連絡します!」
「いいよ。急いで」
女子は笑顔のまま、カードを持った手を下げない。
「受け取るだけ受け取って。使うかどうかは、後で決めればいいじゃん」
優奈が一瞬迷い、結局カードを指先でつまんだ。
「……ありがとうございます」
敬語が、震えている。
女子は満足そうに頷いて、最後に言った。
「――優奈。今夜のギルド、気をつけて。『管理』って言葉、優しく聞こえるけど、実態は“首輪”だから」
「……」
「首輪が嫌なら、うちの首輪の方がマシってこともある。世の中、そういうもん」
その言い方が、妙に現実的で。
優奈が笑えなくなる。
俺たちはその場を離れ、ギルドのビルへ向かった。
背中に視線が刺さる。女子が見ている。追ってこないのが、余計に怖い。
「結城くん……」
ギルドの正面玄関が近づく。優奈の声が小さい。
「今の子、わたしの知り合いなんです。昔ちょっと……配信のこと教えてくれて……」
「クラン所属か」
「はい……たぶん、いま若手枠で……」
「だから動きが早い」
優奈がカードを握りしめている。
紙じゃない。金属みたいに硬い。握っても折れない。折れないから、余計に“契約”っぽい。
ギルドのロビーに入ると、空気が変わった。
明るい。清潔。なのに、息が詰まる。
受付に近づいた瞬間、職員の視線が優奈に吸い寄せられる。
制服の高校生が二人、夜にギルド。目立つに決まっている。
「空下優奈さんですね。……お待ちしておりました」
受付の声は丁寧だ。丁寧なのに、心がない。
「はい……」
優奈が答える。
「こちらへ」
案内される。
エレベーター。上階。カードキー。無機質な廊下。
――前回より、明らかに“扱い”が重い。
会議室のドアが開く。中には三人いた。
若い男性職員(前回と同じ)、年配の女性職員(前回と同じ)、そしてもう一人――中年の男性。スーツの質が違う。肩幅が広く、目が静かで、笑わない。
優奈が息を飲む。
「……支部長代理です」
若い男性職員が淡々と言った。
「本件は当支部の判断だけでは扱えない可能性が出ました」
優奈の手が震える。
俺は椅子に座りながら、カードを握ったままの優奈を見た。
……招待状が、ここで効くか。
効いたら効いたで、別の地獄が始まる。
支部長代理が口を開く。
「空下さん。あなたの魔法――《携行許可》について確認する」
優奈が肩を跳ねさせた。
「な、名前だけです!名前だけしか……!」
「落ち着いてください。――確認したいのは“事実”です」
若い男性職員が端末を操作し、画面を示す。
「昨夜、当支部の入口監視ログに異常がありました。通常、内容物のある荷物は入口で弾かれます」
年配の女性職員が続ける。
「しかしあなたは、中身入りのリュックを持ち込んだ。これは事実ですか」
優奈が唇を噛む。
そして、俺を見る。助けを求める目。
俺は、短く頷いた。
“嘘をつくな”の合図。
「……事実です」
優奈が言った。
「でも!悪用はしません!わたし、怖いことはしたくないです!」
支部長代理が一拍置く。
「悪用するかどうかは、あなたの意思だけでは決まりません」
声が低い。
「それが“管理”の対象になるという意味です」
優奈が息を止める。
若い男性職員が続ける。
「本日、こちらから提示する条件を受け入れられない場合、あなたの配信活動は当面停止。魔法の使用も停止。端末の提出を求めます」
「えっ……!」
優奈の声が震える。
「そんな……!わたし、配信したいだけで……!」
年配の女性職員が冷静に言う。
「配信は遊びではありません。影響力です。あなたはそれを、自覚してください」
優奈の目が潤む。
その瞬間だった。
優奈の指が、ぎゅっと握っていたカード――クランの招待状に触れた。
まるで“思い出した”みたいに。
「……あの」
優奈の声が震えながらも、敬語の形を取り戻す。
「もし、わたしが……クラン所属予定だとしたら……それでも、同じですか?」
空気が変わった。
若い男性職員の手が止まる。
年配の女性職員が目を細める。
支部長代理が、初めて優奈の手元を見る。
「……クラン?」
支部長代理が言った。
優奈は、カードを机の上に置いた。
金属が机に触れて、小さく乾いた音がした。
エンブレムが見える。
職員たちの視線が、そのロゴに吸い寄せられる。
若い男性職員が、喉を鳴らした。
「……このクランは」
「知っています」
支部長代理が短く答えた。
「……企業案件だ」
