□■第5話 格闘家ミュン■□
「スゥー……ふぅー……」
都の外。
街道から少し離れ、荒れた平原に一軒の廃屋がある。
この大都へとやって来る最中に偶然発見したのだが、打ち捨てられ、現在は特に何にも使われていないらしい。
住処も泊まる当てもないクロスは、その廃屋を借りて一晩を過ごさせてもらった。
そして、朝。
太陽の光を浴びながら、クロスは地面に腰を下ろして、目を瞑り、深呼吸を繰り返していた。
服を脱いで、上半身は肌を晒している。
風や温度を感じ、自然と一体になるためである。
クロスの行っているのは、いわゆる瞑想だ。
神聖教会時代にも行っていた、心身鍛錬の一環である。
『クロス~、クロス~』
「………」
『ふぅー』
女神エレオノールが、いたずらで耳元に息を吹きかけたりしてくるが、クロスは微動だにしない。
正に、悪魔の誘惑に耐える聖人の姿である。
『って、誰が悪魔ですか!?』
「どうしましたか? 女神様」
『いいえ、どこからか失礼な声が聞こえてきたような気がしたので……』
「あ、おったおった。おーい、クロスさーん」
そこで、瞑想中のクロスの元に一人の女の子が訪ねてきた。
昨日仲間入りをしたパーティーの一員――《格闘家》のミュンである。
女の子にしては短めの髪に、細い糸のような目。
動きやすそうな薄手の格闘服を纏い、相変わらず飄々とした感じで歩み寄ってくる。
「おはようございます、ミュンさん」
「迎えに来たで~。というか、ほんまにこんなところで一夜過ごしたんやな」
都外れの廃屋を、ひとまずの寝床にするという旨はパーティーメンバー達にも伝えていた。
リーダーのマーレットが驚き、宿代を出すと言ってくれたが、流石に申し訳ないので断った。
冒険者としての仕事でお世話になることがあっても、私生活まで世話になるのは流石に悪い。
「なんや、稽古中かいな? 神父様らしからんなぁ」
地面の上であぐらをかき瞑想を行っていたクロスを、ミュンが物珍しそうに見る。
「それに……」
加えて、露わとなっているクロスの上半身をも、ジッと見詰める。
「体付きの方も、神父様らしからん。結構、鍛えてるんやな」
「ええ」
神聖教会時代、『健全な魂は健全な肉体に宿る』という教えに基づき、武芸者の方を招いて指導をしていただこう――と、クロスが発案したのだ。
体を鍛えることは何も悪いことではない。
体力は付くし、心身の調子も良くなる。
親交のあった同僚やシスター達は乗ってくれたが、しかし、教会の上の人間達には不評だった。
一介の神父の分際で、勝手なことをして……という感じだったと思う。
「……なぁ、クロスさん」
クロスの体を見ていたミュンが、そこでクロスに提案する。
「ちょっと、ウチと手合わせせぇへん?」
「手合わせですか? 別に、構いませんが」
上記の経験もあって、多少は武術の心得がある。
クロスはミュンと向かい合い、互いに構えを取った。
「シュッ」
ミュンが動く。
素直に、迅い――と思った。
流石《格闘家》を名乗るだけあって、その体捌きは適格で隙が無い。
このままでは、まともに相手になれない――そう思ったクロスは、ギアを上げる。
「おっ、おっ?」
ミュンの拳を捌き、重心を崩すように体を密着させる。
(今だ……)
そして、隙が生まれたのを見計らい、クロスはミュンの右手首と左肩を掴む。
「あっ」
足払い――ミュンの体が、地面に倒れた。
仰向けになったミュンの眼前に、クロスは拳を突き付ける。
「あかん、ウチの負けやぁ」
乱れた呼吸の狭間から笑い声を漏らし、ミュンが言う。
よっと――と、体を起こして地べたに座り込んだ。
「やっぱ強いやん、クロスさん。《魔法》だけじゃなくて、格闘もいけるクチなんやね。後方支援やなくて、前衛でバリバリ戦ってもええんちゃう? ウチよりも活躍できるで」
「………」
しかし、そこで。
クロスは、黙ってミュンの隣に腰を下ろした。
「え? ……クロスさん?」
「ミュンさん、手を抜いてましたね」
クロスが言うと、ミュンが驚きの表情を浮かべた。
「あら、バレた?」
「昨日、ガルガンチュアと戦っていた時よりも、動きが鈍い印象だったので」
クロスが言うと、ミュンは苦笑する。
「流石、やっぱり只者やないね」
