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灰の傭兵と光の園~人型兵器が、泥と血と油の中で唸る。装甲が砕け、信念だけが削れていく~  作者: 青羽 イオ
第八章 名前のない兵士

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第38話 番号だけが呼ばれる場所

 最初に通されたのは、コンクリートを打ち直しただけの広い中庭だった。旧UDF基地をそのまま使っているらしく、壁には消しかけた古い部隊章が薄く残り、その上から新しい塗装が雑に重ねられている。


 正面の建物から数人の男が出てきた。先頭は丸刈りで、声だけがやけに通る教官だ。


「これから番号を割り振る。名前はいらん。呼ばれた番号だけ覚えろ」


 紙を片手に読み上げが始まる。


「ゼロイチゴ、ゼロニニ」


 乾いた声で番号が落ちてくる。


「ゼロサンロク」


 自分の番だと分かっても、足がすぐに出ない。後ろから肘で小突かれて、ようやく一歩前へ出た。教官の目が一瞬だけこちらを見て、すぐ紙に戻る。顔を見たというより、印を付けたみたいだった。


「返事!」


「はい」


「小さい。やり直し」


 言葉が遅れる。吸い直して、声を出す。


「はい!」


 それでようやく教官が頷き、手首に粗いバンドが締められた。安い樹脂の感触。白い札に黒い印刷。


 036。


 数字が皮膚の上に乗った瞬間だけ、冷たかった。


 列の後ろでくつくつ笑いが漏れる。笑っているのは新入りじゃない。腕組みで眺めている、制服の色が褪せた古参の隊員たちだ。同列の顔も、目つきの悪い大柄、痩せて筋張った腕、首元に墨――「まともな場所」と噛み合わない連中ばかりだった。


 そう思っても、列を抜ける選択肢は最初からない。


 番号の読み上げが終わると、そのまま訓練が始まった。



 朝は射撃。屋外射撃場で古い小銃と少し新しいカービンを交互に持たされ、教官は同じことだけを繰り返す。


「肩にしっかりつけろ。引っぱるな。指で絞れ」


 外せば短く言われる。


「当てろ。外すな」


 昼は格闘。薄いマットを敷いた格納庫の隅で二人一組、グローブだけで殴り合う。鼻血も歯も肋も、毎回どこかで落ちる。倒れても「まだ立つ」と判断されれば、腕を掴まれて起こされる。


 午後は模擬操縦。簡易シミュレーターに押し込まれ、古いRFの操作系を叩き込まれる。スティックの重さ、ペダルの固さ。画面の向こうで線みたいな敵影が動く。吐くやつも出るが、教官が先に教えるのは照準じゃない。


「吐くやつはそこだ。バケツを汚したら自分で洗え」


 口には出さない。ここで人間扱いを期待するほうが間違いだ。


 そんな日々が当たり前に続いた。


 大尉が訓練場に姿を見せることは多くない。それでも、ときどき射撃場の端や格闘場の上の見学通路に、じっと立つ影があった。眺めているだけなのに、落ちるか残るかを黙って仕分けられている気がする。


 大尉は時々、胸のポケットに指先を当てた。硬い角を確かめるように、触れてすぐ離す。薄い板か札が入っているのが分かった。


 その日も訓練が終わる頃には足裏の感覚が曖昧で、反復で肺の奥が焼ける。解散の号令で新入りがばらけ、036は無言で訓練場を出た。ドアを抜けたところで視界が揺れ、膝が折れかける。


