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少女は科学者の夢を見ない

将来の決定を迫られた皆へ

 季節はすっかり冬らしくなってきて、外を歩くと北風の冷たさに身を震わせるようになった今日この頃。冬、といえばクリスマスにお正月に…と楽しいイベントが盛りだくさん!とも言っていられなくなってきた高二の十一月。早朝の教室は誰もおらず、見慣れた教室が特別なものに感じられる。ひとりぼっちでこの静謐な空間を堪能するのが何だか好きだったりして窓の外をぼんやりと眺めていると、勢いよくドアが開く音がして振り返る。視線の先には響が立っていた。

「おはよ!今日も早いね」

「うん、朝の教室って超快適だし」

「まじ?そうなん?」

「うん、もはやベッド超えの寝心地!」

「寝心地…?寝てから来てるじゃん。思ってたんと違う…。と、そそ。夢佳さ進路の書類ってもう出した?」

「え!それ今月中だっけ⁉やばい!今日までの課題以外は覚えてないよー!」

「あー、やっぱり忘れてた…。そうだよー今月中。まだ決めてないの?」

「…うーん…やりたいこととか特にないんよね、私。」

「そっかー。でもそろそろだし、ちゃんと決めた方がいいよ。もうすぐ進級だしね。」

「そうだよねー…。響ちゃんはどうするの?」

「あーあたし?あたしは建築家になりたいからそっち系の学科に行こうかなって」

「へぇぇ!すごいね響ちゃん!めっちゃ似合う!」

響ちゃんの将来の夢を初めて聞いた私は思わずふふ、と笑みを零してしまった。響ちゃんの耳が真っ赤に染まる。

「ちょっと!あんまにやにやされると恥ずいじゃん…」

「ふふふ、ごめんって!響ちゃんと真剣な将来の話したの初めてだから何か嬉しくてつい。

許して!」

「しょうがないなー。いいよ、もう。その代わり、夢佳も決まったら教えてよね将来の夢!」

照れたままびしっとこちらに指を突きつけてくる響ちゃん。

「かしこまりましたです!」

「よろしい。よーく考えるように!」

先生と生徒みたいなくだらないやり取りに二人して笑ってしまう。

「一番に報告にきます!」

もう一度宣言した私に一瞬瞠目した響ちゃんはその後嬉しそうに笑ってくれたのだった。


「にしても将来の夢ってなんだろう…うう、分からん。」

響ちゃんと別れて一人唸っていると背後から声が飛んできた。この声は岡センだ…。やだなー絶対進路ちゃんと考えるように釘刺そうとしてるじゃん!

「はしもとー進路決まったかー?」

重い口を渋々開いてありきたりな返事を返す。

「えっと、はい、月末までにはちゃんと出します。」

「おーそうか。橋本まだ何も決まってなさそうだったから気になってな。橋本って理系だっけか?」

「はい、そうです。」

「…なら高科先生とかいいかもな。あの先生、いつも実験室にいてよく分からない先生なんだが、一昨年くらいから進路指導担当でな。今理系の進路指導担当って高科先生だけだから。」

「タカシナ先生…。初めて聞きました。」

「そうか、まあ高科先生は三年の化学しか持ってないから会ったことないか。まあ、もしかしたら何か参考になることもあるかもだから。」

「…ありがとうございます。今度お会いしてみます。」

「そうだな、それじゃ」

自分の進路のことに口を出されるのは正直あんま好きじゃない。…でももう決めるしかない時期まで来てしまった。仕方がない、行ってみるしかないか。最近は親にも口酸っぱく言われていたしな、と独り言ちる。空を赤く焼く夕暮れ時の太陽は雲に隠れて姿を見せなかった。


 高科先生が生息してる…じゃなかった、仕事をしているという実験室は別校舎の光の入らない一階の片隅に位置していた。比較的新しい、教室がメインの私たちの校舎とは違って森のように鬱蒼と茂った緑で囲まれたこちらの別棟は古くて、古書のような少し埃っぽい空気が充満している。本当にここを使っている人がいるのか不安になってきた頃、ようやくそれらしき部屋に辿り着いた。

