下
*
結婚してから二か月経った頃。
私はいつものように市場に買い出しに来ていた。
すると、背後から声をかけられた。
「……あの。奥様」
私は振り向いて声の主を見る。若い女性だった。
私は応える。
「何か?」
女性は躊躇っているのか、少しずつ言葉を紡ぐ。
「あの……。私は、ロザリーと申します。
実は、奥様にお話がありまして……」
私は怪訝な顔をする。
「お話?」
「あの、ケヴィン様のことで……」
途端に私は眉を顰めた。悪い予感がする。
しかし、聞かないわけにはいかないだろう。
「こ、ここでは何ですので。カフェで伺います」
「はい……」
そうして、私達はカフェに向かったのだ。
*
カフェの席に着いて、私は口を開いた。
「それで? 夫とはどういう関係かしら?」
「はい……。実は、私はケヴィン様とお付き合いさせていただいておりまして……」
私の顔は凍りついた。
「いつから?」
「はい……。二年になります……」
その言葉は私を打ちのめした。
──二年!? 私とケヴィンはまだ出会って半年にも満たないというのに!?
私は激昂しそうな自分を抑える。
「ということは、私が夫と婚約する前から夫とあなたは付き合っていたのね。
しかも、私が婚約してからもずっと!」
ロザリーは俯いて答える。
「はい……。申し訳ありません……」
──なんということだ。ケヴィンは私をずっと裏切って来たのだ。
そして、ロザリーがとどめの一言を口にする。
「実は……。六か月なんです……」
「え……?」
「赤ちゃんが出来たんです……」
「そんな……」
私は青ざめた。
「私、赤ちゃんが出来てから、赤ちゃんのことを真剣に考えるようになりました。
この子は婚外子になります。
私生児に対して世間の目は厳しいです。
それだとまずいんです」
ロザリーは矢継ぎ早に言葉を繰り出し始めた。
「ちょ、あなた何を言っているの?」
「ケヴィン様はお金を出してくれるって言っていますが、今までも満足にお金をくれたことなんてなかったんです。
私、親に頼れないので、生活が苦しいんです。
私、この子を幸せにしてあげたいんです」
私はついに感情が抑えられなくなった。
「わ、私によくそんなことが言えるわね!」
「あなたは侯爵家のご令嬢です。お金持ちなんでしよ!
ケヴィン様はあなたの資産目当てで結婚したって言ってました!」
「な!?」
──この女は、どれだけ私を打ちのめせば気が済むのか!
「こんなこと言えた義理じゃないのは分かっています。
でもどうか、私を支援してください。
私にお金を出すように、ケヴィン様に言って下さい。
あなたの家名の名誉のために!」
──何なの!? この馬鹿女は! なぜ夫に裏切られた私が愛人に協力しないといけないのか!
私は、頭の中をドス黒い感情が渦巻くのを感じた。
怒り。
嫉妬。
恨み。
ありとあらゆる負の感情が私を支配する。
憎い。
憎い。
にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい! にくい!
そして私は。
悪魔になったのだ──。
*
いつものように、邸宅にケヴィンが仕事から帰って来た。
私は今夜もケヴィンと夕食を共にする。
食卓で、ケヴィンは私に微笑んで聞いてきた。
「さあ、今日の献立は何かな?」
私も微笑んで返す。
「今日はコース料理ですの。ちょっと変わっていますが、肉尽くしコースですわ。
腕によりをかけて作ったので、是非召し上がっていただきたいです」
ケヴィンは目を輝かせる。
「ほう。それは楽しみだ。早く食べたいね!」
「うふふ。今、持って来てもらいますわ」
私はメイドに指示して、皿を運ばせた。
ケヴィンの前にソテーされた肉が並ぶ。
「おお。美味しそうだ」
が、私の前には料理はない。
「あれ? 君は食べないのかい?」
私は答える。
「ええ。私、お肉が苦手になりましたの。どうぞ、気になさらず召し上がって下さい」
「そうか。ではいただこう」
そう言ってケヴィンはナイフで切り分けて肉を口に運ぶ。
「んーー! 美味しい! 何て美味しいんだ!」
ケヴィンは次から次へと肉を口に運ぶ。
「美味しい、美味しい! 本当に美味しい!」
私は微笑む。
「それは良かったですわ」