 肩口を横から引き上げられた。


「立てるか」


 耳元に短い声が落ちる。顔を向けると大尉がいた。表情に色はないが、肩を支える手は落とすつもりのない重さで体を持ち上げている。


「大丈夫です」


 答えても手はすぐに離れず、数歩だけ並んで歩かされる。


「ここで倒れるなら、その程度だ。まだ歩けるなら、歩け」


 言葉は突き放しているのに、必要な分だけ手がついてくる。通路の明かりがにじむ中で、036は自分の足を探し直した。


 離れるとき、大尉の指先が胸のポケットへ戻りかけて止まり、もう一度だけ訓練場を見た。腕の感触だけが妙に残った。



 ある日の格闘訓練で、036は自分より二回り大きい男と組まされた。首に墨。元がどこの人間か、噂だけが回っている。


「ガキだな。手加減してほしければ、今のうちに言っとけ」


 笑った顔が気持ち悪い。父親とは別の種類の、粘つく笑いだった。


「別に」


 答えた瞬間、合図もなしに拳が飛ぶ。頬に重い衝撃、続けて腹。息が詰まり、膝が落ちそうになる。


 殴られた角度。踏んでいる足。肩の沈み。筋肉の動き。身体が勝手に拾い始める。昔と同じだ。殴られて覚えた。生きるために覚えた。


 次の拳が来る前に懐へ入った。胸ぐらを掴み、顎の下へ頭をぶつける。相手の体がぐらりと揺れた。足を払って床に叩きつけ、倒れた腹に膝を乗せ、腕を押さえ込む。


「そこまで」


 教官の声が飛ぶ。


 036は息を荒くしながらも、すぐには膝をどけられなかった。さっきまで浴びた拳の重さが、まだ体のどこかに残っている。


 腕を掴まれて立たされ、教官が近くで覗き込む。


「ゼロサンロク」


「はい」


「いい顔だ」


 それだけ言って、続けた。


「死ぬ順番が、ちょっと後ろのやつの顔だ」


 褒められているのかは分からない。けれど、その言葉だけはざわめきの中でも残った。



 訓練期間の終わり頃、036たちは初めて格納庫の奥へ連れていかれた。


 天井の高い建屋に巨大な影が並ぶ。グレーと暗い緑の人型。装甲板には弾痕と補修の痕が重なっていた。


「これが、お前らの仕事場だ」


 案内役の整備士が油で汚れた手袋のまま言う。


「前に出るときは、だいたいこいつの中。帰りは棺桶かもしれねえがな」


 冗談めいても笑う者はいない。


「左がRF-06《バッファロー》。重くて鈍いが、前にいるときは心強い。右がRF-21《ファルコン》。ちょっとは早いが、その分すぐへそを曲げる。どっちも、乗るやつ次第だ」


 足元から見上げると、首も胸装甲も手が届かない。自分がこれに乗る――そう考えると現実味が薄い。それでも、狭い部屋で殴られているよりはマシだった。少なくともここには「殴られるだけ」じゃなく、やり返すための道具がある。


(これに乗って、言われた場所へ行って、言われたものを撃つ)


 それくらいの役割なら、自分にも残る。そう思うことで、ここに立つ理由をぎりぎり形にした。



 初めて前線に出る日。036はRFのコクピットではなく装甲車の中にいた。任務は小規模な反乱分子の拠点掃討。RFが先行して外壁を割り、歩兵が中に入る。


 薄暗い車内に新入りと古参が混ざって座る。床からの振動が骨の奥に残り、油と土と汗の匂いが混じる。


 古参の一人が話し始めた。


「最初に人撃った時な、俺、足が震えてトイレから出られなかった」


 ぞろぞろ笑いが起きる。


「それで?」


「撃てって言われたから撃った。撃ったら次も撃てって言われた。気づいたら、震えなくなってた」


 もう一人が口を挟む。


「撃った相手の顔、覚えてるか?」


「覚えてねえよ。覚えてたらやってられねえだろ」


 また笑い。乾いた笑いだった。


 036は何も言わない。膝の上で手を組み、話だけを聞く。父の顔も、路上の兵士の目も覚えている。だが、ここで吐き出したところで変わるのは、撃てるか撃てないかだけだ。


 装甲車が減速し、止まる。後ろのドアが内側へ開き、冷たい空気と土と油の匂いが流れ込んだ。


「降りろ。隊列に加われ」


 外ではすでにRFが動いている。バッファローとファルコンが鈍い音で前進し、拠点の壁へ砲撃を叩き込む。建物の一部が崩れ、砂煙が上がる。隙間から銃声が返る。


「ゼロサンロク。後列につけ。勝手に動くな」


「了解」


 言われた通りに列へ入る。前の背中を見て、両手で銃を構え、進む。


 合図。突入。


 狭い廊下。薄暗い部屋。壁越しの足音。


「右クリア」「左、敵!」


 叫び声のほうへ指が動く。引き金の重さだけが、父のときと同じだった。


 銃声。反動。耳の奥が白くなる。誰に当たったのか、自分の弾だったのかも分からない。ただ「撃て」と言われた方向に撃つ。抵抗が弱まると次の部屋へ進み、そこにも人が倒れている。血が床に広がり、靴底に冷たくまとわりついた。


 反乱分子が何を訴えていたのか、どんな理由で武器を取ったのか。知る者はいない。


 命令は「拠点制圧」。それ以上の言葉は、どこからも出なかった。


 外へ出る頃には夕暮れで、煙が低く垂れ、焦げた匂いだけが残る。積み上げられた遺体。横で無表情に報告書を書いている士官。RFの脚には血と埃がこびりついていた。


 036は自分の手を見る。グローブ越しでは何も感じない。なのに指先に、冷たい重さが薄く張り付いている気がした。


(言われた通りに撃って、言われた通りに進む)


 好きでやっているわけじゃない。それでも、ここで生き残るために選べる道は、それしかない。


 そう自分に言い聞かせ、もう一度、隊列の中へ足を戻した。



――次回、

第八章 名前のない兵士(アキヒトオリジン)

第39話「線に縛られた死」へ続く


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