第42話 旧市街の炎で
輸送用の装甲車の中は、汗と薬の匂いが混じって息が詰まった。
向かいの席の隊員が錠剤を2つつまみ、口に放り込んで奥歯で砕く。苦味を誤魔化すように缶コーヒーを流し込んだ。
「今日で終わるといいな。長い」
別の隊員は無言で銃を分解し、拭いて組み直す。その手が止まる気配はない。落ち着くためじゃなく、止めたら折れる動きだった。
「弱い奴から死ぬだけだろ」
誰かが笑う。冗談めいて軽いのに、半分は本気の笑い方だ。
アキヒトは壁にもたれたまま口を閉じ、首の後ろのLSL端子が車体の振動で小さく揺れるのを感じていた。
旧市街にゲリラが潜んでいる、とだけ告げられている。南の古い街並みで、細い支線の白帯が本線につながっている地区。避難所があるとも聞いた。テント、仮設住宅、取り残された家族。
(また、白の近くだ)
期待はしない。期待すると、外れたときにきつい。
やがて車列が止まり、ハッチが開いた。外気が流れ込み、灰と油の匂いが肺に刺さる。
「パイロット! 降りろ! RFに乗り換えだ!」
怒鳴り声に押されるように、アキヒトは装甲車から飛び降りた。数台分先で、RF-21《ファルコン》を含むRF部隊が膝をついて待機している。動かないのに、気配だけが張り詰めている。
機体の足元まで走って梯子を駆け上がり、狭いコクピットに潜り込む。首の後ろのLSL端子を接続すると、ハーネスが肩と腰を強く締め上げた。
外の景色が主モニターに固定され、肉眼の灰色が温度のない映像として戻ってくる。
合図。低い駆動音が腹の底に響き、機体がゆっくり立ち上がった。
*
旧市街に入ってすぐ、路地の奥が白く光った。
〈オペレーター〉「RPG!」
叫びと同時に、先頭の装甲車が吹き飛ぶ。破片と火炎が道路に散り、後続車両が慌ててブレーキを踏んだ。
建物の影からさらに数本。狭い道の両側、窓という窓から銃火が降る。
「降りろ!」
天井ハッチが開き、歩兵が外へ雪崩れた。弾が交差する中を、RFの脚が前へ出る。押し込むしかない、いつもの形だ。
アキヒトのRF-21《ファルコン》も狭い道を無理に進み、壁に肩を擦ってコンクリートの粉を散らす。前方の火点を探す間にも弾は来た。
〈隊員〉「右の屋上に狙撃!」
〈別の隊員〉「裏路地から接近!」
味方が倒れるたび、LSL越しに悲鳴と心拍の乱れが頭の奥をかすめる。ほんの一瞬。止まらないし、止まれない。
〈コンラート〉「反撃を遅らせるな。撃たれたら撃ち返せ。遮蔽物ごと潰せ」
命令は簡単だった。簡単に言える距離にいる者の声でもある。
ファルコンと僚機が同時に火を吹き、機銃と榴弾が窓と壁に穴を開けていく。その向こうに何がいるかを、いちいち確かめる余裕はない。
*
奥へ進むと、急に開けた場所に出た。
広場。避難民のテントと仮設住宅が密集し、ブルーシートの下やコンテナの影を人が走り回っていた。子ども、母親、老人。
距離を詰める前に、テントの裏から小火器の射撃が始まる。ゲリラは避難所の影に隠れて撃ってきた。
〈隊員〉「クソが、避難所を盾にしてる!」
〈コンラート〉「白帯は本線から離れている。ここは支線だ。優先順位を間違えるな」
〈コンラート〉「敵火点を先に潰せ。テントも仮設も関係ない。ここを残せば、また同じことが起きる」
命令と同時に砲撃が始まった。
モニターに避難民の群れが映る。テントの間を走る影、荷物を抱えて転ぶ影、泣きながら親にしがみつく影。
爆発。地面が抉れ、布が裂け、柱が折れる。逃げ道が目に見える速度で消えていく。
アキヒトは外部スピーカーを開いた。
「ここから離れろ!」
「走れ! ここは危ない、離れろ!」
RFの胸部スピーカーが旧市街に声を叩きつける。何人かが振り向いて走り出したが、遅い。
足元近くで子どもが転び、母親らしき女性が手を伸ばして腕をつかみ、引き起こそうとする。
