□■幕間 魔女の館■□
《邪神街》中枢区。
広大な敷地を誇る《邪神街》には、獣人や亜人、外の人間界では生きていけなくなったならず者達等が暮らす“比較的穏やかな区域”の他に、そんな者達でも立ち入るのに覚悟が必要な“ヤバい区域”が存在する。
それが、中枢区である。
中枢区は、そのほとんどが未開の土地――つまり、自然に近い環境だ。
故に、無法、無秩序。
モンスターや魔獣などが生息し跋扈する、正に危険区域である。
そして、この中枢区には、そんなモンスターや魔獣をも脅威と思わない、強大な存在も居住を構えて生活している。
俗世にいては影響力が強すぎるため、誰も寄りつかない魔境は密かに暮らすのに最適なのかもしれない。
――ここは、《邪神街》中枢区に存在する山の頂上。
そこに、豪奢な作りの屋敷が構えられている。
「モルガーナ様」
高級な調度に煌びやかな美術品。
それに加え、魔術に使用するような怪しげな道具が並ぶ部屋のドアを、使用人がノックし開ける。
深々と頭を下げる使用人の、その頭頂部の先には、椅子に腰掛け、煙管をくゆらせる女性がいた。
美しい女性だ。
妖艶とも言える。
黒いドレスを纏い、黒いケープで目元を覆っている。
その透けた布地の奥に輝くのは、サファイヤのような紫色の瞳。
「なぁに?」
モルガーナと呼ばれた彼女は、艶のある仕草で煙をくゆらせながら、使用人の言葉を促す。
使用人といっても、この屋敷に住まう者は皆、モルガーナの従者であり弟子でもある。
「はい、モルガーナ様あてに、客人が訪ねてきております」
使用人の女性は、モルガーナを前に緊張した様子で言葉を紡いでいく。
モルガーナは、ふぅ、と、どこか不機嫌そうに溜息を吐いた。
「今日は、客人の予定は無いはずよ」
「はい」
「もしかして、例の貴族かしら? 今日は気分じゃないと言って、断ったはずなのに」
高名な貴族、王族、富豪が、モルガーナの秘術や魔道具を求めて、この《邪神街》にまでお忍びで足を運んでくる。
彼等ほどの存在に、そこまでさせるのも、そしてそんな彼等の要望や謁見の希望を無碍に断れるのも、この国では彼女くらいのものだろう。
「追い返してちょうだい」
「それが、どうしてもと聞き入れず……神聖教会の、ベルトルと名乗る男なのですが」
「……神聖教会?」
それを聞いて、モルガーナはふっと苦笑する。
「聖職者が私に縋り付くなんて、世も末ね」
まぁ、いいわ――と、モルガーナは立ち上がる。
「神聖教会の信者が私に何を依頼したいのか、少しだけ興味が湧いたから。顔くらいは見てあげるわ」
立ち上がり、モルガーナはドレスを翻しながら部屋を出る。
その後ろに、使用人がしずしずと続いていった。
+++++++++++++
「………」
遅い。
この屋敷を訪れ、謁見の間に通され、どれだけ時間が経っただろうか。
その間、立ったまま待たされっきりなのだ。
ベルトル司祭は苛立っていた。
焦りも有る。
今はともかく、少しの時間も惜しいのに。
しかし、待つしか無い。
ここになら、自分の欲するものがあるはずだ。
「あの、《魔女》モルガーナなら……」
彼女の噂は、ベルトルの耳にも届いていた。
《邪神街》の中枢区の山頂に屋敷を構え、王侯貴族をはじめ上流階級の者達を魅了し、貢がせている存在。
魔術、秘術、魔道具を駆使し……後ろめたい事も含め、あらゆる願いを叶えてくれる、という。
ベルトルは、何がなんでも神聖教会から去ったクロスとアルマ達を呼び戻さなくてはならない。
しかし、普通に考えて、直接交渉に向かっても断られるのがオチだろう。
クロスは冒険者ギルドで地位を確立し、新たな生活を送っているし、アルマ達は自分から神聖教会に背を向けたのだ。
何がなんでも、彼等を教会に復帰させ、なおかつアークシップ司教の懸念であるグスタフと神聖教会の一件についても、クロスを説得して有耶無耶にせねばならない。
こうなったら、どんな手段も用いるしかない。
命が掛かっているのだ、当然である。
「………」
ベルトルは、四方に素早く目線を這わせて、喉を鳴らす。
先日、総本山へと戻るアークシップ司教が、別れ際に言った。
『決して、逃れようと思うな』
『お前は常に、私に見られ、喉元に刃を突き付けられているものと思え』――と。
その言葉の意味は、すぐに理解した。
アークシップ司教は、暗殺者を雇いベルトルを監視しているのだ。
今も、この謁見の間のどこかに潜み、自分を見張っているに違いない。
「お待たせ」
ベルトルが思考を巡らせていた、そこで。
