第72話 灰の黒鳥
世界のどこにもあれほどのものが埋まっているとは誰も思っていなかった。
灰の中から露出したレゾナンス研究施設は歪んだ塔とリングが絡み合うような異形で、事前の上空偵察写真や旧時代図面とも一致しない"異物"だった。
それでも表向き、アストレイアもカルディアも「旧時代のMEM関連技術が眠っているだろう」程度の見立てに留めていた。
アストレイア内部のごく一部──スリヤニエ設計局の特秘班だけは下層に"管理核"がある可能性と、起動手順の断片まで掴んでいた。だがそれが街ごと動く規模だとは確証がない。
レゾナンスシティ崩壊から30年。灰が降り始めた理由も中心に何があったのかも決着はついていない。だからこそ灰の下からせり上がった巨大移動要塞は脅威であり、同時に魅力だった。
前線はそれを"ベヒモス"と呼び、アストレイア内部では便宜上"灰の黒鳥"という符丁を付けた。
カルディアはUDFを押し退け、研究施設を自社資産として押さえる腹づもりだった。アストレイアはヘルマーチという汚れ仕事専門の傭兵大隊を雇い、先に手を突っ込むつもりでいた。
結果だけ見ればどちらも裏目に出る。
"灰の黒鳥"の浮上と同時に広域の電磁環境が死んだ。遠距離通信は途切れ、長距離レーダーは白いノイズに埋まり、残ったのは目視と光学、短距離の直結回線だけ。
——それでも見えるものは見えた。
カルディア第3強襲打撃群が殲滅された直後、アストレイアは強行偵察で"黒鳥"の断片を持ち帰っている。解析は不完全でも開口部の位置、無人機の出入り、砲塔列の規模、地下と繋がる可能性。会議で方針を組むには足りた。
次に"灰の黒鳥"はより露骨な答えを出す。
アストレイア所有の鉱山都市が最初に喰われた。
地上用無人ドローンが蜘蛛のような脚で斜面を駆け上がり、坑道の支柱を切り裂く。空からは空中ドローンが降り注ぎ、逃げる車列を次々に焼いた。鉱山は短時間で崩れ落ちた。
――その映像が各社とUDFへ渡ったのは遠距離通信ではない。鉱山都市の警備網に残った有線カメラ記録を崩落直前に保安部隊が回収し、装甲車で圏外へ運び出した。届いたのは生中継ではなく持ち帰られた切り抜きだが、十分すぎる内容だった。
各社とUDFが同時に混乱するには。
*
アストレイア社スリヤニエ設計局。
会議室の温度は一定でも室内は落ち着かなかった。テーブルには紙資料と端末が散り、誰も手を伸ばさない。技術主任席はいくつか空席のまま、理由も共有されない。
壁面スクリーンでは鉱山都市が灰と炎の中で崩れていく映像が無音で流れている。画面の隅には「回収ログ」「編集済」。生きた回線がない事実だけが残る。
同時に巨大な影が姿勢を変えながら浮上する解析映像も回っていた。街の土台ごと剝がれ、要塞の一部として飲み込まれていく様子を早送りとスロー再生で切り替え、解析用オーバーレイと重ねている。
「誰があんなものを要塞として完成させた?」
アストレイア保安軍の司令が低く言った。
「少なくともうちじゃない」
リュシア・ホルベイン博士が腕を組んだまま返す。スリヤニエ設計局のトップだ。
「レゾナンス施設の基礎設計なら一部はアーカイブにも残っている。だがその下を街ごと動く要塞にする図面はない。途中から私たちの知らない設計で継ぎ足されている」
スクリーンの一角に旧時代のMEM関連資料と今回の映像ログが並べられた。線画と黒鉄の巨体、その差分は誰の目にも明らかだ。
「分かるのはレゾナンスシティ崩壊以前の技術をベースにしていることくらいだ」
「MEMリアクタか、MEM演算か、その両方か。誰が何の目的で作ったのかはまだブラックボックスだよ」
司令は鉱山都市の映像へ視線を戻す。
「そのブラックボックスをうちはヘルマーチ経由で開けるつもりだった」
「開けたら中身ごと持って行かれた。そういうことだね」
リュシアは淡々と言った。
「しかも最初に砲口を向けたのはアストレイア所有の鉱山都市だ」
「無言の敵対宣言か」
「『余計な口出しをすれば次は本社か艦隊を叩き潰す』。お行儀のいいメッセージだろうね」
声色は怯えより興味が勝っている。
「博士。損害規模は洒落になりません。鉱山都市ひとつと付随設備、警備部隊一式です」
「分かってるさ」