「どうして、遠慮を? 全然、本気を出してもらっていいですよ」
その場合、自分が勝てるかはわからないが……クロスは言う。
「んー……」
しかし、ミュンは少し渋い顔になると、ボソッと呟いた。
「でも、男の人相手に本気になっても仕方が無いし」
「え?」
「本気出して得られるメリットより、それで反感買うデメリットのほうが大きいやん? ウチ、ほどほどで生きたいねん」
「……何か、事情がありそうですね」
「なはは、まるで懺悔室やん」
クロスは「聞かせてもらえますか?」と問う。
ミュンは、溜息交じりに語り始めた。
「ウチ、実家が道場でな。子供の頃から、周りには大人や男の人ばっかりやってん。みんなに混ざって、ウチも一緒に鍛錬させてもらってたんや」
「………」
「体使って闘う事にも興味あったし、みんなに『型がシッカリしてる』とか『きっと強くなれる』って褒められるのが、ホンマに嬉しくってな。真剣に、本気でやっててん」
でもな……と、ミュンは視線を落とす。
「成長するにつれて、技量が上がっていくに連れて、みんなと一緒にいると違和感を覚えるようになってな……あ、鬱陶しいと思われてるなって、そう気付いてん」
「………」
「強くなって、同じ道場に通う生徒を組み手で倒したり、組み伏せたりしてる内にな。男のみんなからしたら、女のウチが自分より強くなるのは受け入れられなかったんやろな」
ミュンは深く溜息を吐く。
「せやから、いつの日からか手抜きするようになった。みんなに、格闘技なんて単なる趣味やって、本気でやってるわけやないって、わざと負けたりして、アピールするみたいにな。ライフハックってやつやな。女のウチが上手く生きていくための」
でも、やはり段々、耐えられなくなっていったそうだ。
「その内、面倒くさくなってな、家出て、行く当てなかったから冒険者になった。モンスター相手に戦うのは手加減せんくてええから。でも、ここも男社会やったな。パーティーが全然組めなくて、任務にも出られなくて。だから、嬉しいで。クロスさんが入ってくれて。ホンマに感謝してる」
そう言って、ミュンはニヘっと笑う。
「はい、懺悔終わり。お粗末様でした」
「……ミュンさん」
話を聞き終わると、クロスは立ち上がった。
「もう一度やりましょう」
「へ?」
クロスは構えを取る。
ミュンも半信半疑で立ち上がりながら、とりあえず構えを取る。
瞬間、クロスはミュンに一瞬で肉薄し、拳を放った。
「ちょっ!」
先刻よりも更に、速く、鋭い。
クロスの攻撃に、ミュンも流石に必死になる。
「な、んや、これ! 手合わせの、レベル、ちゃうやん!」
本気で攻撃を仕掛けるクロス。
ミュンも溜まらず、本気になる。
徐々に、徐々に、ミュンの体の動きが、更に鋭さを増していく。
まるで、錆が落ちていくように、輝きを増す。
そして――。
「お、らぁッ!」
ミュンの放った蹴撃が、クロスの胸に鞭のように叩き込まれた。
数歩たたらを踏み、クロスは膝を付く。
「やっぱり強いですね、ミュンさん」
「あ……」
自身の胸に手を当て、《治癒》を行いながら立ち上がると、クロスはポカンとしているミュンに言う。
「あなたは聡明で頭が良い。だから、自分を殺して周囲に合わせることを選べた。けど、我慢し過ぎないでください」
「………」
「僕なら、いつでも相手になりますよ。本気を出した方が、気持ちが良いでしょう」
そして、微笑み掛ける。
「その方が、あなたらしいと思います」
ドキッ、と。
その言葉に、その微笑みに、ミュンは心臓が高鳴る感覚を覚えた。
「……もう、なんやの」
ミュンは、慌てて乱れた髪を掻く。
「神父様のくせに、こんな本気で殴り合ったりして……」
そして、頬を桃色に染めながら、クロスに純粋な表情を浮かべた。
「おかしい人やな、自分」
「神父は、元・ですけどね」
二人は地面に腰を落とす。
全力でぶつかり合ったため、互いに息が乱れている。
体が落ち着くまで他愛の無い話をし、笑い合い、良い感じに打ち解けた雰囲気になる。
「ほな、そろそろギルドに行こか」
やがて、息の整ったミュンが立ち上がる。
そう、何故ミュンがここを訪ねてきたのか――今日は、昨日のガルガンチュア討伐に関し、任務達成の結果が出される日だからだ。
生け捕りは失敗したが、村人の依頼通り討伐には成功した。
