第50話 灰風の残響
UDF駐屯地の照明塔が、夜気を白く切っていた。
仮設の整備ヤードに、焦げ跡と傷だらけのRFが3機、横一列に並んでいる。
左から、脚を外されてフレームだけになったRF-12AP《ブレイン・モール》。
重盾ごと膝から持ち上げられているRF-06系《バッド・バンカー》。
そして、表面装甲こそ削れているが、自立しているのはRF-17C《ヴァルケンストーム》だけだった。
「脚のシリンダー、完全に死んでる。予備も合わねえな」
「盾の内側フレームも曲がってる。打撃受けすぎだ、これ」
整備兵たちの声が、油と鉄の匂いに混じって流れる。
「動けるのは、VOLK-6のヴァルケンストームだけか」
ヒロは整備台の下をのぞき込み、警告灯を見た。黄色で止まっている。
「外装と関節の一部だけだ。やろうと思えば、明日にも出せる」
整備班長がタブレットを見たまま、淡々と言う。
「ただし、お勧めはしない。中破手前の軽傷だ。次の被弾を考えるなら、数日は寝かせたい」
「了解」
ヒロは短く答え、隣の2機へ視線を移した。
バッド・バンカーは盾の縁が裂け、取り付け基部ごとひしゃげている。ブレイン・モールは膝下がジャッキに乗せられ、肩のジャマー・ポッドには焦げた穴が開いていた。
崖の影。ノイズに沈む回線。最初の一撃で止まった先頭車両。
決めきれなかった自分の声だけが、整備灯の下でも残っている。
ヒロは整備ヤードを離れ、駐屯地の外れへ歩いた。喫煙スペースのベンチに腰を下ろし、タブレットを膝に置く。開いては閉じている戦闘ログを、また呼び出した。
崖区間に入る直前。ノイズの波形。偵察の短い報告。
(ここで止めるべきだった)
結論は出ている。それでも、あの瞬間は「止まれ」と言えなかった。
橋の上で退避を選んだ直後、白の導光ラインが空中でちぎれ、上にいたものがまとめて落ちていった光景が、判断を遅らせる。
「ログとにらめっこか」
低い声に、ヒロは顔を上げた。
セーブルが、缶コーヒーを2本ぶら下げて立っている。戦闘服の上着をラフに開け、首元にうっすら油汚れが残っていた。
「悪い、邪魔だったか」
「いや」
セーブルは隣に腰を下ろし、缶を1本放った。ヒロは反射で受け取る。
「お前の顔がな。こっち側を見てる顔じゃない。まだ崖の中にいる」
「そう見えるか」
「見える」
煙草の箱が差し出される。ヒロは一拍置いて1本抜き、火を借りた。ひと息吸って、しばらく黙る。
「判断は甘かった」
ようやく言葉が出た。
「崖区間に入る前に止めるべきだった。ノイズも、灰膜だけと決めつけるには汚すぎた。被弾の直後もそうだ。先頭車両を放棄して下げる判断が遅れた。結果、2機を止めた」
セーブルは黙って聞いている。
「全部捨てる決断もできなかった。つまり、どっちも選べてない」
「自分でそこまで言えるなら、半分は終わってる」
セーブルが缶を一口飲む。
「事実だけ言う。判断が甘かった。選べなかった。その結果、2機が動けなくなり、先頭車両を置いてきた」
「慰めのつもりか」
「慰めるかよ」
声の端に、ほんの少し笑いが混じる。
「ほかの隊なら、あそこで半分持ってかれて終わりだ。お前は半分以上残した。だから及第点。ただし、隊長としては落第だ」
「随分とケチな採点だな」
「命を賭ける仕事だ。ケチでちょうどいい」
「じゃあ、あんたが同じ状況だったら、どうした」
「最初のノイズの時点で、崖区間に入らない」
間髪入れずに返ってきた。
「前も後ろも危なそうなら、まだ情報が多いほうに引き返す。灰膜が濃くなる区画のほうが、少なくともログが残る。盤面が読める」
「それで襲撃されたら?」
「それはそれだ。どのみち、あの崖よりマシな盤面になる」
ヒロは小さく笑った。
「言い切れるのが、羨ましいよ」
「言い切れるようになるまで、何回か失敗しただけだ」
セーブルは煙草を灰皿に押しつけ、タブレットへ視線を落とした。
