第67話 生きて線を引け
UDF前線司令部だった区画は、もう「基地」と呼べる形をしていなかった。
コンクリートの庇は半分えぐれ、アンテナマストは途中で折れている。仮設コンテナは押しつぶされ、車両は横倒しのまま黒く焼け焦げた。瓦礫の間から焦げた配線の匂いと熱を含んだ灰が、まだ薄く立ちのぼっている。
その少し手前で、RF-17Cが、どうにか脚を踏ん張っていた。
ヒロの機体だ。肩と盾には弾痕がいくつも刻まれ、脚部の警告ランプが点滅をやめない。片膝をつきかけても、姿勢制御が粘って立たせている。
正面。灰煙の薄い幕を裂いて、深い緑と黒の機体が現れた。
RF-21H。胸と肩に刻まれた部隊章は、ヘルマーチのものだ。
ゆっくり歩を止め、ヴァルケンストームと向かい合うように立つ。共有回線が、自動で開いた。
〈コンラート〉『道を空けろ、ヒロ。お前に守れるものは、ここにはもう残っていない』
落ち着いた低い声だった。子どもの頃に何度も聞いたはずなのに、識別信号が重なった瞬間別人のように冷たく響く。
ヒロは片手のトンファーを握り直した。
〈ヒロ〉『それでも、ここを通せば終わる』
〈コンラート〉『まだやるつもりか』
〈ヒロ〉『俺は、お前のために戦ってるんじゃない。ここで退けば、全部――お前の思い通りになる』
沈黙が一拍だけ落ちた。
次の瞬間、ヘル・ファルコンの腰のマウントから高周波ブレードが引き抜かれる。刃の輪郭が、ちらりと白く光った。
〈コンラート〉『なら――判断が間違っていたと、体に教えてやる』
同時に、機体が滑るように前へ出る。
ヒロも短くスラスターを噴かし、間合いを詰めた。ヴァルケンストームのトンファーが、斜め下から胴を狙って振り上がる。
金属がぶつかる音が、コクピットに響く。高周波ブレードが、トンファーを正面から受け止めていた。
押し込む。だが、前に出ない。駆動が限界域に近づき、ヒロの前方加重が削られていく。
〈コンラート〉『力だけなら、悪くない』
圧が抜けた。
視界の右下で、コンラート機の姿が消える。ヘル・ファルコンは半歩だけ左に滑り、ヒロの振り上げを空に打たせた。
そのまま、ブレードが横一文字に走る。
武装重量が消えた。
HUDの武装表示がひとつ落ちる。切断面から火花と破片が散り、トンファーの先が灰へ落ちた。
〈ヒロ〉『――っ!』
間を空ける前に、コンラート機が踏み込んでくる。
ヒロは反射で、左腕の盾を突き出した。距離を取り返すための動きだ。
だがヘル・ファルコンは、そこすら読んでいたように一歩引く。
空振りになった盾の横を、深緑の脚がすり抜ける。
同時に、機体側面へ重い衝撃。
蹴りだ。ヘル・ファルコンの踵が、ヴァルケンストームの腰を打ち抜いた。
シートベルトがきしみ、モニタが一瞬だけ白く飛ぶ。
〈コンラート〉『焦るな。動きが荒れている』
ヒロは歯を食いしばり、姿勢制御を叩いて立て直す。
距離が、わずかに開いた。
その隙に、ヒロは最後の切り札へ指をかける。
左腕の盾――内側に仕込んだパイルバンカー。シリンダーのロックが外れる音が、小さくコクピットに響いた。
線――地図の線じゃない。守るために捨てることを決める境界だ。
〈ヒロ〉『まだだ!』
ヴァルケンストームが地面を蹴った。二度踏み込み、自分なりのタイミングで前へ出る。
コンラート機の胸元が照準枠に入る。ヒロはトリガーを引き絞ろうとした。
その瞬間、ヘル・ファルコンの盾が、わざとらしいほど大きく開いた。
〈コンラート〉『ほら、来い』
誘いだ。分かっていても、止められない。
パイルバンカーが盾の中央へ突き刺さる。炸薬の反動が腕に返り、衝撃が機体全体へ伝わった。
――だが、貫けていない。
盾の内側で複数層の装甲が弾ける感触だけが残る。
防がれた。
そう気づいたときには、もう遅い。高周波ブレードの軌跡が視界の左を横切り、警告音が遅れて鳴り響く。
左腕のステータス表示が、真っ赤に塗り潰されていった。
盾とパイルバンカーごと、ヴァルケンストームの左腕が根元から落ちる。
