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灰の傭兵と光の園 〈ロボットイラストあり〉  作者: 青羽 イオ
第五章 灰を食う街と、子どもたちの箱

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第19話 灰の中の呼吸

 私はイズミ先生からユウタを受け取った。


 酸素マスクはつけたまま。小さなボンベは肩に掛けるには重すぎたので、片手で抱えるように持った。もう片方の腕にはユウタがいる。熱がまだ高い。服越しでも、胸と背中がじっとり濡れているのがわかった。


「サキさん」


 イズミ先生が、最後にもう一度だけ私を呼び止めた。


「マスクは外さないで。苦しそうになったら、まず声をかけて呼吸を整える。それでも駄目なら、酸素を少し上げて」


「はい」


「無理に深く吸わせないこと。焦って吸わせると、かえって苦しくなる」


「……はい。いつも通り、ゆっくりですね」


「そう。いつも通り」


 イズミ先生はそう言ったあと、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「怖いと思う。でも、あなたが怖がりすぎると、この子にも伝わる。怖くないふりでいいから、声だけは落ち着かせて」


「分かりました」


 本当は、全然分かっていなかった。


 怖い。怖くて、酸素ボンベを持つ指に力が入る。けれど、ユウタの耳元でそれを言うわけにはいかなかった。


 私はアキヒトの背中を追って、医務室を出た。


「ユウタ、聞こえる?」


 小さく声をかけると、ユウタのまぶたが動いた。


「今から、アキヒトさんのロボットに乗るよ。大きいやつ。びっくりするかもしれないけど、私も一緒だからね」


「……おおきい?」


「うん。すごく大きい。でも中は狭いんだって。変だよね」


 格納庫の中央で、ストレイ・カスタムが膝を折っていた。


 近くで見ると、思っていたよりずっと大きい。装甲は灰で汚れ、肩や脚のあちこちに細かい傷がある。膝をついているのに、胸部ハッチはまだ私の頭よりずっと高かった。


 こんなものの中に、ユウタを抱いて乗る。


「サキ」


 前を歩いていたアキヒトが振り返った。


「ここから足場が悪い。下を見るなとは言わない。でも、下ばかり見ると余計に怖くなる」


「……はい」


「俺が先に上る。ユウタを落とすな。手は空いてなくても、体を機体に寄せれば支えになる」


 言い方は短い。でも、突き放す感じではなかった。


 アキヒトは脛の装甲を踏み台にして、先に上がった。慣れている動きだった。私は同じように足をかけようとして、金属の冷たさに少しだけ息を飲んだ。


 ユウタを抱いたままでは、思ったより体が上がらない。


「足、そこじゃない。右の段差。……そう。慌てなくていい」


 下からナロアが声をかけてくる。


「ハッチのところまで来たら、アキヒトが受ける。私も下で見てるよ。落ちたら受ける、とは言わないけど、落ちる前に止める」


「言い方が怖いです」


「じゃあ、落ちない。これでどう?」


 こんな時なのに、少しだけ笑ってしまった。


 胸部ハッチが開いて、白い光が漏れた。


 中から、アキヒトが腕を伸ばす。


「手を出せ。ユウタごと引き上げる」


「重いですよ」


「見れば分かる。早く」


 私はユウタを強く抱きすぎないように気をつけながら、片手を伸ばした。


 アキヒトの手が私の手首をつかむ。力が強かった。ぐっと引き上げられ、体が一気に浮く。足が装甲をこすり、胸が冷たい縁に当たった。


「痛っ……」


「悪い。もう少し」


 次の瞬間、私はハッチの縁に腰をかけていた。ユウタは腕の中にいる。マスクも外れていない。


「中に入るぞ。頭をぶつけるな」


 コクピットは想像より狭かった。


 前にはパイロット席がある。その背もたれのすぐ後ろに、細い座面とベルトがついていた。たぶん、今急いで取り付けたものだ。壁には配線カバーがあり、座ったら背中がすぐそこに当たりそうだった。


