第22話 前編 合理の外にある“家”
アキヒトから見ても、個室とはいえ落ち着ける場所ではなかった。
窓のない壁一面がモニターになっていて先ほどの診察室が小さく映っている。ベッドの上でユウタは眠り、呼吸の上下はさっきより穏やかに見えた。
画面の下のソファにサキが身を縮めて座っている。両手は膝の上で固く組まれ、背もたれにも寄りかからない。机を挟んでトギが端末と書類を広げ、白いカップがひとつ置かれていた。アキヒトはサキの斜め後ろ、壁にもたれて腕を組んだまま黙っていた。
「まず状態は安定しています」
トギが静かに言う。
「発作は抑え込めた。レゾナンスも薬で当面は抑制できている」
机の端の小さな画面に灰色の糸と膜が絡む肺の映像が再び出る。
「短期的には抑えられます。ただ――」
トギは視線を上げた。
「灰の中に戻れば、また同じことが起きる可能性が高い」
サキは視線を落としモニターのユウタへ小さく目をやる。
「"白帯"を歩く生活に戻ればこの症例はまた灰にさらされる。そのたびに傷が増えていく。よくない状態です」
"この症例"。その言い方にアキヒトの眉がわずかに動いた。
「じゃあ、どうすれば」
サキの声は掠れている。
「薬をもらって、吸入器があれば、それでなんとか」
「ここに残すのが一番安全です」
トギはあっさり言い切った。
「費用は心配いりません。灰膜過敏症E型は我々にとっても貴重なケースです。"プログラム"で面倒を見ます」
「プログラム?」
「灰膜関連の長期フォローと生活・教育支援をまとめた制度です。食事も医療も教育もこの都市の内部で完結できる。灰の中で揺れる生活よりはるかに安全で合理的だと我々は考えています」
トギは端末をなぞり、モニター上のユウタの画像を指先で軽く叩いた。触れ方が子どもではなく資料に向いている。
「E型の進行パターンは稀少です。きちんと管理すれば半年もあれば有用なデータが揃う」
「それって」
サキは膝の上のカルテを握り直した。
「わたしたちが一緒にいる必要は、ないってことですか」
「原則としてそうなります。プログラム対象の子どもは灰から隔離された環境で暮らすことが前提です。外部との出入りは医療上必要な場合のみ」
さらに淡々と続く。
「グレイランスのような移動拠点へ戻す選択肢は制度上、想定されていません」
ここに残すとはここで育てるに近い――その輪郭がサキの顔に出た。
「でも、グレイランスから離したらあの子は」
言葉が途切れ、少し間を置いてから絞り出す。
「私たちはあの子の"家"なんです。光の園の子たちにとってあそこが"戻る場所"で」
「"家"という言葉はここでは意味を持ちません」
トギの声が重なる。
「彼に必要なのは"医療環境"です。安定した空気、継続的な投薬、定期的なチェック。灰から隔離された生活」
間を置いたあと切り捨てる。
「感傷的な執着です。あなた方がいくら"家族ごっこ"をしても医学的事実は変わらない。これは感傷ではなく合理的な医療です」
"合理的"。説明というよりこの場の規則を告げる言い方だった。サキは返せず指だけがカルテの端を潰していく。
「あなたなら本当は分かっているはずですが」
トギが少しだけ首を傾けた。
「同じ扱いを受けた経験があるでしょう」
サキの肩が小さく揺れる。
「どういう意味ですか」
「記録に残っています」
トギが端末をなぞるとホログラムに古いカルテの断片と数字列が浮かんだ。
「灰災後初期の適応実験棟、H-12ブロック。識別コードS-09。当時7歳。灰膜適応試験の長期被験者――それ以外にも興味深い実験に参加されてますね。試験D-4、薬剤耐性テスト。試験F-9、痛覚閾値測定。ああ、これは特に――」
視線をサキに向ける。
サキの顔から血の気が引き視線が定まらない。
「やめてください」
低い声だった。
だがトギは止めない。
「あなたは優秀なサンプルでした。生存率23%の中で生き残った。その実績があるから今こうして生きている。あなたのことですサキさん」
サキの指先が震えカルテに皺が増えた。




