第2話 ギルドからの呼び出しと、資料の正体
ダンジョンの外に出た瞬間、空気が軽くなった。
さっきまで耳の奥にまとわりついていた湿気と土の匂いが、春の風に押し流される。公園では子どもが走り回っていて、犬の散歩をしている人がいて、ベンチで缶コーヒーを飲んでいる会社員がいる。
日常だ。
なのに、俺の胸の奥だけが、まだダンジョンの暗さを引きずっている。
優奈のスマホ画面に表示された通知――探索者ギルド第七支部、至急来訪。
“至急”の文字が、やけに冷たい。
「結城くん……」
優奈が俺の袖を掴む。さっきまでの明るさが薄くなっていて、敬語は保っているのに、声の震えだけが隠せていない。
「これって、怒られるやつですよね!? え、わたしたち……なんかやっちゃいましたか!? あの飴ですか!? 飴、映してないですよね!?」
「映してない。……でも、言った」
「言っちゃいましたね!? 結城くんが!結城くんが言っちゃいました!!」
責めてるようで責めてない。ただ、焦ってる。怖がってる。
「落ち着け。呼び出しは予想してた」
「予想してたなら先に言ってください! わたし、心の準備っていうものが――!」
「心の準備でどうにかなる相手じゃないだろ」
「そうですけど!!」
優奈が「!」を増やしながらも、急に小声になる。
「……でも、ギルドって、怖いんです。偉い人たちですよね?」
「偉いっていうか、管理してる側だな」
ダンジョンは出現して一年。法整備は追いついていない。だから現場の秩序は、半分ギルドが握っている。探索者の登録、危険区域の指定、救助の手配、素材の流通――全部、ギルドが絡む。
配信者も例外じゃない。
「今日は……配信、切れてて良かったです」
「配信つけたまま行くつもりだったのか」
「行きません!!さすがに行きません!!」
優奈は首をぶんぶん振ってから、急に真顔になった。
「……結城くん。ひとつだけ、確認してもいいですか?」
「何」
「結城くん、いなくなったりしませんよね? ……ギルドに連れていかれて、帰ってこないとか……ないですよね?」
その言い方が妙に現実味を帯びていて、俺は一瞬だけ言葉を探した。
「大丈夫だ」
「……根拠がない“大丈夫”は、だめです!」
「じゃあ根拠を言う。俺は、やばいことは表に出す気がない」
「……やばいことって、何ですか?」
「今は答えない」
「そこが一番怖いんですけど!?」
優奈の声が裏返る。けど、俺は言わない。言うわけにいかない。……正確には、言ったら面倒が増える。
俺は駅前のビル群を見上げて、歩き出した。
「行くぞ。待たせると印象が悪い」
「印象!はい!行きます!」
ギルド第七支部は、駅前の一等地にあるガラス張りのビルだった。外から見えるロビーは明るいのに、入った途端、空気が“役所”になる。受付の女性がにこやかに笑っているのに、なぜか背筋が伸びる。
受付で通知画面を見せると、すぐに「こちらへどうぞ」と案内された。
通されたのは、会議室。白い壁、長い机、椅子が六脚。窓はあるのにブラインドが降りていて、外の景色は見えない。
すでに二人、待っていた。
片方は若い男性。スーツがピシッとしていて、髪型も整いすぎている。目が笑ってないタイプだ。
もう片方は年配の女性。落ち着いた雰囲気で、手元の端末を淡々と操作している。
「結城悠真さん、空下優奈さんでお間違いないですね」
若い男性が言った。声は柔らかいのに、芯が硬い。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます。探索者ギルド第七支部、配信安全管理課の――」
「えっ、そんな課があるんですか!?」
優奈が即座に割り込む。
「あっ、すみません!ありますよね!ありますよね、そりゃ!」
若い男性が一瞬だけ目を細めて、それから淡々と続けた。
「確認と、警告のためにお呼びしました」
警告。単語だけで胃が重くなる。
年配の女性が端末を置き、口を開く。
「昨日の配信、拝見しました」
「えっ……見られてたんですか!?」
「見ます。必要があれば」
「ひぃ……!」
優奈が小さく縮こまる。
「結論から申し上げます」
年配の女性の声は穏やかだ。穏やかなのに、逃げ場がない。
