冒険者ギルドにて
エルカルド王国辺境の街、コードル。
冒険者ギルドにて。
一人の少年が、冒険者ギルドの扉を開けた。併設された酒場から一瞬、視線が扉に集まる。しかし、その相手が年端も行かぬ少年だと分かると、殆どの視線は興味を失くして、食事や酒、密談へと戻っていった。
少年はギルドの建物に満ちる酒と、汗と、血の臭いを思い切り吸い込むと、その顔に満面の笑みを浮かべた後、一直線に受付へと向かう。
冒険者ギルドというこの場所に、その少年の姿は似つかわしくない。ここは荒くれ者が集う場所だ。冒険者を志す少年がやってくることもあるけれど、その少年の年齢はどう見積もっても彼らよりさらに若く、危険な冒険者家業を始めるには幼過ぎる。
では、依頼人かと言えばそれも違う。この辺境においての冒険者とは、ギリギリ法に触れないならず者というのが町民たちの共通認識だ。
それは大よそ間違ってはいない。ここでは戦いの強さだけが正義であり、それ以外は些事。力さえあれば多少の暴力沙汰は、お目こぼしされるのが常だ。特にこのコードルの街は、ある理由からそれが極端に反映されている。だからこそ、それを知る住人たちならば、子供をこんな場所へ一人で行かせることは決して無い。
異質であるということは、とても目立つということだ。現に、酒場に屯する冒険者の内の数人の目は、少年が脅威では無いと分かった今でも、変わらず少年へ注がれている。
それはさながら、獲物を狙う獣のように。
少年は受付にやってくると、背伸びをして受付台の上に顔を出すと、受付嬢へと声を掛けた。
「こんにちは、お姉さん」
「ようこそ冒険者ギルドへ。ご依頼ですか?」
受付嬢は突然、机の向こう側から現れた小さな頭に少し驚きつつも、笑顔を浮かべると冒険者ギルドにおける定型文で対応する。
「ううん、違うよ。ギルドマスターのデスタルって人いる? ちょっと用事があるんだけど」
軽い感じに語る少年の言葉に、受付嬢は一瞬、少年が何を言っているのか分からなくなった。ギルドマスターとは街のギルドの統括者。ギルドマスターデスタルとはこのギルドで一番偉い人物の名前である。それをこの少年は、何でもないことのように、会えるかと聞いているのだ。
「あ、あのぅ、お約束はされていますか?」
ありえないとは思いつつも、受付嬢は決められた返答を口にする。辺境とはいえ、コードルはこの辺りで一番大きな街だ。ギルドマスターデスタルはその大きな街の冒険者ギルドを束ねるギルドマスターである。そう簡単に会える人物ではない。
この街の領主であっても、この定型文を聞かれるほどの相手に対して、こんな年端も行かない少年が約束を取り付けられるはずがないだろう。
「ううん。約束とかはしてないけど、合わせてくれる? 大切なお話があるんだ」
「うーん。それだとちょっと会えないかな。ギルドマスターはお忙しい方だから、そんな簡単には会えないの。ごめんね」
受付嬢は言葉を崩して、無知な少年に対応する。聞き分けの無い子供へ言い聞かせるように務めて優しく。
「それだと困っちゃうんだけどなぁ」
「今度はお父さんかお母さんと一緒に来てね」
困ると呟く少年に対して、受付嬢はきっぱりとそう応えた。この危険な場所から、出来るだけ早く少年を遠ざけるために。
だが、受付嬢は知らない。
俯く少年の口元が薄く笑みを形作っていることを。
少年の言う困るの対象が、誰なのかを。
そんな少年に対して、背後から声が掛けられる。
「おいおいおい、ここはガキの来る所じゃねえぞ?」
少年が振り返ると、そこにはニヤニヤと下卑た笑いを浮かべた大男が立っていた。
「ここはギルドが管理する公共の施設だよ。大人だろうと子供だろうと、来るのはその人の自由さ」
少年はそんな大男に対して、物怖じすることなく言い返した。酷く冷静に、当たり前のことを指摘するように。事実、少年の言葉はこの国の法と照らし合わせても間違ってはいない。
しかし、世の中には暗黙の了解というものがある。危険な場所に子供は近づかせない。それは、子供のためにも守らせなければならないルールだ。
そう考えれば、この大男の言葉は親切を言っているようでもある。まあ、大男の表情を見る限り、その可能性は限りなく低いのだが。
「舐めてんのか、クソが。生意気なこと言ってんじゃねえぞ」