「見せろ」
「何を」
「ログだ。他人のコケ方を見るのは嫌いじゃない」
ヒロは黙ってタブレットを渡す。
セーブルは数秒だけ早送りし、そこで速度を落とした。座標、ノイズの跳ね、偵察の一言。
「なるほど」
画面を閉じて返してくる。
「橋を引きずってるな」
図星だった。ヒロは返事を遅らせる。
「お前は、“封鎖と退避をかけても間に合わなかった橋”を知ってる。だから今度は、“止まって受けきれば落とさずに済む”ほうへ寄った。結果、どっちつかずで一番悪い引き方をした」
「わかってる。分かってたのに、踏み切れなかった」
「コンラートか」
その名が出るとは思っていなかった。
「あんた、どこまで知ってる」
「ヘルマーチの隊長が、お前の親父だってことくらいはな。それと、昔、同じ線の外を歩いてたことも」
遠くでクレーンが金属音を立てた。
「灰風中隊ってのが、昔あった」
セーブルがゆっくり続ける。
「UDFの中でも、白帯の外で補給路を探すのが仕事の部隊だ。地図に線が引かれてない場所を歩く。必要だった頃の話だ」
「灰風……」
「隊長がコンラート。下に俺と、セルゲイと、ヴァイス」
短い説明なのに、重い。
「コンラートは、線を引くのが上手かった。白帯を起点にしながら、白に縛られない。今のお前とは逆だ」
「それで?」
「ある時、いなくなった。通知だけ来た。“特務部隊へ異動”。行き先は伏せられてた。あとで噂で聞いた。ヘルマーチって名前だと」
セーブルは前だけを見たまま言う。
「ヘルマーチ自体は、最初から今みたいな部隊じゃなかった。初代隊長はエアハルト。筋が通ってて、現場を分かってた軍人だ。あいつのころは、ただの“特務”だった」
少し間を置き、続ける。
「エアハルトが死んで、コンラートが引き継いだ。ちょうどその少しあとから、UDFが目に見えて痩せ始めた」
弾薬。燃料。予備部品。
「命令だけは来る。だが、手足は細る。そういう時期だ。そのころからだ。ヘルマーチが企業案件を受け始めたのは」
ヒロは黙って聞く。
「最初は書類上、“UDF経由”だった。だが、そのうち逆になった。企業の仕事が本筋で、UDFは“ついで”になった。名目はUDF、中身は独立傭兵。どこの旗にも縛られないぶん、企業からすれば使いやすい部隊になった」
セーブルの声は淡々としている。
「任務成功率は高かったらしい。その代わり、手段は選ばなかった。線の外で何を潰したかは、誰も深く聞かない」
現場の噂だけは、ヒロも知っている。
『危ない奴らの巣だ。見かけたら距離を取れ』
「自分で志願したと思うか」
「そうだろうな。上から命じられて渋々行くような男じゃない。あいつは、自分で選んだ線しか歩かない」
ヒロは視線を落とした。
「あんたから見て、あいつはどうだった。いい隊長だったか。それとも、最初から壊れてたか」
セーブルはしばらく黙った。
「少なくとも、最初から壊れてはいなかった。部下の顔も名前も覚えてた。気に食わない命令には文句を言いに行った。普通の、少し頭の回る隊長だ」
「だった?」
「ああ。だった」
セーブルの視線が夜の向こうへ向く。
「UDFが一度、街ごと白帯を焦がした事件があったろ。誤射だの被害の隠し立てだの、ニュースで散々叩かれたやつだ」
ヒロの頭に、映像が戻る。赤いテロップ。焼けた白い線。黒く焦げた車列。病院名が一瞬だけ映った。母の勤めていた場所。
「母さんが死んだのは、その時だ」
言葉は静かに出た。
「市街戦の爆発に巻き込まれたって、そう聞いてる」
「そうだろうな。俺たちは、その街の外で足止めされてた。灰風中隊は"外周待機"の命令を受けていた。だがコンラートが独断で市内に踏み込んだときには、白帯の一部はもう燃えてた。」
ヒロは黙って聞くしかない。
「細かい経緯は、俺も報告書を全部読んだわけじゃない。ただ、聞いた話と、あいつの顔で分かることはある」
