1episode-はじまり
辛いものには気をつけろ。
塩っぱいものには油断すんな。
死んじまうよ、オサラバだ。
鳴かず飛ばずのおんぼろが、時々鉄の腹ん中に入れる物は枯れ葉に謎の紙くずしかない。
だから今日もそうだと決め付けて、前髪がかかる目線は下の方。マフラーに口元を埋め、アパートの階段に足をかけた。
と、虫か、何か。
小さな茶色の物体が不意に飛び立ったのを目で追いかけた拍子に、たまたま203の数字が視界に入った。
「?」
頭か尻かは定かじゃない。が、あのおんぼろが得意気に白い封筒のようなものを咥えている。
薄い紙の先っぽが確かに見えたので、フレームの大きな黒縁メガネを指で持ち上げたあげく、目を細めてまで数秒凝視したあと、ようやく腹ん中に手を突っ込んだ。
Bambi様
真っ白な封筒の真ん中。鎮座するスタンプ以外には何もなく、ひっくり返して宛名を確認するも、それは無言を貫くスタイル。
イタズラか?
訝しげに封を開けてみると、中にはメッセージカードが一枚ぽっきり。
開いて見てみれば、そこには色鮮やかなスタンプの文字が踊っていた。
このカードを受け取ったラッキーな貴方へ
おめでとう!
ハッピーバースデー !
Congratulation!
厳選なる審査の結果、貴方はバイキングに選ばれました。
今日からスイートハニーをかけたバトルロワイヤルにご参加頂けます。
奪うもよし、奪われるもよし。
最後に手にした者が勝利です。
武器は何でもあり。
もちろん参加者の生死は問いません。
ただし、弾丸は角砂糖のみでお願い致します。
「………………」
イタズラか。
イタズラだな。
イタズラに違いない。
そうでなければ何ひとつ心当たりはないし、わけが分からん。
世の中には僕以上に暇な人間がいるもんだな。
イタズラを右手に、食材が入ったスーパーの袋を左手に持ち、今度こそ階段を上っていく。
薄気味悪いイタズラも、今日が終わる頃にはすっかり忘れていた。
*
*
*
*
一日は、ぼおっと空気を吸っているだけで過ぎていく。
うんざりするほど長く感じる時もあれば、引き止めたいほど短く感じる時もある。
バンビの場合、ほとんど前者の人生だ。
とはいえ今日も適度に大学での一日を終え、おやつを食べる時間を少し過ぎた頃。
廃材で建てられた住居が乱雑に並び、入り組んだ路地を、背中には相棒のリュック、左手には心強い味方、激安スーパーのビニール袋と共に。
マフラーに口元を埋めてアパートへ帰る道すがら。
近道だ。
建物と建物の隙間に入り込んで、しばらく。
どういうわけか足元には角砂糖が散らばっている事に気付いた。
それも奥へ進むたび数は増え、何個かスニーカーの踵で踏み潰してしまった。
そうしてアパートがある路地まで抜けた先で、行く手を阻むものがあった。
あった、というよりは、倒れていた。うつ伏せで。
不思議と風に攫われる甘い香り。
すんすんと鼻を鳴らしてみると、甘い香り。
行く手を阻むものは、一応跨いでいけば無視はできる。
「………」
ウェイターの制服を着た青年は瞼を閉じたまま動かない。
けれど黒縁メガネを指で持ち上げ、目を細めてよくよく凝視してみれば、背中がわずかに上下しているのが見て取れる。
が、何よりバンビを震えあがらせたのは、そうしていても目が眩むほどのイケメン!
自分が声をかけずとも、彼なら他に助けてくれる人がいそうだ。
「………………」
凝視し。
凝視し続け。
凝視した結果。
「だ、だいじょぶそうですか?」
バンビは声をかけていた。
返事はない。
………生きてる、よな?
息をしているように見えたけど。
段々不安が野次馬のようにやってきて、おもむろにしゃがむとその場に両膝をつき、そおっと薄っぺらい背中に耳を当ててみた。
瞬間、心音を拾うよりも先に、ぱしっ! と、音がしたかは分からんが、それくらいの勢いをもって右手を掴まれる。
あまりに突然だった。
驚きでバンビの口から短い悲鳴が飛び出し、よろけた拍子に手が離れて、コートのポケットからスマホが飛び出した。
そこへ悲鳴よりも短い着信音が鳴る。
ずれたメガネを直し、おもむろにスマホへ手を伸ばす。
何気なく落とした視線はけれど、画面に釘付け。
着信音はショートメールだった。
他の通知と並んだそれには短くこう書いてあった。
ただいまBambi様の手にスイートハニーあり!