酒臭い息と共に、大男はそんな言葉を少年に向けて吐き出す。
片手に酒瓶を持ったその男は、この冒険者ギルドに似つかわしい筋骨隆々とした男だった。その腕は丸太のように太く、その背には少年の身長を遥かに超える大剣を背負っている。
酒に酔いながらもなお鋭い眼光と、周りを威圧する強面。明らかに暴力を生業とする者の匂いを放っている。そんな大男の行動を注意する人物は、このギルド内に一人もいない。
その理由は二つに分かれる。半分は少年の安否に興味が無く、残りの半分は大男に恐れを抱くが故に。
ギルドランク。それは冒険者の力を示す指標となる証。頂点であるAランクから、最下層のGランクまで存在するそのランク制度において、男のランクはCランク。
中堅どころと呼ばれる冒険者たちが大抵Dランクであることを考えれば、強さの壁を一つ越えた存在と言える。それはこの辺境においてさえ、周囲から一目置かれる程度には強力な証だ。
面倒事を好まない冒険者たちと、戦う力の無いギルドの職員。どちらであろうとも、少年の助けとはならない。
一応ギルド職員への暴行はギルドの規定により罰せられるので、ギルド職員が冒険者たちに表立って攻撃されることは限りなく少ないのだが。だからと言って、見ず知らずの少年を助けるために、そんな賭けに出るギルド職員は一人もいなかった。
「あー、クソ。この俺をイラつかせやがってよお。目障りなんだよ。さっさと消えろや」
「アハハ。僕が目障りだって言うんなら、君の声は耳障りだね。おまけに酒臭い。そっちのほうが重症だ」
楽し気に笑う少年に対して、大男はあっさりと切れた。
「死ね」
短く呟くと、大男は少年に向けてその拳を振り下ろす。岩をも砕くような威力を感じさせる大男の鋭い一撃を、少年はさっと移動して躱した。大男の一撃は受付台にぶち当たり、激しい音を立てて台の木板を叩き割る。
「あーあ」
それを避けた少年は、その惨状を見て嘲るように大きな声で呟いた。
「てめぇ、まぐれで避けられたからって調子に乗ってんじゃねえぞっ」
大男は怒りでさらに顔を赤くして、少年に向けて叫ぶ。怒気には殺気も混ざっていたが、少年はどこ吹く風。その表情からは、微塵の恐怖も見られない。
それがまた、大男の怒りに油を注ぐ。
「――決闘だ。俺と決闘しやがれ」
大男は冷たい目を少年に向け、そう宣言した。
いつの間にか男の顔からは赤みが消えている。限界を超えた怒りは逆に、男に冷静さを取り戻させたようだ。酒気も完全に跳んだようで、今の男にあるのは、自分を揶揄う弱者に対する純粋な殺意のみ。
決闘。それは冒険者同士が争った際に、手っ取り早く決着をつける為のシステムである。
冒険者に必要な資質は数あれど、この危険な魔物が蔓延る世界において、最も重要視されるのはやはり強さだ。勇者たちの手によって魔王が倒されたとはいえ、未だ魔物による被害は多い。それ故に、決闘というシステムは冒険者たちに広く受け入れられた。
特にこの辺境という地では国からの支援も届きづらく、冒険者一人一人の戦力に寄せられる期待も自ずと大きくなってくる。だからこそ、力を持っていると言うことを分かりやすく示すこの決闘というシステムは、辺境であるほど受け入れられやすい。
とはいえ、本来であれば冒険者たちの間でのみ行われるのが一般的なこの決闘というシステム。それが一般人にまで適用されているのは、さすがに辺境と言えども以上である。
しかし、本来であればありえないこの現状を止める者は、やはり誰もいない。本来であればこんなことが起きれば、確実にギルド職員が止めに入るし、最悪言い出した冒険者は騎士団に捕縛される。
冒険者ギルドへの依存が、冒険者たちを増長させ、このような事態を産んだ。
冒険者ギルドの腐敗。それが、この現状を生み出している理由である。
そしてその中心にあるのは、やはり……。
少年はそんなことを考えながら、内心で喜んでいた。
決闘は双方の合意が無ければ行われない。一応この大男も、最低限その程度の知識はあるようだったが、男の目は少年がそれを拒んだ瞬間、その首を切り落とすと語っている。
それは決闘の強制であり、本来ならばあってはならないこと。しかし、ここではそれも許されている。
だが、そんなことをしなくとも、この少年は――
「いいよ。応じてあげる」
――端から決闘を拒む気など、みじんも無かった。