第5話 後編 VOLK隊の帰艦
食堂の扉が開いた。
さきほどハンガーから上がってきた男が入ってくる。通路を歩いてきた足音が、やわらかい床に吸い込まれて小さくなり、入口あたりで止まった。
サキは、外から戻ってきた人だとすぐに分かった。まだ外の空気をまとっているような、そんな冷たさが雰囲気に残っている。
男は一歩だけ中へ入り、静かに視線を巡らせた。増設された簡易テーブル。紙椀を抱えた人々。大人の列と、子どもの小さな背中。いつもの食堂とは、配置も音も違う。
足もとで使用済みの紙コップがひとつ転がった。男が反射的に拾い上げ、持ち主に渡そうとして顔を上げる。
目が合った。
サキは一度瞬きをしてから、小さく笑って会釈した。
「あ、ありがとうございます」
差し出された紙コップを受け取ろうとして、サキの指先が男の手に触れた。触れた手は冷たくて、外の冷気をまだそのまま連れてきているような温度だった。
近くで見ると、戦闘服の袖口には灰が残り、手の甲には細かい傷が走っている。男は何も言わず、片手で親指を立ててみせた。
大丈夫、の代わりみたいな合図。
サキの頭に、白帯の外側で見上げた機体の影がよぎる。
(この人の手が、あれを動かす)
考えが浮いたところで、サキは慌てて視線を子どもへ戻した。抱えた子どもに、腕の力を少しだけ込めて、呼吸が乱れていないことを確かめる。医務室で見た数字と看護師の表情が、まだ片隅に残っている。
それでも、受け取ったコップの温度が指先に残ったままだった。
*
紙コップを拾った手を下ろし、ヒロは食堂の中を見渡す。簡易テーブルの増設。紙椀を抱えた小さな影。通路の向こうに見える、積み上げられた毛布の山。
別任務から戻ったら、艦が避難所になっている。整備確認も報告書もこれからなのに、艦内だけが先に切り替わっていた。
天井のスピーカーが小さく鳴り、観測席の声が流れる。
〈観測〉『手すり灯、照度プラス1』
白帯沿いの灯りの明るさを、ほんの少し上げたという報告だ。グレイランスの低い唸りは変わらないが、遠くの白い道が見えやすくなる。
ヒロは戦闘服の内側に下げた小さな金属片――かつてホイッスルだった「鳴らさない記念品」に指を滑らせ、縁をなぞった。
それから食堂を出て、通路へ向かう。
*
通路の突き当たりで、ジルが端末を確認していた。グレイランスの通信長であり主計長でもある、ジル・ハートマンだ。仕事用の無表情のままだが、目だけは忙しく動いている。
ヒロの足音に気づき、ジルが顔を上げる。
「FDCから通達。避難ハブNo.7は、今夜ぶんで満杯だ」
ジルは端末を掲げ、画面を全員にも見える角度に傾けた。
「UDFの軍用トラックも、カルディアの列車も到着は明朝。それまでの間はグレイランスで民間人を一時収容。子ども優先の専用区画も作れ、ってさ」
空気が、いったん静かになる。
「はい出たよ、思いつきの丸投げ」
ガンモが背もたれに体を預け、わざとらしく椅子をきしませた。
「こっちはさっきまで外で命張ってたってのに、今度は保育所ごっこか? 整備も当直も組み直しだろ。どこにそんな余裕が――」
「余裕がないから、うちに飛んでくるんだろ」
ポチが腕を組んだまま、端末を睨む。
「で、そのぶんのお代は? 追加契約、ちゃんと取るんだろーな? スープもベッドもタダじゃない」
「だから腹が立ってる」
ジルは肩をすくめる。
「契約書のどこを見ても、今夜の避難民保護の料金なんて項目はない。こっちで計上はするが、実際に払わせるまでが仕事だ。……その間、艦内の運用は丸ごと組み替え」
ガンモが鼻で笑う。
「子ども専用の区画? なんでそんな面倒くせぇことするんだよ」
「子どもはもう、"資源"として数えられてる。だから最優先だ」
冗談が切れて、ガンモは天井を見上げた。
「へっ……金と契約で守られる命ってのも、妙な話だな」
ヒロは黙ったまま全員の顔を順に見て、椅子から立つ。
「だが、その命があるから"次"が続く」
疲れていても、その一言だけは揺れない。
「決まったことなら、やるしかない。白帯に子どもを置いたまま夜を越せない」
ヒロは端末に目を落とし、スケジュール画面を開いた。
「専用区画は生活区と一緒に詰めろ。警備はVOLKで持ち回り。……整備の予定を6時間ずらす」
「6時間?」
ジルの声が一瞬だけ硬くなる。
「明日の出撃準備が間に合わなくなるぞ」
ヒロは即答した。
「間に合わせる。やるしかない」
「今夜、子どもを寝かせてからでも整備はできる。明日の戦闘は、そのときに考える」
ジルはヒロの顔を見て、端末へ視線を戻した。
「……了解。整備班に伝えておく」
「お前らはローテの一枠だ。文句は、朝になって全員生きてたら言え」
「……はいはい。生きてから文句、ね」
ガンモが頭をかきながら苦笑する。ポチは肩をすくめ、口元を少しだけゆがめた。
「ま、せめて"保育料"は請求しといてくれよ。俺たちの弾と飯がかかってんだからな」
「わかってる」
ジルは端末に指を滑らせ、作業フラグを立てる。
「今夜の分は全部、"FDC要請による契約外作業"にまとめる。スープ1杯の粉まで明細に乗せる」
ヒロはうなずき、扉のほうへ体を向けた。
「じゃあ決まりだ。ザクレロ兄弟は、まず整備と飯。そのあと避難区画の見回り。……子どもの前では、いつもの3割増しで優しくしろよ」
「え、割増請求は?」
ポチのぼやきに、ガンモの笑い声が重なる。ジルは小さく肩を揺らしながら、主計用の画面を開いた。
払うのは向こうで、回すのはこっち。ジルは無表情のまま、入力すべき項目をひとつずつ埋めていく。
*
ヒロは生活区の廊下を歩き、簡易ベッドが並ぶ区画の前で足を止めた。
扉の隙間から、子どもたちの寝息が聞こえる。予定外だが、今夜はここを守る。
戦闘服の内側の金属片を、掌で軽く押さえる。確かめるように、短く。
ヒロは廊下の灯りを背に、静かに扉を閉めた。
――次回、第6話「守られるもの」へ続く