「しかしこれは何の肉だい? 牛ではない。勿論、豚でもない。うさぎかな?」
「はずれですわ」
「じゃあ、子羊かな? この柔らかさはきっと子どもの肉だ」
「ふふ。当たりですわ。子どもと言う点では。ですが羊ではございません」
「ほう。では一体、何の肉なのかな?」
「あなたの良く知る肉ですわ」
「良く知る? うーむ。思いつかないな」
「ふふ。お分かりになりません? 実はロザリーさんと言う方からいただいた肉なんですよ」
それを聞いた途端、ケヴィンの顔は凍りついた──。
「ロ! ロザリー!?」
ケヴィンは声が裏返った。
私は悪魔のような笑みを浮かべる。
「あら、お知り合いでした? でしょうね。長い付き合いのようですし」
ケヴィンはしどろもどろで返す。
「ま、ま、待ってくれ、ヴィヴィアンヌ。せ、説明させてくれ!」
「大丈夫ですよ。もう全て知っていますから。
ロザリーさんが今際の際に教えてくれましたから」
ケヴィンはさらに驚いた表情を浮かべる。
「い、今際の際!? どういうことだ!?」
「かわいそうに。赤ちゃんが大事だって言っていたのに。
ロザリーさんは赤ちゃんと会えなかったですわね」
「な、な、な! き、君はロザリーに何をしたーっ!?」
私は一言。
「殺しましたわ」
ケヴィンは絶望の表情を見せる。
「な、な、な……!?」
「でも、せめてもの情けをかけてあげましたよ」
「君は何てことを!」
私は無視して続ける。
「赤ちゃんを父親に会わせてあげました」
「は、はぁ!?」
「父親はとても喜んでいましたよ。
嬉しそうに、何度も何度も言っていましたね」
「え……?」
「美味しい、美味しい。って」
それを聞いた瞬間──。
ケヴィンは声を失った。
「ま、まさか……この肉は……!」
私は何も言わず、ただ微笑む。
ケヴィンはそれで理解したようだ。
「そ、そんな。じゃあ、私は自分の子どもを食べたのか!?」
途端にケヴィンは顔が真っ青になった。
「お、おぇ」
私はケヴィンを諌める。
「あら、大切な命を吐くなんていけませんわ」
ケヴィンは耐えられない様子。
「おぇぇぇぇ」
ケヴィンは床に手を着いて吐いた。
「うっ、うっ、うっ……」
ケヴィンの顔は涙と吐瀉物でぐちゃぐちゃだ。
「……き、君は、何てことを……。君は人間じゃない。悪魔だ……」
「そうね。あなたが私を悪魔に変えてくれましたわ」
「こ、こんなことをしてただじゃ済まないぞ! 私は絶対にお前を許さない!」
私は意に介さない。
「あら、あなたは何か勘違いしていますわね」
ケヴィンはキョトンとする。
「……勘違いだと?」
「今日の料理はコース料理で、肉尽くしだと言いましたわね」
「はぁ?」
「実は、まだメインは出て来ていませんの」
そう言うと私は立ち上がる。
私は、床にうずくまっているケヴィンに歩みよった。
そして私の手には、テーブルの下に隠し持っていた包丁が握られている。
ケヴィンは私を見上げて狼狽えた。
「ま、待て、ヴィヴィアンヌ。話し合おう……」
私はケヴィンを見下ろして言う。
「メインのあなたはどんな味がするのか、楽しみですわ──」
*
それから──。
私はカフェに来ている。
私はテーブルの対面に座る人物に話しかけた。
「これ、お金よ。大事に使いなさい」
そう言って私は封筒を渡した。
「ありがとうございます。本当に」
そう言って、ロザリーは頭を下げた。
私は言う。
「勘違いしないでね。あなたのためじゃない。
子どものためよ。子どもに罪はないわ」
「はい。奥様はお優しい方です」
「もし子どもが無事産まれてきたら、精一杯愛してあげて。
父親には頼れないけれど、誰かさんみたいなクズにはならないように育てなさい」
「はい。お約束します」
そこで私は立ち上がる。
「じゃあ、私はもう行くから。体を大事にね」
そう言って私はカフェを出ようとする。
そこでロザリーが私に声をかけた。
「あ、あの……、奥様……」
私は振り向いて。
「何かしら?」
「あれから、ケヴィン様の姿が見えないのです。ケヴィン様は無事なのですか……?」
私は微笑んで答える。
精一杯。
天使のような笑みで。
「まだ、食べてないわ」
完
読んでいただきありがとうございました!