やっと、モルガーナが現れた。
ベルトルの前方には数段の階段があり、少し高い位置のステージにモルガーナが立っている。
まるで、玉座である。
「指輪を選んでいたら時間が掛かってしまったわ。それで? 話は早く済ませてね」
「………」
聞いていた通りの傲慢ぶりだ。
時間を掛けてやって来て、この言い草である。
しかし、怒るわけにはいかない。
こちらは、なんとしてもモルガーナから、噂に聞く“アレ”を買い取りたいのだ。
「いえいえ、待ってなどおりませぬ。お初にお目に掛かります、モルガーナ様。噂はかねがね……しかし、聞いていた以上のお美しさですな」
ベルトルは、ニコニコと笑いながらモルガーナに媚びを売る。
しかし、対するモルガーナは退屈そうである。
そんなおべんちゃらは、言われ飽きているのかもしれない。
「早く済ませてと言ったわよね」
「は、はい……」
ベルトルは、ここに来た目的を口にする。
「モルガーナ様に、是非とも『魔女の契約書』をお譲りいただきたく、参上した次第でございます」
言って、ベルトルは所持してきた大金を見せる。
ベルトルの私的な財産――その半分近い額を、ここまで運んできた。
「これでどうにか。もし足らぬようでしたら、更に――」
「断るわ」
しかし、モルガーナはつまらなそうな声音でそう言った。
「な、何故……」
「神聖教会の重役が何を目的に来たのか、少し興味があったのだけど……他の連中と変わらないわね。気分が乗らないわ。お帰りなさい」
「お、お待ちください、モルガーナ様!」
それだけ言って去ろうとするモルガーナを、ベルトルが呼び止める。
「お客様がお帰りよ」
モルガーナの一言で、謁見の間の後方に控えていた使用人達が、ベルトルの前方に回り込んで壁となった。
「く……」
ベルトルの怒りは頂点に達した。
「待てッ!」
瞬間、ベルトルは魔法を発動する。
彼もまた、《光魔法》の使い手である。
ベルトルの翳した手の先に、光の魔方陣が描かれ、徐々に光の量が増していく。
《光芒》と呼ばれるこの魔法は、光の熱による攻撃魔法。
《光魔法》の中でも、《上級》に分類されるものであり、ベルトルの扱う中でも最高レベルの魔法だ。
「もう一度言うぞ! 『魔女の契約書』を寄越せ!」
《光芒》の砲口をモルガーナに向けながら、ベルトルは吠える。
しかし、ステージの上のモルガーナはベルトルに見下すような視線を向け、口元に微笑みを浮かべるばかり。
苛立ちが臨界点に達したベルトルは、《光芒》を解き放った。
炎熱の砲撃が、モルガーナに迫る。
が、次の瞬間。
モルガーナが軽く指先を動かすと、その《光芒》は瞬く間に消滅した。
「は……」
一瞬で掻き消された《光芒》の向こうより、モルガーナの姿が現れる。
「可愛らしい魔法だこと」
苦笑するモルガーナを前に、ベルトルは言い知れぬ恐怖を覚え、思わずへたり込んでしまった。
+++++++++++++
「流石です、モルガーナ様」
そこで、モルガーナの後方に控えていた使用人――一番最初に、彼女を部屋に呼びに行った使用人が駆け寄り、頭を垂れる。
そして、煙管を差し出す。
「あら、ありがとう」
差し出された煙管を銜え、紫煙をくゆらせるモルガーナ。
「我欲に溺れ、力を誇示する野蛮な男も、モルガーナ様には敵わない。何度も見る光景ですが、本当に爽快です」
「そうね」
モルガーナは、ふふっ、と微笑む。
しかし、そこで一転、目を伏せる。
「……いや、一人だけ」
まるで、不意に思い出したかのように、彼女は呟いた。
「私にも唯一、敵わなかった男がただ一人――」
「モルガーナ様!」
そこに、慌てた様子で別の使用人がやって来た。
「どうしたの? 騒々しい。静かになさい」
「も、申し訳ありません」
叱られ、やって来た使用人は囁くような声で告げる。
「お、お屋敷の裏口に、訪問者が来ております」
報告を聞き、モルガーナは深々と溜息を吐いた。
「今日は厄日ね。一体何者なの、その不躾な不届き者は」
「は、はい」
使用人は、ひそひそと言葉を続ける。
「クロスと名乗る男です。それに、ベロニカという獣人や、レイフォンという魔獣も。自分達はモルガーナ様の旧い友人で、久しぶりに会いに来たとか、わけのわからないことを……」
「………」
それを聞いた、瞬間だった。
モルガーナの手から、煙管が落下した。
「も、モルガーナ様?」
後ろに控えていた使用人も驚く。
「……来ているの、裏口に?」
しばらく停止していた後、モルガーナは口を開いた。
どこか、動揺した様子で。