その瞬間、子どもが振り向いた。
顔は埃まみれで涙の筋が残っているのに、目だけが乾いていた。アキヒトのRFを見上げる。怒っていない。助けも求めていない。ただ、「もう決まっている」ものを見る目だった。
(やめろ)
声にならない。
次の瞬間、横から別のRFの射撃が重なった。
〈隊員〉「この区画、まとめて掃く!」
榴弾と機銃がテントと人影をまとめて叩き、布が裂け、支柱が折れ、土煙と火花が上がる。
子どもと母親の姿はすぐに見えなくなった。そこにいた、という事実だけが消えずに残る。
LSLを通じて心拍が跳ね上がり、耳の奥で鼓動が膨らむ。指先の感覚が遠のき、手足はわずかに遅れてついてくる。
視界の端から色が薄れ、モニターの文字が意味を失った。
〈オペレーター〉「036、状態はどうだ。リンクが乱れている」
〈アキヒト〉「問題ありません」
問題がある、と言える場所ではない。言えたとしても、何が変わる。
*
旧市街の全体が掃討対象になった。
指定された区画ごとに建物が壊され、壁が倒れ、屋根が崩れ、テントが燃える。どこかの路地から撃ち返してくる火点があれば、敵がいると判断されてまとめて潰された。
銃を持っているかどうかは、もう重要じゃない。重要なのは終わらせること。報告書に「終わった」と書ける形にすること。
アキヒトのRFも指示された座標へ砲撃を加える。照準の中で家が1つずつ壊れていく。その家に誰がいたかを、誰も聞かないし、誰も確かめない。
*
やがてセンサーが、少し離れた高台の建物を捉えた。
古い教会。南の旧市街の象徴だと、ブリーフィングで聞いたことがある。
教会の前に人影が集まり、壁の陰に身を寄せる者、中に入ろうとする者、逃げ切れなかった者が混ざっていた。
〈隊員〉「あそこにも人がいる。避難民か?」
〈別の隊員〉「いや、ゲリラかもしれない。ああいうところに隠れる」
短いやり取りのあと、無線がコンラートを呼ぶ。
〈隊員〉「隊長、どうしますか」
少しの沈黙。
〈コンラート〉「あれを残す理由はない」
〈コンラート〉「高台の教会。指定座標に重火器を集中。二度と使えないようにしろ」
〈隊員〉「了解。ファルコン3、メイン砲準備」
ためらいはない。ためらいが挟まる余地のない速度で作業が進む。
教会の上空で照準マーカーが重なり、次の瞬間、複数の砲弾が屋根と塔に直撃した。
石造りの壁が崩れ、屋根が抜け、内部から炎が噴き出す。教会の前にいた人影が散り、壁と炎の間を走る。どこへ向かっても出口がない。
コンラートの機体は少し離れた位置に立ち、それを見ていた。助けもしないし、喜びもしない。ただ、予定していた手順が遅れていないかを確かめる目だった。
*
旧市街の火は、しばらく消えなかった。
黒い煙が空に昇り、さっきまで人が暮らしていた建物が瓦礫に変わっていく。白帯の支線も途中で途切れ、光があっさり途絶えている。
アキヒトはLSL越しに機体の動きを感じながら、自分の中で言葉を探した。
(これは、戦闘じゃない)
敵を探して撃つ形は取っている。命令も報告書も「鎮圧」「掃討」と呼ぶだろう。
(これは、鎮圧でもない)
考えが最後まで行き着く前に、答えはもう出ていた。
(ただの虐殺だ)
その言葉が浮かんだ瞬間、自分がいる場所と、そこにいる理由が急に遠くなった。
コンラートの声は無線の向こうで指示を出し続け、隊員たちは従って動く。動けてしまうことが、いちばん怖かった。
アキヒトは機体を動かしながら、心のどこかで完全に距離を取っていた。
(ここにいたくない)
それが初めて、はっきりした形で浮かんだ。
ヘルマーチとコンラートから心だけが先に離れたのは、あの旧市街の炎の中だった。
――次回、第43話「036を捨てた夜」へ続く




