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灰の傭兵と光の園~人型兵器が、泥と血と油の中で唸る。装甲が砕け、信念だけが削れていく~  作者: 青羽 イオ
第十三章 まだここにあるもの

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第68話 守れなかったあとに残るもの

 最初に戻ってきたのは、機械の音だった。


 耳元で一定の間隔が刻まれている。〈警告音〉[ピッ、ピッ]


 瞼を持ち上げると、白い天井があった。消毒液の匂い。布団の重さ。右腕に固いチューブの感触。


 見慣れた天井だと、ヒロは思った。


「気がついたか」


 低い声が、頭の少し上から落ちてきた。


 視線を横にずらすと、簡易ベッドの脇で白衣の男が椅子に腰をかけていた。グレイランスの軍医長、マティアス・アサクラ。何度も見てきた顔だ。


「マティアスか」


「そうだ。医務区画だ。お前も好きだな、ここ」


 淡々と言ってから、マティアスは手元の端末に目を落とした。


「頭を打ってる。肋骨も何本かいってる。だが命に別状はない」


 そこでようやく、ヒロは自分の体に意識を向けた。体が重く、少し動かすだけで痛む。胸の固定ベルトが呼吸を抑え、深く吸おうとすると痛みが返ってきた。


「戦場は」


「今日は終わりだ。カルディアもUDFも、まとめてボロボロになって引いた」


 マティアスは事務的に告げる。


「お前がここに運び込まれたのは全部が引き始めてからだ。ヘルマーチが暴れてくれたおかげで、向こうもこっちも後ろを向かざるを得なくなった」


 その名で、ヒロの意識が冴えた。


「ヘルマーチは?」


 喉が乾き声はかすれた。それでも言い切る。


「お前の機体を大破させたのは、たぶんヘルマーチの隊長機だ」


 マティアスは端末の画面をめくりながら、あっさりと言う。


「あの状況で、生きてここに転がりこんだ時点で、お前の勝ちだ。助かったのは、お前のほうだ」


 ヒロは、次に来る言葉を察していた。それでも口が先に動く。


「セーブルは」


 マティアスの指が端末の上で一瞬だけ止まった。その短い間でヒロの体が固くなる。


「セーブル少佐の機体はコア反応が完全に途絶えている。現場の記録じゃ——」


 マティアスは一度言葉を切り、続けた。


「あれだけやられて、生きてる可能性は低い。期待するな」


 白い天井が、少し遠のいたように見えた。


 ヒロは何も言えなかった。言葉を探す前に喉が閉じたままだった。マティアスはしばらく待ってから短く息を吐く。


「細かい話は、立てるようになってからでいい。今は寝ろ」


 モニタの数字をひととおり確認し、点滴のラインを軽く持ち上げる。


「ここまで運んだ連中には感謝しとけ。お前を医務区画まで引きずり込むために、何人かがわざわざ“前”を空けた」


 返事はなかった。代わりにヒロの指先だけがシーツの上でかすかに沈んだ。握るでも叩くでもなく、行き場をなくした力が布を押しただけだった。



 どれぐらい時間が経ったのかよく分からない。二度目に目を開けたとき医務室の灯りは少し落とされていて、隣のベッドには別の兵士が眠っていた。カーテンが半分だけ引かれ、その隙間から通路の灯りが細く漏れている。


 身体を起こそうとすると、胸の痛みが強くなる。


「くそ」


 息が漏れた。胸の固定ベルトに手を伸ばし、固定を少しだけ緩める。それでも痛みは残った。


 ベッド脇のスタンドに、リモコンと水のボトルが置かれていた。


 ヒロはしばらく手を止めてからリモコンのひとつを取る。ボタンには「外部カメラ/甲板」とだけ書かれていた。


 押す。


 ベッド脇の小さなモニタに、甲板の映像が映る。鈍い色の中に、RFの影がいくつも立っていた。


 そのうちの一機が自分の機体——ヴァルケンストームだった。


 片腕がない。肩から先が消え、露出した枠組みが外気にさらされている。胸部装甲には斜めに深い傷が走り、コクピットの周りには補修用のマーキングが打たれていた。


 固定具で甲板に縛られた機体はもう"出る"ものではなく、ただの大きな残骸に見えた。


 ヒロは画面を見続ける。


 そこにセーブルの機体は映っていない。あの時コンラートの刃を受け止めていた影も、どこにもない。


 あるのは、壊された装甲の線と、切断面の明るい金属色と、それを取り巻く補修班の動きだけだ。


 ヒロの指がモニタの縁を掴む。


 守れなかったものを順に数え始める。ポートランス。UDF司令部。セーブル。そしてこの機体の背中に乗せたまま、守るつもりだったもの。


 途中で、胸の痛みが強くなった。


 ヒロはリモコンから指を離し、映像を消した。



 医務室を出てもいいと言われたのは、それからさらに1日後だった。


「走らないこと」「重いものを持たないこと」「勝手にRFに乗らないこと」と3つほど念を押されてヒロは廊下に出た。


 歩くだけでも、痛みは続く。それでも、ベッドの上に戻る気にはなれなかった。


 甲板につながる通路を抜けると鉄の匂いと冷却水の湿った匂いが鼻を刺した。


 《グレイランス》の上には、相変わらずRFたちが並んでいた。装甲の穴は塞がれつつあるが、表面には焦げ跡と擦り傷が残っている。


 ヴァルケンストームも、その列の端にいた。


 近づくと整備班の誰かがヒロに気づき、軽く手を挙げる。


「隊長、歩いて来れるなら上等ですよ」


「迷惑かけた」


 それだけ言って、ヒロは機体を見上げた。


 切断された左肩に、仮のカバーが被せられている。そこから先は空洞で、配線と緩衝材がむき出しになっていた。


 思い出そうとした瞬間、セーブルの機体がコンラートに斬り裂かれていく場面が浮かび、そこで止めた。


「おーい、隊長」


 不意に背後から声が飛んできた。


 振り向くとゴーシュとガンモ、それにリュウとポチが甲板の影からぞろぞろと出てくるところだった。


「退院祝いに顔見に来たぞ。まだ真っ直ぐ歩けてんのか?」


「医務室がうるさいから、追い出されたんだろ」


 ガンモがいつもの調子で言い、ポチが端末を抱えたままヒロを上から下までざっと見た。


「データ上はまだ安静マークついてるけどな。無茶はすんなよ」


 リュウは何も言わず、片手を軽く上げる。


 いつものVOLKの顔ぶれだ。


 ヒロは口を開きかけて声が続かないことに気づいた。言うべきことはいくつもあるのに形にならない。


「ああ」


 結局、出たのはそれだけだった。


 ゴーシュが少しだけ目を細める。


「顔色悪いぞ。まだ寝てたほうがいいんじゃないか?」


「平気だ」


 反射みたいに返す。続ける気が失せた。


「悪い。用事を思い出した」


 ヒロはそれだけ告げて、彼らの横をすり抜けた。


 誰も無理には引き止めなかった。けれど視線は追ってくる。心配と気遣いと声を掛けるタイミングを見失った沈黙。


 通路の角を曲がったところでヒロは鉄の壁に片手をついた。握った拳がわずかに震えている。


 隊長らしいことが、ひと言も言えなかった。


 それが戦場で負けたときよりも、長く残った。



――次回、第69話「セーブルが引いた線の先で」へ続く

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