□■第42話 女神顕現■□
この王国の王都近く、少し小高い丘の上に荘厳な神殿がある。
いずれは王都内部に拠点を移す計画も立てられている、ここが神聖教会総本山である。
その内部――地下。
「神聖教会総本山の地下にこんな場所があるなんて……」
捕らえられたクロスとマーレットは、拘束された状態のまま地下牢に閉じ込められていた。
教会の地下にこんな禍々しい施設が……と、クロスも思わず苦笑いを浮かべる。
――時は少し遡る。
『このような時間に申し訳ありません、アークシップ司教』
神聖教会総本山、礼拝堂。
ベルトルと暗殺者は、そこに立つアークシップ司教の元へと、捕らえたクロスとマーレットを連れてやって来た。
『ほう……』
アークシップは、少し感心したような声を漏らし、目前に跪かされているクロス……それと、マーレットを一瞥する。
『こちらの少女は何だ?』
『く、クロスの仲間です。クロスを支配下に置く上で、どうしても共に捕らえる必要がありまして……』
その言葉を聞き、アークシップは『そうか』と、大して興味なさそうに呟いた。
『………』
アークシップ司教。
クロス自身も、直接目の前にしたのはこれが初めてだ。
神聖教会の中では、教皇、枢機卿に次ぐランクではあるが、教皇や枢機卿は、普段神聖教会の《聖地》を中心に活動をしており、教会の運営に直接携わっている者の中では司教が最高位の存在である。
彼は、その司教の一人にして、司教達の中でも中心的存在。
事業としての神聖教会の本部――この総本山の、トップに立つ人物である。
ロマンスグレーの髪を撫で付けた、表情の無い無機質な顔。
眼鏡の奥の目には、感情の無い双眸。
『それで、君は確か……クロス神父は教会へ復帰する目処が立っていると言っていたはずだが』
アークシップは、クロスを見下ろしながらベルトルへと語り掛ける。
『何故、クロス神父は拘束されているのかね?』
『そ、それは……』
動揺するベルトルを前に、アークシップはそこで嗤う。
『ふんっ、そう狼狽えるな。彼から報告は受けている。それは単なるその場凌ぎの嘘だったのだろう?』
黒尽くめの暗殺者に視線を向けながら、アークシップはベルトルに問う。
『は、はい……』
『それは大した問題では無い。重要なのは結果だ。それで、ただ捕らえるだけでは意味が無いはずだが……君は、クロスを自身の支配下に置き命令を下せる方法があるのかね?』
『そ、それは当然! お任せ下さい!』
ベルトルは、待ってましたと言わんばかりに喋り出す。
『現在、クロスと私の間には、《魔女の契約書》に基づいた主従関係が締結されております! 《魔女》モルガーナの作り出した絶大な効力を持つ魔道具により、クロスは完全に私の下僕! 奴隷となりました!』
『……ほう』
『これで、クロスは私の手駒! 如何様にもできます!』
アークシップは『なるほど、なるほど』と、灰色の顎髭を撫でながら呟く。
『では、クロス神父から王国騎士団やガルベリスに口利きし、グスタフと神聖教会との間の繋がりをうやむやにするよう働きかける事も……』
『はい! 可能です!』
……グスタフ?
意気揚々と語り続けるベルトルの一方、クロスはグスタフという名前が出たことに気付く。
なるほど……。
なんとなく察しがついた。
モンスターを強制成長、支配下に置く薬品型魔道具を作成していた男、グスタフ。
先日、クロス達の手により捕らえられた指名手配犯。
神聖教会とあの男の間にはパイプがあり、今回、そのグスタフが捕まったことで、不祥事が明るみに出るのを恐れている。
それを防ごうと、自分を捕らえたのだ。
クロスを操り人形にし、クロスを通じて王国騎士団やAランク冒険者のガルベリスに取引をさせようとしているのだろう。
『ふむ……』
アークシップは、ベルトルの差し出した《魔女の契約書》をまじまじと眺めている。
『この契約書は便利だ。最悪、グスタフの捕らえられている王国騎士団の牢獄へとクロスを侵入させ、グスタフを暗殺させるという手もあるな』
『………』
クロスは眉を顰める。
罪を隠蔽するために口封じをする。
自身の手を汚すことも無く。
これが、神聖教会の上位に立つ者の発言なのか。
『王国騎士団の牢獄は、騎士団随一の戦力で守られている。警備が固い。私でも侵入し、グスタフを暗殺するのは難しいだろう』
そう、黒尽くめの暗殺者が語る。
『だが、騎士団とも親交のあるクロスなら怪しまれず潜入し、口封じができる可能性が高い』
『おお、なるほど!』
アークシップの発案に、ベルトルは太鼓持ちのように騒ぎ褒め称える。
『流石はアークシップ司教!』
『ところで、ベルトル』
そこで、アークシップがベルトルに尋ねる。
『この《魔女の契約書》の主従関係は、書き換える事は可能なのか』
『え?』
そこで、数秒の間を挟み……ベルトルの顔が青ざめる。