「魔法に関する情報。あれ以上、配信で言及しないでください」
優奈が息を飲む。俺の方を見る。「やっぱり……」という目。
若い男性が補足する。
「公にした場合、どんな影響が出るか分かりません。模倣、混乱、犯罪誘発、企業間トラブル……最悪の場合、探索者の事故も増えます」
「……わ、わかります!」
優奈が勢いよくうなずく。
「わかりますけど!わたし、別に拡散したいわけじゃ――」
「あなたの意図は関係ない」
若い男性が遮る。
「視聴者がどう動くかが問題です」
優奈の口が、開いたまま止まった。言い返したいけど、言い返せない。正論だから。
俺が口を開く。
「魔法の話を広げる気はない」
若い男性の視線が、俺に移る。
「……あなたが発言しましたね」
「うん。俺だ」
「ではあなたが責任を持って制御してください。彼女を巻き込むのはやめなさい」
優奈が「巻き込まれてません!」と言いかけて、途中で飲み込んだ。賢い。今は反論する場じゃない。
俺は、静かに言った。
「今のところ、優奈以外に言うつもりはない。明かすのは最低限で、それ以上公にするわけじゃない。問題ないはずだ」
若い男性の眉が動く。警戒が濃くなる。
「あなたはギルドの立場を軽く見ている」
「見てない。だから確認しに来た」
「確認?」
「ルールのすり合わせだ」
俺は、椅子の背に寄りかかりすぎないように姿勢を正した。礼儀は武器だ。こういう場では。
「昨日、認識合わせのための資料を送りましたけど。見ましたか?」
会議室の空気が、一拍遅れて止まった。
優奈が横で「資料!?」と声にならない声を出す。俺の方を見て、口をパクパクさせる。
若い男性が端末を操作し、眉間に皺を寄せる。
年配の女性が「……ああ」と小さく頷き、端末を受け取った。
画面をスクロールする指が止まるたび、彼女の表情が少しずつ変わっていく。
「……公開してよい情報……」
年配の女性がぼそりと読んだ。
優奈が身を乗り出す。
「えっ、えっ、何ですかそれ!?結城くん、何送ったんですか!?」
若い男性が、端末の画面をこちらに向けないまま、淡々と読み上げ始めた。
「……魔法関連の情報。ただし効率的な魔法のランク上げの方法は、ランクA以上は人殺しを誘発するため配信での言及禁止……」
「えっ……!?」
優奈の声がひっくり返る。
「ひ、人殺しって……どういう――!?」
「声、出すな」
俺が小さく言うと、優奈が両手で口を押さえた。目だけで「だって!」と訴えてくる。
年配の女性が、画面をさらにスクロールする。
「伏せる情報……①ランクA以上の魔法レベリング方法について。②魔物の中で一定以上の飛び抜けたランクは、ダンジョンの外に出ても存在を保てる……」
優奈の目が、どんどん丸くなる。
「えっ、ちょっ……えっ!?外に出ても!?えっ!?そんなのいるんですか!?」
「静かに」
「む、無理です!無理ですよ!だって怖いじゃないですか!!」
若い男性が、ゆっくり息を吐いた。
さっきまでの“取り締まり”の顔が、少しだけ変わっている。
警戒じゃない。別のもの――評価。
「……あなた、これはどこで」
「それは今はいい」
俺は切った。
「確認したいのはそこじゃない。これで“度を越えない限り”問題ないかどうかだ」
年配の女性が端末を置く。咳払いをひとつ。
それだけで、会議室の空気が少しだけ柔らかくなった。
「結論から申し上げます」
彼女の声はさっきより穏やかだ。
「この運用であれば、度を越えない限り黙認できます。こちらとしても、全面禁止は現実的ではありません」
優奈が「えっ」と声を漏らす。
若い男性が続ける。
「ただし条件があります。魔法に関しては固有名詞を用いないこと。入手条件の再現につながる説明は禁止。確率や当たり枠の言及も禁止。映像に写った場合は加工。守れますね?」
「守る」俺は即答した。
年配の女性が頷く。
「こちらから正式な注意事項を送付します。以後、違反があった場合は警告では済みません」
「わかった」
若い男性が、改めて優奈を見る。
「空下さん。あなたは配信者として、視聴者の行動に責任を持ってください」
「は、はい!もちろんです!……がんばります!」
優奈は礼儀正しく頭を下げた。けど、頭を上げた瞬間、顔が崩れた。
「えっ……ちょっと待ってください!?」
