第10話 後編 ようこそグレイランスへ
避難区画へ戻されてから時間が空いた。子どもたちは床に座り、入口を見たまま黙っている。いつもなら誰かが「おなかすいた」と言い出す頃なのに、声が上がらない。
「先生、列車は……?」
「今日はお休みになっちゃったみたい」
サキは笑顔を作って毛布を直した。指先が微かに震える。
「でも大丈夫。ここは安全だよ。ちゃんと、ごはんも出るしね」
確信は持てないまま、それでも言葉を置く。
水を配り終えた頃、ドアが軽くノックされた。
「光の園の保育士さん」
昨日甲板で見かけた若い兵士が、ヘルメットを小脇に抱えて顔を出す。
「ブリッジからの呼び出しです。艦長代理がお話をしたいと」
「……はい」
サキは子どもたちを見回し、釘を刺す。
「ちょっとだけ行ってくるね。ここから出ないで、名札は外さないこと。いい?」
10人がうなずく。服の端を握る指に一度触れてから、サキは通路へ出た。
昨夜ほどの混雑はなく、片付けを終えたカートが行き交い、整備士が工具箱を引いていく。艦はいつもの仕事へ戻ろうとしていた。
ブリッジ手前の小さな会議スペースに通される。モニタの光を背に、ジルがいた。肩章には《グレイランス管制》のマーク。疲労はあるが、目はぶれていない。
「光の園の……サキさんでいいのかな」
「はい。サキ……です」
名乗りかけて、旧姓と今の名が頭で引っかかり、軽く頭を下げて飲み込む。
ジルはタブレットを払った。
「港湾局とFDCから正式に話が来た。あなた方の行き先が、今のところ"どこにもない"ってことになってる」
淡々としているのに、言葉の端に引っかかりがある。
「カルディア行きの列車は当面止まり、都市側も受け入れ休止。元の自治体は灰の向こうで状況不明。院長さんは重傷で搬送。書類の上では、あなた方は『送り主不在・受け先未定のユニット』だ」
サキは膝の上で手を握った。爪が指に食い込む。
「FDCの要請はこれだ」
ジルは読み上げるというより、事実を並べる。
「『当面、グレイランス艦内臨時保護ユニットとして子ども10名の保護を継続してほしい。費用精算と受け入れ先の確定は後日協議』」
「――要するに、今はうちで面倒を見ろ。金と責任の話はそのうち、だ」
ジルは一度だけサキを見た。
「正直、この艦は白帯の防衛で手一杯だ。人員も食糧も余裕があるとは言えない。昨日みたいな日が重なれば、避難区画はすぐ満杯になる」
「……はい」
「本来なら地上施設に任せたい。子どもたちは艦より地面の上のほうがいい。でも、どこも『今は受け取れない』って言ってる。ここから追い出すわけにもいかない」
サキは息を殺し、言葉を整える。
「ここに……置いていただくことは可能でしょうか」
「それを決めるための話だよ」
ジルの口調が少しだけ柔らかくなる。
「ひとつ確認したい。――あなたは、どうしたい?」
「どう、というのは……」
「子どもたちだけ別の施設へ預けて、自分は別の行き先を探すこともできる。次の乗り継ぎ拠点まで一緒に行って、そこで行政と交渉することもできる」
机の上で指を組む。
「それでも『グレイランスに残りたい』と言うなら、理由を聞いておきたい」
サキは視線を落とし、床の継ぎ目を見た。白帯みたいに、ただ一直線に伸びている。
「――この子たちは、ここでいったん"守られた"からです」
声が揺れそうになり、言い切って押さえる。
「白帯の途中で拾ってもらって、ミュータントの群れからも守ってもらった。行き先が決まらないなら、せめて『守られた場所』にいる時間を積み重ねてあげたい。昨日だけじゃなくて、今日も、明日も。そういう場所があるって、あとで支えになると思うんです」
ジルは黙って聞き、タブレットの端を爪で軽く叩く。
カツ、カツ、カツ。
「それに……私は、この10人と離れたくありません。この子たちの名前を呼べるのは、今は私だけだから」
ジルの指が止まる。
「名前、ね」
「はい」
サキは自分の手元を見つめたまま続ける。
「ずっと番号で呼ばれていた子もいます。この中に。私も……そうでした」
その一言を出すのに、少し時間がかかった。
「番号で管理されて、生きているのかどうかも、自分で分からなくなる時期があって……」
ジルは踏み込まず、短く息を吐いた。
「……わかった」
背にもたれ、天井を一度だけ見上げてから、姿勢を正す。
「少なくとも、今ここにある選択肢の中でいちばんマシなのは『グレイランスで保護を続ける』だ。私もそう思う。ただし、条件がある」
「条件……」
「この艦に乗っているあいだ、あなたは『ただの避難民』じゃなくなる。艦内臨時保護ユニット『光の園』担当の"スタッフ"として扱う」
ジルの口元がわずかに緩む。
「ようするに、うちのクルーと同じくらい働いてもらう」
サキは一瞬きょとんとしてから、小さく笑った。
「それくらいなら、いくらでも。子どもの世話はもちろん、食事の手伝いも掃除も……できることなら何でもします」
「医療区画と食堂にはしばらく余裕がある。はるゑって調理担当がいるから、そこに顔を出してくれ。避難区画の子ども全体の世話も、手が回っていない」
ジルは淡々と項目を示す。
「その代わり、艦のルールには従ってもらう。非常時の待機場所、アラート時の行動、外には絶対に出ないこと」
「はい。守ります」
「子どもたちもだ。名札は必ず付けさせておく。避難訓練があれば最優先で参加してもらう」
一通り言い切ると、ジルはタブレットにサインを入れた。
「これで光の園ユニットはグレイランス艦内保護リスト入りだ。名義上はFDC、運用はうち。――面倒を見切れるかどうかは、こっちの腕次第」
「ありがとうございます」
サキは深く頭を下げた。ようやく「ここにいていい」と言われた気がして、膝の力が少し抜ける。
「礼を言うなら、白帯を維持してる連中とVOLKのやつらに言ってくれ」
ジルは居心地悪そうに視線を逸らす。
「この艦は通り道だ。本来は、みんなを"次"に送るための場所だ。君たちの"次"が見つかるまでは、ここが仮の家になる」
「……はい」
サキはその言葉を頭の中で転がした。――仮でも、家。
部屋を出ようとしたところで、ジルが呼び止める。
「さっきの話。番号で呼ばれていたってやつ」
「……はい」
「今度、余裕があるときに詳しく聞かせてくれ。この艦にいるあいだは、少なくとも私は君と子どもたちを"番号"では扱わない。そのために、知っておきたい」
サキは少し迷ってから、うなずく。
「いつか、話せるようになったら」
「それでいい」
ジルは短く笑った。
「じゃあ――ようこそ、グレイランスへ。サキ」
名前で呼ばれた瞬間、サキの呼吸が一拍止まる。
「よろしくお願いします」
ドアの向こうには、10人の子どもたちが待っている。白帯の途中で拾われた小さな"次の行き先"が、ようやくグレイランスという艦と、そこで生きる人たちへつながり始めていた。
――次回、第11話「生きて戻るための刃」へ続く




