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灰の傭兵と光の園~人型兵器が、泥と血と油の中で唸る。装甲が砕け、信念だけが削れていく~  作者: 青羽 イオ
第十章 動き出す世界

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第55話 拳でしか届かないこと

 その日の任務は、白帯脇の輸送車列の護衛だった。朝に出た車列を灰の中で拾い、途中で襲いかかってきたキーテラの小群と、どこかの傭兵崩れのRFをいくつか払いのけて、目的地まで送り届けた。任務としては「達成」の一語で済む。車列も白帯も、ぎりぎりの線で守り切った。


 ただ、無線の中では別の火花が散っていた。


 崖の陰に隠れた敵をどう叩くか。隊列ごと引かせるか、前衛だけ押し込むか。ヒロの「待て」の一拍と、アキヒトの「もう待てない」の半歩。言い合いに決着がつく前に、戦場の方が先に片付いてしまった。


 *


 格納庫には、冷却ミストの白い霧と焼けた油の匂いが残っていた。


 RF-17SC《ストレイ・カスタム》の胸装甲ロックが外れ、ハーネスが解放される。アキヒトは梯子を使わず、コクピット縁から整備足場へ身を滑らせ、そのまま床へ降りた。


 少し離れたブロックでは、ヒロのヴァルケンストームが誘導員の合図で定位置へ入り、所定ラインで膝を沈める。足元のロックピンが脚を受け止め、胸のハッチが開いた。


「隊長、ゆっくり降りてくださいよ。さっきの衝撃——」


「平気だ」


 ヒロは短く返し、鉄梯子を降りる。床に足がついた瞬間、わずかな間があった。アキヒトはそれを見て、視線を外さない。


 整備員たちが察して距離を取り、工具とケーブルがさりげなく退く。VOLKは慣れていた。格納庫の真ん中に、自然と空間ができる。


「さっきの動きの話だ」


 先に口を開いたのはヒロだった。油染みの残る床越しに、まっすぐアキヒトを見る。


「命令違反だ。隊列から外れて、単独で突っ込んだ」


「知ってる。でも間に合った。あれ、潰さずに済んだだろ」


「たまたまだ」


 ヒロの返事は短い。


「隊から姿が消えた時点でアウトだ。前衛は好き勝手に走る役じゃない」


「じゃあ聞く。あそこで『下がれ』で全員そろって一歩下がってたら? 前は穴だらけになってた」


「白帯の手前だ。全体を優先するのが——」


「その全体を押さえるために、前に出てる」


 アキヒトが一歩詰める。


「隊長。最近、踏み込みが浅い」


「慎重と言え」


 ヒロの眉が動く。


「慎重なのはいい。でもさっきは、一歩前じゃなくて一歩後ろだった。前衛が下がった分、後ろのバッファロー隊が余計に食ってた」


 ヒロの拳が音もなく握り込まれる。


「全体を見て言ってる。お前一機の判断でラインを出すな」


「そっちは、隊の顔色ばかり見て、自分の足を出してない」


 アキヒトの声が低くなる。


「例の崖もそうだ。『待て』と言ってる間に、前が詰まってた」


「お前にだけは言われたくない」


 ヒロの目つきが切り替わる。


「お前は前に出たがる癖が抜けてない。隊の声より先に、自分の足が出る」


「前に出るのが、俺の仕事だろ。後ろで半歩待てと言うから、前で無理して合わせてる」


「合わせてもらった覚えはない」


「じゃあ今日は勝手に合わせた。隊長のブレーキに」


 その一言で、ヒロの拳が先に飛んだ。左のジャブ。短く、肩だけで打つ、訓練の一撃。アキヒトは半歩ずらして受け流す。


「始まったな」


 少し離れて、ゴーシュが腕を組む。


「今日は風呂の前かよ」


 ガンモがコンテナに腰をかけたまま言う。


「工具は片づけとけ。巻き込まれたら面倒だ」


 ポチがケーブルを抱えたまま横へ退き、リュウが壁にもたれて小さく息を吐く。


「10秒で終わればいい」


 格納庫のど真ん中で、ヒロとアキヒトが向き合う。


「ラインから勝手に外れるな。隊列が崩れたら、誰かが死ぬ」


「隊列を固めすぎても、誰かが死ぬ。止まってる時間が長いと前が持たない」


 ヒロの顎が固くなる。


「考える前に飛び出して、うまく行ったときだけ正しい顔をするな」


「違う。勝手に出た分のツケなら、ここで払う。殴りたいなら、今ここで殴れよ」


 二人の動きが一段速くなる。拳と腕がぶつかる鈍い音が続き、喧嘩というより格闘訓練が正面衝突している。


「顔はやめとけよ。明日のブリーフィングが面倒になる」


 ガンモが手を振るが、止める気はない。VOLKにとって、これは止める喧嘩ではなく、出し切らせる喧嘩だった。


 ヒロが足を払う。アキヒトは飛び退き、床を滑る。


「隊長の号令無視して、よく平然と戻ってこれるな」


 ヒロが踏み込んでボディを狙う。


「号令が遅かった」


 アキヒトは肘で受け、懐に潜る。至近距離で、言い切った。


「お前の『待て』が半歩遅い間は、俺は勝手にやる」


 ショートフックが顎先をかすめ、ヒロの姿勢が揺れる。