視界の隅で、自分の腕だったものが灰の上を転がった。
〈ヒロ〉『くっ……!』
バランスを崩した機体が片膝をつく。脚部フレームに亀裂が走り、油圧の値が急激に落ちていった。
〈コンラート〉『まだ“捨てる線”が引けていない』
ヘル・ファルコンはブレードの先をわずかに下げたまま、距離を保つ。とどめを急がない態度が、かえって圧を増した。
〈コンラート〉『何もかも抱えて、誰も失わずに済むと思っている。――子どものままだ』
ヒロは荒い呼吸を抑え、顔を上げる。
〈ヒロ〉『だからこそ、俺は俺のやり方を選ぶ』
〈コンラート〉『笑わせるな。ナオミの膝で泣いていたあのガキのままじゃないか』
名前を出された瞬間、熱が怒りへ変わる。
〈ヒロ〉『母さんの名を、戦場で使うな』
〈コンラート〉『使うかどうかも、お前が選べ。戦う理由を選べ。そのために捨てるものも、だ』
ヒロは唇をかみ、言葉を飲み込む。
〈ヒロ〉『俺は、お前と同じやり方はしない』
間が落ちた。呼吸が一度、ぶつ切れになる。
〈コンラート〉『なら――それも境界だ』
ヘル・ファルコンのブレードが、ヴァルケンストームの頭部へ向けてゆっくり上がる。
片腕と脚をやられたまま、ヒロの機体は動けない。コクピットの中で額から流れた血がこめかみを伝い、顎の先から落ちた。
〈ヒロ〉『……まだ、終わってない』
かすれた声が、回線に残る。
〈コンラート〉『戦場は、結果だけが残る』
淡々とした声。
〈コンラート〉『お前はまだ、その覚悟が足りない』
ブレードが角度を変え、胸部へ切っ先が吸い寄せられる。
〈コンラート〉『ならば――』
そのとき、横合いから別の衝撃が叩き込まれた。
灰を蹴り上げて飛び込んできたセーブルのRFが盾ごと体当たりするようにヘル・ファルコンの脇腹へぶつかる。ブレードの軌道が逸れ、地面に深い傷を刻んだ。
〈セーブル〉『隊長は、ここまでだ』
重い声が、共有回線に割り込む。
〈ヒロ〉『セーブル――』
反射で名を呼んだ。
〈ヒロ〉『まだ動ける。下がる気はない』
〈セーブル〉『分かってる』
〈セーブル〉『だが、今のお前じゃ勝てない。俺だって怪しい。――それでも、ここは俺の番だ』
セーブルは盾を押しつけたまま、半歩、ヘル・ファルコンを押し返す。
その隙間へ、もう1機の機影が滑り込んできた。
灰色の右肩装甲に一本だけ白いラインが走る機体。背中から太い牽引ケーブルが伸び、グレイランスの艦体へと消えている。
〈アキヒト〉『VOLK-1、到着。ヒロを回収する』
落ち着いた声が乗る。
〈セーブル〉『VOLK-1、いいタイミングだ。隊長を引きずっていけ』
セーブルの声がわずかに緩む。
〈セーブル〉『こっちは俺が持つ。お前は後ろを振り向くな』
ストレイ・カスタムがヒロ機の横へ出て膝を沈める。右腕をヴァルケンストームの肩の下へ差し入れ、壊れかけた機体の両脇を抱えるように支えた。
〈アキヒト〉『ヒロ、そのままじっとしてろ。動くと落ちる』
背中のケーブルが2機の間を回り込み、胴へ回される。アキヒトは機体を少しひねって角度を作り、ケーブルを前から背中側へ送り込んだ。
太いケーブルがヴァルケンストームの胴を抱え込む輪になる。ストレイ・カスタムの腕と合わせ、ヴァルケンストームは抱え上げられた格好になった。
〈アキヒト〉『グレイランス、VOLK-1。牽引準備完了。巻き上げ開始してくれ』
〈ナロア〉『了解。牽引ドラム回転。ケーブル巻き上げる』
張力がきしみ、2機分の重さがグレイランスへ引かれていく。
〈ヒロ〉『待て、セーブル。ここを渡したら――』
声が漏れた。
〈セーブル〉『違う』
鋭い言葉がかぶさる。
〈セーブル〉『お前がここで倒れたらその先で踏みとどまる奴がいなくなる。――それじゃ本末転倒だ』
ヘル・ファルコンが体勢を立て直す。
セーブルは盾を構え直し、灰の中へ脚を踏み込んだ。
〈セーブル〉『命令だ、隊長』
灰を割るように声が飛ぶ。
