朝
再発、しています。医者からはそう告げられた。
おまけにあちこち転移しているらしく手術をしても取り切れないだろう、とも。
生まれた時から体が弱く、入院を繰り返しているが、今回の死の宣告に近い言葉は家族全員ショックを受けた。
当の寿もショックを受けていたが、それよりも死ぬまでに何をしておくべきか、などを考えていた。案外こういうものは本人は割と冷静なこともあり、寿もそれだった。
一年、休みながら学校に通っていた間クラスメイトのみんなは寿を気遣い、体力が必要な行事も全員一緒に楽しめるよう工夫を凝らしていた。その気遣いが嬉しくてこれから先、八十年は生きてやると誓ったばかりだ。
苗字の頭文字と名前合わせたら長寿になるんだしイケるって! と友達の期待には応えられそうにはなかった。
しかし諦めずに退院した時の約束を何度も重ね、元気になった体を夢見て何度も治療を受けた。
目が覚めるとここはどこなのか一瞬混乱する。体痛くないな、と考えながら昨日の出来事を思い出した。
転生していたんだった。体を起こし、伸びをしながら昨晩用意しておいた水の入った小さな樽の中にタオルを突っ込む。
各部屋に水道などは無いが、生活用水として樽に水を入れてそれで生活しているらしい。水道は最近整備している途中らしく滑車のある井戸の隣に見慣れた蛇口があった。こういうものこそ魔法でどうにかするべきでは? と感じたが定期的に魔力を補給したり色々あるのだろう。
湿らせたタオルで顔や体を拭き、昨日着ていた服に着替える。ふと水に何か色のイメージが浮かび、なんとなく両手をかざすと、少し黒い液体で満たされた樽が見えた気がした。おそらく魔力が満たされた水なのだろうが汚染されている。
こんなもので体拭いて大丈夫かと心配になったが飲まなければ平気らしく、痒みや荒れ等の症状は出ない。
鍵をポケットに入れ部屋を出たところで丁度イラナが外に出てきた。起きたばかり、と言った見た目ではないが、服はパジャマのままだ。
「おはよう。早いね」
「おはようございます。やることなかったので……」
カーテンがまだ無く日光のせいで早めに目が醒めてしまったのだ。窓から見えた光は朝になったばかりの光だった。おそらく日の出から一時間も経ってない。よく考えればまだ外から物音は聞こえず、廊下も静かだ。今日街で買い物する時は時計は買っておかなければ。
「じゃあ一緒にみんな起こそうか。いつも私が起こしてるんだ。ライカは寝相すごい悪いよ」
ポケットから鍵を取り出す。メンバー分の合鍵を全て同じ紐に通し、揺れるたび金属同士がぶつかる軽い音がする。
カイの部屋に入る。部屋の中は散らかっているが虫が湧くようなものは置いてない。代わりにタバコのニオイで満たされて、白い壁がほんのり黄ばんでいる。部屋を出る時色々言われそうだと感じた。
女性ものの下着も無造作に床に落ちていていた。思わず見なかったことにしようと目をそらす。
「はーい、朝だよー。起きろー」
カーテンを開け、被っていた布団を剝ぐようにして取り上げる。胎児のように丸まって眠ってるカイが迷惑そうに力なく布団を取り返そうと手を伸ばすが届かない。渋々体を起こし、思いっきり伸びをする。取り上げた布団を雑に戻す。
「もー、足の踏み場もない。ちょっとは片づけなよ」
「あー? あるじゃねぇか。つま先立ちで歩け」
気怠い声で呟きながらベッドサイドに置いてあるタバコとマッチを手に取り朝から一服をした。やっぱりやってることがハリウッド映画に出てくる人間なんだよなぁ、と部屋を出て、ライカの部屋の前だ。
「ライカって全然起きないから協力して叩き起こすよ。自分に睡眠魔法でもかけた? って言いたくなるぐらい起きないから」
「わかりました。とりあえずカーテン開けておきますね」
「いつもカーテン開けっぱなしで寝てるから大丈夫」
ドアを開けると前衛的な寝相でベッドからずり落ちているライカの姿があった。頭から落ちているせいで着ているパジャマが胸のところまで捲りあがりお腹丸出しの状態だ。部屋は意外と整理整頓されているがベッドの上だけは本人含め滅茶苦茶だ。
イラナが上体を起こしてベッドに一旦寝かせ、再度座らせるように上体を起こす。
「おーきーろー!! 朝だよー!!」
「むにゃむにゃ……」
「起きろ!!!」
必死に揺するが全く起きる気配がない。目が開いたかと思えばまた夢の中に引きずり込まれていく。
何故か壁に使った形跡のないフライパンとお玉が引っかけてあったのを見かけ、使っても良いかと聞くと黙って頷く。手に取り、昭和のお母さんスタイルでやかましくフライパンを鳴らす。
「ん~……」
「お、あともうちょっと。おきろー!!」
やっと目が開き、ぼんやりした顔のまま力なく朝の挨拶をする。よし、と立ち上がり部屋を出ようとするイラナに二度寝しないのか気になったが、二度寝はしないタイプのようでその後嘘のようにシャキっとした表情で起き上がった。