年配の女性職員が端末を操作し、どこかに連絡を入れる。
さっきまでの“管理”の空気が、別のものに置き換わっていく。
――管轄が変わる。
若い男性職員が、先ほどより少しだけ丁寧に言った。
「……空下さん。クラン所属予定があるなら、話が変わります」
「変わるんですか!?」
優奈の「!」が戻る。
「えっ、変わるんですか!?さっきまで停止って……!」
支部長代理が淡々と告げる。
「当支部だけでの強制措置は、慎重になる。企業クランが関与した時点で、責任の所在が複雑になるからだ」
「……」
「つまり――こちらは“止める”のではなく、“引き渡す”方向に動く」
優奈の顔から色が消えた。
「ひ、引き渡すって……」
「保護、という言い方もできる」
支部長代理が言う。
「だが中身は同じだ。あなたは未成年だ。危険度の高い魔法を保有する未成年を、単独で放置するわけにはいかない」
年配の女性職員が、資料を机に置いた。
そこには、前回と同じ“注意事項”の形式がある。
しかし今回は、項目が増えている。文字が重い。
「本日より、配信は停止。――と言いたいところですが」
年配の女性職員が言葉を区切る。
「クランが責任を負う形で管理するなら、停止は“猶予”にできます」
優奈が息を吸う。
「猶予……?」
「期限付きです」
若い男性職員が言う。
「クラン側の担当者が本日中に面談に来るか、正式な書面が届くまで。あなたはそれまで、魔法の使用を控え、配信では一切触れないこと」
優奈が何度も頷く。
「はい!わかりました!守ります!」
「守れるなら、今夜は帰ってください」
支部長代理が言った。
「ただし――」
その声が、鋭くなる。
「逃げないでください。あなたの立場は、もう“ただの高校生”ではありません」
優奈が固まる。
俺は、椅子の背にもたれずに座ったまま、支部長代理の目を見る。
「確認したい」
「何ですか」
「クランが関与した場合、ギルドの判断は変わる。――だが、ギルドの監視は強くなる。そういうことか」
支部長代理が一瞬だけ、口角を動かした。笑ってはいない。
“理解が早い”と評価した顔だ。
「その通りです」
「……わかった」
面談は、それで終わった。
会議室を出され、ロビーへ戻る。
優奈の足取りはふらふらしていた。出てきたばかりなのに、もう疲れ切っている。
自動ドアが開き、夜の風が当たる。
優奈はそこでようやく、息を吐いた。
「……結城くん」
「何」
「わたし、助かったんですか?助かってないんですか?」
「助かった。……ただし、別の檻に入る入口を見せられた」
「檻……」
優奈が笑おうとして、笑えない。
「クランって……そんなに怖いんですか?」
俺は答えない。
答えられない。
優奈のスマホが震えた。
画面に表示されたのは、見知らぬ番号。通話。
優奈が青ざめて、俺を見る。
「……出ちゃだめですよね?」
「出るな」
通話は切れた。すぐに、今度はメッセージ。
『クラン担当です。空下優奈さん、今夜中に一度お話できますか』
優奈の喉が鳴る。
「……結城くん。今夜中って……」
「ギルドも言った。クランも言った。つまり、今夜は逃げられない」
優奈がカード――招待状を見た。
あれは護符じゃない。
繋がりで、首輪で、道具で。
優奈が小さく言う。
「……わたし、配信したいだけだったんです」
「配信は、影響力だ」
「……」
「影響力を持つと、取り合いになる。管理したい奴が出る。奪いたい奴も出る」
優奈が、俺の袖を掴む。
今度はさっきより強く。
「結城くん」
「……」
「いなくならないでください。お願いです」
敬語の形が、崩れそうで崩れない。
「わたし、ちゃんとします!ちゃんとするので!置いていかないでください!」
俺は、短く頷いた。
「置いていかない」
「……!」
優奈の目が少しだけ明るくなる。
「ほんとですか!?」
「ただし、これからは“選ぶ”ぞ」
「選ぶ……?」
「誰に見せるか。誰に渡すか。誰と繋がるか」
優奈は、招待状を握り直した。
それはもう、カードじゃない。
爆弾のピンだ。
そして俺は、次に来るものを想像した。
クランの担当者。契約。条件。囲い込み。
ギルドの監視。停止の脅し。端末提出。
視聴者の噂。DM。金。誘い。
……そして、潜伏している“人間のふりをするもの”。
穴が空いた世界には、穴の向こうから入ってくる。
俺たちは今、その穴の縁に立っている。
(つづく)