『そ、それは……』
『できるのか?』
睨むアークシップに、ベルトルは口ごもる。
『せ、製作者である《魔女》モルガーナに確認をして参ります……』
そうか。
おそらく、アークシップはクロスを自身の人形にしたいのだろう。
だが、そうなればベルトルは内部事情を知り過ぎた邪魔者にしかならない。
お役御免となった後、彼はどうなるのか……。
『妙な動きはするな。言われた事だけをしろ』
青ざめるベルトルに、暗殺者が言う。
『俺が見ている事を忘れるな』
『………』
――それからしばらく時間が経過し、現在。
クロスとマーレットは一旦、教会地下の牢屋に閉じ込められることとなった。
「……さて」
これで、ベルトルの裏にいた黒幕と目的が分かった。
黒幕はアークシップ司教。
彼に従属する暗殺者もいる。
この神聖教会総本山に仕える教会員達も、事情を知る知らずに拘わらず彼の兵隊と考えて妥当だろう。
自分がしなければならないのは、何とかここを無事脱出し、マーレットと都に帰還する事。
そして、この事実を早急に王国騎士団にも伝えなければならない。
……しかし、最優先はベルトルの所持している《魔女の契約書》を破壊する事だ。
こちらの自由が奪われた状態では、何もできない。
「まずは、この牢屋を出ないと」
クロスは、牢屋の鉄格子の傍に身を寄せる。
遠く、廊下の奥に見張りが立っているのが見える。
クロスが魔法を使えば、拘束を解き牢屋を破壊するのは容易い。
しかし、騒ぎになればその時点で終わりだ。
現状は、クロスが大人しくしているからベルトル達も目を離しているのである。
反抗の意思があると知られれば、《魔女の契約書》で完全に自由を奪われてしまうだろう。
「……ん?」
そこで、クロスは気付く。
牢屋の見張り達が、何やら話していたかと思うと、その場から姿を消した。
地上へと向かっていったようだ。
外で何か起こっているのだろうか?
『クロス、クロス』
そこで、クロスに声を掛けてきたのは背後に浮かぶ女神エレオノールだった。
『あの《魔女の契約書》は、私がなんとかしてきます』
「え?」
『ほら、私ならこうして牢屋の外に出られますし』
そう言って、エレオノールは鉄格子を擦り抜けて廊下へと出る。
「しかし、女神様はあくまでも概念的な存在。この世界の物質に触れることは出来ないはず……」
『ならば、肉体を得れば良いのです』
そこで、エレオノールがドヤ顔を決める。
『クロスの魔力を用いることで、私は《極点魔法》――《天弓》へと姿を変えられます。その理屈を応用するのです』
「というと?」
『《極点魔法》を使う要領で魔力を発動し、私をこの姿のまま実体化するようイメージするのです! どうですか、名案でしょう!』
「そんな、簡単にできるわけ……」
『ものは試しですよ、クロス! それに、修行期間わずかで《極点魔法》を習得したあなたなら容易い事! 何より、あんなタヌキ親父達に良いようにされているわけにはいきませんよ!』
ふんふんと、若干興奮状態のエレオノール。
クロスは大人しく、言うとおりにやってみる。
《極点魔法》――《天弓》を発動する要領で魔力を発露。
しかし、今回はエレオノールをそのままの姿で実体化させるように、イメージし……。
「……えぇ……本当にできた」
「どうですか! 流石クロス! 天才ですね!」
牢屋の外に、普段クロスしか見ることのできない美しく神秘的な姿をした女神――エレオノールが出現していた。
「え、え? ど、どなたですか……」
突如現れたエレオノールを前に、マーレットもビックリしている。
「マーレットさん、改めて紹介します。こちらの方は僕が普段話し掛けている女神様。神聖教会の信仰対象、女神エレオノール様です」
「この方が……」
「うひゃあっ! 直接地面に立つというのもなんだか変な感覚ですね! 肉体を持つというのはこんな感じなのですか、うひゃひゃくすぐったい!」
自分で自分の体を撫で回し、何故かハイテンションになって騒いでいる女神様。
まったく神秘性を感じさせない彼女を前に、マーレットも唖然としている。
「ええと、女神様……あまり無駄な時間を使わないで下さい……」
一応、エレオノールが顕現している間は《極点魔法》を使用しているのと同じだけの魔力を消費していることになる。
「結構しんどいですし、長くは持ちません」
「おっと、わかっていますよ! では、行ってきますね」
「あまり無茶はしないで下さいね、女神様。危険を察知したら、すぐに帰って来て下さい」
クロスが囁くと、エレオノールは静かにグッとガッツポーズをして見せた。
かくして、《魔女の契約書》を奪うため、エレオノールの隠密行動が開始した。
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