「ここに座れ。ユウタは膝の上。酸素ボンベは左側に固定する」


「この幅で、入りますか」


「入れる。入らなかったら、ナロアが外で泣く」


 外からナロアの声が飛んできた。


「泣かないって。さっきまで私の工具箱をくくってたベルトだよ。丈夫さだけは保証する」


「工具箱……」


「人間用より信用できる」


「それ、安心していい話ですか」


「少なくとも俺は安心してる」


 私はまた少しだけ笑った。


 狭い座面に腰をおろすと、背中がすぐ配線カバーに当たる。前にはアキヒトの背中。膝の上にはユウタ。


 アキヒトが横からベルトを引き出した。


「まず、お前の腰を止める。そのあと、ユウタごと斜めに固定する。揺れた時に体が前へ飛ばないようにするためだ」


「こんなふうに乗って、大丈夫なんですか」


「正規の乗せ方じゃない」


 アキヒトは金具を通しながら、淡々と言った。


「でも、今できる中ではこれが一番ましだ」


 ベルトが腰に回る。次に、ユウタを抱いた私の体ごと、もう一本のベルトが斜めに通された。金具が胸の横で鳴る。


 カチリ。


「きつくないか」


 アキヒトが聞いた。


「私は大丈夫です。ユウタは?」


 ユウタは小さく首を動かした。


 ハッチの外から、イズミ先生が顔をのぞかせた。


「サキさん、ボンベのバルブはここ。今はこの位置。苦しそうなら、一目盛りだけ上げて。上げすぎると乾くから、勝手に何段も回さないで」


「一目盛りですね」


「そう。一目盛り。アキヒト、向こうで薬を使われたら、名前を記録して。投与量も。相手が嫌な顔をしても聞いて」


「分かった」


「それと、無理だと思ったら引き返して」


 イズミ先生は、そこで少しだけ間を置いた。


「……引き返せるうちに」


 アキヒトはすぐには答えなかった。


 前席で、彼の肩がわずかに動いた。


「分かってる。判断は遅らせない」


「それならいい」


 ハッチが閉まる。


 外のざわめきが、一枚ずつ遠くなっていった。最後に重い音がして、格納区の空気が切り離される。


 残ったのは、ファンの音と電子音。それからユウタの呼吸。


 コクピットの中は暗くなり、すぐに前方モニターが光った。格納区の映像が映る。整備班が外で手を振っているのが見えた。


「LSL接続は切っておく」


 アキヒトがパネルを操作しながら言った。


「今日は直接つなぐと、余計な感覚まで拾いそうだ。手動で動かす」


「手動……って、難しいんですか」


「難しくはない。面倒なだけだ」


 面倒。


 そんな言い方をされると、少しだけ怖さが薄れる。たぶん、わざとそう言ってくれているのだと思った。


 スピーカーからジルの声が入った。無線のタグは画面に出ていたが、声は作戦室の時より近く聞こえた。


「VOLK-1、発進準備を確認。目的地はアストレイア企業都市、外縁医療ゲート。医療搬送案件として艦内記録を開始する」


「聞こえてる」


「グレイランスの識別信号を付与した。白帯への乗り入れは禁止。外側を走行して。敵性反応が出た場合の交戦は最小限」


 ジルの声が、そこで少しだけ柔らかくなった。


「……無事に送り届けて」


「了解。VOLK-1、これより発進する」


 アキヒトの手が操縦桿を握る。


 私はユウタの背中に手を回し、もう片方の手でマスクの縁を押さえた。ベルト越しに、小さな胸の動きが伝わってくる。


「ユウタ、今から動くよ。大きな音がするかもしれない。でも、壊れてる音じゃないからね。機械が歩く音」


「……あるく?」


「うん。すごく大きく歩く。私たちは中でじっとしていればいいの」


 床が低く震えた。


 最初は小さく。次に、下から持ち上げられるように。


 ストレイ・カスタムが立ち上がったのだと分かった。体がベルトに押さえつけられ、ユウタの頭が私の胸に寄る。


「大丈夫。ここにいるよ」


 格納区の誘導灯がモニターの中で流れていく。


 側面ハッチが開いた。


 灰色の外気が、画面を白く曇らせる。外の景色は、夜というより、灰そのものだった。光がにじみ、遠くが見えない。


 ストレイ・カスタムが艦外へ踏み出した。


 大きな足が地面を踏んだ振動が、背中から胸まで伝わった。


 *


 外は濃い灰の霧だった。


 モニターの中で、白帯の導光だけが地面に細く伸びている。白い線は頼りないくらい細いのに、そこだけは灰の中でも消えずに光っていた。


 アキヒトは白帯から少し離れた場所に機体を立たせた。


「白帯には乗らない。外側を行く」


 誰に言うでもなく、そう口にした。


 画面の端に外気の数値が出る。灰濃度八十三。視界予測三十メートル。数字の意味を正確には知らない。けれど、外が良くないことだけは分かった。


 機体が前へ出る。


 揺れは、思っていたより強かった。


 歩くたびに、体が少し遅れて動く。ベルトが肩と腰に食い込み、ユウタの体が私の腕の中で小さく跳ねる。


 前のモニターに、小さな赤い印が三つ出た。アキヒトの肩がわずかに動く。


「小型反応、三つ。距離百二十から百。進路を変える」


 ジルの声が返る。


「交戦する?」


「しない。残骸の影を横切っただけだ。撃てば、ほかを呼ぶ」


 機体が少し右へ寄った。


 画面の左端、壊れたトラックの陰を黒いものが走り抜けた。犬より大きい。虫のようにも見えた。すぐに灰に消えたので、形は分からなかった。


「外、灰ばっかりだね」


 私はユウタに話しかけた。


「でも、向こうに行ったら、きれいな空気の部屋があるんだって。そこで薬をもらおう。ちゃんと診てもらって、帰ってこよう。みんなのところに」


 ユウタのまぶたが震えた。


「……みんな、いる?」


「いるよ。グレイランスで待ってる。アオもいる。きっと、あなたの緑のバッジをちゃんと置いて待ってる」


「アオ……」


「うん。帰ったら、粉じん計の数字、また読んであげて。私、あれ早く読むの苦手だから」


 ユウタが、マスクの奥でほんの少し笑った。


「サキ、へた」


「そう。下手なの。だから、ユウタがいないと困る」


 自分で言って、目の奥が熱くなった。


 泣きそうになる。今泣いたら、ユウタが不安になる。分かっているのに、喉の奥が詰まった。


「サキ」


 アキヒトが言った。


「泣くなら帰ってからにしろ」


「……分かってます」


「分かってるならいい」


 少し冷たく聞こえる言い方だったけど、そのおかげで涙は引っ込んだ。


 ストレイ・カスタムは灰霧の中を進んだ。


 白帯の光は、モニターの端でずっと揺れている。近づきすぎず、離れすぎず、その外側をたどっているのだと分かった。


 灰をかぶった標識が現れ、すぐに後ろへ流れる。ひっくり返った車両、折れた街灯、看板の残った建物の壁。どれも一瞬だけ見えて、すぐに灰に隠れた。


 外は死んだ街のようだった。


 けれど、この狭いコクピットの中には、三人分の息がある。


 前で操縦するアキヒトの背中。


 同じ空気の中にいる。そのことだけを、私は何度も確かめた。


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