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灰の傭兵と光の園~人型兵器が、泥と血と油の中で唸る。装甲が砕け、信念だけが削れていく~  作者: 青羽 イオ
第十三章 まだここにあるもの

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第69話 セーブルが引いた線の先で

 アキヒトは暗いコクピットの中で目を開けた。


 ストレイ・カスタムは格納庫の奥で完全に電源を落としている。外の灯りがハッチの隙間からわずかに入り、狭い空間の輪郭だけを拾っていた。


〈ノルン〉『戦闘ログの再生を再開できます。続行しますか?』


 耳元で、いつもの軽い声がする。


「さっき止めたところからでいい」


 背もたれに体を預け、モニタのひとつへ視線を送る。映っているのは先日まで戦場だった光景だ。ヘル・ファルコンとヴァルケンストーム。コンラートの機体とヒロの機体。


 トンファーが折れ、シールドが弾かれ、パイルバンカーが見切られる。左腕が飛ぶ瞬間で、映像は止まっていた。


「再生」


 短く言うとログが動き出す。ヒロ機がよろめき、コンラート機が追い打ちに踏み込む。その間にセーブル機が割り込み、ヒロを後ろへ蹴り出して自分が前に立つ。


 数十秒の格闘。最後に、ヘル・ファルコンの刃がセーブル機のコア付近を貫く。


 機体が崩れる直前で、ログは途切れていた。


 ノルンがモニタの端に小さなウインドウを開く。


〈ノルン〉『セーブル少佐の介入がなかった場合のシミュレーション結果があります。表示しますか?』


「いらない」


 アキヒトは即座に切った。必要な数字は、もう十分に聞いている。


 セーブルが前に出たことで、コンラートの進行はおよそ40秒遅延。そのあいだにグレイランスの着艦ハッチを開き、回収態勢に入れた。


 もし、その40秒がなかったら。ヒロ機を拾い上げに行ったストレイ・カスタムごと、あの刃が届いていた可能性は高い。VOLKの前衛もグレイランスも、あの場から丸ごと消えていたかもしれない。


〈ノルン〉『補足データがあります』


 声の調子がわずかに落ちる。


〈ノルン〉『あの行動がなかった場合、現在ここにいる隊長の生存確率はログ上ほぼゼロです』


「そうだな」


 否定のしようがない。アキヒトも視界の隅で見ていた。ボロボロになりながらそれでもヒロがコンラートの前に立とうとしていたことも、折られてからもトリガーから指を離していなかったことも。


 結果だけ見れば、ヒロは負けた。ポートランスも、UDF司令部も守れなかった。セーブルも戻ってこなかった。


 それでも、ゼロではない。


 あいつが前に出なかったら、そもそもセーブルが割り込む隙がない。コンラートは俺たちを踏み潰し、研究施設の確保をもっと早く終わらせていただろう。結末が同じでも、ここに残る人数が違う。


〈ノルン〉『現在の自己評価は、「ほとんどすべて失敗した」とみなす方向に偏っています』


「見れば分かる」


 アキヒトは短く返し今日の甲板を思い出す。言葉が出ない隊長。何か言おうとして途中で止めてしまう隊長。


 隊長らしくないと言うのは簡単だ。だが医務室で寝たままではなく、自分の足で甲板まで出てきた。


「立たないで済ませるほうが、よっぽど楽だ」


〈ノルン〉『その選択を「楽」と判断している状態は、心理負荷としては高い傾向です』


「お前に言われたくない」


 小さく笑ってバックルを外す。暗いコクピットから出る直前、指先でパネルを一度だけ弾いた。


〈ノルン〉『指示をどうぞ』


「ヒロのLSLログ、直近の稼働ぶんだけでいい。癖が荒れてないか見ておきたい」


〈ノルン〉『了解。ヒロ機の直近LSLログを抽出し、保存します』


 ハーネスが肩から滑り落ちた。


 格納庫の空気は冷たい。焼けた金属と冷却水の匂いが混じっていた。



 ヒロは遺体安置所の手前で足を止めた。


 手前には狭い仕切りが1つある。白い布をかけられた担架はこの奥だ。扉の横には茶色い軍用箱がいくつも積まれていて、名前と番号が書かれたタグがひと箱ごとにぶら下がっている。


 ヒロは呼び出し用端末を握ったまま、その列の前で動けなかった。


 視線を走らせた先で、ひとつの札が目に入る。


 ──SABLE, F.


 手を伸ばせば届く距離なのに指先が動かない。箱はほかのどれとも変わらない。金属と布と紙切れが詰められているだけだろう。中身を知っているのはタグの文字と、ここへ運んだ兵だけだ。


