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灰の傭兵と光の園~人型兵器が、泥と血と油の中で唸る。装甲が砕け、信念だけが削れていく~  作者: 青羽 イオ
第五章 灰を食う街と、子どもたちの箱

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第21話 灰膜クリニック、値としての命

 街の空気は、まるで別の世界だった。


 ゲートをくぐった途端、灰のざらつきが消える。舌に貼りついていた粉っぽさも薄れ、肺に入ってくる空気が妙に軽い。


 サキは吸い込みかけた息を意識して止めた。今、楽になっていいのは自分じゃない。ストレッチャーの上で、ユウタがマスク越しにかすかに息をしている。その呼吸だけを見失わないように歩いた。


「こちらです」


 医療班の女性が白い廊下の先を指す。天井には黒い半球の監視カメラ、壁際にはカードや掌で認証する端末が並び、扉が開閉するたびに耳がきゅっと詰まる。


「負圧ドアです。灰膜関連のフロアは外の空気が混ざらないようになっています」


 説明が続いてもサキの視線はユウタから離れない。反対側を歩くアキヒトは無言のまま、カメラ、ロック、警備兵の位置を順に拾っていく。


「……戦場のゲートより、よっぽど物々しいな」


「診察室に入ります」


 厚い枠の扉が静かに開き、白で統一された部屋が現れた。中央にベッド、その周りに丸い輪の装置と黒いアーム、複数のモニターが整然と並ぶ。


「灰膜クリニックの診察室です。担当医がすぐ来ます。それまでモニタリングを」


 女性スタッフが手早くセンサーをユウタの指先に取り付けると、モニターに数字が走った。意味は分からない。それでも、落ちないでいてくれとだけ思う。


 扉が開いた。


 白衣に灰色のシャツ。眼鏡の奥の目は疲れているのに焦点だけは鋭い。


「灰膜クリニック担当のトギです。アストレイア第七防衛都市へようこそ。……まあ、歓迎される状況ではありませんね」


「この子が……ユウタです。グレイランスで一緒に暮らしていて、さっき急に——」


「診療記録は確認しています」


 トギは端末を軽く示した。


「イズミ医師、なかなか丁寧ですね。灰膜過敏の既往、発作の頻度……」


 言いながらユウタの顔を覗き込む。


「ユウタくん、聞こえるかな。ここは灰の少ない場所だよ。匂いが変でも、それは薬と消毒の匂い。すぐに楽にしよう」


 ユウタがわずかにまばたきをした。


「まず肺の中を見せてもらいましょう。レゾナンス・スキャナです。灰膜の付着と気道の反応を調べます」


「レゾ……?」


「賢くした聴診器みたいなものです。ただ、"見る"ための道具。治すのは――このあと」


 丸いリングの装置がそっとユウタの胸をなぞる。低い機械音が走り、モニターに白と灰の肺の断面が浮かび上がった。


 その中に細い糸のような影がある。いくつもの薄い膜が重なり、その隙間を縫うように絡みついていた。


「……ひどい」


 漏れた声にトギが小さく頷く。


「ええ。これが灰膜過敏症E型」


 画面の一部を拡大し、指先で示した。


「普通の子は灰で傷つきながらだんだん鈍くなっていく。悪く言えば慣れてしまう。でも彼は違う。傷つくたびに敏感になって、炎症の反応が大きくなる。その繰り返しです」


 画面の線と膜がゆっくり動いているように見える。


「ここなら吸入薬を彼専用に調整できます」


 トギは波形をなぞった。


「この子の肺が出している振動――レゾナンスに合わせて逆向きの波を薬で作る。灰が起こす波をそっと打ち消すようにね」


「そんなこと、できるんですか……」


「できますよ」


 あっけないほど静かで迷いのない返事だった。


 サキの頭にイズミが大切にしていた古い器具が浮かぶ。比べてしまう。ここにある機械はどれも新品で、同じ顔をして整列していた。


 ふと視線を上げると壁の一面がガラス張りだった。向こうの部屋で何人もの白衣が同じ映像を大きな画面で見つめている。声は届きにくいのに断片だけが耳に刺さった。


「E6因子の自然発生……?」


「あれ、施設外育ちのサンプルだって」


「統計から外れすぎてる。うまくいけば一本論文が書けるレベルだな」


 全部は聞き取れない。それでも「E6因子」「サンプル」「論文」という言葉だけでユウタが"データ"として並べられているのが分かった。イズミのカルテにはなかった言葉だ。知らないままのはずの印がここでは「使える数字」になる。


 サキは視線を落とした。見てはいけないものを見た気がするのにガラス越しの視線だけがやけに鋭い。


 横を見るとアキヒトも同じ方向を見ていた。無表情のまま目つきだけが少し険しい。


「……あいつら、数字の話しかしてないな」


「保育士さん」


 トギの声が場を戻す。


「あなたの名前は?」


「サキ。光の園の保育士です」


「いいですね。あなたのような人がそばにいるのはとても大事だ。心因性の要素も大きい。安心できる相手がいるだけで発作の頻度は下がります」


 言葉は優しい。けれど温度は一定で近づきすぎない。


「治療を始めましょう」


 トギは透明な吸入器を手に取った。中で無色の薬液が静かに揺れている。


「ユウタくん、少しだけ頑張ってね。ここから出る霧をさっきみたいに吸うんだ。ちょっとだけ苦いけど、それで楽になる」


「……うん」


 スイッチが入る。見えない霧が静かな音とともに噴き出していった。


「すうの、いち。に。さん。し。……はくの、いち。に。さん。し」


 サキの口が自然に数を刻む。ユウタの胸の動きに合わせて自分の呼吸も揃える。


 数えるたびにユウタの呼吸が少しずつ深くなっていく。かすれていた音がいつのまにか低く静かな呼吸へ変わる。


 モニターの数字がゆっくり追いつく。酸素飽和度が――92、94、95……と、じりじり上がっていった。


「いい反応ですね。薬が合っています。いきなり全部抑えると負担になるので少しずつ慣らしていきましょう」


 サキの肩から少しだけ力が抜けた。完全に消えたわけじゃない。けれど、いまこの瞬間ユウタは楽になっている。


 アキヒトは腕を組んだままガラスの向こうを外さない。白衣の動きも警備兵の配置も天井のカメラもまとめて"場"として見ている目だった。


 向こうの部屋ではまだ断片が続く。


「……E6因子のカーブ、これ——」


「ログのバックアップ、第三保存庫にも——」


 意味は分からない。それでもここでのユウタが"値"として扱われることだけは痛いほど分かる。


「さき、せんせい……」


 かすかな声。


 サキはユウタの手を握り、指をほどかない。


「ここにいるよ。どこにも行かない。ちゃんとグレイランスに連れて帰るから」


 ガラスの向こうでどんな数字で呼ばれていようとサキにとっては最初から最後まで「ユウタ」だ。


 その手は少し汗ばんでいたがさっきよりあたたかい。白い部屋の中では機械の小さな作動音とモニターの淡い光だけが静かに動き続けていた。命を「値」に変えようとする場所でその手だけは名前を呼ばれる子どもの熱を、確かに握り返していた。


――次回、第22話「合理の外にある"家"」へ続く

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