リュシアは解析グラフを指先で追う。強いノイズ波形の山がいくつも立ち上がり、無人機展開のタイミングと重ねられている。
「ノイズの立ち上がりと無人機が出てくるまでの間。周辺インフラが落ちる順番。30年追っても掴めなかった"灰の黒鳥"がようやく輪郭を出した」
小さな笑いが落ちた。
「研究部門の感覚だと鉱山都市ひとつと引き換えでも釣りが来るデータだ。経理と上層部には言わない感想だけどね」
司令は返答を探して間を置き、話を戻す。
「でその灰の黒鳥をどうやって落とす」
「そこが本題だ」
リュシアが別のファイルを呼び出す。
陸上艦艇一覧から陸上戦艦のシルエットが拡大される。ボロジノ級陸上戦艦B型、レールガン搭載艦。1番艦ガングート、2番艦ロスティスラブ、3番艦レトヴィザン。
「本来は対MEM構造物用として計画し、改装した陸上戦艦だ」
「今はあれに向けるべきだと」
「最大のサンプルが勝手に出てきた。使わない手はない」
レールガンの仕様概要がスクリーンに走る。数値は黒塗りだが「初速」「貫通」だけが目立つ。
「装甲そのものはまだ読めない。だがノイズの揺れ方には癖がある。通常の電子機器は死ぬがリリスの基幹ユニットを搭載した艦なら一時的に前方のノイズを薄くできる可能性がある」
「その隙に艦首レールガンを撃ち込んで無人機の群れを穿つ。RFの通り道を作る」
博士は新しい実験計画を説明する口調のままだった。
「鉱山都市のことは?」
「避難率の報告を」
「現地から脱出した部隊の速報では住民の約6割が脱出成功。残りは確認中です」
「致命傷ではない。復旧は回る。操業は落ちてもラインは残る」
リュシアは背もたれへ軽く体重を預ける。
「死んだ人間の数は私たちの指標じゃない。必要なのは利益とデータと、その先にある"革新"だけだ」
「そのためなら手段を選ばない。アストレイアはそういう会社だろう?」
会議室が静まった。誰もすぐには言葉を継がない。
「他社にも連絡を取れ。カルディアもグラウバッハもあれをどう扱うかで揉めているはずだが」
リュシアはスクリーンの巨体を見上げ、薄く笑う。
「最初に届かせた奴の声が一番通りやすい。いつだってそうだ」
そのときテーブル端の端末に「追加資料:RF-12AR強行偵察/断片ログ」と表示が出た。担当員が静止画と簡易スケッチを並べる。砲塔列、上面の開口部、無人機の出入り、地下へ続く掘り返し跡。量は少ないが狙いどころの目安には十分だった。
*
一方、カルディア側の会議室は荒れていた。
灰膜の外縁近く、辛うじて電子機器が動く後方基地。第3強襲打撃群の生き残りと本社監察官、艦隊・陸戦の司令部要員が揃っている。灰で汚れた制服と硝煙の残る空気に白い壁と照明だけが過剰に清潔だった。
「報告をまとめろ。要点でいい。だが誤魔化すな」
監察官が低く命じる。声は大きくない。だから室内が一段、締まった。
「はい」
参謀が端末を開く。スクロールが一度だけ行き過ぎる。
「前提。作戦目的はUDF防衛線の排除ならびにレゾナンス研究施設の確保。施設は自社資産候補として押収予定」
「第二に施設の規模と下層構造について当方もUDFも正確な情報を持っていませんでした。把握できていたのは『MEM関連の旧時代技術が眠っている可能性』という推測レベルです」
「推測で打撃群を突っ込ませたということか」
監察官は端末ではなく人の顔を見て言う。
「推測の中身は過去30年の調査の積み上げです。ただ──」
「巨大移動要塞などとは誰も聞いていない」
「そのとおりです。施設下層にあの巨大構造物が存在することはカルディア、UDFともに把握していませんでした」
スクリーンに崩れた灰の地面から這い上がる《ベヒモス》が映る。第3強襲打撃群の平原ごと足場をもぎ取られ、地形が剝がされていく瞬間。
「諜報部隊の報告。ヘルマーチ大隊は当初アストレイアに雇われて動いていた可能性が高い」
「可能性か。確度は」
「交戦ログと捕捉通信からの推定です。決定打はありません。ただ結果として──」
参謀は言い切る。
「ヘルマーチはUDFを叩き、我々の戦線も打ち砕き《ベヒモス》と研究施設を丸ごと乗っ取りました」
監察官の視線が細くなる。
「裏切りを見抜けなかったのか。アストレイアの犬がただの犬で終わると思ったのか」