「失礼しまーす…」

そっとドアに手を掛けて中を覗くと最初に目に入ったのは棚に陳列されたホルマリン漬けの標本たち。魚の骨のようなものから何かの目玉のようなものまでが所狭しと並べられていて、私は思わず悲鳴を上げた。

「おや、お客さんかな?」

声の方を見やるとそこにあったのは骨格標本。さらに恐怖を覚えた私はそのままの体勢で固まってしまった。

「おっとごめん。かなり驚かせたらしいね。あまり人が来ないもので整理を怠っていたのが悪かったかな。」

「…あ…その、大丈夫です…」

「ありがとう。それで君はこんなところまで来てどうしたの?」

「岡崎先生から理系の進路指導担当の先生で高科先生という方がいらっしゃるとお聞きして。」

「なるほど。…じゃあ進路の相談ってことか。」

「はい」

「やりたいことは?」

「特にないんです。」

「じゃあ、好きな科目とかあるかな?」

「それもあまり…」

「…理系ってことでいいんだよね?何の科目を取ってるんだい?」

「まだ二年なので必修の科目ばかりですけど…化学と生物ですかね。」

「そうか、私は化学が専門だからそこの話は詳しくできるかもしれないが…。それで君の興味を狭めることになったら本意ではないからな。」

「…あの」

「うん?」

「先生は何で化学の先生になろうと思ったんですか?」

「それは化学が好きだからだね。化学は面白いよ。」

「そうなんですか。それは…どういうところが?」

「…うん、難しいけれど魔法みたいだから、だろうか。ある物質が化学反応によって他の物質に姿を変える。また新たな物質になることもあるしね。学生の時の私はそれが何だか、魔法のように思えてね。それで化学の教員になることを決めたよ。」

「魔法…ですか。」

「そう、魔法だね。」

そんなことを話していると下校時刻を告げるチャイムが鳴り響いた。外はすっかり暗くなり夜の帳が下りている。

「時間切れのようだね。もう下校時刻だ。気づかなくて申し訳ない。気を付けて帰るんだよ。」

「…ありがとうございます。」

まだ話を聞いていたいような気分になっていた私は後ろ髪を引かれる思いで立ち上がる。そんな私の様子から何か察したのだろうか、高科先生から声がかかる。

「もし、興味があるのならまた明日おいで。」

先生の、熱が籠っているわけではない、いっそ淡々とした声音の中に含まれる温かさがじんわりと染み渡る。

「ありがとうございます。…また明日来ます。」

言うが早いか私は実験室を後にした。背後で先生がくすり、と笑みを零した気配がした。


 約束通りの翌日。今日もまた、薄暗い別棟を訪れていた。先生は昨日と同じ白衣姿だった。

「いらっしゃい。」

「こんにちは。えと、よろしくお願いします…?」

「ふふ、ああよろしく。今日は私が“魔法”だなんて形容したから来てくれたんだろう?」

「そうです。化学の授業は受けてきたけど魔法だなんて思ったこと、一度もなかったので」

「そうか、まあそれが“普通”な気もするが…。見せた方が早いか。」

そう言って先生が取り出したのはいくつかの金属片とガスバーナー。よく分からないが金属片を加熱するのだろうか。

「じゃあ、見ていてくれるかな。」

先生がガスバーナーを巧みに操って炎を生み出す。炎はいつもの青。と、金属片が炎に包まれると炎の色がみるみる変わっていった。青から黄緑へ、そして黄色、紅…。それが俗にいう炎色反応であることに気づいたのはいつだったろうか。私はうろ覚えの炎色反応の知識を引っ張り出そうとしたが、やめた。目の前で生み出された炎にはただの化学反応を超える何かが宿っている気がしたから。