「隊長! そこ受けたらまずいって!」


 ゴーシュが半笑いで叫び、リュウが珍しく声を張った。


「ヒロ、下がって間を取れ。いつもの距離だ!」


 ヒロは一歩退き、呼吸を整える。声が落ちた。


「お前は、隊長の苦労を知らない。後ろから全体を見てるやつと、前しか見えてないやつじゃ、見えてるものが違う」


 アキヒトの足が止まる。ヒロはその隙を逃さず、体重を乗せた右を肩口へ入れた。アキヒトが半歩よろける。


「だったら」


 アキヒトは唇を拭い、視線を上げる。


「前を見てる奴のことも、ちゃんと信じろよ!」


 格納庫の空気が張る。


「よし、ラスト1本だな」


 ガンモが立ち上がる。


「どっちが先に寝るか、だ」


「隊長、顎下げて!」「アキヒト、左で散らせ!」


 好き勝手な声が飛ぶ中、二人は同時に踏み込んだ。


 ヒロは左のフェイントから右ストレート。アキヒトは左で視線を切って右フック。拳がそれぞれ頬と顎を捉え、次の瞬間には二人とも床に倒れていた。


 天井が並んで見える。


「両者ダウン」


 ポチが気楽に言い、ゴーシュが頭をかく。


「引き分けだな。俺はヒロに賭けてたんだが」


「まあ、これで少しは寝られるだろ」


 ガンモが小さく言った。


 床に倒れたまま、ヒロが息を吐く。


「まだ、隊長をやめろとは言わないのか」


 隣で同じように寝たまま、アキヒトが視線だけ向ける。


「言っても聞かないだろ。それに、お前が隊長を降りたら、正面から殴りに行く場所がなくなる」


「理由がひどいな」


 ヒロも、かすかに笑う。


「次は、もう少しマシな隊長になってから殴らせろ」


「じゃあ次は、もう少しマシな隊長を殴ってやる」


「勝手に決めるな」


「隊長の仕事だろ。そういうの、まとめてかぶるのは」


 息のリズムが揃いかけたところで、硬い靴音が急ぎ足で近づいた。


「ちょっとあんたら!」


 ナロアの怒鳴り声が格納庫に響く。


「格納庫で殴り合いするなって、何回言わせるの!」


 少し遅れて駆け込んできたサキが、二人の間にしゃがみ込む。


「ヒロ!? アキヒトさんまで……! もう……子どもたちの前じゃなくてよかったけど、何やってるんですか、本当に」


「ちょっとした意見の擦り合わせだ」


 アキヒトが苦し紛れに言う。


「拳で、ですか」


「効率がいい」


「良くないです!」


 サキが珍しく声を荒げ、ナロアと目を合わせた。


「医務室、空いてる?」


「空けるしかないでしょ。ほら、ガンモ、ゴーシュ! 運ぶ!」


「はいはい」「了解」


 ゴーシュがヒロの脇に腕を差し入れ、ガンモがアキヒトを引き起こす。二人とも足が怪しい。


 担がれながら、ヒロが首だけ横に向けた。


「なあ、アキヒト。さっきの一発、どっちが入れた」


「覚えてない。どっちも効いた」


 サキが大きくため息をつく。


「必要なくなるように、口でも擦り合わせてください」


 ナロアは頭をかきつつ、どこか安堵した声で言った。


「殴り合う余裕があるなら、まだ大丈夫ってことか」


 医務室へ続く通路に、笑いとため息と、わずかな血の匂いが混じって流れていった。


 *


 その夜、監視塔のモニターに異常が出た。


 UDF第23独立RF大隊の駐屯地から数キロ離れた旧市街。灰災前の航空写真では、普通のビルが並ぶ中心部として記録されていた場所だ。今はここ数年ずっと濃い灰霧に覆われている区域だった。


「旧市街の灰濃度が急低下。風向きの変化はありません」


 オペレーターの報告に、当直士官が画面を覗き込む。


 ノイズのように見えた灰の層が薄れ、何も映らなかったエリアに暗い影の線が浮かび上がった。


「ビル……じゃないな」


 誰かが声に出す。


 地面から突き出した太い柱が束になって立ち、そのあいだを巨大な輪のような構造物が水平に貫いていた。外壁に窓らしいものはなく、継ぎ目と淡い光の筋だけが規則的に並ぶ。


「古い都市図を重ねます」


 別のオペレーターが灰災前のデータレイヤを呼び出す。モニター上で、昔のビル群の輪郭と、今見えている構造物が重なる——はずだった。


「一致しません。元の市街地の形と、まったく違う構造です」


 そこにあるのは、高さも幅も、記録されたどの建物より大きな塊だった。


 画面の端に、解析プログラムが自動で付けた仮の名称が出る。


 《レゾナンス複合研究基地》


 レゾナンスシティ由来と判定された、異常規模の施設。旧市街の地図の上に、見慣れない記号がひとつ、機械的に上書きされる。


 駐屯地のすぐ外で起きている変化を、そのとき知っていたのは監視班の数人だけだった。この異様な構造物が、数日後にUDFとカルディアと、灰の世界そのものを巻き込む引き金になることを——まだ誰も知らない。


――次回、

第十一章 灰の線を引く者たち

第56話「レゾナンス臨時防衛軍、開戦」へ続く

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