「開けなくていい」


 背後から声がして、ヒロの肩がわずかに揺れた。


 振り向くとヴァイスが壁にもたれて立っていた。戦闘服の上に上着を羽織り、腕を組んでいる。


「中身を見ても、軽くはならん」


「確認くらいは」


「見たいのは中じゃないだろ」


 ヴァイスは箱ではなくヒロの顔を見た。


「セーブルがなぜ前に出たかだ」


 言われてヒロは口をつぐむ。あのときセーブルの機体が割り込んできた瞬間を何度も思い返している。自分の機体を後ろに蹴り出して前に立った背中を。


「俺がもっと――」


「隊長」


 ヴァイスが静かに遮った。


「セーブルは決めて前に出た。ここで止める、と」


 言いながら箱の札を指で軽く弾く。


「これ以上、下げない。これ以上、持っていかせない。そのために立った」


 ヒロは札の文字から目を離せない。ヴァイスは続ける。


「お前は、まだ終わっていない」


「終わっていない、か」


「そうだ」


 短くうなずく。


「ここで止まって自分で終わりにしたらセーブルの判断が無意味になる。前に出た意味が潰れる」


 ヒロは札を見つめたまま拳を握りしめた。


「俺は、全部守れなかった。ポートランスも、UDFの連中も、セーブルも」


「全部守れた隊長など見たことがない」


 ヴァイスは少しだけ目を細める。


「灰風の頃からな」


 慰めではなく、事実の確認だった。


「守れなかったものを数えるのは隊長の役目だ。だが、それだけ数えて止まるのは違う」


 短い沈黙が落ちる。安置所の奥から、布を掛け直す気配だけが伝わってきた。


「セーブルの役目はここまでだ」


 ヴァイスは箱の列に一度だけ目をやる。


「お前の役目はここから先だ。あいつが倒れた場所ごと踏み越えて、次にどこで踏みとどまるか。隊長が決めろ」


 ヒロはゆっくり息を吐いた。札の文字は見たまま、手は伸ばさない。


「分かった。今はまだ何も決めきれないかもしれない。それでもここで終わりにはしない」


「それでいい」


 ヴァイスはわずかに口元を緩めた。


「セーブルの遺品は、しかるべきところへ届ける。お前は戻れ。待っている連中がいる」


 ヒロは一度だけ箱に頭を下げ、踵を返した。


 重さは残った。それでも「ここで止まる」という選択肢だけは、少しずつ遠ざかっていく。


 セーブルが止めた場所の先で、自分はどこに踏ん張り直すのか。答えはまだ見えない。


 けれど、その答えを考える場所へ戻ることだけは、今、自分で決めた。



 その頃、《グレイランス》の居住区の奥。


 サキは子どもたちの部屋の前で足を止めた。プレートには簡単な絵と名前が並び、それぞれが自分で描いたマークになっている。


 扉の向こうから押し殺した笑い声と紙が擦れる音が聞こえる。


「入るよ」


 ノックしてから扉を開けると小さな背中がいくつも振り向いた。


「さきせんせー!」


「見て! これ!」


 机の上には色鉛筆と紙が散らばっている。その真ん中に大きな画用紙が1枚あった。灰色の地面とその上に立つ大きな人型。顔のところにはやたら大きな目と口が描かれている。


「それ、誰?」


「ヒロたいちょう!」


 タクトが胸を張る。


「この前モニタで見えたんだよ。ここにどーんって立ってた」


 タクトは足もとを指さす。


「みんなで見たでしょ。VOLKのお兄ちゃんたちが帰ってくるとこ」


 別の子が、少し誇らしげに言う。


「『もう大丈夫だ』って、帰ってきたときに、ちゃんと言ってくれたんだよ」


「そうなんだ」


 サキは思わず笑った。


「じゃあ、こっちの大きいのは?」


 画用紙の端には、もう1機いる。猫みたいな耳がついた細身の機体で、描き慣れている線だった。


「それはアキヒト!」


 リノが即答する。


「いつもヒロたいちょーのそばにいるから」


「ふたりとも、ちゃんと帰ってきてくれてよかったね」


 サキがそう言うと、子どもたちは一斉にうなずいた。


「ヒロたいちょー、怪我してるの?」


「うん、ちょっとね。でも生きてる。ちゃんと戻ってきてるよ」


 損失の話ばかりが頭に残ることがある。けれどこの部屋の10人は今こうして笑っている。甲板で騒いでいたVOLKのメンバーも誰ひとり欠けていない。


 画用紙の人型は、たぶん少し格好よく描きすぎだ。それでも、子どもたちにとっては“あの日の背中”なのだろう。


「ねえ、さきせんせ」


 リノが少し躊躇うように手を上げた。


「この絵、たいちょーに見せてもいい?」


「もちろん」


 即答してからサキは少しだけ考え直す。今のあの顔にいきなり渡していいのか。それでも見せるべきだと思った。


「ちゃんと見せよう。ヒロが守ってきてくれたってこと。あの人が、一番忘れそうだから」


 子どもたちは意味までは分からない顔をしていたが、「うん」とうなずいた。


 画用紙の端に、小さな文字が書き込まれていく。


 ありがとう。

 かえってきてくれてうれしい。

 またいっしょにゲームしてね。


 サキはその様子を見ながらふと扉の方へ視線を向けた。


 廊下の向こうで誰かが足を止めた気配がした。角の陰からヒロの背中が一瞬だけ見える。こちらを振り向きかけて結局そのまま歩き去っていった。


 呼び止めようとしてサキはやめた。今はまだ振り向かせなくていい。立ち止まらずに歩いているその事実だけで十分だった。


 ――あなたが守ったものは、ちゃんと残ってる。


 言葉にしないまま、そう思う。


 その証拠は、この部屋の10人と、画用紙の上の2機がもう持っている。いつか本人に渡す。今はその“いつか”を残して、今日の夜を回す。


「よし、じゃあ今日はここまで。歯を磨いたら、寝る準備だよ」


「えー!」


 不満の声が上がる。それでも子どもたちは紙を大事そうに抱え、洗面所へ向かった。


 サキは机の上に残った色鉛筆を1本拾い上げる。


 ヒロが自分を「全部失敗した」と思っているあいだも、守られたものはこうして残っている。その事実だけは誰にも奪わせたくなかった。



――次回、第70話「起動:ベヒモス」へ続く


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