□■第47話 クロスとエレオノール■□
それは、今から十数年前の事――。
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『おや? こんなところに子供が一人きりで……迷子ですか?』
『………』
そこは、人間界から隔絶された場所。
《邪神街》と呼ばれる、邪悪な血を引く者達が暮らす領域。
その街の中でも、更に危険な区域と呼ばれている場所――中枢区。
闇夜に沈んだ森の中で、息を殺して蹲っている一人の少年がいた。
お世辞にも綺麗とは言い難い身なりは、この文明らしい文明の存在しない、山と木々に覆われた世界に住む者としては当然の姿だろう。
だが、最大の問題は――この中枢区に人間の子供がいるという点だ。
何故なら、こんな場所で、無力な子供が一人生きていけるはずがないからである。
『………』
少年は、顔を上げる。
彼の目前に、一人の女性がいた。
驚くことに、彼女は宙に浮かんでいる。
月光を反射して輝く金色の髪は、地獄のような世界しか知らない少年にとっては、目が眩むほど美しく映った。
『こんなところにいては危険ですよ? ほら、私が一緒に送ってあげますから、おうちに帰りましょう』
彼女は、どこか脳天気というか、場違いなセリフを述べる。
しかし、その言葉からは確かな心配の気持ちが感じ取れた。
『……大丈夫です』
そんな彼女に、少年は再び俯きながら答える。
『家はありません。毎日、適当な場所で寝ているので』
『家が無い? ……ですが、こんな場所にいれば襲われてしまいますよ? ここら一帯は凶暴な魔獣やモンスターの住処ですからね』
『……モンスターや魔獣が近付いてきても、魔法で倒せるので』
『魔法……魔法が使えるのですか?』
彼女の言葉に、少年は手を翳して見せる。
少年の手の平から、闇の中でもわかるほど暗く重い波動のようなものが放たれた。
『うーん……今のは、厳密には魔法ではないのでは?』
それを見て、女性は首を傾げる。
『おそらく、君は本格的な魔法の知識やノウハウは知らないのでしょう? 単に体の中の魔力を放出しているだけに見えましたよ』
『……でも、これでモンスターも魔物も逃げていくので問題は無いんです』
少年は言う。
『僕の中に流れる力は、特殊なものなので』
『特殊?』
『僕の血の影響らしいです』
少年は、感情の無い目のまま続ける。
『僕には、《邪神の血》が流れているんです』
『……あなた、魔族なのですか? 人間だと思っていましたが』
女性が聞くと、少年は首を横に振るった。
『魔族と人間のハーフ……らしいです』
『ご両親は?』
『……見たことも、会ったこともありません』
『ならば、何故そうだとわかるのです?』
『……時々、声が聞こえるんです』
……何故だろう。
今、偶然会ったばかりの、この不可思議な女性に。
どうして、こんなに何の躊躇も無く、自身の秘密を話せるのだろう。
少年は不思議に思いながらも、続ける。
『僕の頭の中に、直接語り掛けるように……『《邪神》の後継者よ』という声が』
『………』
『『人間に対し力を振るえ』『支配しろ』『苦しめよ』『君臨せよ』って……それが、僕の生きる理由……宿命なんだって』
少年は、自身の手を見詰める。
『だから僕は、きっといつか、《邪神》になるんだと思う……』
『では、何故あなたはこんな人の居ない場所にいるのですか?』
『………』
『あなたが、その声の言うように《邪神》となるべき存在であるなら、こんな自然ばかりの危険な場所ではなく、人間がうじゃうじゃ生活する世界に向かうべきです。何故、あえて人に触れない場所で息を殺して生きているのです?』
『………』
『あなたは、本当は《邪神》になりたくないのでは?』
『……わかりません』
少年は、抱えた膝に顔を埋める。
『でも、僕は、そういう風に生まれたんだから、そうならないと……』
『何度も繰り返しますが、君は人のいないこんな森の中で、一人で生きているではありませんか。まるで、そんな自分の宿命から逃れるように。それが、紛れもない本心なのでは?』
『……僕は、どうするべきなのでしょう』
気付くと、少年は女性に問い掛けていた。
道に迷った子羊が、神に縋るように。
『正直に答えてくださいね』
そんな少年に、女性は真っ直ぐ視線を向けて尋ねる。
『君は、人間を殺したいのですか?』
『え……』
『殺したいのですか? 苦しめたいのですか? 支配したいのですか?』
『……いえ』
少年は、正直に答える。
『……殺したいとは思いません。考えると、とても辛い気持ちになります……』
『なら、簡単です』
女性は、ニコッと笑った。
『あなたは、人々を守る仕事に就くべきです』
『へ?』
女性の放った言葉に、少年はポカンと呆ける。
『したくないことをする必要はありません。そして、したくないことの反対がそのままあなたに適性のある仕事です。都合の良いことに、有り余るほど強大な力も持っているのですから、それも利用しちゃいましょう』
『……でも、でも、おかしくないですか?』
あまりにも真っ直ぐというか、その場で思い付いたような事を言い放つ女性に、少年は動揺する。