「え、え、嘘、く、クロス? クロスが? 本物?」
先程までの妖艶で余裕たっぷりの態度は失せ、わたわたと慌てている。
「ほ、本当に? 嘘、どうしよう……」
「モルガーナ様?」
「と、とりあえず、本物かどうか確かめないと……」
慌てて、屋敷の裏口へと向かおうとするモルガーナ。
「モルガーナ様!」
そんな彼女に、ベルトルが縋り付いた。
必死の形相である。
壁となっていた使用人達をなんとか掻き分け、跪き、モルガーナのドレスの裾を掴んで離さない。
「大変なご無礼を! しかし、どうか、どうか、この薄汚い灰色鼠に一時のご慈悲を!」
「ええい、それどころじゃないのに、鬱陶しい!」
モルガーナは、目に付いた使用人に指示を出す。
「『魔女の契約書』を持って来て! 売買はそっちで済ませておいて!」
「ああ、ありがとうございます! このご恩は決して――」
「どうでもいいから離しなさい!」
ベルトルを振り払い、モルガーナは走って謁見の間から出て行った。
+++++++++++++
「やった、やったぞ!」
そして、現在。
ベルトルは、喜び勇んで屋敷から出て来た。
そして、迅速な駆け足で獣道を下っていく。
あくまでも秘密裏の行動のため、ここまで付き添いの者は居ない。
用が済んだ以上、とっとと《邪神街》からも出て、急いで人間界へと戻らなければ――。
「待て」
瞬間、だった。
気付くと、ベルトルの背後に気配があった。
加えて、首元に何かを当てられている感触。
「お、お前は……」
「名乗るまでも無い、わかっているだろう」
呼吸を荒げ、ベルトルは目を見開く。
暗殺者だ。
おそらく、自分を監視するように命じられた、アークシップ司教の手駒。
「お前が今手に入れた魔道具……『魔女の契約書』とは何だ?」
「な、何故、そんなことを聞く……」
体が動かない。
振り返れないので、この暗殺者の姿を見ることはできない。
が、ベルトルはそのままの姿勢で会話を継続する。
「俺には主に貴様の行動を報告する義務がある。こんなところまでやって来て、無駄骨ではなかったのだろうな」
「だ、大丈夫、全ては順調だ」
ベルトルは、必死に説明する。
「この『魔女の契約書』は、《魔女》モルガーナの強力な秘術が施された契約書で、いかなる者も書かれた主従関係に縛られる、絶対の契約書だ」
「………」
「ある貴族が、意中の女を我が物にするためにこれをモルガーナから買ったという噂を聞いたが、本当だったようだ。これで何とかしてクロスをだまし、契約書を書かせ、私の傀儡として教会に連れ戻す」
具体的な交渉……というか話し合いの時間が無く、契約書は一枚しか手に入れられなかった。
しかし、アルマに関してはクロスさえ人形にできればどうとでも操れる。
「……そうか」
そこで、ベルトルの首元から殺気が消えた。
「……貴様、あの馬車の中で主に、『クロス神父は神聖教会に復帰する予定で話を済ませている』と言っていなかったか? 齟齬が無いか?」
「ど、どうせ、アークシップ司教は、私の言葉など信じてはいない。結果的に、グスタフの一件が隠蔽できればいいのだ。ならば、この内容で報告されても問題は無い。やる事は同じなのだからな」
「……ふん」
暗殺者の、呆れと、そしてどこか感心の交ざった息遣いが聞こえた。
その時だった。
「グルルル……」
すぐ近くの木々を掻き分け、巨大な熊の姿をしたモンスターが現れた。
「しまった、一カ所に長居をし過ぎた……」
匂いと音を嗅ぎつけやって来たのだ。
見るからに凶暴そうなモンスターを前に、ベルトルは息を呑む。
「どいていろ」
そこで、ベルトルの後方の気配が動いた。
と、同時に、モンスターの両目に、何か金属の刃が放たれ、突き立てられていた。
雄叫びを上げるモンスターだが、次の瞬間にはその場に倒れ、動かなくなった。
「今のは……」
おそらく、暗殺者の仕業だろう。
あの金属の武器が何なのか、瞬時にどのような方法で両目に突き立てたのか、そして急所を射貫かれたわけでも無いモンスターが何故それだけで倒されたのか。
全て不明だが、背後の男がやったに違いない。
「わ、私を助けてくれたのか」
「勘違いするな。俺の任務は、お前の監視。今回の一件が問題無く達成されるか、状況の把握と報告。そして、場合によっての処刑」
闇の中から響くように、暗殺者の声が聞こえる。
「お前の命は俺の裁量次第だ。生かすも殺すも、な」
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