「…綺麗ですね」

「ああ、そうだね。」

ちらりと見やると横にいた先生はどことなく誇らしそうな顔をしている。昨日会った時に受けた寡黙でミステリアスな印象はどこへやら、今日はお気に入りのものを見せびらかす時の子どものようにあどけない。先生は化学を“魔法”だと言っていたけど、事実彼女は心の底からそう思っているようだった。視線を戻すと再び黄緑に戻った炎が消えていくところだった。先生の色白な手が惜しむように炎を消し去った時、私も同じようにそれを「惜しい」と感じた。

「…楽しんでもらえただろうか。」

ぽつり、とつぶやいた先生に応えるように私は深く頷く。

「はい、とても」

たった一言。そんな一言の最後、思わず熱が籠って語気が強くなってしまって自分でも驚く。視界の端で先生がゆっくりと目を見開いていくのをスローモーションのように感じた。

「さっき見せた“魔法”、もう分かっていると思うが炎色反応という。実はこの反応は花火にも使われているんだよ。」

楽しそうに微笑んだ先生が教えてくれる。

「その“魔法”、どうやったら使えるようになりますか」

先生は私がそう言うことを分かっていたかのように口の端を上げて言った。

「では私が“魔法”をどこで覚えたのか教えてあげよう。」

先生にしては珍しい、揶揄っているかのような声音。揶揄われるのは好きじゃない。でも、つかみどころのないそんな先生と過ごすこの空間、時間は嫌いじゃない。

「…はい、教えてください」

「いいよ。」


あの日、あなたは魔法をかけた。私の未来を決める素敵な魔法。



「夢佳、結局進路決まったの?」

「うん!」

「で、将来の夢は?」

「うん、ふふ。私、科学者になるの。」

「…科学者?なんでまた」

「あのねぇ、魔法をかけてもらったから」

「…今日の夢佳、なんかご機嫌だね。変なの」

「そんなことないよー!あと、“夢”じゃなくて“目標”ね。」

「何が違うの?」

「うーん…。“夢”ってなんか手が届かない感じがするじゃない?それとはちょっと違うんだよね。そうなりたいし、そうなるって決めたから。“目標”の方が手が届きそうでしょ?」

「ふーん、なんか夢佳にしては深いこと言ってる気がする。」

「…ちょっと酷くない?」

「えー?どこがー?」

「もーう、響ちゃーん!」

「はは、いいじゃん。頑張れ。」

軽口を叩いていたくせに急に真剣な表情で励まされて顔が赤くなる。空が晴れて、雲間から太陽が覗く。



「夢佳、実験のデータまだ?上がってたらもう出しちゃって!」

「はい!すぐ出せます!」

急いでレポートにまとめてそれを手に立ち上がる。と、下を見ずに歩き出したからだろうか、湿っていた床で足を滑らせた。それと同時に、ぶつかった机上にあったフラスコが傾いて落下していく。垂直落下だ、だなんてどうでもいいことを考えている内に見事にガラスの破片が散っていた。

「ちょっと夢佳⁉大丈夫?…ってうわ、この中身アンモニアとか入ってた感じ?めっちゃ臭うわ。ちょっと窓開けるよ?」

「ったた…。すみません、ありがとうございます。」

魔法を使えるようになるためにこの実験室に所属するようになって早五年。未だにドジばかりの私は先輩に助けられることがしばしばでなんとも情けない。

「夢佳はドジっぽいんだから気を付けなよ?」

今日も今日とてこの頼もしい先輩なしにはまだまだやっていけなそうだ。

「はい!気を付けます!」

取り落としたレポートを胸に抱えて教授のもとへとひた走る。心を静める深呼吸を一つ。震える手でノックした先には教授の大きな背中。

「失礼します!本日はよろしくお願いいたします!」

先生が教えてくれた“魔法”を使えるようになるまで、これが私の第一歩。


 あの日“魔法”を知った少女は科学者の夢をみない。



読んでいただき誠にありがとうございました!!

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