『僕は、《邪神の血》を引く存在。そんな存在が、人間を助けるなんて……』
『何もおかしくはありませんよ? だって、世の中には人を殺すのが大好きな人間だっているのです。人間を助ける事が好きな《邪神》がいたって、別にいいじゃないですか』
『………』
あまりにも……あまりにも極論的な発言。
でも、その言葉を聞いて、少年の瞳に光が宿る。
月光にも負けぬほどの輝きを放つ、その女性の後光を反射するように。
『まずは、その力を上手にコントロール出来るようになりなさい。シッカリと力を扱えるようになったら、やるべき事に努めない。けれど、もしもその時になっても、行く当てが見付からないのなら、そうですね……私に会いに来なさい』
『え?』
女性は『ふふふ……』と自慢げに笑いながら、胸を張って見せる。
『実は、最近私を信仰する宗教が出来る予定なのですよ。各地に教会が作られたら、一番大きなところにでも居座ろうと思っていましてね』
『信仰……あなたは、一体……』
ふわりと浮かんで、空へと消えていく女性。
彼女は、少年を振り返り、名乗った。
『私は女神。女神エレオノール。いずれ、とても偉大な存在となる女神様ですよ』
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「ぐええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!???」
『このアマ! それはクロスの分じゃろ!』
「いだだだだだだだだだだだだだだだ! こら、九尾狐! 離しなさい! くくくくく、クロス! 助けてください、クロス~!」
《妖狐》レイフォンに頭を噛まれ、エレオノールが悲鳴を上げている。
その光景を前にして、クロスは苦笑を漏らしていた。
場所は――《邪神街》の中枢区――モルガーナの屋敷の庭。
神聖教会壊滅後、みんなで慰労を兼ねてパーティーをする事になったのだ。
今回、クロスの危機に誰よりも先に気付き、救出のために皆を駆り立ててくれたのがモルガーナ。
クロスも深く感謝しており、「またお礼に伺いたい」と言ったところ、モルガーナが「そ、それなら、すぐにでも来たら良いわ。労いも兼ねてパーティーを開くから」と、動揺混じりに答えたのが切っ掛けだった。
そこで、クロスが一人でモルガーナの屋敷に向かう事に若干警戒心を抱く他の面々が我も我もと言い出した結果、他の皆も参加する事になったのだった。
現在、ここには、マーレット、ミュン、ジェシカ、バルジの他にも、ベロニカと狼獣人達。
ニュージャーと牛獣人達。
それに、アルマとウナとサナも招かれている。
その慰労会の席で、エレオノールが試しに食事をしてみたいと言い出し、クロスが魔力を用いて彼女を実体化したのだ。
しかし、エレオノールがクロスの分の料理を横取りしようとしたところ、同じくパーティーに参加していたレイフォンに噛まれてしまったという顛末である。
「ごめんごめん。レイフォン、女神様を離してあげて」
助けを求められ、クロスはレイフォンとエレオノールの間に入って仲裁する。
和やかな世界だ。
その場を見渡し、そう、クロスは思う。
今回の一件で、神聖教会総本山は壊滅した。
多くの教会員に加え、教会運営の中心人物だったアークシップ、ベルトルの捕縛は神聖教会にとっては大ダメージだったようだ。
アークシップ司教とグスタフの繋がりについては王国騎士団にも共有がされ、神聖教会の暗部にメスが入ることになるかもしれない。
しかし、総本山が崩れたと言っても、この国にはまだ神聖教会の構成員は多くいる。
グスタフとの繋がりについても、あくまでもアークシップ個人の悪行として言い逃れされるだろう。
神聖教会自体は、まだ無くなったわけではない。
それに、あの逃げた暗殺者もまだ見付かっていない。
あくまでもビジネスでアークシップに協力していた存在だ。
今回の件で、クロスを逆恨みするような事は無いと思うが……。
ともかく、考えなくてはいけない事も多々ある。
しかし――。
「………」
モルガーナの屋敷の給仕達が用意する、豪華な料理を囲みながら、舌鼓を打つミュンとジェシカ。
ベロニカと何やら言い争っているモルガーナ。
アルマとウナ、サナは、狼獣人達と仲良くなっている。
ニュージャーと牛獣人は、何故かバルジと意気投合しているようで楽しそうだ。
一時は、神父という仕事を奪われ途方に暮れた。
しかし、自身が冒険者になったことで生まれた縁を前にし……。
今はただ、クロスは幸福な気持ちになる。
「そういえば、クロスさん」
そこで、料理を持ってきてくれたマーレットが、クロスに質問する。
「以前、クロスさんがおっしゃっていた、自分の人生を変えたという人物……その方は、一体どなたなんですか?」
「……そうですね」
そこでクロスは、エレオノールを見る。
性懲りもなく、レイフォンに反撃して逆に追い掛け回されながら、女神にあるまじき悲鳴を上げている彼女を見て、クロスは微笑む。
「僕にとって、たった一人の……信仰する女神様です」
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