□■幕間 一方、神聖教会では……――追い詰められるベルトル■□
「ぐぅぅ……」
神聖教会、支部。
ベルトル司祭は、執務室の中で頭を抱えていた。
唸り声の元凶は、言うまでもない。
クロスの事だ。
《邪神街》の出身者であり、魔族の血の混ざったハーフ。
その出生と汚れた存在であるという事実を突き出し、更に同僚の神父やシスター達の処遇を盾に、彼を教会から追放した。
人望の厚い彼が気に入らず、いずれ教会の権力闘争において自分の邪魔になると考えたためだ。
しかし、事態はそれ以降、悪い方向に進み続けている。
まるで、幸運の女神にそっぽを向かれてしまったかのように。
まず、神聖教会を追い出されて居場所を失ったと思われたクロスは、冒険者となっていた。
しかも、登録してわずか数日の新人冒険者の立場でありながら、数々の功績を納め、冒険者としてのランクを上昇させようとしていた。
その報告を聞いたベルトルは、ギルド側に圧を掛けるような口振りを挟み、クロスを冷遇に追い遣る事に成功した。
更に、彼が《邪神街》の出身者であることなども伝え、素性や人格に問題がある旨を刷り込もうとした。
結果――それは悪手だった。
最終的に、高名なAランク冒険者であるガルベリスが訪問し、彼の処遇に対する介入について、“おいた”が過ぎると釘を刺されてしまった。
奇しくも、自分が冒険者ギルドにしたように、今度は自分が圧を掛けられてしまったのだった。
かくして、クロスは冒険者ギルド内でも自身の望む地位を得られ、仕事仲間達と何不自由なく活動を行っているのだという。
この気に食わない事態に加え、更なる問題が発生したのは直後。
シスター・アルマ、ウナ、サナの三名が、神聖教会を脱会したのだ。
シスター・アルマは、かの名門、スカーレット家の出身。
スカーレット家の血族のみが所持する才能――《創造》の魔法の使い手であり、天才と名高い人物だった。
諸事情で神聖教会のシスターに就いていたが、その才能は明らかなものであり、加えてカリスマ性というのだろうか……人柄だろうか、仲間のシスター達からも愛されていた。
いずれは、自分の優秀な配下の一人に加えてやろうと画策し、甘めに接していた彼女は、しかしベルトルのクロスに対する対応に立腹し、彼女を慕うシスター・ウナとサナを連れて教会を出て行ってしまった。
当然、クロスに続き、アルマとウナ、サナがいなくなったことに、シスターや神父達からも不満の声が上がった。
ベルトルは、アルマ達に関しては『一時的に頭に血が上り、冷静な判断が出来ていないだけ』『すぐに帰ってくる』――と言って誤魔化したが、一向に戻ってくる気配は無い。
そうこうしている内に、この支部内での雰囲気は、明らかに悪い方に進み始めていた。
一向に声を汲み上げず、突っぱね続けるベルトルに、それでも我慢していた者達が遂に不安を抱くようになってきたのだ。
尊敬していたクロスが追放され、それに筆頭で異を唱えていたアルマ達も去った。
ベルトルに対する求心力が、明らかに薄れてきている。
ベルトルは、今更のように焦った。
そして、遂にやってはいけないことをしてしまった。
神聖教会支部のトップに立った今、更に階級を上げ、いずれは総本山へ……そう考えていた。
その為に、これ以上の人望の損失と、人材の流出を避けなければならなかった。
だから、ベルトルは先刻、今後の事を話し合うため会合していた神父やシスター達の元を訪れ、彼女達に宣言してしまったのだ。
『実は、クロス神父とシスター・アルマ達に関しては、近日中に神聖教会に戻ってくるよう手筈を整えている』――と。
+++++++++++++
「な……なんとかせねば」
そう言ってしまった以上、なんとしてでもクロス達を見つけ出し、対話の場を設けなくては。
いや、その前に、クロスの処遇に関して撤回したいと、総本山にも掛け合わねばならない。