「えっと、次は……フィーネさんの部屋ですか?」
「うん。君の大好きなフィーネだよ。……あ、起きてる」
下心を隠しきれず期待しながらイラナの一歩後ろで待っていたが、整頓されているが部屋の隅に貰い物らしきものを積み上げている部屋には誰もいなかった。
壁に掛けられたドレスとは明らかに系統の違う畳まれた服、香水らしき可愛い小瓶、昨日履いていたものと比べて明らかに低いヒール。どれも未開封、未使用で男の好みを優先して貢いだような贈り物、といった印象だった。
「シャワー浴びに行ったかな。フィーネってたまに早起きするんだよね。……寝顔見れなくて残念だったねぇ」
「からかわないで下さいよ。……ってシャワー浴びれるんです?」
「うん。お金払えば浴びれるよ。公衆と個室があって、個室の方は毎日浴びようと思ったら出費地味に痛いよ。良かったら一回分個室シャワー券あげるから浴びてくる? 今の時間なら空いてると思うし、石鹸も貸すよ。備え付けのは使うと髪キシキシするし」
ありがたくいただいた。借りた石鹸は思っているような物ではなく、前世で行きつけだった人気美容室と同じような香りがした。
二人で一階に降りる途中でフィーネと会い朝の挨拶を交わす。まだ髪の毛が湿っているせいで風呂上りのいい香りが漂ってくる。石鹸だけではなく花とベリー系を混ぜたような匂いのせいで心拍数が跳ね上がり、内心奇声あげながら転げまわっているが表に出さないように必死で無表情の仮面を被っていた。
「……3号室、さっき浴びたばかりだから空いているはずよ」
すれ違う時に耳元で小悪魔が囁くような声に固まり、階段を上る足音が聞こえなくなった所で踊り場の硬い床に膝をつく。
大丈夫? と心配はしてないイラナに真顔で答える。
「人間ってのはいい匂いのする人に惹かれやすくなるんですよ。逆に顔が良くても口が臭かったり風呂に入ってないようなニオイのする服を着ていたら魅力半減するんですよ。そのぐらい香りの印象は重要で、例え香水や石鹸だったとしても好みの匂いに惹かれるものです。入りたいのは山々なんですがボクは耐えきれない気がするので、3号室はイラナさんが使ってください」
「ダンジョンの奥でドラゴンと戦う前みたいな顔で言うな」
シャワー室は仕切りがあるだけかと思っていたが完全個室で内側から鍵を掛けることが出来た。浴びた後便利ですねと感想を言うと、女子向けのアパートだからねと答えた。女子向けなのに大家があんなんで大丈夫なのかとコトブキは不安に感じた。
だが大家があんなのでこのアパートが女性に人気なら、他所はもっと分別ないのだろう。仕切りすらなく男女混浴が当たり前なのかもしれない。そういえば江戸時代の日本も混浴だった話を思い出す。そのうち風呂に詳しいローマ人が現代日本経由してこの世界にやってこないだろうか、なんて考える。
メンバー全員身支度を終え、まずは市場方面に行って昨日送ったミスリルマイマイの報酬を受け取ることにする。
冒険者らしき人物や住人が行き交う道を歩く。昨晩と違い日が昇れば活動的になり人が多い。とは言っても無駄に横に並ばなければぶつかる心配は無い程度の人口密度だ。
昨日の仕事には無関係のフィーネとカイが付いて来る事に疑問を持つライカが二人に質問する。
「暇なので」
「右に同じく」
フィーネは何言ってるの? という表情だが、カイは面白そうだからと本心が顔に出ている。
その様子を見てイラナが何か察したような顔をした。
「初めての後輩だから面倒見たいんだよ」
「ちげーよ!」
どうやらカイは新参者のようだ。歩きながらこのチームの成り立ちをコトブキが質問した。
「最初は色々あってウチとイラナでチーム組んでたんだよね。でもやっぱ二人だと不安だったし、たまたま大きめのパーティから追放されたばかりのフィーネを見つけて入れたんだ」
「男に色目使ってる、なんて理由でチームから外されたのよ。別にこちらから手を出してないのに」
「そらお前みたいなヤツ、男漁りが趣味みてーなヤツからしたら目の敵にされるだろ」
「ちなみに昨日そのチームの一人と食事行ってたわ」
「おまっ……いつか刺されるぞ」
――なんかそんな気はしていた、三人は同じことを考えた。
荷台が広々使えるような道を曲がり、今度は少し狭い道に入る。建物の影で薄暗く、そのせいで少し寒い。
「で、三人でしばらくダンジョン潜って稼いだりしてたんだけど、山賊が出たから助けてくれって依頼の時にカイが仲間に加わったんだ」
「そーそー、入ったばかりのカイってかなり荒れてたんだよね。元々街で生まれたんだけど誘拐されて山賊として育った、んだっけ?」
「え? あぁ、そんなところ」
山賊時代の話はあまりしたくないのだろう。曖昧で短い言葉で終わらせ、表情が少しだけ曇る。