相撲に関連する作品(相撲小説「金の玉」「四神会する場所」シリーズは、別途でまとめています)
琴桜、琴の若、琴ノ若 親子3代の物語
琴桜、琴の若、琴ノ若と続く相撲一家の挿話を短編で綴った文章です。
注 琴の若は、その後、琴乃若、琴ノ若 と改名しますが、息子と区別のため、この文章では、琴の若 で統一します。
先日、ちょっと残念だなと思うことがあった。夏場所3日目、御嶽海と琴ノ若の一番、御嶽海に軍配があがり、物言いがつき、協議の結果、軍配差し違えで、琴ノ若の勝ちとなった。
それを説明したのは、協会の職務分掌で新たに理事、審判部長となった琴ノ若の実父である元関脇琴の若の佐渡ケ嶽親方。
スローでみた感じでは、この一番かなり微妙で、取り直しとするのが妥当だったのでは、と思った。
そういう一番であっただけに、審判部長である佐渡ケ嶽親方の権限、採決で息子の負け、としたら、場内にどよめきも起き、そのほうがカッコ良かったのでは、そんな感想を持った。
が、この一番、少なくとも琴ノ若の負けはないかな、と思う。私が判定するとしたら、琴ノ若の勝ちという気持ちが2割か3割。同体取り直しではという気持ちが7割か8割、と言ったところ。
ゆえにカッコ良さを求めて、息子の負け、とするというのは、それはそれで厳正な判断から外れたこと。
だから、上記程度に判断される一番であれば、取り直しにしてほしかったというのが、妥当な感想ということになるかと思う。
なぜこんなことを書くかというと、私はこの親子については、とても好感を持って見守ってしまっているからであろう。それだけに些細なことでも世間に勘ぐられるようなことはしないで、そんなことを思ってしまったからであろう。
下衆の勘繰りを続けると、物言いのついた一番というのは、ビデオ室で、その相撲の再生を観た親方が、その判断を審判部長に伝える、イヤホンでそれを聴いた親方がその判断を、土俵に上がったあとの4人の親方に伝え、その判断も加えて協議して、最終的には正面に座る審判部長が、勝敗を採決する。
佐渡ケ嶽親方は、そのお人柄から言って、ビデオ室担当の親方が同体が妥当と伝えているのに、審判部長の権限で息子に有利な判定を下す、というような方とは到底思えない。
ゆえに、ビデオ室の親方が、琴ノ若が有利と伝え、あとの4人の親方もそれに同意したということだったのであろう。
そこに理事という上役に対する阿りがあった、というのはあまりにも下衆の勘繰り。当事者の親方たちにも無礼なコメントである。
が、佐渡ケ嶽親方は、その優しげな風貌。また一門内で新たな理事として推されたということからみても人望があるのであろうと推量できるし、佐渡ケ嶽親方、琴ノ若親子は協会内でも好意的に見られているのであろうとも推量する。
そういう面での好意的忖度は、もしかしたらあったかもしれない。
さて、下衆の勘繰りはこのくらいにして、この文章のタイトルになっていることについて。
始まりは、昭和45年くらいではなかったかと思う。
大関琴桜は、何かの会合で出会った宮崎県出身の超美人、章予さんに一目惚れする。
琴桜は以降連夜の電話攻勢。
が、琴桜は無骨な男。
同時代に活躍したプレイボーイと評判の美男子、北の富士とはまるで異なる人柄、
豊富な話題の持ち合わせはない。
連日繰り返される話題は、
「こちらの天気は、……です。そちらの天気はどうですか」
(筆者注 この挿話、投稿済の相撲小説「四神会する場所」で使わせていただきました)
そして、琴桜は、章予さんを射止める。
章予さんは、琴桜の誠実な人柄に惹かれたのであろう。
そして大関が長く、成績も振るず、姥桜、ポンコツ大関とまで揶揄されていた琴桜は、大関在位32場所、32歳で昭和48年春場所、第53代横綱となる。
昭和45年春場所に、北の富士、玉ノ島(横綱昇進に伴い玉の海と改名)が、同時横綱昇進してから3年ぶりの新横綱。
北の富士は、昭和17年生まれ。
玉の海は、昭和19年生まれ。
そして琴桜は昭和15年生まれ、
昭和36年九州場所に21歳の若さで横綱になった大鵬と同じ年の生まれである。
昭和46年秋場所後に玉の海が現役死してから、北の富士のひとり横綱の時代が8場所続いたあとの横綱昇進である。
琴桜と章予さんの間に真千子さんが生まれる。
長じて真千子さんは、琴桜の弟子、琴の若と結婚。
琴の若は体格に恵まれた有望力士。
そして何より、雑誌ナンバーが、スポーツ界のハンサムなアスリート特集をしたとき、その表紙にもなった美男子。
琴の若は、琴桜(鎌谷家)の婿となった。
琴の若と真千子さんの間に将且君が生まれる。
将且君は相撲が大好きな少年になった。
琴の若の現役時代、協会の幹部となっていた琴桜の佐渡ケ嶽親方が、NHKの正面解説を務めたとき、土俵上の琴の若を評して
「琴の若は、娘は大切にしてくれるし、孫は可愛がってくれるし、家庭では言うことないんだけどねえ、これで相撲をもっと頑張ってくれたらなあ」
体格に恵まれた琴の若。が、優しげな風貌どおり温和な人柄。この男がもっともっと執念を燃やし、勝敗に貪欲になったら大関、横綱も望める。
力士としての琴の若は、琴桜には歯痒かったのだろう。
が、公共の電波で、その家庭人としての振る舞いを激賞できる婿に恵まれた琴桜。
ーいいなあ
そのコメントを聞いて、私は、佐渡ケ嶽親方は幸せだなあ、
と思った。
琴桜は、孫を可愛がった。それこそ目に入れても痛くないほど。
可愛い娘と、優しい婿の間に生まれた相撲が大好きな男の子。可愛くないはずがないではないか。
「大関になったら、琴桜の名前をやるからな」
祖父は孫にそう伝えた。
私は、昭和38年から相撲を見続けている。
そして中学時代から、相撲の専門雑誌を買い続けてきた。
琴桜の恋愛話も、ふたりの間に真千子さんという娘さんが生まれたことも、そして琴の若と真千子さんの間に男の子が生まれたことも、相撲雑誌で、同時代に知っている。
相撲が大好きな将且君は、物心がついたころから、相撲雑誌のコラム欄にしばしば登場していた。
琴ノ若の活躍、正面解説の北の富士さんが、ある日、しみじみと
「お祖父さんに、この姿を見せてあげたかったなあ」
とつぶやかれた。
琴桜、琴の若、琴ノ若
親子3代の物語は、まだ続いている。