彼の件に関しては、神聖教会の多くの人間が関わっている。
ともかく、一刻も早く、事を進めないと――。
「失礼します」
そう懊悩していたベルトルの耳に、執務室のドアをノックする音と、事務職員の声が聞こえた。
「ベルトル司祭。司祭を訪ねて、お客様が……」
「誰だ、こんな時に。今、忙しいのだが」
ベルトルは、若干荒れた口調でそう返した。
「教会の門の外に、馬車でお越しでして。ベルトル司祭を呼んできて欲しいと」
「私の方から出迎えに来いというのか!」
ベルトルの苛立ちは更に強まる。
一体どこの誰だか知らないが、随分と厚かましい客人がいたものだ。
「私は、今日客人の訪問があると聞いていない。追い返してくれ」
「ええと、それが……」
事務職員は、少し困惑したような口調で言う。
「司教様です」
「……は?」
ベルトルは、思わず聞き返していた。
「中央総本山より、アークシップ司教がお越しになられているようで……」
瞬間――ベルトルは顔を真っ青にし、すぐさまドアを開けた。
「そ、それを早く言えッ!」
司教――その称号は、この神聖教会における最高幹部を意味する。
ベルトルは、慌てて廊下を走り、教会支部の正門前へと向かう。
門の外に、一台の黒塗りの馬車が停車していた。
「お、お待たせ致しました!」
馬車の入り口前に到着すると同時、ベルトルは腰を何度も曲げる。
すると、馬車の入り口――そこの窓が、キィと音を立てて開いた。
「……ふぅ」
窓の向こうから、溜息が聞こえた。
ベルトルの背筋に寒気が走る。
間違いなく――アークシップ司教の溜息だった。
「やってくれたな……ベルトル司祭」
「へ?」
開口一番、アークシップ司教の言い放った言葉に、ベルトルは目を見開く。
「……君が追放を言い渡した、クロス神父に関して少し話をしたい。このまま馬車に乗ってくれるか?」
+++++++++++++
「………」
馬車の中には、泥のような空気が沈殿していた。
座席に腰を下ろした姿勢で、ベルトルは目前の男性と向かい合う。
ロマンスグレーの髪を撫で付けた、表情の無い無機質な顔。
眼鏡の奥の感情の無い双眸で――アークシップ司教は、ベルトルをただ黙って見据え続けている。
ベルトルは、彼の前で正に蛇に睨まれた蛙のように、動くことも許されずただジッとしている。
一体、何故アークシップ司教が来訪したのか。
そして、自分に何の話があって馬車の中へと導いたのか――。
二人きりの密室を作ったのは、おそらくそれだけ重要な話をされるからだろう。
一応、馬車を操縦する御者の姿を外で確認はしたが……。
「グスタフが王国騎士団に捕縛された」
そこで、不意に、アークシップ司教が口を開いた。
ベルトルは「え?」と、即座に反応をする。
「ぐ、グスタフ……というのは」
「王国内で指名手配をされていた、魔道具研究家にして危険思想の持ち主だ。モンスターを操り、思うがままに支配する薬品の製作を行っていた」
アークシップ司教は言う。
「先日、ある冒険者達の協力により捕まった」
「………」
「実はな、ベルトル司祭。我々神聖教会とグスタフとの間には、少なからず関連があったのだよ」
「え」
驚愕するベルトルに、アークシップ司教は続ける。
「彼が研究していた、モンスターを支配する薬品型魔道具は、もし完成すれば世界に大きな影響を及ぼす。そしてその影響は、少なからず神聖教会にとって利益をもたらすであろうものだと予測された。世に混乱が訪れれば、自然、民は神に縋り付く。そうなった時、神聖教会の影響力は更に拡大する」
「………」
「だから数年前、彼が王国騎士団をはじめ冒険者ガルベリス達に追われる身となった際も、密かに《邪神街》に逃れられるよう手回しもした。グスタフは神聖教会に感謝し、いずれ恩を返すと、そう言っていたよ」
「………」