なので、それなりの報酬が出るはずである。
「ほら、リーダー、いつまで隠れてるん! 出発やで!」
「え、マーレットさんも来てたんですか?」
見ると、廃屋の影にマーレットの頭がチラッと見えた。
「なんで隠れてるんですか?」
「んー、クロやんが上半身裸で近づけないって。恥ずかしがってんやな」
ミュンに言われ、マーレットが赤らんだ顔でこちらを覗き見ている事に気付く。
『いや、初心すぎでしょ!』
クロスの頭上で、エレオノールがそう叫んだ。
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というわけで、クロス達は都の中心部にある冒険者ギルドへとやって来る。
「遅いぞ」
先に来ていたパーティーメンバー――《剣士》のジェシカが、キッと睨む。
「堪忍やでぇ、ちょっとクロやんと遊んでてん」
「……お前達、何があった?」
クロスの肩に手を置き、仲良く接しているミュンを見て、ジェシカが訝る。
『なんですかこの娘は、心を許した瞬間一気に懐きましたね。猫みたいですね』
と、後ろでエレオノールが呆れ顔を浮かべている。
「ミュ、ミュンさん、いきなりあだ名で呼ぶなんて仲良し過ぎ……な、馴れ馴れし過ぎますよ!」
そんなミュンに対し、マーレットが焦りながら注意をする。
「ごめんなさい、クロスさん。リーダーとして厳しく言っておきます!」
「は、はぁ……」
マーレットは、どこか変な気合いを込めてクロスに言う。
「……くだらん、いつからうちは仲良しグループになったんだ」
そんな三人を前に、ジェシカは少し苛立ちぎみである。
「お待たせ致しました」
そこで、クロス達が掛けていたテーブル席に、受付嬢がやって来た。
初日にクロスの登録手続きもしてくれた女性で、彼女がこのパーティーの担当受付嬢らしい。
「現場から回収していただいた《魔石》の欠片は、確かにガルガンチュアの《核》の破片と鑑定が済みました。こちらは、モンスターの討伐達成に対する報酬です」
受付嬢は、銀貨や銅貨の乗ったトレイをテーブルに置く。
「や、やった! 初任務達成ですよ!」
喜ぶマーレット。
周囲の冒険者達の間からも、ざわめきが聞こえてくる。
「しかし、凄いですね。あの狂暴なガルガンチュアを、しかも三体も」
受付嬢に褒められ、「えへへー」と、照れるマーレット。
「ハッ、どうせ運良く倒せただけだろ」
そこで、周囲の野次馬の中から、そんな声が漏れ聞こえてきた。
「たまたまだろ、たまたま。だって、全員Fランクだぜ? ガルガンチュア三体なんて、少なくともEランク以上の任務じゃねぇか」
「自分達の実力だって勘違いするなよ。調子に乗ってると、次は命を落とすぞ、お嬢ちゃん達」
「……チッ、鬱陶しい」
冷やかすような周囲の反応に、ジェシカが苛立ち、舌打ちする。
「な、こんな感じやねん」
一方、ミュンはクロスに諦念の表情を浮かべて呟く。
「………」
落ち込むマーレット、眉間に皺を寄せるジェシカ、どこか諦めたような顔のミュン。
クロスは、そんな三人を黙って見回す。
「た、助けてくれぇ!」
その時だった。
冒険者ギルドの入り口から、数人の男達が駆け込んできた。
見覚えがある姿――昨日、ガルガンチュアの討伐に向かった際、農村で話をした村人達だ。
「またガルガンチュアが出た! 今度は、村人が攫われたんだ! すぐに助けに来てくれ!」
ざわめくギルド内。
ガルガンチュアの討伐と、攫われた村人の救出。
これは、相当難易度の高い任務ではないだろうか。
「おい、お前達が行ってやったらどうだ?」
そこで、冒険者の一人が煽ってくる。
「昨日の続きだよ。絶好調なんだろ? 助けに行ってやれよ」
その発言に、他の冒険者達も「そうだそうだ」と面白半分で追従する。
「お前達、いい加減に……ッ!」
ジェシカが剣の柄に手をかけ、憤る。
瞬間。
「僕も賛成です」
クロスが立ち上がり、口を開いた。
その場の全ての視線が、クロスに向けられる。
「行きましょう。もう一度、モンスター討伐……それに、攫われた方を助けに」
驚きと困惑、ざわめきの中心で、クロスは言い放った。
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