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灰の傭兵と光の園~人型兵器が、泥と血と油の中で唸る。装甲が砕け、信念だけが削れていく~  作者: 青羽 イオ
第七章 白の外で会う者たち

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第34話 線の外で試される脚

 アキヒトは言い切った。


「戻るつもりはない。俺はもう036じゃない。ここから先もそっち側には立たない」


 コンラートの動きが、ほんのわずか止まる。次の瞬間、間合いと視線の置き方だけが戦闘に切り替わった。


「そうか」


 礼儀正しく一歩だけ詰める。


「なら確認しよう」


「何をだよ」


「お前の脚が、どこに立つつもりなのかをだ」


 視線が落ち、下げていた拳銃の銃口がゆっくり上がる。アキヒトもグリップを握り直し、引き金にかけた指へ力を乗せた。


〈ノルン〉『アキヒト』


 警告を聞き切る前に、二人の指がほとんど同時に動いた。


 短い銃声が重なる。アキヒトの弾は床を叩いて火花を散らし、同時にコンラートの一発が“銃だけ”を殺す角度で噛む。手首に鈍い衝撃。銃が跳ね上がり、指から抜けて床を滑った。


「っ!」


〈ノルン〉『右手甲に打撲。骨折なし。弾道は"銃だけ"を狙っている。殺傷意図なしと推定』


(最初から俺を殺すつもりじゃない!)


 考えるより先に、腰のナイフを抜く。刃を握り直し、懐へ飛び込む。


 コンラートは銃を下げ、反対の手でナイフを抜いた。腰の反対側に細身の短刃がもう一本、鞘に収まったままだ。


 刃と刃が噛み、乾いた金属音が走る。


「右に逃げるとき、肩が先に動く。だから読まれる。何度言った?」


 訓練場と同じ声。アキヒトの刃は受け止められ、押せば流され、引けば空を切る。


 切っ先を下からすくい上げた瞬間、コンラートは最小限の力で絡め取って上へ逃がし、手首へ軽く打ち込んだ。指先の感覚が鈍る。


「足の幅。前に出るとき、広げすぎだ。踏ん張る前に重心が止まる」


 突きを流し、距離を殺し、刃を頬に滑らせる。薄い痛みが遅れて走った。


〈ノルン〉『切創。浅い。視界への影響は軽微』


(ふざけるな)


 息が荒くなる。こちらが必死でも、コンラートの呼吸は乱れない。


「036。まだ名前を守るほどの腕じゃないぞ」


「うるさい!」


 踏み込んだ、そのとき。


 ホール入口側から別の足音が割り込む。


「そこまでだ!」


 短い声。続けて乾いた銃声。弾丸がコンラートの頭部をかすめ、ガスマスクの端が弾け飛んだ。


 片側のレンズが砕け、マスクが半分めくれる。露出した頬に古い火傷痕。深い皺。片方の眼だけが静かにこちらを睨む。


「武器を捨てろ! 武装解除に応じない場合は――」


 ヒロの声が途中で切れた。崩れたマスクの向こうを見た瞬間、顔から血の気が引く。


「なっ」


 銃を構えたまま、ほんの一瞬だけ固まる。


 コンラートはその一瞬を逃さない。手のナイフを反射的に投げ、ヒロの銃ではなく握り込んだ手首を打った。


「っ――!」


 金属音。銃が弾き飛ばされ床を滑る。コンラートは一歩で踏み込み、転がった銃を靴底で押さえた。


 マスクの残った半分越しに、初めてヒロをまっすぐ見る。


「ヒロか」


 呼ぶ声は思ったより静かだった。


 ヒロも、その一言で理解してしまう。言葉が詰まり、視線だけが動けない。


(親父――)


「なんで……」


 絞り出すような声。


「なんでここにいる」


 ヘルマーチの紋章。見覚えのある顔。子どもの頃に見上げた背中の角度。


「なんでここにいる。コンラート・ヴェルナー!」


 吐き出した瞬間、ヒロは奥歯を噛み締めた。


 コンラートは少しだけ目を細める。


「ヴェルナー、か。懐かしい名前も悪くない」


「話してる場合かよ!」


 アキヒトが叫び、間合いを詰め直す。ヒロも床の銃へ伸ばしかけ、踏まれているのに気づいて止まった。咄嗟に腰のナイフを抜く。


「036。そっちの坊やもなかなかいい脚をしている」


 コンラートは踏んでいた銃を靴先で遠くへ蹴り出した。銃は滑っていき、手の届かない場所で止まる。


「二人まとめて見てやる。どちらの脚がどの線に立つのか」


 そこからは言葉より動きが早い。


 アキヒトが右から斬り込み、ヒロが左から打ち込む。コンラートは二人に背中を見せない。常に斜め、常に中心を取る。


 アキヒトの刃は手首ぎりぎりで捌かれ、ヒロのナイフは肘で押し返される。足払いでヒロの体勢を崩しながら、同時にアキヒトの踏み込み足を軽く蹴った。


「ヒロ、脚を固めすぎだ。立っている場所を守ろうとして身体が止まる。止まった脚はすぐ読まれる」


「黙れ!」


 ヒロは崩れかけた体勢のまま、ナイフを諦めて拳で殴りにいく。


 コンラートは腕で軽く受け、力をずらした。拳が空を切り、代わりに膝がヒロの脇腹へ入る。


「がっ――!」


 息が押し出され、ヒロの身体が横に流れて膝をつく。


 その隙にアキヒトが刃を走らせた。コートの裾がわずかに裂ける。血は出ないが、手応えはあった。


(いける)