そして、爆発した。
「なんで許可が取れたんですか⁉ 状況が分からないんですけど⁉」
「えっ、いま怒られてましたよね!?怒られてたのに!?えっ!?」
「結城くん、資料って何ですか!?いつ作ったんですか!?いつ送ったんですか!?わたし聞いてません!!」
「それに、さっきの“外に出ても存在を保てる魔物”って何ですか!?そんなのいたら終わりじゃないですか!?」
「あと“人殺しを誘発”って何ですか!?魔法ってそんな危ないんですか!?!?」
会議室の大人二人が、同時に目を逸らした。
見なかったことにしたい話題なんだろう。
「空下さん」
年配の女性が優奈に向けて、穏やかに、しかし有無を言わせない声で言う。
「その質問は、ギルドではお答えできません。――そして、配信でもしないでください」
「で、でも!」
「でも、ではありません」
優奈が唇を噛む。明るさで押し切ろうとして、押し切れない相手だと理解している顔。
若い男性が俺を見る。
「結城さん。あなたが空下さんを管理できますか」
管理、という言い方が気に入らない。けど、否定しても意味がない。
「管理じゃない。……止める」
「言い換えはどうでもいい。止めてください」
俺は「了解」とだけ答えた。
面談はそれで終わった。会議室を出され、ロビーの光の中に戻る。さっきまでの圧が嘘みたいに、外は明るい。
でも、優奈の顔は明るくない。
支部の自動ドアをくぐった瞬間、優奈が俺の制服の袖を掴んだ。
「結城くん!」
「何」
「後で話すって言いましたよね!?今です!今が“後”です!」
「ここで?」
「ここで!ここじゃなくてもいいですけど!とにかく説明してください!」
「……帰り道でな」
優奈は一歩も引かない。
「帰り道ってどこですか!?駅ですか!?公園ですか!?家までついていきます!?」
「最後のはダメ」
「じゃあ途中でしてください!途中で!お願いです!」
俺はため息をついた。
こうなるのは、わかっていた。
優奈は怖がっている。けど、それ以上に――置いていかれることを恐れている。
さっき会議室で見えた“黒塗り”の文字列が、優奈の頭の中で勝手に形になっているのがわかる。
そして、その黒塗りの中身を、俺は知っている。
……知っているからこそ、言えない。
「優奈」
俺が名前を呼ぶと、彼女はピタッと止まった。
「はい!」
「今日、ギルドが黙認したのは、俺が“危険な情報を出さない”って示したからだ」
「……資料が、その証拠ってことですか?」
「そう」
「じゃあ……結城くんは、危険な情報を“知ってる”ってことですよね?」
優奈の声が、さっきより落ちる。敬語はそのまま。だけど「!」が減って、「?」が増える。
「……なんで、知ってるんですか?」
「……」
「結城くん。いなくならないでください」
「……」
「わたし、明るくしてますけど!ほんとは怖いんです!置いていかれるの、だめです!」
俺は答えない。
答えたら、優奈をもっと危ない場所に連れていく気がした。
優奈のスマホが震える。
今度は、ギルドからではない。見知らぬアカウントからのDMがいくつも届いている。
『さっきの飴の話、詳しく』
『裏で指示してたの誰?声出せ』
『情報買う。いくら?』
『企業の人間だけど会えますか』
優奈が青ざめて俺を見る。
「……結城くん。これ、やばいです!やばい人たち来てます!」
「……来たか」
俺はスマホの画面を覗き込み、静かに言った。
「これが、“広まると潰される”って意味だ」
「潰されるって……まさか、わたしたちが……?」
「それもある。……でも一番は――」
言いかけて、止めた。
この先は、優奈がまだ知らなくていい。
優奈が必死に笑顔を作る。
それが、逆に痛い。
「わ、わかりました!じゃあ……まず、どうしたらいいですか!?結城くん、指示ください!お願いです!」
「……スマホ、俺に貸せ」
「はい!……えっ、でも、わたしのスマホですよ!?貸して大丈夫ですか!?」
「大丈夫じゃないから、俺がやる」
俺は優奈からスマホを受け取り、画面を閉じた。
そして思った。
もう、始まってしまった。
優奈が配信を続ける限り、
俺が“知っている”限り、
俺たちは、普通の高校生活には戻れない。
(つづく)