「そのグスタフが、最近密かに研究を再開したようだった。モンスターを完全支配下におき、しかも急成長までさせる。彼が神聖教会に大きな恩を返してくれる時が来た……はずだった。だが、結果としてグスタフは捕まってしまった」
「………」
「もし、グスタフが王国騎士団からの聞き取りで、かつて神聖教会に逃亡の手助けをしてもらった等と口にしたなら、面倒なことになる。そこで、この事態を重く考え、我々も色々と調査をしていたのだ。すると、今回のグスタフ捕縛の大きな立役者となった、ある冒険者の名前が見付かった」
「………」
「クロス――元神聖教会の神父。ベルトル司祭、君の管理するこの支部に所属していた神父だ」
ベルトルは、既に汗だくになっていた。
神聖教会と繋がりのあった犯罪者、グスタフの捕縛。
その成功に大きく関わった冒険者、クロスの存在。
アークシップ司教は、その件をベルトルに言及しに来たのだ。
「聞けば、彼に追放を言い渡したのは君だそうだな」
「そ、それは、正当な理由があって……」
「結果が全てだ、ベルトル司祭。君がクロス神父を追放した結果、彼は冒険者になり、グスタフは捕まった」
アークシップ司教は、相変わらず感情の無い目でグスタフを見据えている。
「元を正せば、君が彼を邪魔者として追い出さなければ済んだことだ。この責任をどう取る」
ベルトルは理解する。
おそらく、ベルトルはこれから、ただでは済まない。
何故なら、アークシップ司祭はベルトルに、『指名手配犯グスタフと、神聖教会の間には繋がりがあった』という秘密を告げた。
ベルトルとて、神聖教会内では内密にされている悪事等をいくつか知っている――そういう立場にいる人間だ。
だが、この秘密は今日、初めて聞いた。
アークシップ司教は、重大な秘密を知ったベルトルを、最悪処理する前提で話を進めているに違いない。
ベルトルはそこで、自身の背中側で何かが動く気配を察した。
御者だ。
おそらく、この馬車の御者は、ただの御者ではない。
アークシップ司教の指示一つで、ベルトルを消す役目も担っている――暗殺者に違いない。
「い、今一度お待ちを! 責任は取ります!」
混迷し、動乱し、思考が回らないベルトル。
しかし、このまま黙っていても命を失うだけだと判断した彼は、即座に叫んだ。
「クロス神父は、近々この神聖教会に復帰する予定なのです!」
自身が、大慌てで部下達に吐いた嘘を、この場で再度放った。
「……復帰?」
「ええ、実を言うと、今回の件……流石の私も大人げなかったといいましょうか……彼が如何に汚れた存在と言えども、それを許すのが女神様のお膝元である、この神聖教会の務めと! なので、密かに彼と話し合いをしており、近々、神父として復帰してもらう流れになっていたのです!」
「………」
アークシップ司教は、ベルトルの口にしたあまりにも信用ならない言葉に、黙って目を細める。
「で」
「……え?」
「で、クロス神父が戻ってきたとして、その後はどうするのだ?」
「……そ、それは……」
ベルトルは、もうやけっぱちの思いで、考え付いた言葉を口にしていく。
「く、クロス神父は、今回の復帰提案の件で、私にとても恩義を感じております。クロス神父は、グスタフ捕縛案件の重要人物……王国騎士団や、Aランク冒険者ガルベリス氏とも親交が厚い様子。彼が口添えすれば、グスタフと神聖教会との間には何も無かったように揉み消してもらえるはずです……私から、彼に言えば」
「………」
アークシップ司教は、静かにベルトルを見ている。
おそらく、ベルトルの言葉が本当であると信じてはいないだろう。
しかし――。
「いいだろう」
やがて、彼はほくそ笑んで口を開いた。
期待はしていない。
むしろ、必死に足掻くベルトルの姿を楽しむように、彼は言う。
「ではその件、君に任せよう。ベルトル司祭、良い報告を待つ」
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