第46話 ロード・ゼロ
医務区画の白い光が、今日は少し眩しい。ヒロは仰向けのまま、頭上モニターの心電図とLSLリンクのグラフを眺めていた。規則正しい波形だけが、現状を淡々と告げてくる。
ベッド脇のスツールに、軍医マティアス・アサクラが腰を下ろしている。タブレットを送り、必要なところだけ目を上げた。
「LSLの結合は安定。脳波も戦闘時の山から降りてきてる。右膝と頭の打ち身、脇腹の打撲。前にやったところも治り方に文句はない。痛みは残るが、仕事にはなる」
「つまり、もう走って殴ってもいいってことか」
マティアスは眉をわずかに動かしただけで、端末に署名する。
「歩くところからにしろ。走るのは、止めてもやる顔だ。現場復帰は許可する。無茶して壊したら、今度はちゃんと怒るからな、隊長」
それだけ言い残し、白衣の裾を揺らして出ていった。
「聞いたか、ポチ。医者の“ほどほどに”は信用するなって、じいちゃんが言ってた」
隣の簡易ベッドにもたれていたポチが肩をすくめる。
「じいちゃん、多分もういないでしょ。しかも医者側だった可能性あるし」
「だったらなおさら、だ」
ヒロはゆっくり上体を起こし、ストレッチ用の簡易ハーネスを外して立ち上がる。右膝の奥に鈍い違和感は残るが、体は言うことを聞いた。
医務区画の奥からガンモが顔を出す。
「隊長、診断終わりか」
「ああ。晴れて“現場復帰可”だ」
「じゃあ、さっさとブリーフィング行くぞ。ヴァイスが『時間きっちり守れ』ってうるせえ」
三人で医務区画を出る。通路の揺れが足裏に伝わり、陸上戦艦が灰の海を重く進んでいるのが分かった。
*
ブリーフィングルームには、すでに地図パネルが展開されていた。灰色の地形図に《白帯》の細い白線、そして白から外れて崩壊地帯を貫く太い赤線。
「来たな」
端末の前で腕を組んだヴァイスが顎で合図する。横にジル、さらにUDFの階級章を付けた中年の少佐。
「VOLK-6、3機揃いました」
ヒロが言うと、少佐が短く頷いた。
「では始めよう」
ジルが操作し、地図の一部が拡大される。前線E-17拠点、後方補給基地D-3、白帯ルートに赤いラインが重ねられていた。
「今回の任務は、UDF補給車列の護衛だ。E-17からD-3まで。通常は白帯B4を経由するが……」
白線の一部が黄色に変わり、「通行制限」が表示される。
「先日の橋崩落と、その後の灰膜変動で、B3〜B5区画の一部は運用が不安定だ。通れないわけではないが、遠回りになる」
「そこで、こいつが出てくる」
ヴァイスが赤いラインをなぞる。
「旧高速道路跡と古い工業地帯を抜ける最短ルート。白から外れるが、距離は3分の2で済む」
「白帯を使わない、ってことか」
ポチが眉を上げる。
「そうだ」
少佐が引き取った。
「本来なら避けたい手段だが、最近このエリアで補給路を狙う連中がいる。前線はどこも弾と食料がギリギリだ。少しでも回転を上げたい」
「その連中ってのは?」
ガンモが腕を組み直す。
「所属不明。RFと地上兵器を混ぜた小規模な襲撃が数回。どこかの企業が我々の足を削りたいんだろうが、決定的な証拠は掴めていない」
少佐は、言いにくさを隠さず肩をすくめた。
「名指しはできない。察してくれ。だからこそ民間傭兵の力を借りる。君らクレイヴ・アクトは、この辺りの地形と“灰”に慣れていると聞いている」
「買いかぶりだな」
ヴァイスが鼻で笑う。
「うちは“白の外”はおまけみたいなもんだ」
ヒロの視線が赤いラインへ落ちる。白から外れて伸びる線に、自分の機体アイコンが置かれる光景が、勝手に頭に浮かんだ。
