第39話 線に縛られた死
エアハルト隊長の声は、無線越しでも落ち着いていた。
〈エアハルト〉『ファルコン隊、白に寄りすぎるな。撃つなら外側からだ』
前方の地面に、白い導光がまっすぐ伸びている。避難用のライン――《白帯》。その脇を、RF-21《ファルコン》の編隊と、RF-06《バッファロー》の重い足取りが並んで進む。
白の上には避難民が連なっていた。布を頭に巻いた老人、荷車を引く女、子どもを抱えた男。列は途切れず、ただ前へ流れていく。
敵は白の外側に拠点を作り、ときどき砲弾を撃ち込んでくる。白をかすめる弾もある。それでもエアハルトは「白の上」を撃たせない。
〈エアハルト〉『白の上にいるのは民間人だ。避難列を通してから潰せるなら、それでいい』
そう言って、自分の機体を一歩だけ前に出した。遮蔽物の薄い位置だ。敵の射線を自分に寄せる立ち方だった。
アキヒトは、その背中を見ていた。HUDの識別は「E-01」。ヘルマーチの隊長機。
白の近くでは撃つ角度を変え、通行を止めない。その代わり、白から離れた小さな集落は「危険区域」として切り捨てられることがある。遠回りになっても、時間が延びても、白の上に人がいる限りはそちらを優先する。それがエアハルトのやり方だった。
*
そのやり方が、いつまでも続くことはなかった。
別の日。白帯B4支線の分岐点――高架の柱が密に並ぶ合流部で、待ち伏せに巻き込まれた。
〈オペレーター〉『B4支線で敵火力確認! 榴弾多数!』
柱の間から砲弾が雨のように落ちる。白のすぐ脇で爆ぜ、誘導灯がいくつも吹き飛んだ。避難列が止まりかけ、誘導員の怒鳴り声と子どもの泣き声が重なる。白の上で、誘導員が子どもを抱えて伏せた。爆炎の縁で、その姿が一瞬だけ見えた。
〈エアハルト〉『ファルコン3、4、白に出るな! バッファロー隊、支線上に盾を張れ!』
RF-06《バッファロー》が白にかぶさるように位置を取る。厚い肩装甲に榴弾が当たり、火花が散った。衝撃で機体が一瞬沈む。
エアハルト機も白に近い位置まで前に出る。敵陣に正確に反撃しながら、こちらへの射線を切ろうとしていた。
〈若い隊員〉『隊長、前に出すぎです!』
〈エアハルト〉『ここで止めなきゃ、あっちがまとめて死ぬ』
短い返事だった。迷いはない。
次の瞬間、側面から飛んできた徹甲弾が、エアハルト機の胸部装甲を抜いた。
〈エアハルト〉『……っ』
通信が途切れる。モニター上の識別マークが短く点滅し、それから音もなく消えた。
〈オペレーター〉『E-01とのリンク喪失!』
〈隊員〉『隊長!』
アキヒトの口の中が乾く。照準を戻し、反撃を続けるしかない。砲撃が止まらなければ、白の上の数が減っていく。
エアハルト機は白のすぐ脇に膝をついた。倒れ込む直前まで、その巨体は白の上へ影を落としていた。
引き金を絞るたび、指の関節がきしむような感覚が残っていく。
戦闘が終わったあと、E-01の残骸から遺体が運び出された。その日は、冗談を言うやつがいなかった。
収容の前で、誰かが小さく言った。
「隊長は、最後まで白を庇って死んだってことか」
アキヒトは視線を落とす。
(庇って死んだのか)
(無理をして死んだのか)
どちらでも、本人にはもう聞けない。白い線だけが、何事もなかったように地面に残っていた。やけに眩しく見えて、耳に入る音が大きく感じた。
*
数日後。簡素な会議室に隊員たちが集められた。壁の地図には、白帯と支線、ハブ、主要都市が線で結ばれている。
前に立ったのはコンラート中佐だった。数日前まで大尉だった男――ヘルマーチの新しい隊長に任命された。
「今日から俺が、この隊を預かる」
声はよく通る。余計な熱はない。
「エアハルトのやり方を全否定するつもりはない」