〈セーブル〉『死に場所を選ぶのは、年長組の特権だ。――お前は生きて、次を止めろ』
張力が増し、ストレイ・カスタムとヴァルケンストームはずるずると後ろへ引かれていく。足元の灰が流れ、倒れたRFの残骸や砕けた舗装が一本の流れになって後ろへ過ぎた。
灰の幕を挟んで、セーブルの機体とヘル・ファルコンが対峙する。
〈セーブル〉『コンラート』
低く名を呼ぶ。
〈セーブル〉『隊長は、ここから先へ行かせん』
〈コンラート〉『まだ、「白帯を守る」って言い訳に縛られているのか』
〈セーブル〉『縛られちゃいない』
セーブルは盾を一段深く下げる。
〈セーブル〉『俺が選んでここに境界を置いてるだけだ』
〈コンラート〉『そんな足止めに、どれほどの価値がある』
〈セーブル〉『俺が倒れた先であいつらが次を止められる。それだけで十分だ』
〈コンラート〉『くだらん自己満足だな』
〈セーブル〉『くだらんかどうか決めるのは、お前じゃない』
セーブルは静かに笑った。
一拍置いて名を呼ぶ。
〈セーブル〉『コンラート・ヴェルナー』
ヘル・ファルコンのブレードが、ほんのわずか止まる。
〈セーブル〉『久しぶりだろ。その名前で呼ばれるのは』
〈コンラート〉『その名は捨てた』
〈セーブル〉『そうか』
セーブルは地面に足を沈める。
〈セーブル〉『なら、なおさら遠慮はいらんな。――来い』
2機の距離が一気に詰まった。
その瞬間、ヒロのコクピット内サブモニタに、ズーム映像が映る。
盾が割れる。灰をまとって装甲が砕ける。ブレードが肩口から深くめり込み、火花と破片が散った。
〈ヒロ〉『セーブル――ッ!』
〈アキヒト〉『ヒロ、見るな』
低い声がかぶさる。
〈アキヒト〉『あいつは自分で選んであそこに立ってる。お前は生きろ。次で止めろ』
それでも映像は切れない。灰の向こうでセーブルの機体とコンラートのヘル・ファルコンがぶつかり合っている。
セーブル機の胴体には深い切り傷が増え、片脚は膝から先がない。残った脚でどうにか立ち続けている。
〈ヒロ〉『やめろ』
声がかすれた。
〈ヒロ〉『セーブル、もう――』
〈ヒロ〉『セーブル! 下がれ! まだ――』
返答は、ノイズに飲まれた。
画面の中で、コンラートのヘル・ファルコンが一瞬だけ姿勢を低くする。次の瞬間、ブレードが弧を描き、セーブル機の盾ごと胴を貫いた。装甲が裂け、内部から炎と破片が噴き出す。
セーブルの機体がゆっくりと膝を折った。胸部フレームが砕け、コア付近で何かが光を失う。
そのまま、灰の上に前のめりに倒れ込む。
〈ヒロ〉『セーブル!』
叫びは届かない。回線の向こうには、途切れた識別信号だけが残った。
牽引ケーブルがさらに巻き上げられ、2機は斜面を上がっていく。灰の向こうに、陸上戦艦グレイランスの側面と後部ハッチの光が近づく。
ハッチの内側で、ストレイ・カスタムが最後の一歩を踏み込んだ。外との境界を越えた瞬間、後部ハッチが閉じ始める。鈍い金属音。外の光と音が遮断されていった。
爆発音も、砲声も、ローターの唸りも、厚い装甲と隔壁の向こうへ押しやられる。
残ったのは、機内の振動と、呼吸の音だけだ。
ヒロはシートハーネスに押さえつけられたまま、拳を握りしめた。ほどけない。
ポートランスは燃え尽きた。
UDF司令部は半壊した。
いま目の前で、セーブルが倒れた。
助けたかったものは、どれも救い切れていない。
(まただ)
言葉にならない声が、内側で渦を巻く。
(また、俺は守り切れなかった)
視界の端で、血の色が乾き始めていた。
LSLの残響と警告表示と失ったものの数だけが、いっぺんに迫る。
その姿を、別回線のカメラ越しに見ている者がいた。
ストレイ・カスタムのコクピットで、アキヒトは黙ってモニタを見ている。灰に汚れたヴァルケンストームの機体と、その中で俯いたまま動かないヒロの顔。
言葉は出ない。
だから、目だけは逸らさなかった。
――次回、
第十三章 まだここにあるもの
第68話「守れなかったあとに残るもの」へ続く