——白帯の上でしか世界を見ないなら、お前は一生このままだ。
耳の奥で、その声が引っかかる。右膝の奥が痛んだ、痛みが記憶に手を伸ばした。
(うるさい)
ヒロは内側でだけ言い捨て、端末に視線を戻す。
「ルート上の危険度評価は?」
意識して声を整える。
「崩落地帯と灰霧による視界不良。ミュータント出現報告が2件、所属不明武装勢力の反応記録が1件」
ジルが淡々と読み上げた。
「ただし、ここ3ヶ月は静かだ。襲撃も起きていない」
「静かすぎるってやつか」
ガンモがぼそりと呟く。
「そうとも言えるな」
少佐が頷く。
「だが、我々には時間がない。白を遠回りしている余裕は薄い。ここで一度、最短ルートを試したい」
言い終えて、少佐はヒロを見た。
「VOLK隊長。君の判断を聞かせてくれ」
視線が重い。ヒロは白いラインと赤いラインを見比べる。
橋が崩れたときの光景が、まだ薄れない。ヘルマーチの砲口が橋に向いた瞬間、自分は「止めろ」と叫んだ。止められなかった事実だけが残った。
——安全地帯にしがみつくな。
同じ言い方が、また刺さる。
(白帯だけを見たまま、否定されっぱなしでいるつもりはない)
ヒロは呼吸を落ち着け、顔を上げた。
「条件付きで、最短ルートを使うべきだと思います」
ヴァイスが片眉を上げる。
「条件?」
「偵察ドローンと、RFの前衛を厚めに出させてほしい。崖上や灰膜の濃いポイントは、必ず一度目で“見て”から通る。できない場所は、潔く小さく迂回する」
言いながら、足りないかもしれない、という懸念が残る
「時間は削る。でも闇雲には突っ込まない。それが、今できる落とし所です」
少佐はしばらくヒロを見て、やがて頷いた。
「了解した。偵察と前衛の運用は、VOLK隊長の裁量に任せる。ただし、到着予定時刻を大きく超えるようなら、ルートの再検討を求める」
「こっちの腹も、少しは満たさないとな」
ヴァイスが口を挟む。
「この仕事一本で、当分の補給と整備費は出る。グレイランスの炉を止めないためにも、外回りもやるしかない」
「金の話ばっかりだな、艦長」
ポチが苦笑すると、ヴァイスは肩をすくめた。
「金がなきゃ白も灯せん。理想だけで陸上戦艦は走らんさ」
そしてVOLKの3人を順に見回す。
「ヒロ。お前が決めたルートだ。引き返すにしても突っ切るにしても、その都度判断しろ。橋のときの判断は間違ってなかった。だから今度も、結果を怖がって足を鈍らせるな」
「分かってます」
喉の奥が少しだけ詰まる。ヒロは姿勢を正した。
「VOLK-6、任務了解。3機で補給車列を護衛し、D-3まで送り届けます」
ジルが最後の確認に入る。
「RF編成は、ヒロ機+ガンモ機+ポチ機。出撃時刻はT+120分。補給車列と現地UDF部隊との合流ポイントはここ」
地図上に点滅マーカーが追加された。
「作戦コードは、《ロード・ゼロ》。白帯の外を通る補給路を、一度“ゼロから引き直す”任務だ」
「積み荷ゼロになったらシャレにならないな」
ポチがぼそりと呟く。
「だから護衛がいるんだろ。ロード・ゼロで積載ゼロは、さすがに笑えねえ」
ガンモが苦笑混じりに返す。
ヒロはもう一度、赤いラインを見つめた。白の外へ伸びる線の先に何が待つのか、考えだすときりがない。
(それでも、俺は白帯を守る側だ)
内側で言い切り、端末から目を離す。
「それじゃあ、各機、出撃準備に入れ」
ヴァイスの号令で、椅子のきしむ音とブーツの足音が重なった。ヒロも立ち上がり、通路へ向かう。モニターの上では、白の外へ向かう新しい線が静かに光っていた。
――次回、第47話「自分が選んだ狭間」へ続く




