【短編小説】ウォーホール型人生
その日も太陽は遠慮することがなかった。
俺が交差点を見下ろせるカフェの席に座ってコーヒーを飲み続けてもう2時間になる。
カフェ席の隙間を巡回する生真面目なカフェ店員によって勝手におかわりを注がれる薄いコーヒーを何杯か飲み干して、それでも俺はそこに座っていた。
待っていた。
何を?
「さぁな、俺にもわからない」
交差点を行きかう人間たちはウォーホールのプリントによく似ていた。
別にそれがどうと言う話じゃない。
俺の感想だ。特に根拠は無い。
一人の女が信号の下に着いたのが見えた。
俺はゆっくり立ち上がりカップの載せられたトレイを返却棚に置く。
「ありがとうございました」
店員が愛想よく礼を言う。
「ごちそうさまでした」
俺も軽く会釈で返す。
これが都会で生きると言う事だ。
もう二度と会わない人間とも素敵な挨拶をする。そういう上辺が求められているし、それを実行できるかどうかだ。
そのプログラムをインストールできていない奴から弾かれて田舎に帰ることになる。
交差点の信号が青に変わる前に俺は階段を下りて位置に着く。
目視。
女はまだ向かいにある信号の下にいる。
赤い信号が青くなる、ほんの一瞬前に俺は交差点に足を踏み出す。
真っ直ぐ女の方に向かう。
女が俺に気づいて視線を送る。
俺は笑って女と歩調を併せて後ろ歩きに切り替える。
「お姉さん、どこかで俺と会った事ない?」
女は鼻で笑うと俺を追い払う様に手を振った。
「あ、やっぱその綺麗な指はそうだよ。会った事がある」
背中にぶつかった誰かを無視して話し続ける。
「名前が思い出せないな、ヒントとちょうだいよ。絶対に当てて見せるから」
女は笑っている。
大丈夫だと確信する。
「いまさぁ、俺も忙しいのよ。本当はこんな事をしてる暇はないの。でもお姉さんは放っておけないよ。交差点の反対側から見てても光ってたもん。そうだ、番号を教えてよ、番号」
ここでようやく女は立ち止まった。
「今どき番号?電話の?」
その瞬間に俺は勝利を確信した。
「違うよ、口座番号。銀行の」
女は一瞬、呆気に取られた表情をしていた。
俺の言っている事を理解するまでに少し時間がかかったのだろう。
オーケー、これでいい。
「口座番号」
「そう、銀行のね」
女は逡巡して立ち止まったが、すぐに微笑みを取り戻して歩き出した。
それに合わせて俺も止まったり後ろ歩きをしたりする。
「残念、私って銀行の口座は持ってないんだよね」
なるほど、そうきたか。
でも簡単には引かない。
「現金を持ち歩くタイプのハードボイルドな生活してるんだね」
どこに隠してんの?調べさせてよ。
それを言うか言わないか。
いまは言わない方を選ぶ。
女は悪戯っぽく笑った。
「あなたの記憶にはいないの、そんなハードボイルドな女」
会話が続いている。
勝ったも同然。
「いたよ、いたはずだ。もう少しで思い出せそうなんだけど」
俺は次の会話の為に適当なセリフをばら撒く。
「ついでに言うと携帯もプリペイドだけ、銀行口座が無いからね」
女は笑う。
笑って会話を潰しにかかる。
だが終わらせようとするなら、まだ続けられると言うことだ。
「そうなる、そうなるね。実に単純明快だ」
だが俺は笑いながら自分が厭な汗をかき始めているのに気付いた。
女の顔からいつの間にか笑みが消えている。
「できればICカードも持ちたくないけど、切符なんて逆に目立つから仕方ないわ。何枚か持ってランダムに使ってる」
「どうしてそんなことを?」
「だって個人情報は極力晒したくないじゃない」
女の目が真っ直ぐに俺を見据えている。
俺たちはいつの間にか……いや、俺はいつの間にか雑居ビルの立ち並ぶ路地裏に誘導されていた。
「そういう人も、いるね」
「私はそう。それで」
女の鋭い視線が刺すようだった。
「まだ思い出せないの、私のこと」
俺はたじろいだ。
頭の中で警報機が鳴っている。目の奥で警告灯が高速で点滅している。汗が背中を流れ落ちる。
「あぁ、まだ思い出せないんだ。名前を」
舌が張り付いているのか、喉が締まっているのか、声が上手く出せない。
女は笑った。
「そんなに知りたいの、私の名前」
俺は頷く。
「本当に知りたいのは私の名前なんかじゃないでしょう」
女はゆっくりと自分の首元に手を伸ばした。
「本当に知りたいのはこれ」
そうしてシャツの首元を伸ばした。
「これでしょう」
そう言って鎖骨の下に印刷されたバーコードと番号を見せた。
俺は素早くその製造番号に目を走らせた。0111720302M614310100K5RYKA。
間違いない、この女を俺は探していた。
だがどうする?恐らく気付かれている。
俺は平静を装って「変わったタトゥーだね」と笑った。
女は鎖骨のバーコードと番号をシャツで覆った。
「やっぱり覚えてないんでしょう?こんなタトゥーは滅多にないもの」
何かがおかしい。
ここは一旦退くべきだ。
だがそれが出来ない。
「俺の記憶違いだったかな、お姉さんほどの美人を忘れるなんて」
どうにか会話を続ける。
「それは褒めてるのかしら」
女は余裕のある笑みをこぼした。
何でもいい、隙が欲しい。
逃げるための隙が。
「もちろん、記憶違いだった事を恨めしく思うよ」
「あら、じゃあ記憶を作ればいいじゃない」
女はにっこりと微笑んだ。
その瞬間だった。
女は表情を失って崩れ落ちた。
「識別番号0002092476無事に捕獲しました」
耳に差し込んだ通信機から聞こえた。
耳の奥で警報機が鳴りやんでいくのを感じる。
目の奥の警告灯も落ち着いてきた。
あとは現場に来た人間たちに引き継げば仕事は終りだ。
胸元のバーコードを指で剥がす。
自分でも一瞬では読み取れない番号だなと思う。
足元に転がるウォーホール型のデュープリケイターが細かく痙攣している。
その時に何故だか自分が酷く疲れている事に気づいた。
薄暗い通りに射す陽が眩しかった。
コーヒーでも飲みたい。