「こちらの評価は『傭兵は契約の範囲で動く』でした」
「甘い」
短い断罪が落ちる。反論は出ない。
「さらに巨大構造物起動後の最初の目標がアストレイア所有の鉱山都市だった点からコンラート・ヴェルナーは少なくともアストレイア社を最初から裏切る腹だったと推定されます」
「損害を受けたのは我々だけではないということか」
監察官が乾いた声で言う。
「だからといってこちらの損害が軽くなるわけではありません」
参謀が続ける。数字を読む声は平板だ。
「ヘルマーチ大隊および《ベヒモス》のドローン部隊により第3強襲打撃群は戦力の全てを喪失。投入した陸上艦も全て撃破。前線指揮系統は瓦解しました」
沈黙が落ちる。
「誰か即時反撃を口にしたか」
監察官が言う。室内の視線が揃って外れた。
「即時反撃案も検討はしました」
ラムゼイ司令の戦死を受け、第三強襲打撃群の指揮を引き継いだダン・リチャーズ准将が口を開く。言葉は抑制されている。
「ですがあの巨大構造物に現有戦力での攻撃は自殺行為です。灰内の通信環境は電子妨害で安定していない。長距離誘導兵器はまともに機能しません」
「つまり」
監察官が促す。
「即時再攻撃は行わない。いったん灰の外側まで下がり戦術級の投入も含めた対処法を協議すべきだと提言します」
「戦術級と言っても核か?」
誰かが吐き捨てるように言った。
「核ではありません。灰膜の中で核を使えば二次災害が読めない。投資回収の見込みもない」
リチャーズは即座に否定する。
「誘導が死んでいるのは事実ですが弾道砲撃と面制圧は別です。長距離砲撃・高出力兵器・電子戦の組み合わせで削ることはできる」
監察官は数秒、言葉を置く。
「情報戦と外交戦も同時に回せ」
命令形だった。
「はい」
別の参謀が資料を切り替える。
「表向きにはグラウバッハ、アストレイアに共同対処を打診します。人類共通の脅威に対する企業連携という建前で」
「本音は」
「ヘルマーチと《ベヒモス》に関する情報を引き出しつつ、隙あらば乗っとりか共同管理の形に持ち込むことです」
「腹黒いな」
誰かが言う。
「互い様です。相手も同じことを考えています」
リチャーズが結論だけ返した。
「そして」
参謀が続ける。ここから先は現実的だ。
「奪取作戦の検討が必要です」
スクリーンに《ベヒモス》の輪郭だけが残る。灰色の背景の中で影だけが濃い。
「本社の意向として巨大構造物本体の完全破壊案は最終手段です。資産候補でもある以上できれば壊さず奪う方向で動きたい」
「どうやってだ」
「長距離からの砲撃で武装を削ぎドローン展開能力と電子線出力を一定以下まで落とします」
「そのうえで灰内を抜けて外殻に取り付き、中枢へ侵入できる部隊が必要になります」
参謀が灰内の想定ルートに光点を打つ。
「電子機器が当てにならない環境下で頼れるのは脚です。RF部隊。しかも灰内運用の実戦経験がある連中が望ましい」
「自前の部隊では駄目なのか」
「未知の敵に社内RF戦力をぶつけるのは割に合いません」
参謀は淡々と言う。
「正規パイロットが死ねば育成コストと装備投資が消える。遺族補償、士気低下、編成再建も重い。一方傭兵なら契約金と保険料の範囲で損耗を処理できます」
室内がさらに静まる。
「つまり使い捨てにする気か」
低い声が落ちた。
参謀は目を逸らさない。
「盾ではなく外部の手です。我が社の血を薄くする。成功すれば実戦証明つきの戦闘データが入る。失敗して全損しても兵站と人員に傷は残りにくい」
リチャーズが短く言う。
「ヘルマーチという共通の敵があの巨大構造物を支配している。なら損害を抑えつつ最大効果の手段を選ぶべきだ。壊さず奪うための絵を今から用意しておく必要がある」
会議室に肯定の沈黙が落ちた。言葉にしないだけで現実だけは共有される。
灰の海を徘徊する《ベヒモス》はいまヘルマーチの手にある。だが所有が確定したわけじゃない。奪い返す余地があると思える限り誰も引かない。
——そのどちらの会議でもまだ「VOLK」という単語は出てこない。
けれど灰の中で脚を動かせる外部の手が必要になる瞬間が近いことだけはこの場の全員が理解し始めていた。
――次回、
第十四章 曇りの輪郭
第73話「それしか道がない」へ続く