一拍置いて続ける。
「だが、俺はやり方を変える。任務の目的を最優先する。守るべきなら守る。そうでないなら、線は手段だ」
椅子が小さく鳴った。ざわつきは出ない。ただ空気だけが重くなる。
「ここは救助隊ではない。特殊部隊だ」
コンラートは地図を指した。
「線に縛られて、悪い位置に出て撃たれたやつがいる。避難路を塞がないために、死ぬ順番を前にしたやつがいる」
そこで言葉を切る。
「白は大事だ。それは否定しない」
言い方だけなら同じにも聞こえる。だが次の一文が、刃だった。
「だが、大事なものは他にもある。拠点、資源、指揮。ここが折れたら、線も維持できない」
言い切る途中で、コンラートの指が胸のポケットに触れた。硬い角を確かめるような仕草で、すぐに手が下がる。
アキヒトは、それを見た。なぜかそこだけ、妙に目に刺さる。
「俺は無駄な死を嫌う。隊の損失も、民間の死も、全部だ」
優しい言葉に聞こえた。だからこそ、背中が冷える。
「優先順位を間違えない。守るべきものを間違えない。そのために、線にこだわりすぎない」
沈黙が落ちる。
「以上だ。文句があるやつは、今言え」
誰も手を挙げなかった。挙げられる空気ではない。アキヒトも黙っていた。
(間違っている、とまでは言えない)
自分の手はきれいじゃない。そう思うほうが早かった。そう思ってしまえば、立っていられる。
*
コンラートが隊長になってからの任務は、少しずつ変わっていった。
別の任務では、敵が民家を盾にして拠点を構えていた。白帯の支線からは外れている。だが灰の風向き1つで、危険はどこへでも寄る。
〈オペレーター〉『区域内に民間反応あり。熱源、複数。逃げ遅れの可能性』
回線が一瞬だけ静まった。誰も「どうする」とは言わない。聞く形にしても、返る答えは決まっている。
アキヒトは照準を合わせた。HUDに座標が固定され、建物の輪郭が線で縁取られる。赤い点が壁の内側でゆっくり動いていた。
――敵か、民間か。区別はつかない。区別している時間もない。そういう任務だ。
〈コンラート〉『時間をかけるな。指定座標に集中射撃。そこに残っているのは避難に失敗した者だ。それ以上の判断は俺たちの仕事じゃない』
淡々とした声だった。正しい、というより、“正しいことにして進める”ための声。
トリガーに指を掛けた瞬間、指先がわずかに硬くなる。
(俺が撃たなくても、誰かが撃つ)
そう思ったはずなのに、次の呼吸が浅くなる。
発砲。
コクピットの中に鈍い衝撃が返ってくる。反動が座席を通って背骨に残り、視界がほんの少し揺れた。外の映像は窓ではなくモニターだ。だからなおさら、現実味が薄い。
建物の外壁が崩れ、灰と土煙が膨らむ。煙の中で、赤い点が――
最初に1つ消え、遅れてもう1つ、最後の1つは少しだけ残って動き、止まって、消えた。
戻らない。
戻らないという事実だけが、煙の向こうから遅れて届く。
〈オペレーター〉『熱源、減少。残存反応、低下。停止に近い』
それは「敵が止まった」とも「人が止まった」とも言える言い方で、どちらでもいいという報告でもあった。
アキヒトは次弾を装填し、同じ座標にもう1度撃つ。指が動く。止める理由を、もう持っていない。
煙の向こうで屋根が落ちる。赤い点は戻らない。戻らないことだけが、確定していく。
視界の端に白い線が細く残っている。あの線の上を、今も誰かが歩いているかもしれない。
――考えるな。整えるのは呼吸だけだ。
任務が終われば、別の部隊が白帯の上を通る。自分たちは、その前に“通れる形”にしておくだけ。
アキヒトは、端の白い線をただの線として見ようとした。そうしないと、次のトリガーで指が止まる気がした。
――次回、第40話「脊髄に刻むリンク」へ続く