セーブルは缶を指先で一度だけ転がす。
「計画の段階で、線の引き方が危ないと何度も食ってかかった。指揮を一本にしろ、白帯に砲を向けるなと、何度も訴えてた。それでも止まらなかった。企業とUDFが、それぞれ自分の守りたい場所を優先した。割を食ったのは、白帯の上の連中だ」
少し間を置いて、付け足す。
「ニュースは"UDFの失策"で済ませた。画面の外で、白帯の上に立ってたやつの顔も、隊長がどんな線を引こうとしてたかも、どこにも映らなかった」
セーブルの声は変わらない。
「その後だった。あいつの目つきが変わったのは。線を引く距離が変わった。“ここまではやる”“ここから先はやらない”の線が、前より遠くに行った。市も人も、書類の一枚みたいに扱う瞬間が増えた」
「それで、ヘルマーチに?」
「詳しい経緯は知らない。だが、自分から近づいた匂いはする」
セーブルはヒロを見る。
「お前が知ってるコンラートは、“白帯を割ったヘルマーチの隊長”だろ。俺が知ってるのは、その前の“灰風の隊長”だ。どっちも同じ人間だが、まるで別人のように見える」
ヒロはしばらく言葉を選んだ。
父が家を離れた理由は、自分なりに埋めてきた。出世に夢中になったから。戦場をやめられなかったから。家より軍を選んだのだと。
そこへ、「変わった瞬間があった」と差し込まれる。
「だからって、許されるわけじゃない」
ヒロは言い切った。
「母さんが死んだあと、あいつは一度も家に戻らなかった。俺の前にも現れなかった。それは、誰のせいでもない」
「そうだな」
セーブルは即答した。
「やったことは消えない。捨てたものも戻らない。そこだけはごまかせない」
少し間を置いてから、続ける。
「ただ、お前が今やってるのは、“全部否定する”ことでも、“全部真似する”ことでもないはずだ」
「じゃあ、俺は何をしてる」
「同じ地点に立とうとしてる」
セーブルの声がわずかに低くなる。
「全部背負って、全部守ろうとして、何も選べなくなる地点だ。コンラートはそこで一度折れた。そこから先は、何かを守るために、何かを全部切るほうへ振り切った」
ヒロは缶を握り、言葉を絞った。
「俺は、あいつみたいにはならない」
「ならない方がいい」
セーブルは立ち上がりながら言う。
「お前はまだ途中だ。立ち尽くした場所から、一歩分だけでいい。前に出ろ」
背を向けかけて、ふと足を止めた。
「明日の朝、通信室に顔を出せ」
「通信室?」
「北の中継基地のログが、夜中から途切れてる」
セーブルの目が細くなる。
「普通の故障なら、何か痕跡が残る。だが、きれいに黙ってる」
「偵察を出すのか」
「ああ。詳しい中身は明日、司令から聞け」
そして、はっきり言い切った。
「ただ一つ言える。あそこが死んだままだと、この一帯の白帯はもっと息苦しくなる。昨日みたいな襲撃が、“たまの事故”じゃなくて、“いつもの風景”になる」
理屈はすぐ飲み込めた。
「だから見に行く。生きてるなら起こす。そういう役回りが必要だ」
「俺を連れて行く気か」
「付き合え、VOLK-6」
セーブルは顎でベンチを指した。
「ここで一晩中、ログとにらめっこしてても止めはしないが」
「行く」
ヒロは即答した。
「ここで引いたら、また白帯にしがみつくだけだ。あいつの言う通りのままになる」
セーブルが、ほんの少しだけ口角を上げる。
「それでいい」
短く言って、夜の通路へ歩き出した。
整備ヤードの明かりは、まだ消えずに揺れている。ヒロは空になった缶を握りつぶし、ベンチから立ち上がった。
白帯が折れた記憶と、崖の中で迷った判断。その両方を抱えたまま、北の基地へ行こうとしている。
(親父が選んだ線の先に、自分の線を重ねる)
頭の中で一度だけ言い直し、ヒロも駐屯地の灯りのほうへ歩き出した。
――次回、第51話「途切れた線の先へ」へ続く