 次の瞬間、現実が叩き返す。


「036。お前も昔から変わっていない」


 コンラートはアキヒトの腕を絡め取り、わざと少しだけ止めた。止まった瞬間を狙い、手元に残したほうの刃で肩口を切り上げる。


「ッ――!」


 焼けるような痛み。肩から脇腹へ、浅いが長い線が走り血がにじむ。


〈ノルン〉『出血量、許容範囲ぎりぎり。これ以上の踏み込みは筋断裂と大量出血の危険』


「左に逃げるとき視線が先に動く。そこで全部読まれる」


「教え方が悪かったんだろ!」


 吐き捨てて前に出ようとし、一歩で傷口が開くのが分かって止まる。


 ヒロも立ち上がろうとして膝が笑った。さっきの一撃が芯に入っている。


 コンラートは二人を見下ろす位置に立つ。いつでも刺せる距離なのに、刃先は二人から少し外れた床を向いていた。


「戻れ」


 またその言葉。


「名前を捨てろ。白帯の上で足を止めるより、俺の下で脚を使え」


「ふざけるな!」


 先に叫んだのはヒロだった。


「俺が命懸けで守ってる白帯を、お前は平気で折った。そのうえ俺の隊員まで番号で呼びやがった!」


 コンラートが、まっすぐヒロの名を呼ぶ。


「ヒロ。白帯の上でしか世界を見ないなら、お前は一生このままだ」


 ヒロの顔が歪む。


「外側から全部を見ようとしなければ、何も変えられない。安全地帯にしがみついている限り、この世界は誰かが勝手に引いた線のままだ」


「俺はそれでも構わない」


 ヒロは息を切らしながら言い返す。


「線の内側でしか生きられない奴らが山ほどいる。あいつらにとっちゃ白帯が世界の全部なんだ」


 コンラートの目が冷える。


「甘い」


 短い一言で距離が潰れた。


 アキヒトが割り込もうとしたが足を払われ、崩れたところへ柄で脇腹を打たれる。


「ぐっ!」


 身体が勝手に丸くなる。


 ヒロも正面から迎え撃つが、ナイフも拳も見切られる。踵が膝の横へ入った。骨まではいかない、だが立てない場所だ。ヒロの膝が抜け、床に崩れ落ちる。


 手をつこうとした瞬間、後頭部の横を打たれた。視界が一瞬白く弾ける。


〈ノルン〉『アキヒト、補足。ヒロの頭部への衝撃は中程度。脳震盪の危険』


 気づけば二人とも床に倒れ込んでいた。ホールの中心を挟んで互い違い。立ち上がろうとしても身体が言うことをきかない。


 コンラートは静かに一歩下がり、刃についた血をコートの裾で拭った。


「036」


 アキヒトを見下ろして淡々と言う。


「今はまだアキヒトという名前に縛られていろ。いつか自分で選べ」


 罵りでも慰めでもない、事実を並べる声だった。


 視線がヒロへ移る。


「ヒロ。白帯の上に立つのは勝手だ。だがそれだけが世界だと思うな」


 ヒロは睨み返すことしかできない。痛みと悔しさで声が鳴るだけだ。


「そのうちどちらが正しいか、嫌でも分かる」


 コンラートは踵を返し、レゾナンスコアのコンソールへ手を伸ばした。


〈ノルン〉『アキヒト。待て。操作入力――』


 言い終わる前に、ホール全体が低く唸る。足元から細かな振動が伝わり、コアを走っていた光が一気に明るくなる。視界が白く飛び、金属が軋む音と遠いノイズが重なった。身体の感覚がふっと抜ける。


〈ノルン〉『局所的共振。視覚と聴覚が一時的に――』


 ノルンの声も途中で途切れた。


 どれくらい経ったのか分からない。まぶたを無理やり開けると、コアの光は元の弱さに戻っていた。


 ホールの中にコンラートの姿はない。床には二人の血と戦闘の跡だけが残り、黒い靴跡が脇の別ルートへ続いている。扉が半開きだった。


 耳鳴りが抜けない。身体を動かすたび、骨の内側が揺れるような違和感が走る。


〈ノルン〉『接続復旧。アキヒト。生体反応2。いずれもぎりぎり安定。応急処置を優先しろ』


「逃がしたか」


 アキヒトは天井を見上げたまま息を吐き、動かそうとして身体が追いつかないのを悟る。


 白帯も導光ラインもない場所で、三人が顔を合わせた最初の瞬間は、あまりにも一方的な終わり方をした。



――次回、第35話「036だった頃のこと」へ続く

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